2014年11月30日
長女の保護者会
今日は久々の保護者会がありました。
今回は、高校3年生の長女の通う、中高一貫のサトリーチャイヤプム学校でした。
ここは、チャイヤプムで最初に出来た元女子校です。
その時代の名残で、学校名に「婦女子」を意味する「サトリー」が付いているのですが、一昔前に男子生徒も受け入れる様になり、今では一応男女共学になっています。
でも、元女子校の名残と、学校の得意分野が文系で外国語教育に力を入れているので、必然的に男子生徒より女子生徒の割合が多く、全校生徒の8割が女子、残りが男子なのですが、その男子の中にも性別は男子でも中身は女子と言う子もかなり多いそうで、それが余計に女子校特有の雰囲気を醸し出しています。
連絡によると、午前8時半開始で正午までの予定だったので、朝7時半過ぎには家を出て、チャイヤプムまで30kmの道程を20分少しで運転して行ったのですが、予想通り、学校付近に着いた時には時既に遅し…。
学校の正門から半径1kmの範囲の道路には路上駐車の列が出来ていて、車を停める場所が見つかりません。
まあそう言う事は、さすがに長男の時代から10年近くの経験があるので予想しており、運良く空いていれば路上駐車と思っていたのですが、やはりこの有様だったので、あらかじめ予定していた、学校から300メートル程の距離にあるホテル裏の有料駐車場に入り、無事駐車。
ここは、その付近にあるチャイヤプムの生鮮市場からも近いので、買い物に来て路上駐車が出来ない時はたまに利用していました。
勝手に入って駐車していると、どこからともなく集金のおじさんが現れて、駐車料金を集めに来ます。
別に領収書代わりの紙切れをくれるわけでもないので、駐車料金ががおじさんの懐に入るのか、ホテルの物になるのか怪しいところですが、私は駐車場が確保出来れば問題ないので、とりあえず言われた額の20バーツを払って、学校に向かいました。
私がその駐車場に着いたときには、まだ空きはあったのですが、タイ人は何よりも「タダ」が大好きなので、日本人の「タダより高い物は無い」などと言う教えは理解出来ないのでしょう。
そこより更に離れた場所へ、次々に路上駐車の列を延長させていました。
学校から300メートル弱で、駐車料金がたったの20バーツなのに、そこには停めずにさらに遠いタダで停められる路上を目指すのです。
ご苦労な事です。
さて、路上駐車の話はこの辺にして、肝心の保護者会の話です。
これは、長女の学校でも、次男の学校でも同じなのですが、集合時間になるとまず、ドームと呼ばれる全校集会用の屋根付きの広場に集合して用意された席に着きます。
この「ドーム」と言う建物は、ここ数年チャイヤプムの学校に次々と建設されて、まるでどこかの業者が裏で糸を引いているような印象を受けました。
建設費用もバカにならないような金額で、確か2千万バーツ弱(7千万円くらい?)だとか言っていました。
まあ、実際の費用はその数割かで、残りは学校側と業者などの関係者の懐に入るのでしょうから、そう言う金額になるのも頷けますが…。
そう言えば、つい先日も、この学校で今年から赴任した新校長の金銭にまつわる良くない噂がFacebook上で暴露されており、今日の保護者会の会場でも、その事実を否定する旨と、「そのFacebookの内容に対し、「いいね!」を押したり、シェアした場合に処罰の対象になる可能性がある」と言う、まるで脅しのような事を記したプリントが配られました。
私としては、どうせタイの公務員なんて、多かれ少なかれ不正行為をしてお小遣いを稼いだり財産を築いたりしているのだから、この新校長とその取り巻きが、賄賂を受け取っていたとしても、ごく当たり前の事のようにしか思えず、こんな下らないタイ社会の慣習をここで問題にするのもいい加減時間の無駄なので止めてくれないかな…と思いました。
さて、その莫大な費用で建設された学校自慢のトタン屋根の集会場の下で始まった保護者会ですが、まずはそこで学校側からの自慢話やら、学校関係者の有り難い話だとかを延々と聞かねばなりません。
それがもう眠いの何の…。
長女には、スマホのゲームでもやってれば?などと言うアドバイス(?)を受けていたのですが、さすがに音声無しでも、画面にアニメの画像などが出て来るので、いい歳をして堂々とは出来ないな…と遠慮しました。
仕方ないので、その間に保護者会に来ている保護者たちの服装などをチェック。
左のレース生地のブラウスのお母さん(おばあちゃん?タイの保護者会は祖父母の参加も多いので。)は、上から下まで保護者会の為に一張羅を着て来たと言う力の入れ様が窺える服装でした。
オイルで撫で付けてテカテカした長髪を三つ編みで揃え、耳にはおそらくお出掛け用の大きめの金のピアス。
そして、おそらくこういう特別な日か、お寺にタムブンする日に着て行くであろう綺麗なレース生地のブラウスに、普段は履かないような黒のパンツと極め付けの見るからに買ったばかりのピンクのサンダル。
そして、右のオレンジ色のポロシャツのお母さんは、今まさに旬のASEAN柄(ASEAN諸国の民族衣装を着て不自然に手を繋いでいる柄)が背中に刺繍されたASEANポロシャツ。
このオレンジ色もASEANカラーで今年の流行りです。
大体、田舎の保護者会や学校の保護者参加のイベントに行けば行くほど、この手のファッションがほとんどになります。
普段農作業服を着ているお母さんお父さんたちは、この手の国を挙げて流行っている同色のポロシャツを着る事が一番のオシャレになるのです。
今年は、このオレンジのASEANカラーですが、数年前は国王即位60周年記念の黄色のポロシャツが国中で流行り、我が家にも貰い物で数枚の黄色いポロシャツがありました。
その後は、ピンク、水色の年もあり、今年はこのオレンジが旬なのです。
私たちから見れば、何の事は無い派手なだけのポロシャツですが、これが彼女にとっての一張羅なのでしょう。
…とそんな事を考えているうちに何とか退屈な時間も過ぎ、ようやくホームルームでクラス毎の保護者会になりました。
掲示板に書かれている表示に従って、それぞれのクラスに入り保護者会の本番です。
実は、もう今年になって半年以上経ってしまったのですが、今年の保護者会は今回が初めてなのです。
前回は、ドームでの演説拝聴に終始して、クラス別での保護者会は開催されず、何の為に来たのか?と疑問に思ったほどです。
そういう事で、今年初めてのクラスの保護者会なので…と、一人ずつ自己紹介をということになりました。
私は、普段は保護者会では目立たないように心がけて静かにしているのですが、今回は先日私が日本人だと知った担任の先生から目を付けられてしまい、何かと話を振られるので、終始緊張していました。
自己紹介もまるでタイ語の教科書のように、とりあえず自分の名を名乗り、子供の名を出して子供との関係を言っただけで、普段大勢の前で喋らないので声が上擦ってしまいました。
最後に、ちょうど問題の校長先生が視察に入って来て、そこでまた担任の先生が「こちらのお母さんは日本の方なんですよ。」と余計な紹介をされ、校長先生も、「実は私も日本語の授業も開講したいと思っているんですよ。」などと言われました。
家に帰って来てから、その事を考えて「これで家の商売は夫に任せて、外に出て働くのもいいな…。」と考えたのですが、長女に外国人教師の給料を聞いたところ、時給300バーツで、一ヶ月当たり9,000バーツから15,000バーツだと言うので、その程度の金額では、私が家で商売した方が稼げるに決まっているから、夫が納得する訳が無いな…と諦めたのでした。
今回は、高校3年生の長女の通う、中高一貫のサトリーチャイヤプム学校でした。
ここは、チャイヤプムで最初に出来た元女子校です。
その時代の名残で、学校名に「婦女子」を意味する「サトリー」が付いているのですが、一昔前に男子生徒も受け入れる様になり、今では一応男女共学になっています。
でも、元女子校の名残と、学校の得意分野が文系で外国語教育に力を入れているので、必然的に男子生徒より女子生徒の割合が多く、全校生徒の8割が女子、残りが男子なのですが、その男子の中にも性別は男子でも中身は女子と言う子もかなり多いそうで、それが余計に女子校特有の雰囲気を醸し出しています。
連絡によると、午前8時半開始で正午までの予定だったので、朝7時半過ぎには家を出て、チャイヤプムまで30kmの道程を20分少しで運転して行ったのですが、予想通り、学校付近に着いた時には時既に遅し…。
学校の正門から半径1kmの範囲の道路には路上駐車の列が出来ていて、車を停める場所が見つかりません。
まあそう言う事は、さすがに長男の時代から10年近くの経験があるので予想しており、運良く空いていれば路上駐車と思っていたのですが、やはりこの有様だったので、あらかじめ予定していた、学校から300メートル程の距離にあるホテル裏の有料駐車場に入り、無事駐車。
ここは、その付近にあるチャイヤプムの生鮮市場からも近いので、買い物に来て路上駐車が出来ない時はたまに利用していました。
勝手に入って駐車していると、どこからともなく集金のおじさんが現れて、駐車料金を集めに来ます。
別に領収書代わりの紙切れをくれるわけでもないので、駐車料金ががおじさんの懐に入るのか、ホテルの物になるのか怪しいところですが、私は駐車場が確保出来れば問題ないので、とりあえず言われた額の20バーツを払って、学校に向かいました。
私がその駐車場に着いたときには、まだ空きはあったのですが、タイ人は何よりも「タダ」が大好きなので、日本人の「タダより高い物は無い」などと言う教えは理解出来ないのでしょう。
そこより更に離れた場所へ、次々に路上駐車の列を延長させていました。
学校から300メートル弱で、駐車料金がたったの20バーツなのに、そこには停めずにさらに遠いタダで停められる路上を目指すのです。
ご苦労な事です。
さて、路上駐車の話はこの辺にして、肝心の保護者会の話です。
これは、長女の学校でも、次男の学校でも同じなのですが、集合時間になるとまず、ドームと呼ばれる全校集会用の屋根付きの広場に集合して用意された席に着きます。
この「ドーム」と言う建物は、ここ数年チャイヤプムの学校に次々と建設されて、まるでどこかの業者が裏で糸を引いているような印象を受けました。
建設費用もバカにならないような金額で、確か2千万バーツ弱(7千万円くらい?)だとか言っていました。
まあ、実際の費用はその数割かで、残りは学校側と業者などの関係者の懐に入るのでしょうから、そう言う金額になるのも頷けますが…。
そう言えば、つい先日も、この学校で今年から赴任した新校長の金銭にまつわる良くない噂がFacebook上で暴露されており、今日の保護者会の会場でも、その事実を否定する旨と、「そのFacebookの内容に対し、「いいね!」を押したり、シェアした場合に処罰の対象になる可能性がある」と言う、まるで脅しのような事を記したプリントが配られました。
私としては、どうせタイの公務員なんて、多かれ少なかれ不正行為をしてお小遣いを稼いだり財産を築いたりしているのだから、この新校長とその取り巻きが、賄賂を受け取っていたとしても、ごく当たり前の事のようにしか思えず、こんな下らないタイ社会の慣習をここで問題にするのもいい加減時間の無駄なので止めてくれないかな…と思いました。
さて、その莫大な費用で建設された学校自慢のトタン屋根の集会場の下で始まった保護者会ですが、まずはそこで学校側からの自慢話やら、学校関係者の有り難い話だとかを延々と聞かねばなりません。
それがもう眠いの何の…。
長女には、スマホのゲームでもやってれば?などと言うアドバイス(?)を受けていたのですが、さすがに音声無しでも、画面にアニメの画像などが出て来るので、いい歳をして堂々とは出来ないな…と遠慮しました。
仕方ないので、その間に保護者会に来ている保護者たちの服装などをチェック。
左のレース生地のブラウスのお母さん(おばあちゃん?タイの保護者会は祖父母の参加も多いので。)は、上から下まで保護者会の為に一張羅を着て来たと言う力の入れ様が窺える服装でした。
オイルで撫で付けてテカテカした長髪を三つ編みで揃え、耳にはおそらくお出掛け用の大きめの金のピアス。
そして、おそらくこういう特別な日か、お寺にタムブンする日に着て行くであろう綺麗なレース生地のブラウスに、普段は履かないような黒のパンツと極め付けの見るからに買ったばかりのピンクのサンダル。
そして、右のオレンジ色のポロシャツのお母さんは、今まさに旬のASEAN柄(ASEAN諸国の民族衣装を着て不自然に手を繋いでいる柄)が背中に刺繍されたASEANポロシャツ。
このオレンジ色もASEANカラーで今年の流行りです。
大体、田舎の保護者会や学校の保護者参加のイベントに行けば行くほど、この手のファッションがほとんどになります。
普段農作業服を着ているお母さんお父さんたちは、この手の国を挙げて流行っている同色のポロシャツを着る事が一番のオシャレになるのです。
今年は、このオレンジのASEANカラーですが、数年前は国王即位60周年記念の黄色のポロシャツが国中で流行り、我が家にも貰い物で数枚の黄色いポロシャツがありました。
その後は、ピンク、水色の年もあり、今年はこのオレンジが旬なのです。
私たちから見れば、何の事は無い派手なだけのポロシャツですが、これが彼女にとっての一張羅なのでしょう。
…とそんな事を考えているうちに何とか退屈な時間も過ぎ、ようやくホームルームでクラス毎の保護者会になりました。
掲示板に書かれている表示に従って、それぞれのクラスに入り保護者会の本番です。
実は、もう今年になって半年以上経ってしまったのですが、今年の保護者会は今回が初めてなのです。
前回は、ドームでの演説拝聴に終始して、クラス別での保護者会は開催されず、何の為に来たのか?と疑問に思ったほどです。
そういう事で、今年初めてのクラスの保護者会なので…と、一人ずつ自己紹介をということになりました。
私は、普段は保護者会では目立たないように心がけて静かにしているのですが、今回は先日私が日本人だと知った担任の先生から目を付けられてしまい、何かと話を振られるので、終始緊張していました。
自己紹介もまるでタイ語の教科書のように、とりあえず自分の名を名乗り、子供の名を出して子供との関係を言っただけで、普段大勢の前で喋らないので声が上擦ってしまいました。
最後に、ちょうど問題の校長先生が視察に入って来て、そこでまた担任の先生が「こちらのお母さんは日本の方なんですよ。」と余計な紹介をされ、校長先生も、「実は私も日本語の授業も開講したいと思っているんですよ。」などと言われました。
家に帰って来てから、その事を考えて「これで家の商売は夫に任せて、外に出て働くのもいいな…。」と考えたのですが、長女に外国人教師の給料を聞いたところ、時給300バーツで、一ヶ月当たり9,000バーツから15,000バーツだと言うので、その程度の金額では、私が家で商売した方が稼げるに決まっているから、夫が納得する訳が無いな…と諦めたのでした。
2014年11月22日
タイ人ニート
長男の小学校時代の同級生で、その小学校の校門の真ん前に家があり、両親が教師をしていると言う子がいた。
その子は家の前の小学校を卒業後、長男も入学したチャイヤプム市内の公立中高校の入試に失敗したが、後から特別枠(寄付金2万〜3万を支払う=つまり正規の裏口)で入学したと言う事だった。
しかし、本人の実力が伴わなかったのと、おそらく親の意向での進路選択に無理が出て来たのか、何とか一年目は通学したものの、2年目から姿が見えなくなった…と長男が言っていた。
それから6年以上経って、最近末っ子のミックの送迎時に、その小学校の校門前の彼の自宅付近で、すっかり成人した姿を見掛けるようになった。
別に、朝と言わず夕方と言わず、家の庭辺りでブラブラしている、こういうのを日本ではニートと言うのだな…と、数年前に初めてネットで覚えた現代の日本語を思い出していた。
話は逸れるが、日本を離れてからのこの十年余りに、私の知らない日本語の語彙がどんどん増えている。
最初はネットも繋がらない状況だったので、離れ小島にいるように、知らない言葉が増えていること自体を知らない…と言う生活だったが、最近はちょっとネットをしていると、すぐにぶち当たる知らない流行り言葉の数々をさらにネットで調べると言う生活になった。
この『ニート』と言う言葉もその一つだった。
確か、アニメ関係のキャラソンの歌詞にあって、すぐに意味を調べたものだった。
そうしたら、私よりも長男の方が先に知っていて、そういう大抵の流行り言葉や、新しい言葉は私より長男の方が詳しくなっていると言う事に驚いたのだった。
さて話を戻して、その長男の同級生だったタイ人ニート君の姿を見掛ける様になってからしばらくして、それまでその家で車庫として使われていた家屋脇のスペースを改築して、この辺りの田舎ではまだ珍しい、入り口と側面がガラス窓とサッシで出来た小型のコンビニのような店舗が出来た。
確かに、小学校の目の前なので、駄菓子屋などをするには立地条件はいいな…と思っていたのだが、両親は教師なので、またタイ人公務員お得意の副業か?と思っていたら、いつの間にか開店していたその駄菓子屋には、例の長男の同級生が座って店番をしていた。
おそらく、学校も満足に卒業していない、別に何をする気力もない息子に困って、親がお膳立てしたに違いないのだが、タイのニートの良いところは、タイ人は基本的に「親の言う事は聞くもの」と言う観念が赤ちゃん時代から刷り込まれているので、親にはほとんどの場合反抗したりしない。
例えば、どんなに悪行を重ねた犯人でも、自分の母親には頭が上がらなかったり、こういうニート生活を送っているような人間でも、親の言う事にはかなり従順だったりする。
そして、タイの田舎の家屋は基本的にオープンハウス状態なので、引き蘢りたくても引き蘢れない…と言うより『引き蘢る』と言う観念がないのかも知れない。
こうして、少しばかりのニート生活を経験した彼も、今ではすっかり社会の一員。
『学校の前の駄菓子屋のお兄さん』として、社会人デビューを果たしてしまった。
我が家の末っ子ミックもすっかり常連になって、この自分の兄と同級生の『お兄さん』に懐いてしまった。
彼はこのまま、学校の前の駄菓子屋の店主として、この小さい村の中で過ごして行くのかも知れないが、それはそれで人生の選択肢の一つであるのだな…と思った。
左側が学校の校門。右の家が元ニート君の自宅兼店舗。
その子は家の前の小学校を卒業後、長男も入学したチャイヤプム市内の公立中高校の入試に失敗したが、後から特別枠(寄付金2万〜3万を支払う=つまり正規の裏口)で入学したと言う事だった。
しかし、本人の実力が伴わなかったのと、おそらく親の意向での進路選択に無理が出て来たのか、何とか一年目は通学したものの、2年目から姿が見えなくなった…と長男が言っていた。
それから6年以上経って、最近末っ子のミックの送迎時に、その小学校の校門前の彼の自宅付近で、すっかり成人した姿を見掛けるようになった。
別に、朝と言わず夕方と言わず、家の庭辺りでブラブラしている、こういうのを日本ではニートと言うのだな…と、数年前に初めてネットで覚えた現代の日本語を思い出していた。
話は逸れるが、日本を離れてからのこの十年余りに、私の知らない日本語の語彙がどんどん増えている。
最初はネットも繋がらない状況だったので、離れ小島にいるように、知らない言葉が増えていること自体を知らない…と言う生活だったが、最近はちょっとネットをしていると、すぐにぶち当たる知らない流行り言葉の数々をさらにネットで調べると言う生活になった。
この『ニート』と言う言葉もその一つだった。
確か、アニメ関係のキャラソンの歌詞にあって、すぐに意味を調べたものだった。
そうしたら、私よりも長男の方が先に知っていて、そういう大抵の流行り言葉や、新しい言葉は私より長男の方が詳しくなっていると言う事に驚いたのだった。
さて話を戻して、その長男の同級生だったタイ人ニート君の姿を見掛ける様になってからしばらくして、それまでその家で車庫として使われていた家屋脇のスペースを改築して、この辺りの田舎ではまだ珍しい、入り口と側面がガラス窓とサッシで出来た小型のコンビニのような店舗が出来た。
確かに、小学校の目の前なので、駄菓子屋などをするには立地条件はいいな…と思っていたのだが、両親は教師なので、またタイ人公務員お得意の副業か?と思っていたら、いつの間にか開店していたその駄菓子屋には、例の長男の同級生が座って店番をしていた。
おそらく、学校も満足に卒業していない、別に何をする気力もない息子に困って、親がお膳立てしたに違いないのだが、タイのニートの良いところは、タイ人は基本的に「親の言う事は聞くもの」と言う観念が赤ちゃん時代から刷り込まれているので、親にはほとんどの場合反抗したりしない。
例えば、どんなに悪行を重ねた犯人でも、自分の母親には頭が上がらなかったり、こういうニート生活を送っているような人間でも、親の言う事にはかなり従順だったりする。
そして、タイの田舎の家屋は基本的にオープンハウス状態なので、引き蘢りたくても引き蘢れない…と言うより『引き蘢る』と言う観念がないのかも知れない。
こうして、少しばかりのニート生活を経験した彼も、今ではすっかり社会の一員。
『学校の前の駄菓子屋のお兄さん』として、社会人デビューを果たしてしまった。
我が家の末っ子ミックもすっかり常連になって、この自分の兄と同級生の『お兄さん』に懐いてしまった。
彼はこのまま、学校の前の駄菓子屋の店主として、この小さい村の中で過ごして行くのかも知れないが、それはそれで人生の選択肢の一つであるのだな…と思った。
左側が学校の校門。右の家が元ニート君の自宅兼店舗。
2014年11月12日
Japan qualityの幻想
先日書いた記事の中で、先週の日曜日に長男の新学期に伴い、オートバイなどを大学の寮まで運ぶ必要があるので、店を半休にしてコラートまで久しぶりに出掛けて来た…と言う事を書いた。
以前は、トラクターの部品の仕入れも兼ねて、月に一度程度は出掛けていたコラートだったが、最近はその仕入れはバンコクの業者に直接注文するようになったのと、私自身が重度の引き篭もりになってしまったので、もう一年近く出掛けていなかったと思う。
だが今回は、先学期の自転車での学内移動では夜中の講義が受けられなかったと言う長男が、オートバイを持って行く事を希望したので、それに乗じて久々の家族サービスに日本食レストランでご馳走しようと言う夫の思惑が重なり、「家族揃ってコラートに行こう。」と言う事になった。
私は、別に楽しみがあった訳でもなかったが、強いて言えば、THE MALLに入っているヤマザキパンで、日本と変わらないパンを買いたいと言うのと、やはりTHE MALLの中にあるスーパーで、チャイヤプムでは手に入らない日本からの輸入食品を買いたいと言う目的があった。
そしてそこで手に入れたのが、これ。
これは、たまに一緒に作っている型抜きクッキーが大好きなミックが、クッキーの型のレパートリーを増やそうと目敏く見つけた物だ。
おそらく日本で言えば百円ショップなどのレベルの商品なのだろうが、タイでもここイサーンの田舎では、バンコクには進出している「ダイソー」などはないので、ここでしか見つけられない掘り出し物である。
そしてこれが私の今回の掘り出し物。
もうタイでのお弁当作りも十年以上になるが、いつも日本のお弁当のようにきれいなお弁当を作って上げたいと言うのが長年の夢だった。
何しろ、タイ人の作るお弁当と言えば、普通にご飯を入れて上におかずを載せただけの打っ掛けご飯だったり、あるいは上半分が赤い油で埋まっている辛い炒め物や汁物類をビニール袋に入れて持って来て、やはりご飯に打っ掛ける…と言うパターンである。
それでなければ、タイ人弁当の王道、「カオニャオ&ガイヤーン」(蒸し餅米と焼き鳥)か、「カオニャオ&ムウピン」(蒸し餅米と豚の串焼き)である。
子供たちが言うには、タイの子供たちのほとんどはこの「カオニャオ&…」のご飯セットを、朝から食べていると言う。
中には、幼稚園から高校を卒業するまで、朝ご飯と昼ご飯がこの「カオニャオセット」だったと言う子供も少なくない。
タイの母親たちは、一体何をしているのか…?と思うが、働く女性が多いタイの母親は、子供のお弁当作りに掛ける時間があったら、貴重な睡眠時間に充てたいと言うことらしい。
そして、タイの社会もそういう母親を応援するように、朝早くからこうした食べ物を売る屋台が道端に並んでいる。
しかし私はやはり日本人なので、大事な子供たちにそんな食生活をさせるくらいなら、自分の睡眠時間を削ってでも…と思い、毎朝4時半起きでお弁当作りに勤しんでいる。
ずいぶん話が逸れたが、ネットの料理サイトなどで、「明日のお弁当のおかず何にしよう…。」などと見ていると、必ず可愛いお弁当箱にきれいに詰め込まれた見本のようなお弁当が目に入る。
キャラ弁とまでは行かなくても、せめて見た目にも食欲をそそるような物が作りたいと思っていたが、ここで手に入る材料ではやはりタイ式の「おかず打っ掛け弁当」のおかずの種類が少し増えた程度の物しか出来なかった。
そして、タイの弁当に慣れている子供たちの詰め方も、ご飯の上に乗せるだけのもので、せっかくいろいろお弁当の研究をしても、今ひとつ味気ないお弁当に終わっていた。
それでいつも欲しいと思っていたのが、このお弁当の仕切りのカップである。
私は、アルミホイルで出来たカップしか知らなかったのだが、今回見つけたものはカラフルなシリコン製で、何度でも洗って繰り返し使えるのが素晴らしい。
年に数回、日本からの応援物資を運んでくれる友人に頼もうと思ったこともあったのだが、まあどうしても…と言うものでもないし、何しろアルミホイルは使い捨てなので、頼んでいたらキリがないと思って諦めていたのだった。
こういう日本風の便利品を手に入れられて、久々のコラートも無駄ではなかった…と思っていた。
ところが今回入手した物の中で、このお弁当箱用に買った保存容器に、見事に期待を裏切られてしまった。
これは、二つ組で売っていた保存容器で、値段が69バーツと言う物だった。
下のカタログでは参考上代が200円となっているが、おそらく100円ショップに並んでいる程度の商品かも知れない。
だが、選んだのは値段ではなく、大きさが長女が持って行くのにちょうど良く、色もきれいだったので買ったのだが、何と使用したその日の昼食前に蓋に割れ目が入ってしまっていた。
もちろん、何か重い物を乗せたとかではなく、昼にお弁当を食べようと取り出したら、自然にヒビが入って割れていた…と言う事だった。
確かに値段も安かったので、諦めればいい事なのだろうが、せっかく日本のメーカーの保存容器を買ったのに…と言う、何とも言えない残念さが残った。
もし、百円ショップの商品だとしても、買って使ったその日に割れてしまったのでは、いくら安くても納得が行かないだろう。
私がこれを買ったのは、先ほど書いたような色や大きさの都合もあったが、容器の裏に「サナダ精工株式会社」と言う日本の製造元がしっかり記されていたからだった。
私はその文字に当然の「Japan quality」を期待していたのである。
その日、開けたらひび割れていたお弁当箱に驚いた長女が、学校から「新しいお弁当箱が割れちゃった。」と訴えて来たので、私はその日のうちにネットで製造元のサイトにアクセスし、「お問い合わせ」のページから、この状況を訴えた。
私は純粋に、こうなった原因を知りたかったし、それが分かれば二つ組だったので、もう一つ残っている容器を気をつけて使えると考えたのだった。
これが、そのメーカーのサイトに載っていた私が買って来た保存容器のカタログだった。
D-5796と言う規格品の黄緑色の商品である。
そして翌日、問い合わせの返信が届いた。
それにはこう書いてあった。
「お問い合わせ頂きまして有り難う御座います。
フィットインパック600の蓋の件でご迷惑をお掛けしまして誠に申し訳ございません。
フィットインパックは、容器の密封度を上げるために、蓋と本体の接触部を他社メーカー様よりもきつく作っております。
少しの変形や歪みが蓋の開閉時に亀裂が入ってしまう可能性があります。
申し訳ございませんが、宜しくお願い申し上げます。」
私は正直言って、この回答に呆然とした。
何を「宜しくお願い」されるのだろう?
まだまともに使ってもいないうちから、使用不可能になっては不良品ではないのだろうか?
これが使い捨ての旅行用パンツとか言うのならまだ分かる。
ここまで自覚があるのに、それをまだ市場に送り出している事が理解出来ない。
普通、不具合があればメーカーが改良するなり、回収して販売中止するなりするのが、日本の常識ではなかったのか?
これでは、タイと変わらない。
昔、タイに来たばかりの頃に冷蔵庫を買って、その棚のガラスが数ヶ月で割れてしまって、シャープの製品だったので現地法人の会社にクレームの電話を入れたら、応対したお姉さんに、「それはあなたが重い物を乗せたからでしょう。」と即答で言われてしまったのを思い出す。
別に、私は鉛の塊や漬物石を乗せた訳ではない。
普通に冷蔵庫に保存するべき物を入れていただけである。
それ以来、タイでは消費者に対して責任を取らない、と言うのが私の中での常識になった。
だから、賞味期限前に飲もうとしたら、すっかりヨーグルト状態になっていた牛乳や、買って来て飲もうとしたら、発酵していたオレンジジュースなども、「運が悪かった…」と諦めて処分する事を覚えた。
しかし、今回買って来たのが日本のメーカーの商品だったので、クレームの対応に当然のように期待をしてしまっていたのだ。
別に商品を取り替えろと言うのではない、せめて使用上の注意のような、対処法を示して欲しかった。
その程度の責任を見せて欲しかっただけなのである。
それが、この回答では、「まあ、こういう物なので仕様がないんですよ。わかってくださいよ。」と言う何とも投げやりと言うか、無責任な回答にしか思えず、これが日本のメーカーの対応か?とがっかりしたのだった。
それとも、長く日本を離れているうちに、私自身が日本と言う国を美化し過ぎて、「Japan quality」に幻想を抱いてしまっているだけに過ぎないのか…。
そうして、クレームの対応メールにあった、「可能性がある」と言う言葉ににかけて、「今度は割れないかも知れない可能性もある」と言い聞かせて、その翌日にまた長女に二つ組の残りの新しいお弁当箱を持たせた。
結果は…。
見事に、その翌日にまた亀裂が入っていた。
しかも、今度は思い切り縦横断する形に…。
結局、下のみ無事に残ったその二つの保存容器は、我が家で「簡易受け皿」として生き延びて行く事になったのである。
以前は、トラクターの部品の仕入れも兼ねて、月に一度程度は出掛けていたコラートだったが、最近はその仕入れはバンコクの業者に直接注文するようになったのと、私自身が重度の引き篭もりになってしまったので、もう一年近く出掛けていなかったと思う。
だが今回は、先学期の自転車での学内移動では夜中の講義が受けられなかったと言う長男が、オートバイを持って行く事を希望したので、それに乗じて久々の家族サービスに日本食レストランでご馳走しようと言う夫の思惑が重なり、「家族揃ってコラートに行こう。」と言う事になった。
私は、別に楽しみがあった訳でもなかったが、強いて言えば、THE MALLに入っているヤマザキパンで、日本と変わらないパンを買いたいと言うのと、やはりTHE MALLの中にあるスーパーで、チャイヤプムでは手に入らない日本からの輸入食品を買いたいと言う目的があった。
そしてそこで手に入れたのが、これ。
これは、たまに一緒に作っている型抜きクッキーが大好きなミックが、クッキーの型のレパートリーを増やそうと目敏く見つけた物だ。
おそらく日本で言えば百円ショップなどのレベルの商品なのだろうが、タイでもここイサーンの田舎では、バンコクには進出している「ダイソー」などはないので、ここでしか見つけられない掘り出し物である。
そしてこれが私の今回の掘り出し物。
もうタイでのお弁当作りも十年以上になるが、いつも日本のお弁当のようにきれいなお弁当を作って上げたいと言うのが長年の夢だった。
何しろ、タイ人の作るお弁当と言えば、普通にご飯を入れて上におかずを載せただけの打っ掛けご飯だったり、あるいは上半分が赤い油で埋まっている辛い炒め物や汁物類をビニール袋に入れて持って来て、やはりご飯に打っ掛ける…と言うパターンである。
それでなければ、タイ人弁当の王道、「カオニャオ&ガイヤーン」(蒸し餅米と焼き鳥)か、「カオニャオ&ムウピン」(蒸し餅米と豚の串焼き)である。
子供たちが言うには、タイの子供たちのほとんどはこの「カオニャオ&…」のご飯セットを、朝から食べていると言う。
中には、幼稚園から高校を卒業するまで、朝ご飯と昼ご飯がこの「カオニャオセット」だったと言う子供も少なくない。
タイの母親たちは、一体何をしているのか…?と思うが、働く女性が多いタイの母親は、子供のお弁当作りに掛ける時間があったら、貴重な睡眠時間に充てたいと言うことらしい。
そして、タイの社会もそういう母親を応援するように、朝早くからこうした食べ物を売る屋台が道端に並んでいる。
しかし私はやはり日本人なので、大事な子供たちにそんな食生活をさせるくらいなら、自分の睡眠時間を削ってでも…と思い、毎朝4時半起きでお弁当作りに勤しんでいる。
ずいぶん話が逸れたが、ネットの料理サイトなどで、「明日のお弁当のおかず何にしよう…。」などと見ていると、必ず可愛いお弁当箱にきれいに詰め込まれた見本のようなお弁当が目に入る。
キャラ弁とまでは行かなくても、せめて見た目にも食欲をそそるような物が作りたいと思っていたが、ここで手に入る材料ではやはりタイ式の「おかず打っ掛け弁当」のおかずの種類が少し増えた程度の物しか出来なかった。
そして、タイの弁当に慣れている子供たちの詰め方も、ご飯の上に乗せるだけのもので、せっかくいろいろお弁当の研究をしても、今ひとつ味気ないお弁当に終わっていた。
それでいつも欲しいと思っていたのが、このお弁当の仕切りのカップである。
私は、アルミホイルで出来たカップしか知らなかったのだが、今回見つけたものはカラフルなシリコン製で、何度でも洗って繰り返し使えるのが素晴らしい。
年に数回、日本からの応援物資を運んでくれる友人に頼もうと思ったこともあったのだが、まあどうしても…と言うものでもないし、何しろアルミホイルは使い捨てなので、頼んでいたらキリがないと思って諦めていたのだった。
こういう日本風の便利品を手に入れられて、久々のコラートも無駄ではなかった…と思っていた。
ところが今回入手した物の中で、このお弁当箱用に買った保存容器に、見事に期待を裏切られてしまった。
これは、二つ組で売っていた保存容器で、値段が69バーツと言う物だった。
下のカタログでは参考上代が200円となっているが、おそらく100円ショップに並んでいる程度の商品かも知れない。
だが、選んだのは値段ではなく、大きさが長女が持って行くのにちょうど良く、色もきれいだったので買ったのだが、何と使用したその日の昼食前に蓋に割れ目が入ってしまっていた。
もちろん、何か重い物を乗せたとかではなく、昼にお弁当を食べようと取り出したら、自然にヒビが入って割れていた…と言う事だった。
確かに値段も安かったので、諦めればいい事なのだろうが、せっかく日本のメーカーの保存容器を買ったのに…と言う、何とも言えない残念さが残った。
もし、百円ショップの商品だとしても、買って使ったその日に割れてしまったのでは、いくら安くても納得が行かないだろう。
私がこれを買ったのは、先ほど書いたような色や大きさの都合もあったが、容器の裏に「サナダ精工株式会社」と言う日本の製造元がしっかり記されていたからだった。
私はその文字に当然の「Japan quality」を期待していたのである。
その日、開けたらひび割れていたお弁当箱に驚いた長女が、学校から「新しいお弁当箱が割れちゃった。」と訴えて来たので、私はその日のうちにネットで製造元のサイトにアクセスし、「お問い合わせ」のページから、この状況を訴えた。
私は純粋に、こうなった原因を知りたかったし、それが分かれば二つ組だったので、もう一つ残っている容器を気をつけて使えると考えたのだった。
これが、そのメーカーのサイトに載っていた私が買って来た保存容器のカタログだった。
D-5796と言う規格品の黄緑色の商品である。
そして翌日、問い合わせの返信が届いた。
それにはこう書いてあった。
「お問い合わせ頂きまして有り難う御座います。
フィットインパック600の蓋の件でご迷惑をお掛けしまして誠に申し訳ございません。
フィットインパックは、容器の密封度を上げるために、蓋と本体の接触部を他社メーカー様よりもきつく作っております。
少しの変形や歪みが蓋の開閉時に亀裂が入ってしまう可能性があります。
申し訳ございませんが、宜しくお願い申し上げます。」
私は正直言って、この回答に呆然とした。
何を「宜しくお願い」されるのだろう?
まだまともに使ってもいないうちから、使用不可能になっては不良品ではないのだろうか?
これが使い捨ての旅行用パンツとか言うのならまだ分かる。
ここまで自覚があるのに、それをまだ市場に送り出している事が理解出来ない。
普通、不具合があればメーカーが改良するなり、回収して販売中止するなりするのが、日本の常識ではなかったのか?
これでは、タイと変わらない。
昔、タイに来たばかりの頃に冷蔵庫を買って、その棚のガラスが数ヶ月で割れてしまって、シャープの製品だったので現地法人の会社にクレームの電話を入れたら、応対したお姉さんに、「それはあなたが重い物を乗せたからでしょう。」と即答で言われてしまったのを思い出す。
別に、私は鉛の塊や漬物石を乗せた訳ではない。
普通に冷蔵庫に保存するべき物を入れていただけである。
それ以来、タイでは消費者に対して責任を取らない、と言うのが私の中での常識になった。
だから、賞味期限前に飲もうとしたら、すっかりヨーグルト状態になっていた牛乳や、買って来て飲もうとしたら、発酵していたオレンジジュースなども、「運が悪かった…」と諦めて処分する事を覚えた。
しかし、今回買って来たのが日本のメーカーの商品だったので、クレームの対応に当然のように期待をしてしまっていたのだ。
別に商品を取り替えろと言うのではない、せめて使用上の注意のような、対処法を示して欲しかった。
その程度の責任を見せて欲しかっただけなのである。
それが、この回答では、「まあ、こういう物なので仕様がないんですよ。わかってくださいよ。」と言う何とも投げやりと言うか、無責任な回答にしか思えず、これが日本のメーカーの対応か?とがっかりしたのだった。
それとも、長く日本を離れているうちに、私自身が日本と言う国を美化し過ぎて、「Japan quality」に幻想を抱いてしまっているだけに過ぎないのか…。
そうして、クレームの対応メールにあった、「可能性がある」と言う言葉ににかけて、「今度は割れないかも知れない可能性もある」と言い聞かせて、その翌日にまた長女に二つ組の残りの新しいお弁当箱を持たせた。
結果は…。
見事に、その翌日にまた亀裂が入っていた。
しかも、今度は思い切り縦横断する形に…。
結局、下のみ無事に残ったその二つの保存容器は、我が家で「簡易受け皿」として生き延びて行く事になったのである。
2014年11月07日
ローイクラトンに思う。
今日(日本時間では昨日ですが…)はローイクラトンでした。
昨日の夕方、末っ子のミックが何やら紙切れにメモを書き始めました。
「ねえメー(私の事)、クルワイ(バナナ)ってコーカイ(鶏のコー)の次に何て書くんだっけ?」
と聞いて来たので、何事かと思ったら、今日のローイクラトンの為に学校で手作りのカトンを作るための材料を、書いていたのです。
それを、昨夜義母の所に行った帰りに、そのままチャイヤプム市内へと繰り出して、友人と遊んで朝帰りだったため、午後から居間の真ん中ですっかり眠りこけている父親に貼付けておきました。
さて朝が来て、これでもかと眠り続けた末にようやく起きた父親が、昨日の所業を反省してか、いそいそとバナナの幹と葉を用意してくれました。
それをビニール袋に入れて学校へ持って行き、ほぼ丸一日授業そっちのけで製作した作品がこれです。
本人は、何時間も掛けてやっと出来たのに、流してしまうのはもったいない…と最後まで惜しそうにしていました。
それでも、最後には流す事に…。
だいぶ、岸から離れて行きました。
さて、このバナナの幹と葉を使って作るカトンは、私が学生時代にパタニーに留学していた時も授業で作った事もあるくらいで、昔ながらの自然の材料を用いたカトンです。
しかし、私が覚えている限りでは、長男や長女が小学生だった頃は、この手の自然材料を使ったカトン作りよりも先生が率先して、発砲スチロールの土台に色とりどりの花紙を使った、軽くて値段も手頃なカトン作りが主流でした。
このカトンの良いところは、
1、材料を探す手間がいらない(文房具店で売っている、もしくは先生が一括購入して来て、学校で販売する。)。
2、発泡スチロールの土台に、紙を貼付けるだけで、簡単に製作出来る。
3、軽いので絶対に浮く、沈む心配がない。
などで、かなり長い間、このカトンが学校で製作するカトンの主流だった時期がありました。
しかしここ数年、外国からの影響で、タイにも名ばかりのエコブームが到来し、カトン作りにも「昔ながらの自然材料を使ったカトン」が蘇りました。
それが、ここ数年の「昔ながらのバナナカトン」や、花の形に焼き上げたパンにろうそくとお線香をブスブスと刺した「パンカトン」などの、自然に帰る材料で作ったカトンの復活になったのです。
ここで、カトンの話から逸れますが、このタイの「なんちゃってエコブーム」、私には「タイでエコなんて無理無理…。」としか思えないのです。
外国の世論に影響された一部の学識者層が盛んにエコを叫んでも、タイのほとんどを占める庶民層には、はっきり言って全く届いていません。
買い物をして、手で持てば済むくらいの物でも、わざわざ買い物袋を要求する人々。
タイで当たり前の、道端や市場で売っている練り物や肉団子、焼き豚などの軽食類の買い食いや、袋や紙コップ入りのジュースなどを飲食しながら、食べた後は何の躊躇も無く、道路上でもどこでもポイ捨てする人々。
暑いからと、エンジンを掛けたままで何時間でも駐車している人々。
こういう生活が当たり前に馴染んだタイで、エコに対する努力が出来ない一番の原因は、「自分が良ければ良い。」と言う、タイ人の性格にあると思うのです。
スポーツも個人競技は良くても、団体競技は苦手と言うのがそれを物語っているでしょう。
例えば、よくCMで流れている、みんなで力を合わせてエンストした車を押したり…と言う「一瞬の仲間意識」はあっても、長い間自分を抑えて協力し合うと言う、協調性の持久力が無いのです。
基本的に個人主義な人々なので、エコのようなすぐに結果の出ない、地道な活動には向いていないのでしょう。
と、今朝夫が切って来たバナナの幹や葉を見ながら、こんな事を思った訳です。
それに、せっかくエコの為に…と自然材料のカトンに戻ったのはいいものの、毎年この「ローイクラトン」の為に伐採されるバナナの樹は、タイ全体では一体どれくらいになるのだろう?と言う疑問が湧きました。
それこそ、半端な数ではないだろうし、それだったら発砲スチロールのカトンを流して、後始末で河川や沼のゴミ浚いをしっかりした方が、よほど地球環境の為になるのでは?などと考えてしまいます。
そんなことを考えながら、今日はしみじみと道端のバナナの樹を眺めていました。
昨日の夕方、末っ子のミックが何やら紙切れにメモを書き始めました。
「ねえメー(私の事)、クルワイ(バナナ)ってコーカイ(鶏のコー)の次に何て書くんだっけ?」
と聞いて来たので、何事かと思ったら、今日のローイクラトンの為に学校で手作りのカトンを作るための材料を、書いていたのです。
それを、昨夜義母の所に行った帰りに、そのままチャイヤプム市内へと繰り出して、友人と遊んで朝帰りだったため、午後から居間の真ん中ですっかり眠りこけている父親に貼付けておきました。
さて朝が来て、これでもかと眠り続けた末にようやく起きた父親が、昨日の所業を反省してか、いそいそとバナナの幹と葉を用意してくれました。
それをビニール袋に入れて学校へ持って行き、ほぼ丸一日授業そっちのけで製作した作品がこれです。
本人は、何時間も掛けてやっと出来たのに、流してしまうのはもったいない…と最後まで惜しそうにしていました。
それでも、最後には流す事に…。
だいぶ、岸から離れて行きました。
さて、このバナナの幹と葉を使って作るカトンは、私が学生時代にパタニーに留学していた時も授業で作った事もあるくらいで、昔ながらの自然の材料を用いたカトンです。
しかし、私が覚えている限りでは、長男や長女が小学生だった頃は、この手の自然材料を使ったカトン作りよりも先生が率先して、発砲スチロールの土台に色とりどりの花紙を使った、軽くて値段も手頃なカトン作りが主流でした。
このカトンの良いところは、
1、材料を探す手間がいらない(文房具店で売っている、もしくは先生が一括購入して来て、学校で販売する。)。
2、発泡スチロールの土台に、紙を貼付けるだけで、簡単に製作出来る。
3、軽いので絶対に浮く、沈む心配がない。
などで、かなり長い間、このカトンが学校で製作するカトンの主流だった時期がありました。
しかしここ数年、外国からの影響で、タイにも名ばかりのエコブームが到来し、カトン作りにも「昔ながらの自然材料を使ったカトン」が蘇りました。
それが、ここ数年の「昔ながらのバナナカトン」や、花の形に焼き上げたパンにろうそくとお線香をブスブスと刺した「パンカトン」などの、自然に帰る材料で作ったカトンの復活になったのです。
ここで、カトンの話から逸れますが、このタイの「なんちゃってエコブーム」、私には「タイでエコなんて無理無理…。」としか思えないのです。
外国の世論に影響された一部の学識者層が盛んにエコを叫んでも、タイのほとんどを占める庶民層には、はっきり言って全く届いていません。
買い物をして、手で持てば済むくらいの物でも、わざわざ買い物袋を要求する人々。
タイで当たり前の、道端や市場で売っている練り物や肉団子、焼き豚などの軽食類の買い食いや、袋や紙コップ入りのジュースなどを飲食しながら、食べた後は何の躊躇も無く、道路上でもどこでもポイ捨てする人々。
暑いからと、エンジンを掛けたままで何時間でも駐車している人々。
こういう生活が当たり前に馴染んだタイで、エコに対する努力が出来ない一番の原因は、「自分が良ければ良い。」と言う、タイ人の性格にあると思うのです。
スポーツも個人競技は良くても、団体競技は苦手と言うのがそれを物語っているでしょう。
例えば、よくCMで流れている、みんなで力を合わせてエンストした車を押したり…と言う「一瞬の仲間意識」はあっても、長い間自分を抑えて協力し合うと言う、協調性の持久力が無いのです。
基本的に個人主義な人々なので、エコのようなすぐに結果の出ない、地道な活動には向いていないのでしょう。
と、今朝夫が切って来たバナナの幹や葉を見ながら、こんな事を思った訳です。
それに、せっかくエコの為に…と自然材料のカトンに戻ったのはいいものの、毎年この「ローイクラトン」の為に伐採されるバナナの樹は、タイ全体では一体どれくらいになるのだろう?と言う疑問が湧きました。
それこそ、半端な数ではないだろうし、それだったら発砲スチロールのカトンを流して、後始末で河川や沼のゴミ浚いをしっかりした方が、よほど地球環境の為になるのでは?などと考えてしまいます。
そんなことを考えながら、今日はしみじみと道端のバナナの樹を眺めていました。
2014年11月04日
新学期が始まりました。
今日は11月3日、日本では『文化の日』で祝日でしたね。(と、書きながら慌てて「文化の日」で間違っていないか調べる私。私がタイに来てから、十数年の間に、祝日や休日が変更されたりして、実は私の記憶で合っているのかよく分からなくなってしまったのです。)
私は、普段通り仕事をしながら伝票などを書いていて、「あ、今日は11月3日、確か『文化の日』だったな…。」などと思いながら、日付を確認していました。
さて、日本の『文化の日』は私の思い出の中だけで処理して置いて、我が家の今日11月3日は、長男と末っ子の新学期開始日でした。
まあ、地元の小学校に通っている末っ子については、また今日から朝夕の送り迎えが始まる…程度の事ですが、コラートのスラナリー技術工科大学(以前、イサーンに埋没中時代には『スラナリー工科大学』と訳していたと思うのですが、最近見つけたサイトで「技術工科大学』と訳されていたので、それが正式なのだろうと書き換えました。)に通う長男は、今日からの授業開始に向けて、昨日オートバイを乗せたピックアップで、コラートの外れにある大学構内の寮まで送って来ました。
他の大学はそうではないと言う事ですが、長男の通う大学は3学期制になっていて、今回の休みは2週間程度でした。
以前、入学前はこの大学の機械工学部に入って、「飛行機の整備士か、鉄道のレールを整備したい」と言っていた長男ですが、その後長男の成績を見た父親や親戚の勧めで、「機械工学より電気工学に進んだ方が、地元の電気局には知り合いも多いから、就職に有利だ。」と言う事になり、2年次から電気工学部に変更しました。
私は「え?そんなに簡単に夢を諦めるの?」と拍子抜けしたのですが、本人にとっては、『将来の夢』と言うより「職業の選択肢の一つ」くらいのものだったようで、長男の「堅実に就職して安定した収入を得る」と言う本来の目標から見れば、どちらも変わらなかったようです。
こちらでは、すぐに周囲の大人が「あれになれ、これがいい。」とその場の思いつきで子供の将来の選択に余計な口を出して来るので、私は「少し黙っていてよ。」といつも言いたくなりますが、これがタイなのでしょう。
年功序列、有能無能に関係なく大人が子供を操ろうとする…これがタイの社会です。
まあ、またタイの社会の批判をし出すと止まらないので止めて置きます。
ところで、先ほど長男の大学の正式訳名を見つけたサイトと言うのが、長男が2年次から受けている『日本語』の授業を教えておられる水崎泰蔵教授のページでした。
水崎教授のお名前は、毎週末帰省する長男からその授業の様子や内容と共に聞いていたのです。
しかし、以前はちょうどそのサイトに辿り着かず、長男の言う「厳しそうな感じと覚悟を持った感じが、昔のサムライみたいに格好いい人」と言う感想を聞いて、勝手に想像していたのですが、そのサイトでお顔を拝見することが出来ました。
いつも書いているように、私は普段、年に一人二人の日本人に会うかどうかの生活なので、そういう「立派な古き良き日本人」のような方が、長男の通う大学に居られると思うと、まだお会いしてもいないのに何だかとても心強く思えて、いつかお会い出来る日を…と一人楽しみにするようになりました。
とは言え、長男は今日本語を習っているところですが、日本語は基礎の基礎の幼稚園レベル。(幼稚園までを日本で過ごした為。)
本来なら、母親が日本人なのだから、普通に日本語を話し読み書きも出来る子もいるでしょう。
我が家には我が家の事情があったとは言え、日本人の子供でこのレベルでは…と、自分で日本語を教えて来なかった事が恥ずかしくもあります。
長男の話では、厳しいけれど優しい方だそうなので、こんな母親では怒られてしまうのでは…などと思ったりもします。
でも、長男も今はその水崎教授の授業の成果もあり、以前から本人の趣味だった日本の漫画、アニメの影響もあり、最近ではだいぶ難しい単語や文章が会話中に出て来て嬉しい限りです。
最近の日本の若者言葉などは、私より長男の方が知っているかも知れません。
今学期から、さらに日本語の授業に精を出して、もっと日本語の会話が増える事になれば…と今から楽しみにしています。
私は、普段通り仕事をしながら伝票などを書いていて、「あ、今日は11月3日、確か『文化の日』だったな…。」などと思いながら、日付を確認していました。
さて、日本の『文化の日』は私の思い出の中だけで処理して置いて、我が家の今日11月3日は、長男と末っ子の新学期開始日でした。
まあ、地元の小学校に通っている末っ子については、また今日から朝夕の送り迎えが始まる…程度の事ですが、コラートのスラナリー技術工科大学(以前、イサーンに埋没中時代には『スラナリー工科大学』と訳していたと思うのですが、最近見つけたサイトで「技術工科大学』と訳されていたので、それが正式なのだろうと書き換えました。)に通う長男は、今日からの授業開始に向けて、昨日オートバイを乗せたピックアップで、コラートの外れにある大学構内の寮まで送って来ました。
他の大学はそうではないと言う事ですが、長男の通う大学は3学期制になっていて、今回の休みは2週間程度でした。
以前、入学前はこの大学の機械工学部に入って、「飛行機の整備士か、鉄道のレールを整備したい」と言っていた長男ですが、その後長男の成績を見た父親や親戚の勧めで、「機械工学より電気工学に進んだ方が、地元の電気局には知り合いも多いから、就職に有利だ。」と言う事になり、2年次から電気工学部に変更しました。
私は「え?そんなに簡単に夢を諦めるの?」と拍子抜けしたのですが、本人にとっては、『将来の夢』と言うより「職業の選択肢の一つ」くらいのものだったようで、長男の「堅実に就職して安定した収入を得る」と言う本来の目標から見れば、どちらも変わらなかったようです。
こちらでは、すぐに周囲の大人が「あれになれ、これがいい。」とその場の思いつきで子供の将来の選択に余計な口を出して来るので、私は「少し黙っていてよ。」といつも言いたくなりますが、これがタイなのでしょう。
年功序列、有能無能に関係なく大人が子供を操ろうとする…これがタイの社会です。
まあ、またタイの社会の批判をし出すと止まらないので止めて置きます。
ところで、先ほど長男の大学の正式訳名を見つけたサイトと言うのが、長男が2年次から受けている『日本語』の授業を教えておられる水崎泰蔵教授のページでした。
水崎教授のお名前は、毎週末帰省する長男からその授業の様子や内容と共に聞いていたのです。
しかし、以前はちょうどそのサイトに辿り着かず、長男の言う「厳しそうな感じと覚悟を持った感じが、昔のサムライみたいに格好いい人」と言う感想を聞いて、勝手に想像していたのですが、そのサイトでお顔を拝見することが出来ました。
いつも書いているように、私は普段、年に一人二人の日本人に会うかどうかの生活なので、そういう「立派な古き良き日本人」のような方が、長男の通う大学に居られると思うと、まだお会いしてもいないのに何だかとても心強く思えて、いつかお会い出来る日を…と一人楽しみにするようになりました。
とは言え、長男は今日本語を習っているところですが、日本語は基礎の基礎の幼稚園レベル。(幼稚園までを日本で過ごした為。)
本来なら、母親が日本人なのだから、普通に日本語を話し読み書きも出来る子もいるでしょう。
我が家には我が家の事情があったとは言え、日本人の子供でこのレベルでは…と、自分で日本語を教えて来なかった事が恥ずかしくもあります。
長男の話では、厳しいけれど優しい方だそうなので、こんな母親では怒られてしまうのでは…などと思ったりもします。
でも、長男も今はその水崎教授の授業の成果もあり、以前から本人の趣味だった日本の漫画、アニメの影響もあり、最近ではだいぶ難しい単語や文章が会話中に出て来て嬉しい限りです。
最近の日本の若者言葉などは、私より長男の方が知っているかも知れません。
今学期から、さらに日本語の授業に精を出して、もっと日本語の会話が増える事になれば…と今から楽しみにしています。