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Posted by namjai at

2015年05月28日

日系メーカー電気製品

 今回も、一時帰国の思い出は少し置いておいて、最近の我が家の出来事から…。

 もう半年くらい前から、リビングのTVが不調を訴え出し、一月半くらい前に遂に息を引き取った…。
つまり、何も映らない真っ黒な画面のただの箱になってしまったのである。
しかし、友達に懇願されるとすぐにまとまった金額でも用意してしまう夫は、自分の事になるとなかなか思慮深いと言うか、優柔不断になる。
 
 リビングにTVがないのは、かなり味気ないものなのに、もう少ししたら、来月になったら…と中々新しいTVを買う決心がつかないのである。
しかも、買うと言っても、電気製品はタイでは高額なので、数年前から冷蔵庫、洗濯機などの購入には、カード払いを利用している。
別に現金で払う訳ではないので、今日買っても来月買っても大した違いはないと思うのだが、要するに夫が自分の中で決心がつかないのである。

 まあ、友人や親戚に金を貸して欲しいと言われる時は、それが「明日までに」とか「今週末までに」などと言う期限付きなので、早急に決心せざるを得ないのかも知れないが、自分の事となると買う、やっぱり買わない…と優柔不断過ぎて、見ていてイライラして来るくらいだ。


 そういう経緯があって、一昨日、夫が子供抜きで私と二人で出掛けたいと言い出したので、最初は気乗りしなかったのだが、「これはチャンスかも!」と思い直し、「じゃあ、今日TVも買おうよ。」と強引に承諾させたのだった。

 私自身はTVなど見ないので、無くてもあってもどうでもいいと言うか、無い方が静かで良かったりするのだが、最近長女が「朝のニュースが見れない。」と愚痴をこぼしていたので、そろそろ買ってもいいかな…と思ってはいた。

 それに、我が家がタイに移住すると決めたときに、わざわざ秋葉原まで行って買って来た、海外用220V対応の炊飯器も、すでに表示画面んが見えないくらいに劣化していた上に、度々の停電でタイマーの時間が狂って、文字盤が見えないのでタイマーの再登録をするにも出来なくなってしまったので、ここのところずっと夜に米を研いでは置くが、朝になって起きて来てから、炊飯スイッチを押す…と言う状態だった。

 さすがに、15年も使って来たのだから、そろそろ買い替えてもいいかな…と思っていたので、このTVを買う機会に乗じて炊飯器も新しく購入するつもりだったのだ。


 そして、チャイヤプムでは一番大きい、大手スーパーではない電気専門店に行って、夫が選んだのがこれ。

 

 今まで居間にあったTVは、一昔前の20インチのブラウン管TVだったので、今度は薄型の液晶TVになるとは思っていたが、大きいのが欲しいと言ってもせいぜい52インチくらいだろうと思っていたので、まさかこの大きさにするとは思っていなかった。

 
 この写真ではよくわからないかも知れないが、夫が気に入ったのがその日に入荷したばかりと言う、60インチの3DTVだった。

 これが翌日家に届くと、子供達は大騒ぎで、さっそく付属品の3Dメガネを掛けて視聴したり、ネットに接続してyou tubeを見たり、今までのブラウン管TVでは到底あり得なかった事を楽しんでいた。







 まあ、これがTVの感想だが、私は今回15年目にしてようやく買った炊飯器についてもう少し書きたい。

 その電気店では、普通のスイッチ一つで炊いて、炊き上がりにスイッチがポンっと上がる庶民型の炊飯器以外では、電気炊飯器でHITACHI、SHARP、TOSHIBAの3つのメーカーが置いてあったが、店の主人が「うちではこれが一番、我が家でも全部使って試しましたが、これが一番ごはんが柔らかく炊けます。」と太鼓判を押すので、その勧められたTOSHIBAの「本かまど厚釜」と言う商品(その場で品番からネットで検索)を購入した。

 その後、家に帰ってからさらに詳しく検索してみたら、これは平成19年の時点で「生産終了品」になっていた。

 今、タイで(と言ってもイサーンの田舎だが)最新機種として販売されている商品が、日本ではすでに8年も前に生産終了となっていたのである。
もちろん、この炊飯器は今もタイでは生産されているのだ。しかも最新機種として…。

 この事実に、私は改めて、タイと日本の技術の進歩の違いを思い知らされたのだった。
 
 まあ、タイでは日本のように「ご飯だけで食べられる」ような、すごく美味しいご飯など期待してはいないし、さらには夫の兄のように、「柔らかいご飯は不味い。硬めのご飯でないと食べた気がしない。」などと言う人も結構居るので、それほど「美味しいご飯」に拘る必要も無いのだろうが…。

  


Posted by バットニャオ@第二期 at 23:46Comments(6)つぶやき

2015年05月23日

光ファイバー到来!

 あれは先週の5月14日木曜日の昼下がりだった。

 いつも通りに午後からだいぶ暇になったので、「じゃあ、ちょっと釣りに行って来るよ。」と言う夫がいそいそとシャワーを浴び支度を始めた。
私はと言うと、仕事机の周囲でネットで遊んでいる長女とくつろいでいたのだが、しばらくすると見た事もないセールスマン風の男性が店先に現れたので、とりあえず用件を聞こうと出て行った。

 すると、その男性は「TOTから来たものですが…。」と名乗り始めたのだが、もう頭の中でセールスマンと決め込んでいた私は、その「TOT」と言う名前に、「はて?どこの会社だっけ?見覚えの無いようなあるような…、来た事あったかな?」などと、見当違いな事を考えていた。


 まさかそれが、我が家がここ数年、待って待って待ち続けた、電話局の「TOT」だとはすぐに結びつかなかったのである。

 しかし、落ち着いてよくよく話を聞いていたら、「インターネットがなんたらこうたら…」などと話し出したので、「ああ!あのTOTか!」と思い当たって、最初は引き気味だった私も、つい身を乗り出して話を聞いていたのである。


 ちょうど、夫がお出掛け前の準備に忙しかったので、私が大体の話を聞いたところ、数年前から何度も尋ねた、「光ファイバー」が遂にこのノンブアラウェーにもやって来たのだと言う。
そして、旧ネット回線からその光ファイバーに替える利用者の勧誘に来たと言う事だった。





 もちろん、我が家は数年前からすでに乗り換える気だった訳で、問題があるとすれば、自分で家のWi-Fiを使っていない夫が、その機嫌次第では反対するかもしれないと心配していたが、その時はすでに午後の仕事を放棄して、自分の趣味の釣りに出掛けるところだったので、本人も上機嫌。

 反対するどころか、出掛け支度が終わって回線名義者のサインをする為に出て来た夫は、一応TOTの勧誘員の話を聞いて、「どうする?50Mbpsにするか?」などと、本気か冗談か分からない事を言い出す始末。

 もちろん50Mbpsはとても魅力的だけれど、今まで月額590バーツだったネット代が6倍くらいの3500バーツになってしまう。
私はもちろん早くなるのなら、いくら掛かっても…と思っていたくらいなのだが、肝心の夫が、今は機嫌がいいけれど、機嫌が悪くなったときに、「ネット代が無駄だ。」とか文句を言い出すに決まっている。
それにネットカフェとかならともかく、一般家庭でそこまで必要ないだろうとも思ったので、とりあえず月額1800バーツの35Mbpsにすることにした。

 基本料金が少し上回るだけで月額800バーツの20Mbpsからあって、それでも今までの6Mbpsよりは十分早くなっていると思ったのだが、せっかく夫の機嫌もいいし、ほぼ毎週末に帰宅する長男も、実家でゆっくり夜更かししながらネットで動画を見るのを楽しみにしているので、その期待を裏切らない為にも、せっかくの機会だから…と、敢えて35Mbpsにしたのだった。



 そして今日。
先週契約を取って行った勧誘員の言った通り、今週来ると言っていた回線工事をしてくれる技術者のグループがやって来た。

 やって来てから、およそ30分くらいで配線と機械の設置が終わり、憧れの光ファイバー回線がすぐに使えるようになった。

 先日、日本の実家に帰って居たときも、実家のWi-Fi回線のあまりの早さに子供達も驚いていたが、この回線はおそらく日本の一般家庭の回線にはまだまだ追いつかないとしても、このイサーンの田舎町で光ファイバーが使える日が来たと言うだけで十分だろう。

 どうせ、回線工事が届くのは主要都市だけ、この市には後10年経っても、10Mbpsにも達しないだろう…と思っていたのである。
この光ファイバー回線で、私たちの期待通り淀みなくネットを使えるようになることを願うばかりである。  


Posted by バットニャオ@第二期 at 00:34Comments(8)タイの日常

2015年05月20日

日本での日々〜その2

 日本帰国2日目。

 ようやく、実家のある西武秩父駅にたどり着いた私たちは、最初は駅から路線バスで実家まで帰ろうと思っていたのですが、弟が仕事を休んで駅まで迎えに来てくれることになりました。
 その日は早朝にホテルを出てから、駅の構内の自動販売機でおにぎりや菓子パンを買って食べると言う状態で、まともな食事も取っていなかったので、弟と待ち合わせする間に駅の近くの和風ファミレスに入る事にしました。

 久々のファミレス。
タイのチャイヤプムに居ては、日本風のファミレスなどもちろん入る機会も無く、外食と言ってもせいぜい町食堂が関の山。
コラートやコンケーンのデパートに入っている、日系ファミレスチェーン店にも、数年に一度行く機会があるかどうかなので、この駅前の平凡なファミレスでさえ、妙に緊張してしまいました。

 さて、タイの子供3人を連れての日本のファミレス。
当然、メニューもいちいち説明しなければなりません。
でも、我が子でもあるので、大体の好みは分かっており、それぞれメニュー写真も見て選びましたが、タイの金銭感覚がまだ抜けない私は、メニューの金額に内心ドキドキしていました。

 一品一品が数百円から千円以上。
日本の貨幣価値から考えたらごく普通の金額なのですが、久々に日本円を使っているので、タイでいつも食べているように食後のデザートも入れたら、4人で4千円近くになってしまいました。

 今回の一時帰国は、夫が気まぐれで言い出したにも関わらず、その気まぐれついでに、いざ航空券の予約の段階になったら、以前利用していた航空会社から格安航空会社にしろと言われ、日本行きの所持金の為に両替する金額も、2年前の一時帰国の時の4分の1に削減。

 ドンムアン空港で両替して渡された日本円を、成田空港のスタンドショップで最初に使った時から、すでに私の頭の中ではタイに戻る時までに、一体いくら使うのだろう…、そして一体いくら日本円を持ち帰れるのだろう…と言う事で、頭がいっぱいでした。

 それでも、せっかくの日本。
子供達には、この先いつ食べられるか分からない日本の食事や美味しいものを沢山食べさせてやりたい…と、なんとか遣り繰りに頭を悩ませた3週間でした。


 


   


Posted by バットニャオ@第二期 at 00:36Comments(7)日本一時帰国

2015年05月16日

日本での日々〜その1

 前々回の、日本で4月20日にアップした記事の続きです…。

 正直、すでにタイの日常に戻ってしまっている私には、日本で過ごした約三週間が本当に夢だったかのようで、日本で過ごした日々に全く現実感が無くなってしまいました。
 なので、それを思い出す為にも、少しずつ数週間前からの記憶を辿り辿り書いてみたいと思います。

 まず、成田に到着して予め予約して置いた空港付近のホテルに宿泊した私たちは、2年ぶりの日本での第一日目の朝を迎えました。
成田を早朝に出発した為、実家に着くまでには十分な時間の余裕があったので、成田から直行で池袋には向かわず、今やタイ人観光客の聖地とまで言われている?浅草に寄り道をして行く事にしました。

 予めスマホに入れて置いた乗り換えアプリで、何度も予習した日本の鉄道の乗り換えを無事に済ませ、子供3人を引率して何とか浅草まで辿り着きました。
 何とか…と言うのは、久々の日本で人の流れに中々ついて行けず、行き先の表示を見つけるのに手惑い、オロオロしていたり、改札の機械のIC専用改札機と言うのに戸惑い、何度も間違えてばかりで、子供たちからは不信の目で見られる始末…。

 実は、IC専用改札機と言うのが結局どういうものか分かっていなくて、ついさっきこれを書こうとして、確認の為調べて初めて意味が分かったのでした。

 私も子供たちも、普段イサーンのド田舎では改札を通る機会もないので、都内の駅の構内や改札などには目を白黒させているだけでした。






 
 それはさておき、とりあえず辿り着いた浅草の浅草寺で、大して歩いてもいないのに、歩き疲れた次男と三男を入り口の門のところに待たせ、長女は念願だった日本らしい建物を撮影し、私はこっそりと長女の大学合格祈願をしました。
 ここはタイ人が湧くほどいるとニュースにも出てたのに、妙に中国人の方が多いな…などと思って歩いていると、土産物屋さんが軒を並べる界隈に、いました!幼稚園児の遠足のような黄色い旗を持ったガイドに連れられたタイ人の集団が…。
 
 そして、この界隈にあるお菓子屋さんのメロンパンをタイ人のタレントが紹介したところ、もうそれを一口食べようと、その店に連日タイ人の行列が出来るのだとも聞いていましたが、何しろスマホのネット契約がまだだったので、情報が得られない…。

 そうするうちに、タイ人の集団はどこかに流れて行きましたが、ちょうど紙に包んだ自分たちの顔ほどもある大きなメロンパンらしきものを頬張っている女子高生くらいの女の子たちを見掛けました。
多分、私たちのように田舎から出て来た…と言う感じだったのですが、おそらく彼女たちの食べていたあれこそが、タイ人が買い漁ると言う噂のメロンパンだったのだと思いました。
 実は、日本好きの姪から、このメロンパンをお土産に買って来てくれと言われていたのですが、まさか残り3週間もあるのでは無理に決まっているので、帰る日に空港のコンビにででも買うことにしました。


 当初は、秋葉原に行ってみたいと言っていた次男の要望を聞いて、浅草から上野や秋葉原までちょっと見程度で観光しようと計画していたのですが、タイで歩き慣れていない子供たち、浅草寺ですでに力尽きてしまったようで、「早くおばあちゃんちに行きたい…。」と言い出したので、上野秋葉観光は中止、そこから池袋を目指し、西武池袋線に乗り換え、一路実家のある西武秩父駅を目指したのでした。


 

  


Posted by バットニャオ@第二期 at 01:22Comments(5)日本一時帰国

2015年05月11日

日本より戻りました。

 久々の日本帰国。

 予定していた約三週間はあっという間に過ぎ、タイの日常に戻った今では、まさに夢のような三週間でした。

 当初は逐一報告するくらいに、ブログをアップしようと思っていたのに、気がつけば慌ただしく過ぎていまい、最初の記事を書いただけで、もうタイに戻って来てしまいました。

 日本での詳しい出来事は、また2年前と同じように追々記事にして行くとして、今回は思った事を簡単に書いてみたいと思います。

 まず、前回の記事の冒頭で書いた、成田空港に着いたと
きの「日本の係官の対応や、お店の接客態度」への感動に対し、タイに戻ってドンムアン空港(エアアジアはスワンナプーム着ではないので)に着いたときは、入国係官のお姉さんの「やってやってるんだ」と言わんばかりのつっけんどんな対応を始め、周囲のタイ人だらけの状況に、私の心は沈んで行くばかり、ため息の連続でした。


 そして、数時間掛けて空港から自宅に戻り、我が家の店の中に入った途端、明日から始まる現実の生活が思い出されて、さらに憂鬱になりました。


 それから、4日が過ぎましたが、日常生活は何とか取り戻したものの、一人暮らしになった実家の母の事が心配で、そのくせ何も出来ない自分がもどかしく、そんな中で、店に訪れる客の態度にイライラが募り、何となく毎日沈んでしまう毎日です。

 そのため、ブログの更新も遅れがちになっているのですが、次回は日本での束の間の生活を思い出して、もう少し明るい内容の記事にしたいと思います。






  
タグ :日本帰国


Posted by バットニャオ@第二期 at 23:17Comments(8)日本一時帰国