2016年01月29日
ミア•ファラン(西洋人男性のタイ人妻)
今日のイサーンです。
昨日までの寒波はどこへやら、まるでタイ人の気質のように、コロコロ変わるタイの気候ですが、今朝はまだ少しだけひんやりとした空気が残っていたものの、午前中にはすでにポカポカ、小春日和ならぬタイ日和で、日中はもちろん、夜になった今もエアコンこそ付けないものの、半袖半ズボンで過ごせる陽気に戻りました。
実は数日前、出入りしているセールスマンからのLINEで、まるで不幸の手紙のように、ここ数日にタイ北部やイサーンを襲った寒波の予告状(単なる天気予報?)が届いていたのですが、それによると、確かにその内容によると、「今から12時間後に北部、イサーン地方から先に、寒さに無防備なタイ人にとっては殺人的な寒波が襲うが、それは2、3日で終わる」とあったのです。
私は、基本タイの天気予報は適当で当てにならないと、気にもしていなかったのですが、今回のその予告状は、少し芝居掛かった書き方が気になっていたのですが、まさか本当に書かれた通りになるとは、思いませんでした。
ですが、その翌日にまた送られて来たその続きには、「この寒波は、『地球最後の日』的な脅威に満ちていて云々…。」と続いて来たので、その辺から、もう無視し始めました。
さて、イサーンの寒波の結末(多分)は、この辺にして、今日来店した客の中に、私の印象に残った人たちがいたのでその事を書いてみます。
まず、いつも我が家にハイドリックホースの修理に来る、土木関係の仕事をしているおじいさんがいました。
まあ、年齢的には60代から70代くらいでしょうか。
私から見れば、おじさんと呼ぶのか、おじいさんと呼ぶのか微妙な年齢です。
そのおじさん(とりあえず、「おじさん」と呼んでおきます。)が、今日も我が家に買い物に来たのですが、今日は一人でなく、その車の中から、その娘である女性(20代から30代くらい)と、いかにも!と言う絵に描いたような、髭無しのサンタクロースを思わせる、恰幅のいい初老の西洋人のおじいさんが、降りてきました。
3人は、私が部品を探している最中も、店先の椅子に座って、英語を交えて談話しています。
どう考えても、これは娘のお婿さんなのでしょうが、「娘婿=義理の息子」と言うには、あまりにも不自然な3人に見えてしまうのです。
まず、お婿さんの年齢が、そのおじさんと同世代か、もしくは年上?と思える年齢です。
まあ、他人事なので、余計なお世話なのですが、私はついつい横目で見ながら、もし、私の長女が、自分の父親と同世代のお婿さんを連れて来たら…?と考えてしまったのです。
まあ、よく『愛があれば年の差なんて』と言いますから、私ももし、その人をすごく愛してしまっているのなら、年齢がどうの、性別がどうの(私はこちらも偏見ないつもりです。)と言う事は、重要ではないと思っています。
でも!よくいる、タイ人の「ミア•ファラン」には、すごく偏見を持っています。
彼女たちは、『愛があれば年の差なんて』ではなく、そのほとんどが『金があれば年の差なんて』です。
私には、そのおじさんの娘も、同類にしか見えませんでした。
そして、その話を配達から帰って来た夫に話したところ、「別にいいんじゃないの?お金に困ってるかも知れないし…。」と言う無関心な答えに、同意してくれるとばかり思っていた私はがっかり…。そして、「もし、うちの娘が自分より年上のファランとか連れて来たら、どうする?」と言うと、本人がいいのなら構わない…のだとか。
私は、まさに、この感覚の違いこそが、他の人に国際結婚を勧めたくない理由なのだと改めて思いました。
まあ、確かに最近頻繁に連絡を取り合っている、中学時代の同窓生の女性の多数が、皆、ファランと再婚してると言う状況なので、夫にはさして珍しい事でもないのかも知れません。
自分の娘が、もしその人の事を(財産ではなく)好きで結婚すると言うのなら、どんな人でも反対しませんが、大多数のタイ人女性のように、ファランや日本人男性の財産とか、「外国人の妻」と言うステータスが欲しくて、結婚するのなら、私は絶対に反対するだろう…と思います。
大体、ここイサーンの比較的学歴の少ない女性の多くが、中学、高校で彼氏が出来て、妊娠、中退。
結婚か同居したまでは良かったものの、その相手の男もまだ何の考えも無い幼稚な性格で、子供は生まれたものの、家族を養う為に働きもせず、どちらかの両親に養ってもらっている…と言う生活が続き、それで目が覚めた女性が、子供の養育と自分の将来を考えて離婚。パタヤや、バンコクに出て、ミア•ファランになると言うケースが、お決まりのコースです。
私も、ここイサーンに住んで十年以上。
こういう女性たちの話や実物を数えきれないほど見ています。
なので、ミア•ファランにやむを得ずなった人も多いのですが、タイ人の彼氏(内縁含め)はキープして置き、さらに、金づるとする為に、ミア•ファランになる女性も多いので、私が『ミア•ファラン』と呼ぶ時、そこには軽い同情と、軽蔑の意味が含まれます。
まあ、私としては他人はともかく、一人娘の長女が、どんな男性と結婚すると言い出すのか…、それだけが心配でなりません。
愛のない結婚をして、ミア•ファランになるのも、もちろん反対ですが、かといって、どうしようもないヒモ的タイ人男に貢ぐような生活を送るようになるのも、耐えられません。
昔の知人で、中国系タイ人家族の娘だった友人の母親は、自分が嫁いだタイ人夫に嫌気がさして、その娘4人に「絶対にタイ人と結婚するな!」とキツく言い聞かせた結果、その友人の姉妹は3人までが、日本人を探して結婚しました。
しかし、それもかなり無理があって、ほとんど見合い同然だったので、すぐにお互いに違和感や習慣の違いで理解出来ず、我慢した長女以外は、すぐに別れる結果となった…と言う家族がいました。
なので、もうすでにタイ人化している娘に、私は「絶対にタイ人以外と結婚しろ」とは言えません。
周囲がほぼタイ人しかいないこの地で、娘がそれなりにでも、幸せな結婚が出来るように祈るばかりです。
昨日までの寒波はどこへやら、まるでタイ人の気質のように、コロコロ変わるタイの気候ですが、今朝はまだ少しだけひんやりとした空気が残っていたものの、午前中にはすでにポカポカ、小春日和ならぬタイ日和で、日中はもちろん、夜になった今もエアコンこそ付けないものの、半袖半ズボンで過ごせる陽気に戻りました。
実は数日前、出入りしているセールスマンからのLINEで、まるで不幸の手紙のように、ここ数日にタイ北部やイサーンを襲った寒波の予告状(単なる天気予報?)が届いていたのですが、それによると、確かにその内容によると、「今から12時間後に北部、イサーン地方から先に、寒さに無防備なタイ人にとっては殺人的な寒波が襲うが、それは2、3日で終わる」とあったのです。
私は、基本タイの天気予報は適当で当てにならないと、気にもしていなかったのですが、今回のその予告状は、少し芝居掛かった書き方が気になっていたのですが、まさか本当に書かれた通りになるとは、思いませんでした。
ですが、その翌日にまた送られて来たその続きには、「この寒波は、『地球最後の日』的な脅威に満ちていて云々…。」と続いて来たので、その辺から、もう無視し始めました。
さて、イサーンの寒波の結末(多分)は、この辺にして、今日来店した客の中に、私の印象に残った人たちがいたのでその事を書いてみます。
まず、いつも我が家にハイドリックホースの修理に来る、土木関係の仕事をしているおじいさんがいました。
まあ、年齢的には60代から70代くらいでしょうか。
私から見れば、おじさんと呼ぶのか、おじいさんと呼ぶのか微妙な年齢です。
そのおじさん(とりあえず、「おじさん」と呼んでおきます。)が、今日も我が家に買い物に来たのですが、今日は一人でなく、その車の中から、その娘である女性(20代から30代くらい)と、いかにも!と言う絵に描いたような、髭無しのサンタクロースを思わせる、恰幅のいい初老の西洋人のおじいさんが、降りてきました。
3人は、私が部品を探している最中も、店先の椅子に座って、英語を交えて談話しています。
どう考えても、これは娘のお婿さんなのでしょうが、「娘婿=義理の息子」と言うには、あまりにも不自然な3人に見えてしまうのです。
まず、お婿さんの年齢が、そのおじさんと同世代か、もしくは年上?と思える年齢です。
まあ、他人事なので、余計なお世話なのですが、私はついつい横目で見ながら、もし、私の長女が、自分の父親と同世代のお婿さんを連れて来たら…?と考えてしまったのです。
まあ、よく『愛があれば年の差なんて』と言いますから、私ももし、その人をすごく愛してしまっているのなら、年齢がどうの、性別がどうの(私はこちらも偏見ないつもりです。)と言う事は、重要ではないと思っています。
でも!よくいる、タイ人の「ミア•ファラン」には、すごく偏見を持っています。
彼女たちは、『愛があれば年の差なんて』ではなく、そのほとんどが『金があれば年の差なんて』です。
私には、そのおじさんの娘も、同類にしか見えませんでした。
そして、その話を配達から帰って来た夫に話したところ、「別にいいんじゃないの?お金に困ってるかも知れないし…。」と言う無関心な答えに、同意してくれるとばかり思っていた私はがっかり…。そして、「もし、うちの娘が自分より年上のファランとか連れて来たら、どうする?」と言うと、本人がいいのなら構わない…のだとか。
私は、まさに、この感覚の違いこそが、他の人に国際結婚を勧めたくない理由なのだと改めて思いました。
まあ、確かに最近頻繁に連絡を取り合っている、中学時代の同窓生の女性の多数が、皆、ファランと再婚してると言う状況なので、夫にはさして珍しい事でもないのかも知れません。
自分の娘が、もしその人の事を(財産ではなく)好きで結婚すると言うのなら、どんな人でも反対しませんが、大多数のタイ人女性のように、ファランや日本人男性の財産とか、「外国人の妻」と言うステータスが欲しくて、結婚するのなら、私は絶対に反対するだろう…と思います。
大体、ここイサーンの比較的学歴の少ない女性の多くが、中学、高校で彼氏が出来て、妊娠、中退。
結婚か同居したまでは良かったものの、その相手の男もまだ何の考えも無い幼稚な性格で、子供は生まれたものの、家族を養う為に働きもせず、どちらかの両親に養ってもらっている…と言う生活が続き、それで目が覚めた女性が、子供の養育と自分の将来を考えて離婚。パタヤや、バンコクに出て、ミア•ファランになると言うケースが、お決まりのコースです。
私も、ここイサーンに住んで十年以上。
こういう女性たちの話や実物を数えきれないほど見ています。
なので、ミア•ファランにやむを得ずなった人も多いのですが、タイ人の彼氏(内縁含め)はキープして置き、さらに、金づるとする為に、ミア•ファランになる女性も多いので、私が『ミア•ファラン』と呼ぶ時、そこには軽い同情と、軽蔑の意味が含まれます。
まあ、私としては他人はともかく、一人娘の長女が、どんな男性と結婚すると言い出すのか…、それだけが心配でなりません。
愛のない結婚をして、ミア•ファランになるのも、もちろん反対ですが、かといって、どうしようもないヒモ的タイ人男に貢ぐような生活を送るようになるのも、耐えられません。
昔の知人で、中国系タイ人家族の娘だった友人の母親は、自分が嫁いだタイ人夫に嫌気がさして、その娘4人に「絶対にタイ人と結婚するな!」とキツく言い聞かせた結果、その友人の姉妹は3人までが、日本人を探して結婚しました。
しかし、それもかなり無理があって、ほとんど見合い同然だったので、すぐにお互いに違和感や習慣の違いで理解出来ず、我慢した長女以外は、すぐに別れる結果となった…と言う家族がいました。
なので、もうすでにタイ人化している娘に、私は「絶対にタイ人以外と結婚しろ」とは言えません。
周囲がほぼタイ人しかいないこの地で、娘がそれなりにでも、幸せな結婚が出来るように祈るばかりです。
2016年01月26日
イサーンにも寒波再来。
今朝のイサーンも寒い…です。
昨日からの急激な寒波の再来で、ここ近年無かった、「タイで凍死するかも…?」と言う危機的な寒さが再来。
あまりにも寒いので、仕事机でガタガタ震えていたら、見兼ねた夫が、ヌアヤーン(バンコクではムウカタ?)の火鉢に炭を熾して持ってきてくれました。
それで昨日は、その火鉢に当たりながら、一日中仕事机周辺でしか仕事をしない…と言う一日でした。
ところが、やはり今朝もまだ寒く、昨日炭を熾してくれた夫は、母の付き添いと、実家近所の沼で夜釣のため、昨夜から出掛けてまだ帰宅しない…。
そこで、生まれてこの方まともに火熾しなどした事はないものの、見様見真似で熾して見ました。
何事もやれば出来るものです…。
そう言えば、タイ人と結婚してタイに来てからと言うもの、LPガスボンベの交換はもちろんの事、蛍光灯の付け替えや水道蛇口の交換、ドアノブの修繕と言った一通りの家の修理修繕は自分一人で出来るようになりました。
こう言う風にいろいろ自分でやっていると、昔見たアニメのペリーヌ物語で、ペリーヌが一人で暮らしていて、自分で靴の修繕などをしていた…と言う生活を思い出します。
まあ、それはともかく、タイで暮らすと、日本の「当たり前」が「貴重」になるのだといつも思います。
今回も日本ならば、当然冬があるので、暖房装備があります。
タイは基本的に「常夏の国」だと思われているくらい、暑いのが当たり前なので、寒さに対する装備が欠けているのです。
エアコンも、冷房しかないので、昨夜はもちろんエアコンは付けず、それでも部屋は底冷えするので、薄い長袖を2枚着込んで、靴下も履き、膝掛け…と言う完全装備でパソコンに向いました。
この寒さは、数日続くと言う事なので、後数日はここタイで、火鉢に当たって仕事する日々でしょう。
何だかとりとめのない話になりましたが、とりあえずこれが、ここイサーンでの寒波の状況です。
2016年01月21日
稲刈りの季節に思う。
今朝、ナコンナーヨックで大学に通っている長女からのLINEで、「23ー25日くらいから、北部やイサーン地方で、また寒くなるって。」「最初は暴風雨から始まって、24−26日も暴風雨に注意、それに寒いってニュースで言ってたよ。」と言う、お知らせメッセージが届いた。
先週帰省したばかりで、里心がついたのか、ここ数日、朝から晩まで何度もLINEで会話しているのだが、こちらが心配するように、田舎の両親を心配してくれたのだろう。
まあ、それはそうと、日本はまだまだ寒いだろうが、こちらは今日などかなり蒸し暑く、このまま暑くなってしまうのでは…?と思うような陽気だった。
もう、正月も過ぎたし、気候も暑くなって来たので、正月用に粗品として用意した、恒例の店名入りの長袖シャツも欲しがらなくなるだろうと、この辺で来年用に仕舞って置こうかと思ったのだが、これでまた寒くなると、またお客の間から「ねえ、粗品の服、頂戴よ。」と言う声が聞こえそうだ。
さて、この季節のイサーンの風物詩と言えば、廃棄処分の車体部品をつぎはぎにして組み立てたおもちゃのような色の稲刈車と、サトウキビを超過積載したトレーラーの横転事故だが、今朝も店のシャッターを開けた途端、家の前の道路に、横転事故までは行かなかったようだが、沢山のサトウキビが落ちていた。
そういえば、つい先週も、光ファイバーが導入されて、グンと状況が良くなったTOT(タイ電話公社)のネット環境が、午後から急に使えなくなったので、すぐにTOTの支部の方へ電話でクレームしたところ、「隣のバーンクワオ市のどこだかで、前述の稲刈車が走行中に光ファイバーの回線を切断してしまったので、復旧工事中だ。」と回答が返って来たと言う出来事があった。
幸い、夕方子供達が帰宅する頃には復旧したので、大きな騒ぎにはならずに済んだが、ネット障害の原因がこの『稲刈車が走行中に回線を切断』と言うのには、さすがイサーンらしいと言う感じがして、「なるほど…。」と思わず頷いてしまったのだった。
先週帰省したばかりで、里心がついたのか、ここ数日、朝から晩まで何度もLINEで会話しているのだが、こちらが心配するように、田舎の両親を心配してくれたのだろう。
まあ、それはそうと、日本はまだまだ寒いだろうが、こちらは今日などかなり蒸し暑く、このまま暑くなってしまうのでは…?と思うような陽気だった。
もう、正月も過ぎたし、気候も暑くなって来たので、正月用に粗品として用意した、恒例の店名入りの長袖シャツも欲しがらなくなるだろうと、この辺で来年用に仕舞って置こうかと思ったのだが、これでまた寒くなると、またお客の間から「ねえ、粗品の服、頂戴よ。」と言う声が聞こえそうだ。
さて、この季節のイサーンの風物詩と言えば、廃棄処分の車体部品をつぎはぎにして組み立てたおもちゃのような色の稲刈車と、サトウキビを超過積載したトレーラーの横転事故だが、今朝も店のシャッターを開けた途端、家の前の道路に、横転事故までは行かなかったようだが、沢山のサトウキビが落ちていた。
そういえば、つい先週も、光ファイバーが導入されて、グンと状況が良くなったTOT(タイ電話公社)のネット環境が、午後から急に使えなくなったので、すぐにTOTの支部の方へ電話でクレームしたところ、「隣のバーンクワオ市のどこだかで、前述の稲刈車が走行中に光ファイバーの回線を切断してしまったので、復旧工事中だ。」と回答が返って来たと言う出来事があった。
幸い、夕方子供達が帰宅する頃には復旧したので、大きな騒ぎにはならずに済んだが、ネット障害の原因がこの『稲刈車が走行中に回線を切断』と言うのには、さすがイサーンらしいと言う感じがして、「なるほど…。」と思わず頷いてしまったのだった。
2016年01月17日
ガーンジャオポーパヤレーのお土産
今年も、正月が開け、ここチャイヤプムの始祖、ジャオポーパヤレーの例大祭がやって来た。
私は、もう昨年くらいから引き篭もり症状が出ているので、出来れば行かなくてもいいように…と、なるべくその話題が出ないように最新の注意を払っていたのだが、末っ子ミックも地元小学校に通っているため、自然と友達伝いに知ってしまった。
しかし、それほど行きたい様子でもなかったので、安心していたのだが、今週2週間ぶりにバンコク近郊の大学から帰省した長女がどうしても行きたいと言うので、夕方店を閉めてから出掛ける事になった。
夕方、6時過ぎに家を出て、6時半過ぎには現地へ着いたものの、当てにしていた市街地にある長女の母校の高校が営業する臨時駐車場がいっぱいで、市街地を周回する事3回…。
その周辺の私有地の臨時駐車場も全て満車だったため、一度諦めて、郊外にあるBIG-CとMakroで買い物をして時間を潰し、その後まだ諦めきれない長女のために、もう一度長女の母校へ駐車を試みたが、やはり満車は変わらず、また周回を繰り返していたところに、かなり中心地から離れた道端の路上駐車群に空きを見つけたので、そこに駐車し、タイ人にはかなり遠いと感じるらしい500メートルほどの距離を歩いて行った。
そうして、しばらく特に楽しみもない田舎の若者が年に一度の晴れ舞台と言わんばかりに着飾って繰り出す様子を見ていたが、遊技場付近の耳も割れんばかりの音楽に合わせてタコ踊りをしている様は、まるで「コイツらみんな薬中なんじゃないか?」と思わせるに相応しい酔い具合だった。
そんな様子なので、私は後ろからついて来る、長女と末っ子のミックが絡まれはしないかとそればかりが心配だった。
田舎の祭りの遊具を写真に収めて、バンコクの友達に見せると張り切ってカメラを構えていた長女を促して、さっさとその場を去ったのだった。
大抵、こういう田舎の若者は、他に大した楽しみがないので、こういう何かのお祭りにはひどく張り切っていかにも『田舎の若者』を絵に描いたような一張羅で格好を付け、酔った勢いでチンピラ同然の振る舞いをし、すぐに殴り合いの喧嘩が始まるので、極力近づかない方がいい。
これは、タイの田舎の(もしくは都会に於いても?)どこのお祭りにでも言える事で、鬱屈した若者の憂さ晴らしの場になっている。
まあ、そういうタイの若者の話はどうでもいいのだが、その若者たちから逃れるようにして、遊技場を通り過ぎたところで、もちろん正規品ではないがキティグッズの出店があった。
私は別に興味もないので、通り過ぎようとしたところ、ふと聞き慣れたような聞き慣れていないような会話が耳に入って来た。
「わあ、かわいい!」
「ねえ、こっちでもキティちゃんって人気あるんだ。」
…そう、このチャイヤプムの地で、母国語を話す日本人に出会ったのである。
いや、出会ったと言うのはちょっと違う。
実は、見掛けただけなのだ。
彼女たちは、女性3人で旅行に来ている感じだった。
年の頃ははっきりとは分からないが、まあ私よりは若いだろうと言う事は確かだった。
聞いた事の有る言葉に、長女もミックも反応し、ミックは「日本人?挨拶したら?」と私に促したのだが、私はタイ語で言う「マイカー(勇気が出ない)」と言う感じで、そう、日本語で言えば、「気後れ」したのである。
しばらく、何となく距離を取りながら、話し掛けようかどうしようか…と久々の日本人との遭遇に、緊張して何を言ったらいいか考えあぐねていたのだが、ちょうど長女が欲しい物を見つけて、その店に入ったので、私もそのままそこにいるうちに、彼女たちは別の店を見て移動して行ってしまった。
もしかしたら、もう一度偶然見掛けるかも…と言う期待を胸に、帰り道を歩いたのだが、それなりの人出だったので、もう一度会う事はなかった。
やはり、バンコクならいざ知らず、こんな田舎では日本人に遭遇する事は滅多にないので、少し残念な事をした…と思った。
さて、今年のチャイヤプムのガーンジャオポーのお土産は…。
これ…。
よく日本の縁日でひよこを買ってしまうような感覚か?
末っ子のミックがどうしてもと欲しがって、ついつい買ってしまった。
そしてその後、一緒にいた長女が、「昔、私も欲しがったけど、買って貰えなかったんだよね…。」と一言。
その後、その日課のLINEでの「おやすみ」の挨拶のついでに、この報告をした長男からも「本当に買ったの?子供の頃、ぼくも欲しかったけど…。」と続いた。
やはり、末っ子には甘くなってしまうのか?
このハムスターを見て思うのだった。
私は、もう昨年くらいから引き篭もり症状が出ているので、出来れば行かなくてもいいように…と、なるべくその話題が出ないように最新の注意を払っていたのだが、末っ子ミックも地元小学校に通っているため、自然と友達伝いに知ってしまった。
しかし、それほど行きたい様子でもなかったので、安心していたのだが、今週2週間ぶりにバンコク近郊の大学から帰省した長女がどうしても行きたいと言うので、夕方店を閉めてから出掛ける事になった。
夕方、6時過ぎに家を出て、6時半過ぎには現地へ着いたものの、当てにしていた市街地にある長女の母校の高校が営業する臨時駐車場がいっぱいで、市街地を周回する事3回…。
その周辺の私有地の臨時駐車場も全て満車だったため、一度諦めて、郊外にあるBIG-CとMakroで買い物をして時間を潰し、その後まだ諦めきれない長女のために、もう一度長女の母校へ駐車を試みたが、やはり満車は変わらず、また周回を繰り返していたところに、かなり中心地から離れた道端の路上駐車群に空きを見つけたので、そこに駐車し、タイ人にはかなり遠いと感じるらしい500メートルほどの距離を歩いて行った。
そうして、しばらく特に楽しみもない田舎の若者が年に一度の晴れ舞台と言わんばかりに着飾って繰り出す様子を見ていたが、遊技場付近の耳も割れんばかりの音楽に合わせてタコ踊りをしている様は、まるで「コイツらみんな薬中なんじゃないか?」と思わせるに相応しい酔い具合だった。
そんな様子なので、私は後ろからついて来る、長女と末っ子のミックが絡まれはしないかとそればかりが心配だった。
田舎の祭りの遊具を写真に収めて、バンコクの友達に見せると張り切ってカメラを構えていた長女を促して、さっさとその場を去ったのだった。
大抵、こういう田舎の若者は、他に大した楽しみがないので、こういう何かのお祭りにはひどく張り切っていかにも『田舎の若者』を絵に描いたような一張羅で格好を付け、酔った勢いでチンピラ同然の振る舞いをし、すぐに殴り合いの喧嘩が始まるので、極力近づかない方がいい。
これは、タイの田舎の(もしくは都会に於いても?)どこのお祭りにでも言える事で、鬱屈した若者の憂さ晴らしの場になっている。
まあ、そういうタイの若者の話はどうでもいいのだが、その若者たちから逃れるようにして、遊技場を通り過ぎたところで、もちろん正規品ではないがキティグッズの出店があった。
私は別に興味もないので、通り過ぎようとしたところ、ふと聞き慣れたような聞き慣れていないような会話が耳に入って来た。
「わあ、かわいい!」
「ねえ、こっちでもキティちゃんって人気あるんだ。」
…そう、このチャイヤプムの地で、母国語を話す日本人に出会ったのである。
いや、出会ったと言うのはちょっと違う。
実は、見掛けただけなのだ。
彼女たちは、女性3人で旅行に来ている感じだった。
年の頃ははっきりとは分からないが、まあ私よりは若いだろうと言う事は確かだった。
聞いた事の有る言葉に、長女もミックも反応し、ミックは「日本人?挨拶したら?」と私に促したのだが、私はタイ語で言う「マイカー(勇気が出ない)」と言う感じで、そう、日本語で言えば、「気後れ」したのである。
しばらく、何となく距離を取りながら、話し掛けようかどうしようか…と久々の日本人との遭遇に、緊張して何を言ったらいいか考えあぐねていたのだが、ちょうど長女が欲しい物を見つけて、その店に入ったので、私もそのままそこにいるうちに、彼女たちは別の店を見て移動して行ってしまった。
もしかしたら、もう一度偶然見掛けるかも…と言う期待を胸に、帰り道を歩いたのだが、それなりの人出だったので、もう一度会う事はなかった。
やはり、バンコクならいざ知らず、こんな田舎では日本人に遭遇する事は滅多にないので、少し残念な事をした…と思った。
さて、今年のチャイヤプムのガーンジャオポーのお土産は…。
これ…。
よく日本の縁日でひよこを買ってしまうような感覚か?
末っ子のミックがどうしてもと欲しがって、ついつい買ってしまった。
そしてその後、一緒にいた長女が、「昔、私も欲しがったけど、買って貰えなかったんだよね…。」と一言。
その後、その日課のLINEでの「おやすみ」の挨拶のついでに、この報告をした長男からも「本当に買ったの?子供の頃、ぼくも欲しかったけど…。」と続いた。
やはり、末っ子には甘くなってしまうのか?
このハムスターを見て思うのだった。
2016年01月12日
遅ればせながら、新年おめでとうございます。
ナムジャイブログとその読者の皆様、大変遅れてしまいましたが、新年あけましておめでとうございます。
昨年の10月の記事更新を最後に、様々な諸事情から久しくブログの更新が途絶えていたので、このままでは本当にイサーンに埋没してしまう…と言う危機感から、新たな年になったのだから、心機一転またブログを開始しようと思いました。
ところが、そう思って久々にナムジャイブログにログインしようとしたところ、何故かナムジャイブログのサイトを閲覧は出来ても、ログイン画面から英語でのエラー表示に変わってしまい、何度繰り返してもログイン出来ず、今日に至りました。
そして、今夜ようやく無事ログインを果たしたので、とりあえず、新年のご挨拶まで…と言う事で、久々の更新と相成りました、
まあ、正月とは言え、3日にはもう営業開始していたので、正月休みは元旦と2日だけでしたが、せっかく店を開けなくて済むのだから…と、息子たちと家の中に引き蘢ってまったりと過ごしました。
今年は、毎年恒例の年越し親戚大集合の宴会が、夫の長兄の仕事の都合で5日に延期され、平日なので、私は子供達の学校も始まっているので、夫だけ参加と言う事になり、私たちは参加せずに済んだ事が何よりの休息になりました。
と、まあこんなところですが、今年の抱負としては、徐々に…だとは思いますが、またブログの定期的に更新を続けて行けるように頑張りたいと思います。
とは言え、ここに書くまで、長年のタイダラダラ生活で、年末年始のケジメさえ無いような年越しに慣れてしまったせいで、『今年の抱負』などと言う言葉さえ忘れていた私でした。
最後になりますが、今年もどうぞ宜しくお願いいたします。