2014年09月25日
釣った魚にエサはやらない。
先週の金曜日の事である。
その日の午前中、いつものように店を営業していたところ、夫の電話が鳴った…。
何となく、そういう予感がしたのだが、断片的に聞こえて来る会話の内容から、誰かからのお誘いの電話で、これから出掛ける様子だった。
電話が終わるといきなり、今は物置と化している3階に行って屋根の修理をすると言い出した。
そして、何だか「釣り竿も探して来る。」と言い残して、足早に上階に上って行き、しばらくすると釣り竿を下げて降りて来た。
予想通り、その後いそいそとシャワーを浴び身支度をして、
「ちょっと、ピー•ウワン(隣人のウワンとは別人、闘鶏場の元締め)から呼び出されてさ…。出掛けて来るけど、大丈夫だよね。」
と、別に大丈夫とも何とも言っていないのに、さっさと出掛ける用意をしている。
まあ、こういう事はいつもの事で、やれ闘鶏場の会合だの、単に知り合いから昼食のお誘いで呼び出しが来ただので、出掛けるのは別に珍しくもないので、私も別に行き先を尋ねる気もなかった。
普段から私一人に店番させても、平気で2、3時間の昼食(宴会?)に出掛ける事もままあるのだが、この日は毎週木曜日の夜帰省する長男が帰って来ていたので、平日で、まだ午後一時になったばかりだと言うのに、大手を振って悪びれる様子も無く出掛けてしまった…。
さて、それから長男と二人で店番をしながら夕方近くになり、閉店時間も近づいた頃、珍しく外出先の夫から電話が来た。
「あのさ、今ピー•ウワンの為に、薬買いに来てるんだけど、何か欲しいものある?」
というので、私は以前このブログにも書いた、毎日欠かさず3〜4個食べているケーオマンコンが無くなりそうだったので、買って来て貰おうと頼んだところ…。
「ああ、それさ俺さっき見たら、1kgで35バーツもするんだよ。高いからさ〜。買いたくないんだよ。」と言うので、黙ってその話を聞いていた私は内心、
「35バーツ?だからどうだって言うんだ?」と思っていた。
確かに小さいとか、古くなったりとかで1kg10バーツくらいで売ってる事もあるし、基本的に時価だから時には新鮮な物でも20バーツくらいで買える事もある。
でも、今はそれが35バーツになっただけの事。
何も100kgとか買って来いと言ってるんじゃない。
せいぜい、一度に多く買っても4、5kg程度、普段より高めかも知れないが、5kg買ったとして75バーツほど高め、金額にしても200バーツにも満たないだろう。
それが、何故買えない?
確かに、普段から変なところに細かい癖もある。
しかし、このピー•ウワンの為に、買い出しに行くガソリン代はあるくせに、私に75バーツ程度予算オーバーの果物を買っては来れないのだ。
友達のためなら、何十kmでも厭わずお迎えに行き、往復何百kmも掛かる他県に車付きの運転手代わりになって上げる事も何とも思わないのに、このケーオマンコンを買う百バーツちょっとはもったいないのである。
その時、私の心に少しだけ残っていた淡い期待が弾けて散った。
確かに、夫にとっての世界一大事な人は『お母さん』であり、その他親戚友人もこの上ないくら大事にする事は十分承知している。
しかし私たち家族も、もしかしたら、お母さんの次くらいに入っているのかも知れない…と言う思いも、心の隅にあったのかも知れない。
まあ、私自身も夫に対してだいぶ冷めているから、お互いサマと言えばそれまでだが、家族となって愛情がただの情と言う感情だけになってしまっても、せめて相手を立てるような気遣いは残っていると思っていた。
そういう『気遣い』と言う遠慮のような感情が、日本人である私とタイ人である夫のギャップかも知れない。
何だか、その欲しかった物を断られた事と、その日釣りに行ったと言う夫の行動と相まって、思わず『釣った魚にエサは遣らない。』と言う言葉を思い出した。
そう言えば先日、どこかに行って上機嫌で帰って来た夫が、どこかで金でも見て来たらしく「そのうちお金に余裕が出る時期が来たら、金のネックレスを買ってやるからつけてよ。」と言った事があったが、私ははっきり言って、金の装飾品など欲しくもない。
そういう他人に見せびらかすような物を買い与えて身につけさせて、「自分は奥さんの事を大事にしている。」とでも皆に思わせたいのだろうか…などと邪推をしてしまう。
そしてその翌日、前日の昼間からの仕事サボりと、翌日にまた自分の趣味で闘鶏場通いをする事に罪悪感を感じたのか、夕方閉店後に、家族を食事に連れて行くと言い出した。
実際、私も子供たちもあまり食にこだわらないので、わざわざ食事の為に出掛けるのは面倒くさいとしか思っていないのだが、ここはせっかくの夫の思いつきに気を遣って、何も言わずついて行った。
食事の前についでに買い出しもしたのだが、そこで昨日夫が言っていた、1kg35バーツのケーオマンコンを目の当たりにしたのだった。
しかし、目の前に探し求めていたその物があるのに、昨日「35バーツは高い。」と言って買ってくれなかった夫の言葉を思い出し、そこは涙を飲んで我慢した。
そして、この先ケーオマンコンは意地でも食するまい…と心に誓ったのだった。
たかがケーオマンコン如きに何を大げさな…と思われるかも知れない。
だが、あの電話での数秒のやり取りが、私と夫の心の溝を更に深めたのだ…と私にはそう感じられたのである。
平穏な家庭生活はこのまま続くだろうが、私の心の中には更に深いわだかまりが生まれたのだった。
2014年09月20日
タイ人客のツケ対策
昨夕の事。
店を閉めてから、昨年から我が市にも開店した、セブンイレブンとテスコロータスの縮小版ロータス•エクスプレスに買い出しに出掛けた。
まあ、ほぼ毎日のように通っているのだが、いつもはその道順から、ロータスに寄ってからUターンし、道路を挟んで向かいにあるセブンに寄っていた。
ところが昨夕は、セブンで用事が済めばそれで帰ろうと思っていたので、先にセブンに寄り、いつも通りセブンのカードで買い物を済ませたが、残高が500バーツくらいになっていたので、ちょうど財布に入れて来た1,000バーツを何気なくカードに入れてしまった。
それから、セブンでは買えなかった物があり、結局もう一度Uターンして向かいのロータスに行ったのだが、必要な物をカゴに入れ、いざレジで支払おうとしたところ、財布の中に100バーツしか残っていない事に気が付いた。
「…?たしか家を出るときに1,000バーツ入れて来たはずなのに…。」と焦って探していると、先ほどセブンのレジで、カードで買い物した後に、カードの残高を増やす為に、ついクセでその1,000バーツを入れてしまった事に思い当たった。
私は、急いで店員さんに「あ、この商品はちょっと置いておいてください。今、すぐにお金取って来ますから…。」と言い残して大急ぎで店を出て、家に着くとすぐにお金を持ってロータスに戻り無事支払いを済ませた。
普段、買い物でお金が足りないと言う事がないように、いつも余分にお金を持って買い物に行く私としては本当に冷や汗物だった。
まあ、ロータスやセブンと言った店でツケをする人は、まさか居ないだろうとは思うが(でも、ここイサーンの人々なら有るかも…と思えるところが怖い。)、私はこういう店だろうが、個人商店だろうが、もし持参したお金が足りないと言うことがあれば、未払いの商品はそのまま店の人に預けて、急いで現金を取りに帰って、引き返し支払いを済ませる。
普通に考えて、それは常識だと思うだろうが、日本人の常識はタイ人とは違うのだ。
例えば、我が家に買い物に来る大抵の客は全く違う。
自分が、いくら持っているか…と言う事に拘らず、買い物に来る。
中には、全くお金を持って来ないのに、平気で買い物に来る…と言う強者もいる。
もちろん、当然のように「ツケといて。」である。
「持ってるお金が足りない…。」と言うのは、よくある事である。
それでも、まだ私たちが認める常連客ならいい。
顔も見た事があるか分からないような(向こうは、常連だと言い張るが…)客なのに、「これしか持ってないから、残りは今度持って来るから。」と言うような事を言う。
だったら、先にお金を取りに行って戻って来ればいいのに、タイ人は決まって「後でお金持って来るから。」と言って、どうしてもまだ未払いの商品を先に持って行こうとするのだ。
最初はそれでも客を信じて、何の保証も無いのに「今度持って来る。」と言って、ぱったりと払いに来ない客を待った事もあった。
多分、「貸した金は忘れないが、借りた金は忘れる。」の言葉通り、借金はきれいさっぱり忘れてしまった人たちなのだろう。
でも、我が家の商売もさすがにもう12年。
私たちも伝票を書いたりしたが、伝票だけ書いてもそのまま失くしてしまうのか、1年2年3年…と一向に払いに来ない客が後を絶たない。
夫は、世間体を気にする方なので、あまり乗り気ではなかったが、免許証やIDカードを保証として預かる…と言うのも試したが、免許証は運転する客が多いので、渡したがらないし(私としては必要性のある免許証を預かって置きたいのだが。)、IDカードは免許証ほど必要性がないのと、紛失しても20バーツくらいですぐに市役所で再発行出来るので、そのまま放置される事もあった。
そこで、今度思いついたのが、ツケをする客の顔写真を撮る事。
もちろん、ただ「証拠として顔写真を撮る。」と言うのでは、おそらく相手も警戒するだろうし、拒否されるかも知れない。
そこで、毎週土日は闘鶏場通いでまったく家に居ない、普段も用事を見つけてはあちこちに出掛けてしまう、我が家の夫の留守がいい口実になると思いついた。
もし、ツケをしたいと言う客が来て、その客が常連客以外(私の言う常連客は、よく買い物に来て、きちんと支払ってくれる客)だった場合、夫が居れば夫が知っている客か、もし払いに来ないとき集金出来る客かなど…を判断してもらう。
そして、もし夫が居ない場合、「夫に許可を取るのに、電話では(客の事を)説明しにくいから、顔写真を撮って送って夫に見せる。」と言う理由をつけて、顔写真を撮ると言うもの。
それをLINEで送って夫に確認させておけば、後から帰宅した夫に「どこの客だ?」などと聞かれ、説明が出来ずに文句を言われる事も無い。(今までは、いつもそうだった。自分が遊びに行って居ないときに起きた不都合なのに、帰って来てから「だから、お前には任せて置けない。」と私が怒られるのが常。任せて置けない…と言いながら毎回出掛けるのだが…。)
そして、私の携帯にも夫の携帯にも客の顔写真が証拠として残り、もしいつまでも払いに来なければ、それをプリントアウトして、店の前に指名手配のように貼る事も出来る!とまで考えて、私はほくそ笑んだ。
まあ、そこまでするのは多分、夫の世間体を気にする性格から反対されるだろうが、十分な証拠にもなるし、おそらく写真を撮られた客本人もあまりいい気がしないだろうから、今までの伝票やIDカード差し押さえよりも、早めに払いに来るか、もしくは撮られたくないから、ツケをするのをやめるかも知れない…と言う効果が期待出来る。
今回の苦肉の策がどういう効果を上げるか早く試してみたいのだが、最近は農閑期で客自体が少ないため、まだ実行する機会がないのが残念である。
2014年09月18日
賭博人生の終焉。〜お葬式〜
先週の土曜日に拳銃で自殺した、夫の従兄弟の遺体がお寺で焼かれ、5日連日のお葬式が幕を閉じた。
初日の夜に義母に無理矢理連れて行かれた夫は、結局この最終日だけ、お腹を壊して体調が悪くなった義母の代わりに香典を上げに行って来たが、今回は親戚の会合なのに珍しく長居をせずに、すぐに帰って来た。
やはり、何度も文句を言っていたが、その従兄弟が自分で蒔いた人生の苦難に、全く責任を取ろうともせず、わざわざファランを捨ててまで一緒になってくれた二番目の妻と、まだ幼い娘を置き去りにして自分勝手に逝ってしまったことが許せないのだろう。
入れた香典は義母も夫も1,000バーツずつ。
まあ、これくらいが相場だろう。
でも、我が家はその前に貸した2,000バーツがあるので、合計3,000バーツになるな…、もう戻って来ないだろうと覚悟はしている。
とは言え、もうこれで賭博に負ける度に、借金をしに来る事もなくなった。
私たちが汗水流して働いて貯めたお金を、自分の享楽の為に作った借金の肩代わりをさせられていると思うと、借りに来た奥さんにも、とてもではないが良い顔は出来なかった。
タイの田舎の葬式では恒例の事だが、葬儀期間中、死者の魂を見守る為に(眠らないように…と言う理由で)毎晩行われる『霊前博打』。
トランプやサイコロ博打が行われるが、今回の賭博人生の終焉を迎えた、このケンという男。
もし、魂と言う物があるなら、一体どんな気持ちでこの自分の霊前での賭博大会を見ていたのだろう…などと考えてしまった。
2年前に、急性白血病で亡くなった姪の葬儀の時は、18歳と言う若さで逝った姪の霊前で、何て不謹慎な大人たちなんだろう…と我が家の子供たちも憤慨していたが、今回は自殺の原因が賭博だけに、さもありなん…と言うのが私の本音である。
さて、タイ人はお葬式に限らず、少しでも人が集まると酒が入るのがタイ人の常だが、やはり今回の葬儀でも事件が起きた。
葬儀中に調子に乗って飲んでいた夫の兄の車が、帰宅途中で道を外れて道路脇に落ちたらしいと言う連絡が、先ほど義母を送って行った夫から入った。
幸い、中の人間は無事だったらしいが…。
これは、タイに限った事ではないが、葬儀に参列する為に出掛けた車が事故を起こすと言うは、よくある話である。
タイの場合、それに加えて当然のように飲酒運転が行われているので、さらに危険度が増す。
この兄、普段から酒癖も相当悪いので、これに懲りて酒を止めてくれると、みんなの幸せに繋がるのにな…と思うが、まず「何とかは死ななきゃ治らない。」と言うものだろう。
2014年09月16日
賭博人生の真相?
昨日自殺した夫の従兄弟のお葬式に参列するため、一緒に居た義母の希望で、闘鶏場を早めに引き上げた夫と義母が、自殺したケンと言う男の家に寄って来た。
そこで聞いて来た、事件の経緯はこういう事だった…。
まず、以前から様々な賭博で作った借金の取り立てのために、切羽詰まったケンが、自分の働いていた、電気局の集金を横領していたと言う。
それがすぐにバレたため、上の者も見ぬフリも出来ず、懲戒免職にされる事になったのだが、それを気に病んだ(おそらく世間体など。…今更と言う気もするが)ケン本人が、数日前から、「拳銃で自殺する!」と大騒ぎしていた。
しかし、そこでいつも従っていた例の奥さんが今回はキレて、「もう、拳銃なんか買うお金もないのよ!そんなに死にたきゃ、そこのロープでも使ってよ!」とタイではありがちな夫婦喧嘩になり、更に追いつめられたケンは昨日の昼間に、タラート(市場)に出掛けてそこで拳銃を入手、その足で家に戻り自らの頭部を撃ち抜いた…という事らしい。
さて、そこまで聞いていた私は、「え?お金もないのに、拳銃買えたの?」と言うと、「お金はまた誰かに借りたらしいよ。」と夫。
「でも、拳銃って前にうちが買うって言ってたのは、2、3万くらいだって言ってたじゃない?そんなに借りられたのかな?」と更に私が疑問を言うと、「あれは、登録証付きの正規の拳銃の値段。今回のは闇の物だから、2、3千バーツ程度だよ。」と夫。
まあ、値段がいくらなどと言う事はさておき、簡単に人の命を奪える拳銃と言う武器が、まるでタマネギか卵でも買いに行くように、昼間のタラートで簡単に手に入ってしまう…と言う状況がすでに異常である。
一見、のどかで平和そうな「微笑みの国」のキャッチフレーズで久しいタイ。
しかも、そのタイの中で一番の農村部のイサーンのさらに田舎のこの町でさえ、こういう事情が日常の中に潜んでいるのである。
2014年09月14日
賭博人生の末路。
今日は日曜日。
週末毎にコラートから帰省する長男が居るのをいいことに、土日はすっかり闘鶏場通いが日課となった夫は、今日も朝9時前には家を出て行った。
まあ、居ないものは仕方ないので、元から当てにもせずに、長男と店番をしていた。
そうして昼近くになって、数人の接客をしていたところ、店の入り口で大声を張り上げて、「おーい!ご主人はいるかい?」と叫んでいる。
私が「出掛けていて居ないですよ。」と応えると、「じゃあ、すぐに連絡取ってくれ。電気局のケンさんが、拳銃で自殺したんだよ。」と言う事だった。
そのケンさんと言うのは、夫の従兄弟の一人なのだが、たまたまこのノンブアラウェーの電気局で働いていて、同じ市内に居住していると言うことで、うちの夫に何度も現金を借りに来たりして、何かと頼られていたのだった。
つい先日も、いきなり電話が掛かって来たと思ったら、そのケンさんの奥さんが店に現れて、当然のようにお金を受け取りに来たばかりだった…。
なんでも、裁判に出廷するからお金が必要なのだとか…。
そして、来週返すと言う約束だったが、すでに2週間が経とうとしていたところだった。
その奥さんは、以前『イサーンに埋没中』の中にも、書いたことがあったが、家まで建ててくれると言う初老のファランの旦那を捨てて、このケンと言う男と一緒になった…と言う、タイ人女性だった。
やはり、お金があっても大して言葉も通じない相手に満足出来なかったのだろう…。
と言うわけで、静かなはずだった日曜日の昼下がりが、先程から、事件を聞いた何人もの親戚が訪ねて来て、だいぶ煩わしさを見せている。
しかし、彼らが訪ねたい当の本人の夫は、まだまだ闘鶏場から戻る様子もないが…。
今回の事件の張本人ケンと言う男は、大事業家として、この辺りで有名な兄と違って、何とかコネで電気局に入れたものの、賭博好きで、前妻に愛想を尽かされ、これで2度目の結婚だったが、やはり賭博癖は直らず、ムエタイやサッカーなどのスポーツ系の賭博を中心に遊んでいて、借金は100万バーツ以上と言われていた。
実は、前にも自殺騒動と言うか、借金に困って、拳銃で自殺する…と奥さんに漏らしてはいたと言うが、どうせそれを奥さんからうちの夫に知らせて、同情を引こうとしているのだろう…くらいに思っていたのだった。
全く同情の念も湧かない私に、彼の心情など分かるはずもないのだが、何故そこまでして賭博をするのか…。
元々、宝くじなども全く興味が無いし、運とか棚ぼたでお金が手に入ると言う思考がない私には、全く理解出来ない世界である。
2014年09月12日
ブチャー•プラ(บุชาพระ)
火曜日の昼過ぎからバンコクに出掛けていた夫が、昨日の深夜ようやく帰って来た。
夜のコンサートが終わったら、その足で帰って来るから水曜日の早朝には戻る…と言って出掛けたのだが、まあ予想通りお決まりの「予定は未定」で、バンコクから直帰のはずが、ナコンサワンに丸一日寄り道して来た訳である。
しかし、いつもの事ながら全く悪びれる様子も無く、まるでどこにも出掛けて居なかったかのように、今日も過ごしていた。
そんな夫が、午後になって、いつも入り浸っているお寺から帰って来た義姉に呼び出されて2軒隣の義姉の家に行った。
そして、何やら我が家と義姉の家を行ったり来たりしていると思ったら、「ブチャー•プラするから、12,000バーツだけど、いい?」と聞くのだ。
「ブチャー•プラ」と言うのは、平たく言えば、「仏像や、有名な僧侶を象ったお守りを買う事」である。
だが、決して一般的な「物を買う」と言う意味の「スー(ซื้อ)」は使ってはいけない。
あくまで、「そのお守りの代償として、お布施をする」と言う意味で、「捧げる」と言う意味の「ブチャー」を使うのである。
まあ、そういう固い話は置いておいて、私がこの「ブチャー」と言う行為を初体験したのは、まだ20代前半の頃、夫と婚姻届を出してまだ数ヶ月と言う頃だった。
あの頃、夫は新宿の屋台村と言う場所で、親戚の叔母さんとタイ料理店をやっていた。
その夫が深夜に店を閉めてから、同じ新宿の一角にあるビルの中に入っていた、今思えばだいぶ怪しい、新宿で深夜働くタイ人御用達の店に行く事になった。
そこは、タイから持ち込んだ金のアクセサリー類と、こういったプラなどを一緒に売っている店で、夫はその頃お腹に出来た長男のために、お守りを買って上げたいと、小さ目のプラを「ブチャー」したのだった。
それが、このプラ。
もちろん、最初は裸で、金の枠に入れ、ネックレスを付けたのはタイに持って来てからだった。
その頃は、私もまだタイに関して無知過ぎて、何もかも新鮮だったので、このプラがそれは有り難く思えたものだった。
ところが…。
確かに、日本ではタイ人が集まる特殊な地域でも無ければ手に入らない貴重な物だったが、タイに戻ってみれば、それはもう、ショッピングセンターの中の金屋や、道端のプラ屋とかで、当たり前のように並んで売られているし、我が家の夫のように、お寺に入り浸っている義姉などがいると、もう毎度毎度のようにこうして、「珍しいプラが手に入ったから、ブチャーしない?」などとすぐに持ち掛けて来る。
それで今日のように、すぐに一つ何千バーツ、セットで何万バーツなどと言う金額になるのである。
そうして、いつの間にか収集されたプラがこんなに溜まっていた…。
先ほど改めて棚の中を探ってみたら、こんなになっていた…。
私は、お守りなんて一つあれば十分だと思っているので、何をこんなに集めるのか…と思ってしまうが、
まあ、切手やコインの収集の趣味のような物なのだろう。
でも、一度に何万バーツをこういう趣味に掛けてもらっては、家計が成り立たない…とは思うが、一応「ブチャーしていい?」と言う同意だけは求めて来るので性質が悪い。
どうせ、私がダメと言わないのを分かって聞いているだけだし、仮に「え〜…。」などと不満を漏らしでもすれば、すぐに逆切れして「俺が稼いだ金を俺が使って何が悪い。」となるに決まっているので、余計な波風は立てずに、我が家が生活に困らないうちは放って置く事にしている。
夜のコンサートが終わったら、その足で帰って来るから水曜日の早朝には戻る…と言って出掛けたのだが、まあ予想通りお決まりの「予定は未定」で、バンコクから直帰のはずが、ナコンサワンに丸一日寄り道して来た訳である。
しかし、いつもの事ながら全く悪びれる様子も無く、まるでどこにも出掛けて居なかったかのように、今日も過ごしていた。
そんな夫が、午後になって、いつも入り浸っているお寺から帰って来た義姉に呼び出されて2軒隣の義姉の家に行った。
そして、何やら我が家と義姉の家を行ったり来たりしていると思ったら、「ブチャー•プラするから、12,000バーツだけど、いい?」と聞くのだ。
「ブチャー•プラ」と言うのは、平たく言えば、「仏像や、有名な僧侶を象ったお守りを買う事」である。
だが、決して一般的な「物を買う」と言う意味の「スー(ซื้อ)」は使ってはいけない。
あくまで、「そのお守りの代償として、お布施をする」と言う意味で、「捧げる」と言う意味の「ブチャー」を使うのである。
まあ、そういう固い話は置いておいて、私がこの「ブチャー」と言う行為を初体験したのは、まだ20代前半の頃、夫と婚姻届を出してまだ数ヶ月と言う頃だった。
あの頃、夫は新宿の屋台村と言う場所で、親戚の叔母さんとタイ料理店をやっていた。
その夫が深夜に店を閉めてから、同じ新宿の一角にあるビルの中に入っていた、今思えばだいぶ怪しい、新宿で深夜働くタイ人御用達の店に行く事になった。
そこは、タイから持ち込んだ金のアクセサリー類と、こういったプラなどを一緒に売っている店で、夫はその頃お腹に出来た長男のために、お守りを買って上げたいと、小さ目のプラを「ブチャー」したのだった。
それが、このプラ。
もちろん、最初は裸で、金の枠に入れ、ネックレスを付けたのはタイに持って来てからだった。
その頃は、私もまだタイに関して無知過ぎて、何もかも新鮮だったので、このプラがそれは有り難く思えたものだった。
ところが…。
確かに、日本ではタイ人が集まる特殊な地域でも無ければ手に入らない貴重な物だったが、タイに戻ってみれば、それはもう、ショッピングセンターの中の金屋や、道端のプラ屋とかで、当たり前のように並んで売られているし、我が家の夫のように、お寺に入り浸っている義姉などがいると、もう毎度毎度のようにこうして、「珍しいプラが手に入ったから、ブチャーしない?」などとすぐに持ち掛けて来る。
それで今日のように、すぐに一つ何千バーツ、セットで何万バーツなどと言う金額になるのである。
そうして、いつの間にか収集されたプラがこんなに溜まっていた…。
先ほど改めて棚の中を探ってみたら、こんなになっていた…。
私は、お守りなんて一つあれば十分だと思っているので、何をこんなに集めるのか…と思ってしまうが、
まあ、切手やコインの収集の趣味のような物なのだろう。
でも、一度に何万バーツをこういう趣味に掛けてもらっては、家計が成り立たない…とは思うが、一応「ブチャーしていい?」と言う同意だけは求めて来るので性質が悪い。
どうせ、私がダメと言わないのを分かって聞いているだけだし、仮に「え〜…。」などと不満を漏らしでもすれば、すぐに逆切れして「俺が稼いだ金を俺が使って何が悪い。」となるに決まっているので、余計な波風は立てずに、我が家が生活に困らないうちは放って置く事にしている。
2014年09月09日
鬼の居ぬ間に…。
ここ数日、雨季とは思えない晴天が続いている。お陰でドロドロだった車庫の周りの水溜りもだいぶ干からびて来て、車の出し入れがだいぶ楽になった。
ここイサーンは、そのほとんどが粘土質の赤土で覆われているため、大雨が降ると、本当に「泥沼」状態になるのである。
まあ、そう言うイサーンの土地事情はさておき、何が「鬼の居ぬ間に…。」なのかと言うと…。
毎週末の、本人だけが仕事だと思っている闘鶏場のお手伝いなどで家に居ない方が当たり前になっている我が家の夫なのだが、今日は平日にも拘らず、昼間から出掛けてしまった。
さて、今回の行き先は何と「クルンテープ」そう、バンコクである。
実は先週から、いつもLINEなどで連絡を取っている、高校時代の友人たちから「9日にタワンデーンで、カラバオのコンサートがあるから行こう!」と誘われていたのだった。
私としては、よくもまあ、このイサーンくんだりからたかがコンサートの為に、300km以上の道程を運転して行くものだ…と、呆れるのを通り越して、尊敬してしまう。
大体、カラバオなんて夫にとっては、特に好きでもないのだし、コンサートが聞きたいのなら、タワンデーンなんて、ここチャイヤプムにもコラートにもあるんだし、こっちに巡業するのを待って行けばいいものを…と思うが、そこは「わざわざこの田舎から出掛けて、バンコクに住む中々会えない(まあ、理由を付けて、年に何度も会っている気がするが…)高校時代の旧友達と、この歳になっても親交を深めている…と言うのが大事なのだろう。
私だったら、バンコクなんて大使館に用事でもない限り、行こうとも思わないが、夫はやれ友達の結婚式だ、新築祝いだ…と、事あるごとに出掛けて行く。
本当にある意味、マメな男である。
まあ、ともあれ、これで事実上今日一杯は、店を見ながらではあるが、ゆっくり羽を伸ばして静かな時が過ごせる…。
やっと落ち着いたところで、もう、ここ数ヶ月毎日3、4個は食べている「ケーオマンコン」を、冷蔵庫から出して来て食べる。
これは市場で買ったのではなく、夫の兄の畑で採れたものなので、小粒でもう外側が腐って来ている物も多いが、中身はまだまだ美味しく食べられる。
午後のひと時を、ケーオマンコンで一服する、私の至福の時間である。
ここイサーンは、そのほとんどが粘土質の赤土で覆われているため、大雨が降ると、本当に「泥沼」状態になるのである。
まあ、そう言うイサーンの土地事情はさておき、何が「鬼の居ぬ間に…。」なのかと言うと…。
毎週末の、本人だけが仕事だと思っている闘鶏場のお手伝いなどで家に居ない方が当たり前になっている我が家の夫なのだが、今日は平日にも拘らず、昼間から出掛けてしまった。
さて、今回の行き先は何と「クルンテープ」そう、バンコクである。
実は先週から、いつもLINEなどで連絡を取っている、高校時代の友人たちから「9日にタワンデーンで、カラバオのコンサートがあるから行こう!」と誘われていたのだった。
私としては、よくもまあ、このイサーンくんだりからたかがコンサートの為に、300km以上の道程を運転して行くものだ…と、呆れるのを通り越して、尊敬してしまう。
大体、カラバオなんて夫にとっては、特に好きでもないのだし、コンサートが聞きたいのなら、タワンデーンなんて、ここチャイヤプムにもコラートにもあるんだし、こっちに巡業するのを待って行けばいいものを…と思うが、そこは「わざわざこの田舎から出掛けて、バンコクに住む中々会えない(まあ、理由を付けて、年に何度も会っている気がするが…)高校時代の旧友達と、この歳になっても親交を深めている…と言うのが大事なのだろう。
私だったら、バンコクなんて大使館に用事でもない限り、行こうとも思わないが、夫はやれ友達の結婚式だ、新築祝いだ…と、事あるごとに出掛けて行く。
本当にある意味、マメな男である。
まあ、ともあれ、これで事実上今日一杯は、店を見ながらではあるが、ゆっくり羽を伸ばして静かな時が過ごせる…。
やっと落ち着いたところで、もう、ここ数ヶ月毎日3、4個は食べている「ケーオマンコン」を、冷蔵庫から出して来て食べる。
これは市場で買ったのではなく、夫の兄の畑で採れたものなので、小粒でもう外側が腐って来ている物も多いが、中身はまだまだ美味しく食べられる。
午後のひと時を、ケーオマンコンで一服する、私の至福の時間である。
2014年09月05日
隣人ウワンのその後。
今朝いつもの様に、午前6時過ぎに店のシャッターを開けたところ、我が家の倉庫の前に見知らぬ乗用車が停まっていた。
しかも、まだ新車の赤ナンバーが付いている。
一体、誰の?と言う疑問が一瞬浮かんだが、よく考えてみると、こういう場合そのほとんどが、月に数回しか帰って来ない、隣人ウワンが絡んでいた。
今回もそうでは?と思っていたら、昼前になってノコノコと家から出て来たウワンと我が家の夫が、大声で立ち話しているのが聞こえた。
何でも、前ブログ『イサーンに埋没中』から度々登場しては、色々な話題を提供していた2百万バーツの結納金で結婚した妻•ジヤップ(『隣の美人妻のその後…。』http://mic.namjai.cc/e38971.html 参照)とは、数年の結婚生活の後…離婚。
その後は、気侭に独身貴族を気取りながら、何人かの若い(20歳くらい年下)の女の子たちと付き合っているらしい。
そして、私の知る限りでは、その交際相手を替えるように、もう何台も新車を出しては、乗り換えているようだ。
今回我が家の前に停まっていた問題の車もその新車で、一体どんな稼ぎをしているのか?と疑いたくもなる生活ぶりである。
そして、主人がその当人ウワンと話していた内容からすると、この新車が我が家の前に停まっていたのは、この同じ市内に住む新しい彼女に、今日、自分が来ている事がバレないように…と言う、工作だったらしい。
しかし、この無茶な生活ぶり、やはり思った通り借金の賜物だったらしく、最近の軍部の社会進出で、取り締まりが厳しくなり、今までやっていた、闇宝くじのアジトが摘発される可能性が出て来て、先月を最後に、これまでの収入源だった闇宝くじの元締めを辞める事になったと言う。
この闇宝くじの収入で支えられて来た、今までの放蕩生活。
しかも、その生活で増え続けた借金はすでに、หนี้ท่วมหัว(借金が頭の上まで洪水になっている)の様相を呈しており、その借金を返す為に、今度は新たな事業展開として、養豚場を始めるのだと言っていた。
私としては、彼が元々やっていたアルミサッシの事業を地道に続けていれば、食いっ逸れる心配もないのに…と思うのだが、そう言う平々凡々な人生を歩めない男なのだろう…と妙に納得する人生模様だった。
しかも、まだ新車の赤ナンバーが付いている。
一体、誰の?と言う疑問が一瞬浮かんだが、よく考えてみると、こういう場合そのほとんどが、月に数回しか帰って来ない、隣人ウワンが絡んでいた。
今回もそうでは?と思っていたら、昼前になってノコノコと家から出て来たウワンと我が家の夫が、大声で立ち話しているのが聞こえた。
何でも、前ブログ『イサーンに埋没中』から度々登場しては、色々な話題を提供していた2百万バーツの結納金で結婚した妻•ジヤップ(『隣の美人妻のその後…。』http://mic.namjai.cc/e38971.html 参照)とは、数年の結婚生活の後…離婚。
その後は、気侭に独身貴族を気取りながら、何人かの若い(20歳くらい年下)の女の子たちと付き合っているらしい。
そして、私の知る限りでは、その交際相手を替えるように、もう何台も新車を出しては、乗り換えているようだ。
今回我が家の前に停まっていた問題の車もその新車で、一体どんな稼ぎをしているのか?と疑いたくもなる生活ぶりである。
そして、主人がその当人ウワンと話していた内容からすると、この新車が我が家の前に停まっていたのは、この同じ市内に住む新しい彼女に、今日、自分が来ている事がバレないように…と言う、工作だったらしい。
しかし、この無茶な生活ぶり、やはり思った通り借金の賜物だったらしく、最近の軍部の社会進出で、取り締まりが厳しくなり、今までやっていた、闇宝くじのアジトが摘発される可能性が出て来て、先月を最後に、これまでの収入源だった闇宝くじの元締めを辞める事になったと言う。
この闇宝くじの収入で支えられて来た、今までの放蕩生活。
しかも、その生活で増え続けた借金はすでに、หนี้ท่วมหัว(借金が頭の上まで洪水になっている)の様相を呈しており、その借金を返す為に、今度は新たな事業展開として、養豚場を始めるのだと言っていた。
私としては、彼が元々やっていたアルミサッシの事業を地道に続けていれば、食いっ逸れる心配もないのに…と思うのだが、そう言う平々凡々な人生を歩めない男なのだろう…と妙に納得する人生模様だった。
2014年09月02日
サーイパーン(สายพาน)
本日も、曇天のチャイヤプム(まあ、タイ全土で雨季ですが…)です。
別にこの天候のせいだけではなく、カオパンサーと言う時期的な農閑期に加えて、今年の初め辺りからの政変の影響が少なからず影響しており、今年のタイ経済は先行きの見えない不景気らしく、それがこのイサーンの田舎にまで及んでいます。
まあ、それはそれでは先行きの見えない恐怖と言うのはあるのですが、私に何が出来る訳でもないので、取り敢えず毎朝店を開け、仕事に励む事にしています。
こういう場合、タイ人気質だと、暇なので、「取り敢えず…寝る。」となるので、夫は店の奥の居間で、昼寝に勤しんでいますが…。
さて、そういう夫は無視して、私は昨日倉庫に届いていた荷物を店に運んで来て、商品チェックから。
細々とした部品のチェックが終わって、後残ったのはこのサーイパーン(タイミングベルト)です。
サーイパーン(タイミングベルト)と言っても、我が家で扱っているのは、農耕車や耕運機などに使われる一般的な物で、乗用車などの特定の品番の物ではないので、長さも25インチから200インチまで、1インチ刻みに揃えなくてはなりません。
一つの番号を10本位ずつ注文するのですが、それでも相当な数になります。
纏まって送られてきたサーイパーンを番号毎に仕分けして、それぞれに帯を掛けて行きます。
こう言う風にそれぞれに番号が印刷されているので、お客の注文した番号と本数を売ればいいだけなので、店の手伝いをする子供達にも比較的売り易い商品のはずなのですが…。
ところが、やはりそこはタイ人客…。
本当に擦り切れるまで取り替えようとしないので、持ってきた物は擦り切れたゴムの紐状態…。
番号を確認しようにも、まさに跡形もない…状態です。
それをメジャーで何とか繋ぎ目を予測して、おおよその目安でサイズを探して売るのですが、やはりそれで一発でOKと言うことは、滅多にありません。
大体、1インチ刻みで長さが違って、サイズが合わないと使えないのですから、大雑把と言う訳には行かないのです。
だからその後、何回か取り替えに来る事がほとんどです。
まあ、それでも見本を持参するのはまだ良心的な方で、中には「大体これ位…。」と、本当に適当な客も多いのです。
まるで、世界は自分の為に回っている…と勘違いしているこの手の客が、我が家の客の半数を占めているような気さえします。
こう言うお客を相手に、何とか商売を続けている毎日です。
別にこの天候のせいだけではなく、カオパンサーと言う時期的な農閑期に加えて、今年の初め辺りからの政変の影響が少なからず影響しており、今年のタイ経済は先行きの見えない不景気らしく、それがこのイサーンの田舎にまで及んでいます。
まあ、それはそれでは先行きの見えない恐怖と言うのはあるのですが、私に何が出来る訳でもないので、取り敢えず毎朝店を開け、仕事に励む事にしています。
こういう場合、タイ人気質だと、暇なので、「取り敢えず…寝る。」となるので、夫は店の奥の居間で、昼寝に勤しんでいますが…。
さて、そういう夫は無視して、私は昨日倉庫に届いていた荷物を店に運んで来て、商品チェックから。
細々とした部品のチェックが終わって、後残ったのはこのサーイパーン(タイミングベルト)です。
サーイパーン(タイミングベルト)と言っても、我が家で扱っているのは、農耕車や耕運機などに使われる一般的な物で、乗用車などの特定の品番の物ではないので、長さも25インチから200インチまで、1インチ刻みに揃えなくてはなりません。
一つの番号を10本位ずつ注文するのですが、それでも相当な数になります。
纏まって送られてきたサーイパーンを番号毎に仕分けして、それぞれに帯を掛けて行きます。
こう言う風にそれぞれに番号が印刷されているので、お客の注文した番号と本数を売ればいいだけなので、店の手伝いをする子供達にも比較的売り易い商品のはずなのですが…。
ところが、やはりそこはタイ人客…。
本当に擦り切れるまで取り替えようとしないので、持ってきた物は擦り切れたゴムの紐状態…。
番号を確認しようにも、まさに跡形もない…状態です。
それをメジャーで何とか繋ぎ目を予測して、おおよその目安でサイズを探して売るのですが、やはりそれで一発でOKと言うことは、滅多にありません。
大体、1インチ刻みで長さが違って、サイズが合わないと使えないのですから、大雑把と言う訳には行かないのです。
だからその後、何回か取り替えに来る事がほとんどです。
まあ、それでも見本を持参するのはまだ良心的な方で、中には「大体これ位…。」と、本当に適当な客も多いのです。
まるで、世界は自分の為に回っている…と勘違いしているこの手の客が、我が家の客の半数を占めているような気さえします。
こう言うお客を相手に、何とか商売を続けている毎日です。