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Posted by namjai at

2015年06月25日

日本での日々〜その5〜富士急ハイランド旅行

 前回の続きです…。

 何とか初めての長距離ドライブの末、秩父市の実家から雁坂峠経由で山梨県入りし、4年越しの夢の富士急ハイランドに辿り着きました。
ホテルでチェックインを済ませ、宿泊プランに含まれている富士急ハイランドのパスポートと二日目の富士サファリパークの入場券を受け取った私たちは、ホテルの係員に案内された通り地下に続く階段を降りて行くと、ホテルの裏庭から続く富士急ハイランドへの宿泊者用の優先入場口を通されて、開園時間よりも30分前に入場出来ました。

 と言っても、別に30分前からアトラクションを開始して乗れると言うのではなく、一般入場者が入って来る前に、優先的に待ち列に並べると言うだけの事でした。

 とは言え、せっかくの優先権、並ばない事には仕方ないのだが、何しろ初めての富士急ハイランド。
下見のパンフレットだけでは位置がいまいち掴めなかったので、取り敢えず入場口からすぐに見えた、何やら舞台裏のような建物に数人並んでいるのが見えたのでそこに並ぼうと次男と長女が言い、末っ子のミックもそれに続いて走り出しました。




 私は後を追いながら、それが一体何のアトラクションなのかパンフレットで確認。
何しろ日本語を読めるのは私だけなので、大急ぎで細かい説明を確認すると、それは富士急ハイランドの名物絶叫マシンの一つで、『高飛車』と言う名称のアトラクションでした。

 後から追いついた私ですが、まさかこの歳になって絶叫マシンに乗ろうとは思わないので、次男と長女はいいとして、ミックが乗車可能基準に合うのか心配で、係員のお兄さんに尋ねると、今年9歳になったミックは身長は137センチで問題ないものの、年齢制限が10歳以上と書いてあったので、つい「9歳なんですが…。」と言ってしまったら、「ああ、じゃあちょっと…。」と断られてしまいました。

 まあ、体格的には5年生くらいでも通りそうなので、黙っていれば分からなかったのですが、パンフレットの説明を読んだ私は、ミックを兄姉に任せて乗せるのが心配になってしまい、つい乗せたくない気持ちから断られるような事をわざわざ言ってしまったのだと思います。







 いくら安全に設計されているとは言っても、どんな物でも絶対と言う保証はないので、そこに乗せるのを心配した母心だったのですが、いつも名前で対等に呼んでいる兄姉は乗れるのに自分が乗れないと言う事で、すっかりへそを曲げてしまったミックを後30分以上もじっとさせて置くのも無理だろうと判断し、どうにかなだめすかして、仕方なくそのすぐ先にあったアトラクションの入り口に並ぶ事にしました。 


 ところが、私とミックが並んだ先は、『ドドンパ』と言う名称の、やはり富士急名物の絶叫マシンの一つで、これは降下角度が高飛車ほどではないものの、ほぼ垂直に降下する箇所が含まれて、しかもそのスピードがスタート直後に時速172kmに達すると言う、脅威の加速が売り物のアトラクションだったのです。




 でも、私はもう覚悟を決めて、今度も乗車基準が先ほどと同じ身長130センチ以上で、年齢10歳以上と言うのにも関わらず、係員のお兄さんがミックの身長を確認し特に年齢を聞かなかったので、今度は余計な口は挟まずそのまま通過しました。

 この機会を逃したら、今度はいつ日本の遊園地に連れて来られるか分からないと言う思いで、無理にでも乗る事にしました。
 
 そして、そのアトラクションは確かに息を吐く暇もないくらいの速度なのですが、20年ぶりくらいの絶叫マシンに生きた心地がしなかった私は、その速さを感じる余裕もなく、ただ隣に座るミックが恐怖に泣き出すのではないかとそればかりを心配して、ミックの方ばかり見ていました。

 ところが親の心配など気がつく事もなく、当のミックは思いの外このスピードマシンを楽しんでいたらしく、私の方を向いても泣くどころか余裕の笑顔でした。

 そうして私たちの方が先に終わってしまったので、例の高飛車の出口で次男と長女が出て来るのを待って合流し、次のアトラクションへ向かいましたが、もうこの頃には優先入園の特権は終わっていて、一般入場者たちがだいぶ入って来ていました。

 
 こうして、次々と乗れるだけのアトラクションを相談しながら回り、途中から単独行動に出た次男はほとんどの絶叫系マシンを制覇したそうですが、私が心配な長女とミックは私と割とゆったりしたアトラクションを中心に回りました。

 途中、お昼過ぎに合流した次男と一緒に園内の売店で、焼きそばや肉おにぎり、たこ焼きなどの日本風ファーストフードで昼食を済ませ、食後には今回の帰国で一日一個以上がお約束の「ソフトクリーム」を食べました。(長女の目標は3週間の日本滞在中、ソフトクリームを100個食べる事だったのです。)

 
 午後からは、パスポート代分の元は取ろうと張り切って(実際はすでに元は取れているのに)、また何度も絶叫マシンに乗る為に単独行動に出掛けた次男と別れて、ミックでも乗れそうな(実際なんでも乗れそうなのですが、私が付いて行けないので)お子様向けアトラクションを中心に乗りました。

 その中でもミックが気に入ったのが、これ。



 おや?何だかどこか懐かしいような気が…と思っていたら、ミックが2周目に乗っているときに気がつきました。

 アトラクションの名称は『マッド•マウス』
マウス=ネズミ=หนู…?
 そう、まさにタイで地元のお祭りに運ばれて来る移動遊園地の『เจ้าหนูมหัศจรรย์』(とんでもないネズミくん)と呼ばれる、組み立て式ジェットコースターの本家だった(と思う)のです。

 この移動遊園地の組み立て式ジェットコースターの恐怖については、以前のブログで書いた事があるのですが、タイの組み立て式ジェットコースターは、エンジンにクボタの耕耘機の原動機を使い、ジェットコースターを引っ張り上げる段階のチェーンの台部分には、移動の途中で失くしたのか、接続部分のボルトが足りなかったらしく、ペンチなどの工具で挟んで、とりあえず走行出来るように組み立ててありました。

 それでも、その恐怖のジェットコースターに3回は乗った姉弟が、今回はおそらくその本家であるこの『マッド•マウス』に乗ったので、ミックに至っては長女と一緒に3回、飽きた長女に代わって、私と一緒に4回、その後戻って来た次男と2回…と、もう係員のお姉さんに呆れられるほど乗りました。



すっかりご満悦のミック。
絶叫マシンとは比べ物にならないものの、子供騙しと思いきや、大人にとってもかなり激しい衝撃が売り物?



さすがに、日本の遊園地。
工具で一時的に留めて置くなどと言う事は有り得ませんが、とりあえず比較のため撮ってみました。
タイの移動遊園地では、この部分にロッキングプラーヤーを挟んで留めてあったのです。


 そんなこんなで、遊園地を楽しんだ子供達も疲れきって閉園時間に近づいた頃、私にとって今回の帰国でサプライズとなる出来事がありました。
このミックのお気に入りのジェットコースターに乗って、4回目になろうとした時でした。

 さっき乗ったばかりのジェットコースターから降りてまた続けて乗ろうと、新たに入場口の列にミックと並んでいた私は、ふとすぐ後ろを振り返りました。

 何となく、物静かな気配があったので、後ろに並んでいるのは子供ではなく大人なのだとは感じていたのですが、その時何気なく振り返った私は、本当に目を丸くしました。

 一瞬ですが、その後ろの人と目が合ったのですが、私は自分でも分かるくらい驚いて、目を見開いてしまっていたので、すぐにぱっと前に向き直りました。

 何故かと言うと、その私たちの後ろに並んでいた人に見覚えがあったからです。

 とは言え、別に知り合いと言うのではありません。
強いて言えば、私が一方的に知っているだけです。

 その人は、まあ平たく言えば芸能人の部類に入るのですが、声優をされている方なので、芸能人と言ってもイベントや舞台以外はあまり公に顔を出さないため、その富士急ハイランドのアトラクションの一角で列に並んでいても、おそらくそう騒がれる事はなかったのだと思います。

 でも、私はタイにいる時からその方の出演されているアニメも何度も見て、イベントのDVDなども拝見していたので、まさかその憧れの声優である楠大典さんご本人に、こんな旅行先で偶然、しかも待ち列の前後と言う至近距離でお目に掛かれるなどとは夢にも思わなかったので、もう頭の中はパニック状態でした。

 本当は「楠大典さんですよね。実は私はタイに住んでいるんですが、いつも楠さんの出ているアニメなどを見させて頂いてます。これからも応援してます。」くらいの挨拶で一言二言、生の声を聞きたかったのですが、おそらく彼もその日はプライベートで来ているのだろうし、連れの方も居る事だし、こういうところでファンに声を掛けられるのは、ご本人も迷惑だろうと思ったのです。

 なので声を掛けたい衝動をグッと堪え、もう一度、今度は自然に振り返りながら、「本人だ。」と確認して納得し、ミックにタイ語で話し掛けながら、いかにもさっき目を見開いてしまったのが「楠大典さん本人」に気付いたからではなく、気のせいだったと思われるように、ミックと会話する事で彼を知るはずも無い外国人のフリをし続けました。

 それでも、ホテルに帰ってから、タイに居る長男に「楠大典さんが、私の後ろに並んでたんだよ。ほら、テニスの王子様の、真田真一郎の声の人!」と、自慢してしまいました。
それから、彼のその日前後のTwitterをチェックしたら、やはり富士急ハイランド付近の事には一言も書かれていなかったので、「やはりプライベートだったのだろう、声を掛けなくて良かった。」と思いました。


 全く、富士急ハイランドの話から逸れてしまいましたが、今回の日本帰国の私の自分へのお土産は、この生の楠大典さんに会えたことでした。
タイに、しかもこのイサーンに居ては、絶対に会うはずもない人だったので、本当にこの偶然に感謝しました。



 今回の旅行記の後半は、次回に続きます。





   


Posted by バットニャオ@第二期 at 00:53Comments(8)日本一時帰国

2015年06月18日

日本での日々〜その4

 また、前回からしばらく間が開いてしまいました。
前回の記事にも書いた通り、少し身体の調子が悪かったので、なかなか書けませんでした。
 やはり、健康が一番と片目の痛みに耐えながら痛感しました。


 さて、いよいよ22日の早朝の空が白み始めた頃、いつもなら子供達はまだ起きていない時間に起こし、それぞれに歯磨きと顔を洗わせて、前日スーパーで買っておいたおにぎりを持って、朝食も摂らずに出発しました。

 ここで、タイなら一人一人がシャワーを浴びるので、4人で少なくとも1時間半くらい、シャワーの時間分早起きしなければならない所ですが、日本はまだ寒いし、日本の習慣に従って、朝にシャワーを浴びないようになっていたので、出発予定の30分前に起床で十分に間に合いました。


 さっそく例のハイブリットカーのエンジンを掛けます。
前日、少しは試乗してみたものの、自分の乗り馴れた車ではなく、しかもレンタカーなので、やはり改めて緊張しました。

 昔、レンタカー店に勤めていた弟から、「少しの傷でも2、3万円だから、縁石なんかは特に注意」などと言われ、事故や損傷などについての注意を聞いていたので、さらに緊張が高まりました。

 まず、今回借りた車にはカーナビと言うものが付いていたのですが、これを使ったと言うか触った経験もない私は、まずレンタカー店の店員さんに目的地などの入力をして貰ったのですが、このカーナビと言うのが中々の頑固者で、私が実家を出発して雁坂峠ルートを行こうと思っているのに、どうしても首都高に行く方向に連れて行こうとするのです。

 おそらく、そこに「雁坂峠経由」だとか入れれば良かったのでしょうが、最初は何が何だか良く分からなくて、下手に触って設定出来なくなったら困るので、カーナビ君には触らず、反抗期のまま放って置きました。

 幸いまだそこは地元だったので、地元にいた18年間に通った事も無い道だったにも関わらず、取り敢えず雁坂峠までは、勘と看板を見て何とか行く事が出来ました。

 
 さて、雁坂峠の麓まで来てようやく、反抗期のナビ君も自分の状況が飲み込めたようで、私を無理矢理首都高へと誘うことは諦めたようでした。

 
 タイでは体験出来ない、かなりきついつづら折りの峠道を上って行くと、だいぶ長いトンネルに入り、その走っても走っても中々抜けられないかなりの距離と、暗さやその決まった道幅、その割に、後ろからガンガン迫って来る大型ダンプなどの勢いに、なんだか逃げ場の無いトンネル内で事故が起きたらどうするんだろう…と、タイにいるときより余程ゆっくり走っている(時速60〜70km程度)のに、タイの田舎道で120km出して走っているより、恐怖を感じました。

 トンネルを抜けて、最初のドキドキの運転が終わるとようやく山梨県に入りました。
とは言え、そのトンネルの途中から県境を過ぎていたのですが、トンネルの中なので、山梨県!と言う感動が湧かなかったのです。
 
 そういえば、そのトンネルの中で次男がいきなり「หมูนอน」と言い出したのです。
 そう、昔よくなぞなぞやダジャレで、小学生たちが言って遊んでいた、「トン=หมู(豚)」が、「寝る=นอน」から、「トンネル」と言うあれです。

 次男は、長男と違って2歳くらいまでしか日本にいなかったので、普通に日本語で会話する事はまず有りません。
でも、次男なりに日本や日本語にも興味があって、自分の中でそれなりに単語を理解しているようです。
そして、よくこうやって変なダジャレとか、発音の似た言葉を掛けて冗談を言うのです。


 さて、話が逸れましたが、こうして山梨県に入った私たちは、素直に案内を始めたナビ君に従って、一般道から中央道に乗って、生まれて初めての高速道路運転です。
 まあ、普段から助手席でなら高速に乗る際のカーブなども経験があるのと、コラートなどに行った時は、高速並みのスピードで走行している車線に合流する事もあるので、思ったよりすんなりと日本の高速道路にも進入出来ました。

 富士山が見えて来たときには、揃ってすっかり眠ってしまっていた子供達に「富士山だよ!」と声を掛けましたが、起きたのは助手席に座っていた長女だけでした。
 長女は、記憶にある限りでは初めて間近で見る富士山を一所懸命カメラに収めて、さっそくインスタグラムなどにアップしていました。

 そうして飽きずに写真を摂りまくる長女を横目に、しばらく走って行くと、それほど経たないうちに、河口湖の降り口の看板が出て来たと思ったら、遠くに何やら変わった感じの建造物が…。
 そう、富士急ハイランドのアトラクションが見えて来ました。

 ようやく着いたか…と言う感慨に耽る間もなく、高速を降り富士急ハイランドの入り口に着いたときには、大体予定時刻の8時過ぎでした。

 まだ、開演時間には間があるので、私たちは予約して置いた、ハイランドリゾートホテル&スパの駐車場に駐車し、手荷物を持ってホテル宿泊者の優先入場特典で開園時間よりも早く入る事が出来ました。


 また、今回もここで…。
中々話が進まず申し訳ありませんが、今しばらく我慢してお付き合い下さい。

 次回は、いよいよ富士急ハイランドに突入です。
予定では…。


 



 

   


Posted by バットニャオ@第二期 at 00:12Comments(8)日本一時帰国

2015年06月11日

蓄膿症

 また今回も、『日本での日々』はお休みして、臨時記事を書かせて頂きます。
 


 一昨日の昼間から、右目が涙目っぽくなり、徐々に目の奥から沁みるような鈍痛が…。
玉ねぎを切っている時のような感じで、痛くて沁みて…涙目になりながら、時々目がえぐれて出て来るのではないかと思うような激痛も伴い、我慢する事一晩。
 
 翌朝、何とか腫れは引いたものの、翌日はその涙目のせいで目が腫れて、開けていられない状態に…。

 どうやら放置しても自然に治りそうもないので、取り敢えずネットで検索した所、色々な症状や病名があり、その中で身に覚えのあるのが、「片目だけ痛い、鼻水も片方だけ出る…。」と言う、蓄膿症による眼球の炎症が思い当たったのでした。

 取り敢えず近所の薬局で抗生剤と鼻炎薬を買って来たものの、中々症状が改善しないので、夕方にはチャイヤプム市内にあるクリニックに行く事にしました。


 私は、わざわざ片道30kmの距離を行くのだから、行って閉まっていたと言うことがないように、きちんと事前に看護婦の義姉にでもクリニックの場所や営業時間を確認して欲しかったのですが、夫は、「着いてから、街中をグルグル回って探せばいいよ。クリニックだから7時くらいまでやってるでしょ。」と気楽な返事…。

 行ってから、どこも開いてなかったらどうするの!と思ったものの、仕方なく片目運転は危ないので、夫に連れて行ってもらったところ、以前夫も耳で罹った事が有ると言う、チャイヤプム総合病院並びの、病院内の医師が副業で営業しているクリニックが、6時半過ぎだと言うのに、まだ開いていました。

 この手のクリニックは、平日の早朝7時から8時、昼休みに病院を抜けて来て12時から1時まで、そして夕方は病院を終えてからの5時から6時半または7時くらいまでお小遣い稼ぎをしているのです。
 本業ではないので、友人と夕飯だとか結構個人的な理由で、営業時間が適当になります。

 
 まあ、運良く開いていたので、さっそく受付を済ませ、他に人もいなかったのですぐに診てもらえました。

 私は、基本タイ人全般(もちろん医者も例外ではない)信用していないので、最初にネットで検索した「蓄膿症(โรคไซนัส)」と言う病名は自分からは言わずに、「片目が痛い、涙目になる、片方だけ鼻水が出る」と言う症状だけを伝えました。
 するとそのクリニックには、私の予想を外れて、耳鼻科用の内視鏡などの設備も整っていて、先生も若いながら、症状を聞いて内診すると、すぐに「蓄膿症ですね。注射をして薬を処方しますから、そこのベッドに上がって。」とすぐに予想していた病名を告げられたので、安心して治療を受けられました。

 

 何故、タイの医者を信用出来なくなったかと言うと、最初は知人のお見舞いに、チャイヤプムの総合病院に行った時、ちょうど次男が急に腹痛を起こし、病院内の時間外の先生に診てもらったのですが、その女医が、うちのやせ形の次男を見て、ちょっとお腹に聴診器を当てただけで、ろくな診察もせずに「あなたは、マーマーディップ(お湯で調理していないインスタント麺)ばかり食べて、コーラばかり飲んでいるでしょう。単なる胃痛ですよ。」と見事なくらいの自己的偏見で患者の病気を決めつけてしまったのです。
 私は、うちの子はインスタント麺もほとんど食べないし、炭酸飲料もほとんど飲まないのに、何でそういう偽占い師のような事を言うのだろうと、あっけに取られてしまいました。

 結局、出された胃薬と診察料を払って病院を出ようとしたところ、次男はトイレに駆け込んで、無事腹痛の元を排出したのでした。
つまり、次男は単なる便秘で、しばらく排便が無かったそうです。(確かに最初にそれを言わない次男も悪いのかも知れませんが、まだ幼稚園児だったので、そういう日にちの感覚とか考えもなかったのでしょう。)
 でも、それくらいの事を、触診などして診察しようとせず、勝手に「悪い食習慣による胃痛」と決めつけたのが今でも忘れられません。

 それから、これは今でも傷物になっているのですが、私の最後の出産時に縫合された局部の傷です。
縫合の傷跡を消毒のため見に来た看護婦さんが、「うわ〜!何これ?ひどい縫い方!」と、イサーン語で嘲笑じみた感嘆の声を上げていたのが忘れられません。
もう二度とタイで出産はするまい…と思ったタイの病院内での屈辱でした。
 それで、あれほど拒んでいた出産後の避妊手術を受け入れる事にしたのでした。

 その後に、看護婦さんたちが続けて話していたのを聞いていたところ、私の出産担当の医師は前夜から出産が立て続けに入って、私が出産した早朝の7時頃は、ほとんど徹夜でフラフラだったそうです。

 まあ、運が悪かったと言えばそれまでですが、どうして夜勤の出産現場にご老体の一人の医師しか居ないのか…。
タイの医療現場の現実も大いに関係していると思います。


 まあ、だいぶ話が逸れましたが、こういう経緯があって、私はタイの医者も疑ってかかるのですが、今回は当たりだったのかも知れません。

 今日も2回目の注射に行って来て、後は薬を出された分飲んで、処方された点滴の液体を針の無い注射器に吸引して、片方ずつ鼻の中を洗浄するよう指示されています。

 こ点滴噴射洗浄の手引きには、「一日朝晩の2回、少なくとも一ヶ月以上続ける事。」との注意書きがありました。
これを朝晩やるのは正直面倒ですが、あの夜の目をえぐられるような痛みを思い出したら、やるしかないでしょう…と思いました。



   


Posted by バットニャオ@第二期 at 01:43Comments(4)つぶやき

2015年06月06日

日本での日々〜その3

  途切れ途切れで書いている一時帰国録なので、中々話が進まず申し訳有りません。

 さて、気を取り直して…。

 6年前と2年前の帰国時には、まだ独身だった弟が気を遣って、6年前は両親と弟と一緒に、2年前は母と弟と私たちで、帰国の度に家族旅行に連れて行ってくれていました。
しかし、今回はその弟も結婚して家庭を持ったので、まさか新婚家庭の弟を私たちの都合で付き合わせるのも申し訳ないと思い、今回の母との旅行は諦めて、近場で温泉にでも行くか…くらいに思っていました。

 でも、その前回前々回の帰国時に温泉とその付近の遊園地に行った楽しい思い出のある子供達は、やはりタイでは体験出来ない、日本の遊園地の絶叫マシーンなどに未練があったので、今回は帰国前に私一人で子供達の希望を考慮して、富士急ハイランドと富士サファリパーク行きの1泊旅行を計画して置きました。


 とりあえず、タイに居る内にネットで付近のホテルの予約と、その宿泊プランで遊園地のパスポートとサファリパークの入場券を予約しました。
本当なら母も一緒に連れて行きたかったのですが、遊園地などが土日だと混むだろうと思い、平日の真ん中を狙って予約したので、母の通院などの事情や、また、最初は軽自動車で行くつもり(普通車の運転は自信が無かったため)だったので、子供と私だけで定員いっぱいだと言う事もありました。
 それに、前回の時も温泉や宿泊施設ではいいのですが、遊園地で子供達が遊んでいる間、待たせているのを申し訳なく思い、母にも悪いし、こちらも思い切り楽しめないと言う事もありました。

 と言う訳で、タイから計画して行った、今回の帰国の一大イベントである『富士急ハイランド&富士サファリパーク1泊旅行』は、到着して1週間経った4月の22日に決行されたのでした。


 浅草の時から身に沁みた事ですが、とにかく私が引率しなければ何も進まない…と言うことで、タイから日程とホテルの予約は済ませたものの、日本に着いた時点では、交通手段はまだ決めかねていました。

 私は気軽に、帰国時にはいつも使わせてもらっている実家の母の軽自動車を借りて…などと思っていたのですが、よくよく考えたら、その車は母にとっても唯一の交通手段で、通院などに使うものでした。
 なので、一度は都内から高速バスや電車で…と言う手段も考えたのですが、我が家は人数が纏まっているので、荷物もそれなりにあるし、どう考えても車で行った方がいいと言う事になりました。
 しかし、最初から軽自動車で…と考えていた私なのですが、実は生まれてこの方、高速道路での運転経験が皆無だったのです。
ナビなどで検索すると、花園インターから高速に乗って…などとなっていて、どう見てもあの有名な「首都高」と言うものに乗らなければならないようなのです。
他にも下道で行く方法などを検索したのですが、元々日本の道路事情に疎い私は、ますますちんぷんかんぷん…。
 
 そこで、弟たちにも相談した結果、この人数で行くなら山道は上りがきついだろうから、軽自動車より小さめの乗用車を借りた方がいいと言う事。
そして乗用車のレンタカーを借りれば、普通はナビが付いている事。また、秩父市からなら、花園から首都高と言う道に出なくても、有料道路の雁坂峠から山梨に出られる事。その先から富士急までは少し高速に乗らなければならないけれど、首都高のように複雑ではない…などを言う事を教えてもらい、なんとか前日の夕方に駅前のレンタカー店でトヨタのアクアと言う小型乗用車を借りて、22日の早朝に実家を出発しました。

 このアクアと言うのがハイブリット車なので少しレンタル料は高めだが、燃料代が節約出来ると言う事で、最初は何の事か分かりませんでしたが(今もよくわかっていませんが)、まあ、タイでプロパンガスのタンクをトランクに積んで走っているような感覚(だいぶ技術のレベルが違うとは思うが)なのだと理解して、レンタルしました。
 最初乗ったときは、エンジン音が全然聞こえないので、エンジンが掛かっていないのかと思って、もう一度エンジンを掛け直しそうになりました。
でも、それは最後まで同じで、ダッシュボードに点灯している表示でエンジンが掛かっているのを確認するのだと理解しました。

 いつもタイで、暴走族のマフラー音のようなエンジン音ばかり聞いている私には、そのハイブリット車のエンジン音はまったく聞き取れませんでした。

 と言う訳で、今回の帰国で初めてのイベント。
初レンタカーのハイブリット車、初高速道路、そして初富士急ハイランド…と言う、初物づくしのドキドキの2日間が幕を開けたのでした。

 
 
   


Posted by バットニャオ@第二期 at 23:40Comments(4)日本一時帰国