2014年12月31日
今年も忘年会&新年会
今年も、大晦日となりました。
毎年恒例の親戚集合の忘年会&新年会が、今まさにたけなわです。
子供達は、タイでは滅多に貰えない「お年玉」ならぬ「新年のご祝儀」を期待していたのですが、予想通り今年も期待しただけ無駄でした。
明日、夫や子供たちには「日本のおばあちゃんからのお年玉」と言うことにして、ヘソクリから出して上げる…と言うのも、毎年の事です。
まあ、そういう無駄な期待は忘れようとしていたところ、隣の大人専用テーブルの方が騒がしくなりました。
見ると、いつもは滅多な事ではお金を出さない義姉が大声を張り上げて、みんなを集めていました。
よく見ると一人20バーツでくじ引き大会を始めているではないですか。
私は全く参加する気が無かったのですが、半ば強制的に引かされてしまいました。
外れはないようで、我が家の成果はこの通りでした。
子供達は、みんなの20バーツを集めて誰か一人がその全額を貰える…とかの方がいいのに…と、あくまで現金第一の子供たちでした。
それにしても、親戚の集まりなのだから、普通にくじ引きにすればいいのに、一人当たり20バーツを徴収する所は、さすが義姉…。
その後も、残ったケーキを素早く独占してお持ち帰りする早業は、日頃からのお寺通いで、タムブンされたお坊さんの食事の残り物を残さず持ち帰ると言う義姉の徹底した節約術の賜物でしょう。
そんなこんなで、何とか今年の忘年会も終わりそうです。
来年も、またよろしくお願いします。
毎年恒例の親戚集合の忘年会&新年会が、今まさにたけなわです。
子供達は、タイでは滅多に貰えない「お年玉」ならぬ「新年のご祝儀」を期待していたのですが、予想通り今年も期待しただけ無駄でした。
明日、夫や子供たちには「日本のおばあちゃんからのお年玉」と言うことにして、ヘソクリから出して上げる…と言うのも、毎年の事です。
まあ、そういう無駄な期待は忘れようとしていたところ、隣の大人専用テーブルの方が騒がしくなりました。
見ると、いつもは滅多な事ではお金を出さない義姉が大声を張り上げて、みんなを集めていました。
よく見ると一人20バーツでくじ引き大会を始めているではないですか。
私は全く参加する気が無かったのですが、半ば強制的に引かされてしまいました。
外れはないようで、我が家の成果はこの通りでした。
子供達は、みんなの20バーツを集めて誰か一人がその全額を貰える…とかの方がいいのに…と、あくまで現金第一の子供たちでした。
それにしても、親戚の集まりなのだから、普通にくじ引きにすればいいのに、一人当たり20バーツを徴収する所は、さすが義姉…。
その後も、残ったケーキを素早く独占してお持ち帰りする早業は、日頃からのお寺通いで、タムブンされたお坊さんの食事の残り物を残さず持ち帰ると言う義姉の徹底した節約術の賜物でしょう。
そんなこんなで、何とか今年の忘年会も終わりそうです。
来年も、またよろしくお願いします。
2014年12月30日
飼い猫の妙薬
先月の初め辺りから、我が家に茶トラの子猫が迷い込んで、そのまま住み着いたので、動物好きの夫がさっそくキャットフードなどを買って来て飼い始めた。
そして、その翌週くらいに仕入れのためチャイヤプム市内まで出掛けた夫は、帰り道の途中で道路脇で彷徨っていた数匹の子猫たちを見つけ、その中で物怖じせずにすぐに懐いて来た三毛猫を拾って来た。
最初の勝手に迷い込んだ子猫は、茶色なので「ターン(シーナムターン=茶色)」と名付けられ、三毛猫の方は私がそのまま「三毛、三毛」と呼んでいたので「ミケ」になった。何のひねりも無い命名である。
そして、ターンの方はオスなのだが、妙に警戒心が強く、ひと月以上飼った今でも、まだ誰にも懐こうとしない。
一方、もともとその人懐っこさで他の兄弟を差し置いて一匹だけ拾ってもらったミケの方は、メスなのだが全く正反対で警戒心の欠片も無く、暇さえ有れば気持ち悪いほど擦り寄って来る。
それは、見知らぬ客にも一緒で、いつか客の車に乗せられて居なくなってしまうのではないか…と心配されるほどだ。
我が家だけでなく、タイで猫を飼う理由は単なる愛玩用と言う訳ではなく、どちらかと言うとどの家にも多かれ少なかれ棲み着いているネズミ退治のための用途が多い。
確かに、私もたまには嫌になるくらい、ネズミの害は多い。
我が家の店にも、多く棲み着いていて、商品を齧り、棚をマンション代わりに糞を撒き散らし、鉄製商品に尿を掛けるのでサビてしまったり、段ボール箱の中に巣を作り、さらに繁殖して行く。
我が物顔で店内を縦横無尽に奔走しているのである。
そこで、もう生き物は飼いたくないと言っていた私も、この猫たちに期待を掛けて、飼う事を容認した。
ところが…。
夫が可愛がって、キャットフードを飼って来て欠かさず与えるので、空腹を知らないので、ネズミを捕ると言う気が全くない。
それに加えて、ミケの方は甘え上手でおねだりが上手い。
倉庫に置かれている、エサの容器が空になると、店内の私たちの所に来て「ニャ〜、ニャ〜」と甘え声で擦り寄って来る。
すると、誰とも無く気がついた者が、エサを上げに行ってしまうのだ。
これでは、ただ飼っているだけではないか?と思うのだが、もう飼い始めの目的などすでに忘れられてしまっているようだ。
こうして、我が家のただの居候となった猫たち、特に人懐っこいミケの方は、いつもいつも店内の通路の真ん中とか、入り口の足拭きマットの上とか、とにかく人の邪魔になるところにばかり寝ている。
そのあまりに図々しい態度に、私はよくこういうイタズラをするようになった。
そんな猫たちを見た客の中にも猫好きがいて、よく構って行ったりするのだが、今日、先月当たりに飼っていた愛猫が居なくなったと言う客が夫と猫談義をしていた。
その中で小耳に挟んだのだが、タイの猫好きの常識として、「飼っている猫がどこにも行かないようにする方法」と言うのがあるらしい。
それは、エサを上げるときに、「飼い主の唾液」を毎回のエサに混ぜると言う事だ。
私は、それを聞いて「えぇ〜?それじゃいくら猫でも可哀想…。」と思ったのだが、まあ唾液を入れられたエサを食べても猫には分からないのだろうとは思う。
でも、人間に応用して、これを私が夫にやられたら…と思ったら、ゾッとしてしまった私だった。
そして、その翌週くらいに仕入れのためチャイヤプム市内まで出掛けた夫は、帰り道の途中で道路脇で彷徨っていた数匹の子猫たちを見つけ、その中で物怖じせずにすぐに懐いて来た三毛猫を拾って来た。
最初の勝手に迷い込んだ子猫は、茶色なので「ターン(シーナムターン=茶色)」と名付けられ、三毛猫の方は私がそのまま「三毛、三毛」と呼んでいたので「ミケ」になった。何のひねりも無い命名である。
そして、ターンの方はオスなのだが、妙に警戒心が強く、ひと月以上飼った今でも、まだ誰にも懐こうとしない。
一方、もともとその人懐っこさで他の兄弟を差し置いて一匹だけ拾ってもらったミケの方は、メスなのだが全く正反対で警戒心の欠片も無く、暇さえ有れば気持ち悪いほど擦り寄って来る。
それは、見知らぬ客にも一緒で、いつか客の車に乗せられて居なくなってしまうのではないか…と心配されるほどだ。
我が家だけでなく、タイで猫を飼う理由は単なる愛玩用と言う訳ではなく、どちらかと言うとどの家にも多かれ少なかれ棲み着いているネズミ退治のための用途が多い。
確かに、私もたまには嫌になるくらい、ネズミの害は多い。
我が家の店にも、多く棲み着いていて、商品を齧り、棚をマンション代わりに糞を撒き散らし、鉄製商品に尿を掛けるのでサビてしまったり、段ボール箱の中に巣を作り、さらに繁殖して行く。
我が物顔で店内を縦横無尽に奔走しているのである。
そこで、もう生き物は飼いたくないと言っていた私も、この猫たちに期待を掛けて、飼う事を容認した。
ところが…。
夫が可愛がって、キャットフードを飼って来て欠かさず与えるので、空腹を知らないので、ネズミを捕ると言う気が全くない。
それに加えて、ミケの方は甘え上手でおねだりが上手い。
倉庫に置かれている、エサの容器が空になると、店内の私たちの所に来て「ニャ〜、ニャ〜」と甘え声で擦り寄って来る。
すると、誰とも無く気がついた者が、エサを上げに行ってしまうのだ。
これでは、ただ飼っているだけではないか?と思うのだが、もう飼い始めの目的などすでに忘れられてしまっているようだ。
こうして、我が家のただの居候となった猫たち、特に人懐っこいミケの方は、いつもいつも店内の通路の真ん中とか、入り口の足拭きマットの上とか、とにかく人の邪魔になるところにばかり寝ている。
そのあまりに図々しい態度に、私はよくこういうイタズラをするようになった。
そんな猫たちを見た客の中にも猫好きがいて、よく構って行ったりするのだが、今日、先月当たりに飼っていた愛猫が居なくなったと言う客が夫と猫談義をしていた。
その中で小耳に挟んだのだが、タイの猫好きの常識として、「飼っている猫がどこにも行かないようにする方法」と言うのがあるらしい。
それは、エサを上げるときに、「飼い主の唾液」を毎回のエサに混ぜると言う事だ。
私は、それを聞いて「えぇ〜?それじゃいくら猫でも可哀想…。」と思ったのだが、まあ唾液を入れられたエサを食べても猫には分からないのだろうとは思う。
でも、人間に応用して、これを私が夫にやられたら…と思ったら、ゾッとしてしまった私だった。
2014年12月28日
前言撤回の正月休み
さて、いよいよ今年もあと数日になりました。
今年のカレンダーから行くと、昨日26日の金曜日を今年の最後にして、今日から年明けの9日の長期連休になるはずのタイでした。
日本と違い、タイの本正月と言えば、4月中旬のソンクラーン。
この年末年始は「国際正月」と呼ばれ言わば世界に合わせて形だけの正月と言った感じ。
そして華僑が根付いているので、2月の「中国正月」もかなり大きいのですが、やはりタイの正月と言えば、4月のソンクラーンなのです。
そのため毎年、大晦日、元旦、二日くらいしか休みにならないタイの、肩身の狭い正月休みですが、今年はカレンダーの都合上、その3日間が週の真ん中にあり、週末に挟まれる形になっているので、「じゃあ、29、30も休みにしちゃおう!」と言う思いつきか、先日「全国共通で今年の公共機関の正月休みは、27日から年明けの4日までとする。」と言うニュースが流れたのでした。
ところが、昨日学校から帰って来た子供たちに聞いてみると、来週の月曜、火曜日は、平常通り登校するとの事。
「あれ?話が全然違うじゃな〜い!」と、子供の休日を待ち望んでいる母は、子供に尋ねてみたのですが、長女の話によると、「首相が、『それ(新年の連休)では、タイではない!」
とほざいた前言を撤回したそうで、一夜の内に国の方針が変わってしまっていたようです。
あれほど大々的に公式発表した発言を、コロッと変えてしまうのは、さすがにタイ人を代表する首相です。
まあ、裏でどんな話があったのか詳しい事は分かりませんが、これでせっかくの子供たちの居る休日が2日も減ってしまい残念でなりません。
長男も「国を代表する首相の発言がこんなにコロコロ変わるんじゃ、これからも信用に関わるよね。」と相変わらず冷めた意見でした。
しかし、すでに一度連休に向けて心の準備をしてしまった先生方も教える気はなさそうで、どうせ学校に行っても一時間も授業をせずに、自習自習で帰って来るのだろうと思います。
何しろ、昨日の金曜日でさえ、長女の女子校はすでに新年の連休モードに入っていて、朝から夕方まで先生方は誰も授業をしなかったそうですから…。
そのため、時間を潰すのに疲れた長女と友達たちは誘い合って、市内のKFCのデリバリーサービスで学校までチキンバケットの配達を頼んだのだとか…。
お陰で我が家の夕飯にも、その残りのチキンが並びました。
さすがにチャイヤプムの中心地から30kmも離れた我が家は注文さえ受けてもらえないのですが、市内にある高校に通う子供たちはこんな事もやっているのだな…と今どきのイサーンの高校生の実態に妙に感心したのでした。
今年のカレンダーから行くと、昨日26日の金曜日を今年の最後にして、今日から年明けの9日の長期連休になるはずのタイでした。
日本と違い、タイの本正月と言えば、4月中旬のソンクラーン。
この年末年始は「国際正月」と呼ばれ言わば世界に合わせて形だけの正月と言った感じ。
そして華僑が根付いているので、2月の「中国正月」もかなり大きいのですが、やはりタイの正月と言えば、4月のソンクラーンなのです。
そのため毎年、大晦日、元旦、二日くらいしか休みにならないタイの、肩身の狭い正月休みですが、今年はカレンダーの都合上、その3日間が週の真ん中にあり、週末に挟まれる形になっているので、「じゃあ、29、30も休みにしちゃおう!」と言う思いつきか、先日「全国共通で今年の公共機関の正月休みは、27日から年明けの4日までとする。」と言うニュースが流れたのでした。
ところが、昨日学校から帰って来た子供たちに聞いてみると、来週の月曜、火曜日は、平常通り登校するとの事。
「あれ?話が全然違うじゃな〜い!」と、子供の休日を待ち望んでいる母は、子供に尋ねてみたのですが、長女の話によると、「首相が、『それ(新年の連休)では、タイではない!」
と
あれほど大々的に公式発表した発言を、コロッと変えてしまうのは、さすがにタイ人を代表する首相です。
まあ、裏でどんな話があったのか詳しい事は分かりませんが、これでせっかくの子供たちの居る休日が2日も減ってしまい残念でなりません。
長男も「国を代表する首相の発言がこんなにコロコロ変わるんじゃ、これからも信用に関わるよね。」と相変わらず冷めた意見でした。
しかし、すでに一度連休に向けて心の準備をしてしまった先生方も教える気はなさそうで、どうせ学校に行っても一時間も授業をせずに、自習自習で帰って来るのだろうと思います。
何しろ、昨日の金曜日でさえ、長女の女子校はすでに新年の連休モードに入っていて、朝から夕方まで先生方は誰も授業をしなかったそうですから…。
そのため、時間を潰すのに疲れた長女と友達たちは誘い合って、市内のKFCのデリバリーサービスで学校までチキンバケットの配達を頼んだのだとか…。
お陰で我が家の夕飯にも、その残りのチキンが並びました。
さすがにチャイヤプムの中心地から30kmも離れた我が家は注文さえ受けてもらえないのですが、市内にある高校に通う子供たちはこんな事もやっているのだな…と今どきのイサーンの高校生の実態に妙に感心したのでした。
2014年12月21日
貼ってみました。
もう年末も近いのに、相変わらずツケを放置したままの客たち…。
今朝も今年の4月から5,000バーツ相当の品物を持って行って、未だに支払いに来ていなかった客が買い物にきたのだが、「あの…、パイサーンさんですよね。前の部品代が残ってるんですけど…。」と言うと、「え?そうだっけ…?ああ、ああ、そうだ、そうだ。でいくらだっけ?」とまるで忘れていたようだ。
私はかなりムッとしながら、「利子が一ヶ月当たり100バーツになるので、現在の金額は5,800バーツです。」と言った。
すると大方のお決まりのセリフで、「今芋を収穫するところだから、それが終わったら持って来るよ。正月前後には終わるから。」と答えて帰って行った。
こう言う客が後を絶たないのだが、それは何も我が家に限った事ではないらしく、以前我が家にハイドリックホースの修理に来た客で、我が家がこの市に店を開く以前にこの市で部品屋をやっていた…と言う人が、「この辺の客はツケしても払いに来る気が更々無い。IDカードを預けさせても、払いたくないから取りに来ない。お陰であの頃はIDカードだけで、段ボール箱一杯になったよ。」と話していた。
まあ、我が家はそこまでにはなっていないが、ツケの伝票を見る度に頭が痛くなる事は事実だ。
そこで今朝は、数か月前に4,000バーツ程度のツケをして、音信不通の客の対策を考えてみた。
その客は全く常連でもなかったので、電話番号を聞こうとしたが覚えていないと言い、IDカードを預かろうと思ったら、そのカードはこれから病院に行くので使うから預けられないと断った。
そして本人は夕方にはお金を持って支払いに来るから…と言い残して去って行ったのだった。
するとその日の夕方はもちろん、翌日も翌々日も全く来る気配も無い。
ではせめて…と写真を撮って置いたので、それを店頭に貼り出す事にした。
これで、効果が出るといいのだが…。
今朝も今年の4月から5,000バーツ相当の品物を持って行って、未だに支払いに来ていなかった客が買い物にきたのだが、「あの…、パイサーンさんですよね。前の部品代が残ってるんですけど…。」と言うと、「え?そうだっけ…?ああ、ああ、そうだ、そうだ。でいくらだっけ?」とまるで忘れていたようだ。
私はかなりムッとしながら、「利子が一ヶ月当たり100バーツになるので、現在の金額は5,800バーツです。」と言った。
すると大方のお決まりのセリフで、「今芋を収穫するところだから、それが終わったら持って来るよ。正月前後には終わるから。」と答えて帰って行った。
こう言う客が後を絶たないのだが、それは何も我が家に限った事ではないらしく、以前我が家にハイドリックホースの修理に来た客で、我が家がこの市に店を開く以前にこの市で部品屋をやっていた…と言う人が、「この辺の客はツケしても払いに来る気が更々無い。IDカードを預けさせても、払いたくないから取りに来ない。お陰であの頃はIDカードだけで、段ボール箱一杯になったよ。」と話していた。
まあ、我が家はそこまでにはなっていないが、ツケの伝票を見る度に頭が痛くなる事は事実だ。
そこで今朝は、数か月前に4,000バーツ程度のツケをして、音信不通の客の対策を考えてみた。
その客は全く常連でもなかったので、電話番号を聞こうとしたが覚えていないと言い、IDカードを預かろうと思ったら、そのカードはこれから病院に行くので使うから預けられないと断った。
そして本人は夕方にはお金を持って支払いに来るから…と言い残して去って行ったのだった。
するとその日の夕方はもちろん、翌日も翌々日も全く来る気配も無い。
ではせめて…と写真を撮って置いたので、それを店頭に貼り出す事にした。
これで、効果が出るといいのだが…。
2014年12月21日
お母様への捧げもの。
先にお断りしますが、今夜の記事ははっきり言って愚痴以外の何物でもないと思います。
それを覚悟の上、お読み下さい。
以前、9月25日の記事『釣った魚にエサはやらない』(http://muangchai.namjai.cc/d2014-09.html)で、私が買ってきて欲しいと頼んだ、
ケーオマンコンと言う果物を、普段よりちょっと(10バーツ程度)値上がりしていたと言う理由で「高いから今日は買わなかった。」と言い切り買って来てくれなかった夫の話を書いた。
もともとフルーツ王国のタイに居て、ほとんど果物を食べなかった私だったが、その一件以来、そのケーオマンコンを始め、以前にも増して果物を摂取する機会が無くなった。
そして、先日ワンポーで夫が義母を連れてコラートのTHE MALLで家族+親戚数名で食事に行った時の事。
食事は子供たちを釣る為に、久々の日本食と言う事で、2年ぶりくらいの日本食レストラン「Fuji」に決めていたのだが、その前に一階のスーパーマーケットでお好みソースや、味噌、漬け物と言った日本食を買い込む計画を立てていた。
最初、私と子供だけで先に入り、日本食材と日本のお菓子などをカートいっぱいに買い込んだ所に、義母と夫がやって来た。
義母は、そのカート一杯の食料品を見るなり、「おおお、こんなに買い込んで。まったくお前たちはお菓子ばかり食べているんだから…。」などと文句を言い出した。
私たちにしてみれば、年に一度か二度の貴重な日本食品買い出し。
この後、食事に行くのに買い物袋を下げて行く事になるので、この辺で…と最小限に抑えたつもりなので、これでも少ないくらいだと思っていた。
まあ、いつも一緒に出掛けると、たまの都会でチャイヤプムでは売っていないピザをお土産に…と買えば、「まったくお前たちはこんな物ばかり食べている。」と文句を言われるので、義母の病院の検診などで一緒に行く時は、なるべくそういう物を買わないように気を遣っているのだった。
でも、今回は子供たちも全員来ているので、やはり普段買えないし欲しい物も沢山有る。
私も敢えて、「ヤー(祖母)が来ているから、あまり買わないように…。」とも言わないで買わせた結果がこれだった。
それに夫が義母に食べさせたいと、せっかく連れて行った日本食も、別に喜んで食べている訳でもないようで「高い!これだけで○○バーツ?」といちいち文句を言っているのも聞き流して、何事もなかったかのように帰って来た。
そうして翌日。
前日のスーパーのレシートをチェックしていると、100バーツ前後の値段が並ぶ中で価格の欄に「999バーツ」と言う項目が目に入った。
私は、何を買ったのだろう?とちょっと気になったので、よく見てみると「外国産果物」と書いてある。
私は、「果物?何か買ったっけ?」と覚えがないので、気になって夫に聞いてみると、
「ああ、お母さんが好きでよく食べるから買って上げたんだよ。アメリカンチェリーだっけ?」と言うので、
「でも、値段が999バーツだってよ。いくら輸入物でも間違ってない?」と聞くと、
「いや、合ってるよ。最初、お母さんと見ていて、1kg1,300バーツのと、1,500バーツのがあったから、どうするか聞いたら、1,500バーツにしちゃえ!ってお母さんが言うからさ。ははは…。」と笑っていた。
私は、この話を聞いて唖然。
別に「お母さん命」の夫の性格は知っているし、食べる物に関してケチらないのが夫の性格なので、不思議な事でもないのだが、この話に私の前回の「ケーオマンコン」の件が引っ掛かり、私の感情を逆撫でしたのだ。
まあ、タイの諺で、「百人の妻も一人の母親には勝てない。」と言うのがあるが、私の場合もまさにそれなのだな…と痛感した。
奥さんなど、いくらでも替えがいるが、母親の代わりはいないと言う事だ。
もう、こういう出来事も何度も経験したので、今更悲しいとかがっかりしたなどと言う感情もないのだが、子供が成人した後の事は真剣に考えなければ…と改めて思ったのだった。
そして、昨日の事。
今度は久々にチャイヤプムのMakroに買い出しに行った。
順番に回りながら、私が野菜などの生鮮物のコーナーを見ていると、夫が「おお!あった!」と小声で叫んだ。
見ると、果物コーナーの一角のチェンマイ産のイチゴなどとともに、例の義母の好物の高級果物「アメリカンチェリー」が並んでいた。
夫は嬉しそうに品定めを始め、気に入ったパックを見つけて来て秤の所に持って行き、値札をつけてもらっていた。
そして、「ここの方が安いよ!1kg595バーツだって。」と言うので、まあ高級スーパーと量売りスーパーじゃ仕方ないでしょ?と思いつつも、「同じ外国産でも、台湾とアメリカとかって違うんじゃないの?」と答えておいた。
そして、果物コーナーを出ようとするときに、例のケーオマンコンが1kg35バーツで並んでいるのが見えたが、私は見なかった事にして足早に歩いて行った。
それを覚悟の上、お読み下さい。
以前、9月25日の記事『釣った魚にエサはやらない』(http://muangchai.namjai.cc/d2014-09.html)で、私が買ってきて欲しいと頼んだ、
ケーオマンコンと言う果物を、普段よりちょっと(10バーツ程度)値上がりしていたと言う理由で「高いから今日は買わなかった。」と言い切り買って来てくれなかった夫の話を書いた。
もともとフルーツ王国のタイに居て、ほとんど果物を食べなかった私だったが、その一件以来、そのケーオマンコンを始め、以前にも増して果物を摂取する機会が無くなった。
そして、先日ワンポーで夫が義母を連れてコラートのTHE MALLで家族+親戚数名で食事に行った時の事。
食事は子供たちを釣る為に、久々の日本食と言う事で、2年ぶりくらいの日本食レストラン「Fuji」に決めていたのだが、その前に一階のスーパーマーケットでお好みソースや、味噌、漬け物と言った日本食を買い込む計画を立てていた。
最初、私と子供だけで先に入り、日本食材と日本のお菓子などをカートいっぱいに買い込んだ所に、義母と夫がやって来た。
義母は、そのカート一杯の食料品を見るなり、「おおお、こんなに買い込んで。まったくお前たちはお菓子ばかり食べているんだから…。」などと文句を言い出した。
私たちにしてみれば、年に一度か二度の貴重な日本食品買い出し。
この後、食事に行くのに買い物袋を下げて行く事になるので、この辺で…と最小限に抑えたつもりなので、これでも少ないくらいだと思っていた。
まあ、いつも一緒に出掛けると、たまの都会でチャイヤプムでは売っていないピザをお土産に…と買えば、「まったくお前たちはこんな物ばかり食べている。」と文句を言われるので、義母の病院の検診などで一緒に行く時は、なるべくそういう物を買わないように気を遣っているのだった。
でも、今回は子供たちも全員来ているので、やはり普段買えないし欲しい物も沢山有る。
私も敢えて、「ヤー(祖母)が来ているから、あまり買わないように…。」とも言わないで買わせた結果がこれだった。
それに夫が義母に食べさせたいと、せっかく連れて行った日本食も、別に喜んで食べている訳でもないようで「高い!これだけで○○バーツ?」といちいち文句を言っているのも聞き流して、何事もなかったかのように帰って来た。
そうして翌日。
前日のスーパーのレシートをチェックしていると、100バーツ前後の値段が並ぶ中で価格の欄に「999バーツ」と言う項目が目に入った。
私は、何を買ったのだろう?とちょっと気になったので、よく見てみると「外国産果物」と書いてある。
私は、「果物?何か買ったっけ?」と覚えがないので、気になって夫に聞いてみると、
「ああ、お母さんが好きでよく食べるから買って上げたんだよ。アメリカンチェリーだっけ?」と言うので、
「でも、値段が999バーツだってよ。いくら輸入物でも間違ってない?」と聞くと、
「いや、合ってるよ。最初、お母さんと見ていて、1kg1,300バーツのと、1,500バーツのがあったから、どうするか聞いたら、1,500バーツにしちゃえ!ってお母さんが言うからさ。ははは…。」と笑っていた。
私は、この話を聞いて唖然。
別に「お母さん命」の夫の性格は知っているし、食べる物に関してケチらないのが夫の性格なので、不思議な事でもないのだが、この話に私の前回の「ケーオマンコン」の件が引っ掛かり、私の感情を逆撫でしたのだ。
まあ、タイの諺で、「百人の妻も一人の母親には勝てない。」と言うのがあるが、私の場合もまさにそれなのだな…と痛感した。
奥さんなど、いくらでも替えがいるが、母親の代わりはいないと言う事だ。
もう、こういう出来事も何度も経験したので、今更悲しいとかがっかりしたなどと言う感情もないのだが、子供が成人した後の事は真剣に考えなければ…と改めて思ったのだった。
そして、昨日の事。
今度は久々にチャイヤプムのMakroに買い出しに行った。
順番に回りながら、私が野菜などの生鮮物のコーナーを見ていると、夫が「おお!あった!」と小声で叫んだ。
見ると、果物コーナーの一角のチェンマイ産のイチゴなどとともに、例の義母の好物の高級果物「アメリカンチェリー」が並んでいた。
夫は嬉しそうに品定めを始め、気に入ったパックを見つけて来て秤の所に持って行き、値札をつけてもらっていた。
そして、「ここの方が安いよ!1kg595バーツだって。」と言うので、まあ高級スーパーと量売りスーパーじゃ仕方ないでしょ?と思いつつも、「同じ外国産でも、台湾とアメリカとかって違うんじゃないの?」と答えておいた。
そして、果物コーナーを出ようとするときに、例のケーオマンコンが1kg35バーツで並んでいるのが見えたが、私は見なかった事にして足早に歩いて行った。
2014年12月16日
今年も恒例のガーン•ジャオポーでした。
今年もこの季節になりました。
以前は、大体10月の終わり頃から、年末年始にお客に配る長袖の作業服の注文と、その背中部分にシルクスクリーンで店の名前や住所を刷り込むと言う、家族総出の作業がこの時期の年中行事でした。
ところが、長男が受験を控えた年に夫がユニシティと言うマルチ商法まがいの活動に勧誘され、本業である我が家の商売がすっかりおろそかになっていました。
例年なら夫の音頭取りの下、子供たちが家に居る週末に、家族総出でこの服の印刷をしていたのですが、私は前々から、「何も自分たちでやらなくても、一枚当たり5バーツで外注すればいいのに…。」と思っていたので、夫がユニシティに忙しくして家に居ないのをいい事に、長男と二人で相談して勝手に注文してしまいました。
一枚当たり5バーツ程度のシルクスクリーン印刷代節約を狙っている割には、インク代、そのインクを街中まで買いに行く手間、そして子供たちに手伝わせて…と、実は結構な経費が掛かっていると思っていたのです。
とにかく、夫がユニシティに気を取られている間の2年間弱に、我が家恒例のこの季節の行事をしなくなったので、去年に引き続き、今年も知らぬ間に師走に入っていました。
と言う訳で、また前置きが長くなりました…。
さて、以前はこのガーン•ジャオポーの季節には、如何にタイと言えどグ〜ンと温度が下がって、朝晩は上着を羽織らないと寒いくらいの季節になっていたのですが、ここ何年かは本当に異常気象のせいか、防寒着を着て出掛かる必要がなくなりました。
すっかり引き篭もり生活に慣れてしまったので、こういう大勢の人が出掛かる場所には極力行きたくない私なのですが、夫が「ジャオポー(祀られているこの市の始祖)へ参拝だけはしないとダメだ。」と言うので、同じく引き蘢り気味の長男、次男も連れて、もともと楽しみにして行きたがっていた長女、末っ子ミックと共に、比較的人が少ないであろう一日目に出掛ける事になりました。
ガーン•ジャオポーは二日間行われ、一日目に市校外にある祠から、「御本尊」と呼ばれる金箔を貼付けた銅像を市内の会場へと運びます。
これが「御本尊」。ジャオポーとジャオメーのご夫婦です。
これも、タイのお祭りの定番チンチャーサワン(天国のブランコ)。
(下の方に見えるのは、屋台の靴屋です。)
そしてこれも定番中の定番、射的と並んで上位を争うパーパオ(風船割り)です。
周囲に飾られている商品のぬいぐるみで、今年の流行が分かります。
因みに、今年はLINE主要キャラクターは著作権に引っ掛かるのか、LINE内のゲームである『クッキーラン』内のキャラクターのぬいぐるみが目立ちました。
それ以外は、オーソドックスなクマなどの定番動物のぬいぐるみが多数を占めていますが…。
そして、今回も長女のお目当てはこれ。
街中に住んでいる訳でもないので、普段なかなか洋服を買いに行く機会がない長女。
でも、そこはやはり年頃の女の子なので、ここぞとばかりに目を輝かせて洋服選びをしていました。
そして、今回の収穫がこれです。
これは、下にパンツなどを合わせるタイプの長めのブラウス。生地の色合いやデザインは悪くないと思うのですが…。
この上半身の前部にデカデカと刺繍されたこのネコ顔は…何?って感じです。
何故、ここにこの刺繍を入れるのか?製作者の意図がよく分かりません。
私的には、この刺繍が無ければ、色違いであったモスグリーンのチェックのを買って、親娘でお揃い!なんて思ったのですが、このネコ顔刺繍を着る気にはなれず断念…。
でも、この刺繍を敢えて買った長女もそうですが、タイ人の女の子にとっては、このセンスが「ナーラック!(かわいい)」となるのです。
「どう見ても可愛くないだろう。」と思うのは日本人の感覚なのか?実の親子でも、この生まれ持った国民性の違いと言うか、センスの違いは乗り越えられないようです。
そしてもう一つの収穫がこれ。
タイをはじめ、世界的に人気のドラえもん。
タイでは、特に人気が高く、今年の初めのテスコロータスのスタンプ収集の景品もドラえもんグッズでした。
まあ、それはそれで分かるのですが、長女が気に入って買ったこのカバン。
何も、このノスタルジックな色合いの生地に、「何もドラえもん柄でなくてもいいだろう…」と思うのですが、これもやはりタイ人にとっては「ナーラック!」なのです。
お店の売り手も自慢げに、「これはドラえもん柄だから、著作権の関係で値段が高めなんですよ。」と言う売り口上でした。
何が「著作権の関係」なんだ?と、突っ込みたくなったくらいに、こんな屋台の店で売るようなカバン程度に、どう見ても著作権を取っているようには見えないオリジナル感が漂っているのですが、ドラえもんと言うキャラクターを(無断で勝手に)使っていると言うことを、敢えて「著作権を取ってはいないけど、著作権に引っ掛かるほど有名なキャラクターの商品なんですよ。」と言う意味で「著作権が」と強調したのか…?まあ、真実は分からないのですが。
そしてそのお姉さんが「高め」と言うお値段は390バーツ。やはり値段から見ても、正式に著作権をどうこうしているような値段ではないのだな…と、値段を聞いて納得しました。
お祭りに行くのだからと、1,000バーツくらいは捨てる気持ちで出掛けているのですが、やはり所詮は屋台の商品、だいぶ安く上がりました。
今年受験の長女は、来年のこの時期はどこにいるかも分からないので、来年「お祭りに連れて行って!」とせがむのは、末っ子のミックくらいのものでしょう。
もう、長男と次男は、だいぶ前に「ガーンジャオポー」と卒業してしまって、半強制の参拝にさっさと行って済ませたら、急いで帰って来て家に居る方がいい…くらいのものなので、末っ子のミックもいつまで子供らしい事を言っているのかな…とそんな遠くない未来の事を思ったのでした。
以前は、大体10月の終わり頃から、年末年始にお客に配る長袖の作業服の注文と、その背中部分にシルクスクリーンで店の名前や住所を刷り込むと言う、家族総出の作業がこの時期の年中行事でした。
ところが、長男が受験を控えた年に夫がユニシティと言うマルチ商法まがいの活動に勧誘され、本業である我が家の商売がすっかりおろそかになっていました。
例年なら夫の音頭取りの下、子供たちが家に居る週末に、家族総出でこの服の印刷をしていたのですが、私は前々から、「何も自分たちでやらなくても、一枚当たり5バーツで外注すればいいのに…。」と思っていたので、夫がユニシティに忙しくして家に居ないのをいい事に、長男と二人で相談して勝手に注文してしまいました。
一枚当たり5バーツ程度のシルクスクリーン印刷代節約を狙っている割には、インク代、そのインクを街中まで買いに行く手間、そして子供たちに手伝わせて…と、実は結構な経費が掛かっていると思っていたのです。
とにかく、夫がユニシティに気を取られている間の2年間弱に、我が家恒例のこの季節の行事をしなくなったので、去年に引き続き、今年も知らぬ間に師走に入っていました。
と言う訳で、また前置きが長くなりました…。
さて、以前はこのガーン•ジャオポーの季節には、如何にタイと言えどグ〜ンと温度が下がって、朝晩は上着を羽織らないと寒いくらいの季節になっていたのですが、ここ何年かは本当に異常気象のせいか、防寒着を着て出掛かる必要がなくなりました。
すっかり引き篭もり生活に慣れてしまったので、こういう大勢の人が出掛かる場所には極力行きたくない私なのですが、夫が「ジャオポー(祀られているこの市の始祖)へ参拝だけはしないとダメだ。」と言うので、同じく引き蘢り気味の長男、次男も連れて、もともと楽しみにして行きたがっていた長女、末っ子ミックと共に、比較的人が少ないであろう一日目に出掛ける事になりました。
ガーン•ジャオポーは二日間行われ、一日目に市校外にある祠から、「御本尊」と呼ばれる金箔を貼付けた銅像を市内の会場へと運びます。
これが「御本尊」。ジャオポーとジャオメーのご夫婦です。
これも、タイのお祭りの定番チンチャーサワン(天国のブランコ)。
(下の方に見えるのは、屋台の靴屋です。)
そしてこれも定番中の定番、射的と並んで上位を争うパーパオ(風船割り)です。
周囲に飾られている商品のぬいぐるみで、今年の流行が分かります。
因みに、今年はLINE主要キャラクターは著作権に引っ掛かるのか、LINE内のゲームである『クッキーラン』内のキャラクターのぬいぐるみが目立ちました。
それ以外は、オーソドックスなクマなどの定番動物のぬいぐるみが多数を占めていますが…。
そして、今回も長女のお目当てはこれ。
街中に住んでいる訳でもないので、普段なかなか洋服を買いに行く機会がない長女。
でも、そこはやはり年頃の女の子なので、ここぞとばかりに目を輝かせて洋服選びをしていました。
そして、今回の収穫がこれです。
これは、下にパンツなどを合わせるタイプの長めのブラウス。生地の色合いやデザインは悪くないと思うのですが…。
この上半身の前部にデカデカと刺繍されたこのネコ顔は…何?って感じです。
何故、ここにこの刺繍を入れるのか?製作者の意図がよく分かりません。
私的には、この刺繍が無ければ、色違いであったモスグリーンのチェックのを買って、親娘でお揃い!なんて思ったのですが、このネコ顔刺繍を着る気にはなれず断念…。
でも、この刺繍を敢えて買った長女もそうですが、タイ人の女の子にとっては、このセンスが「ナーラック!(かわいい)」となるのです。
「どう見ても可愛くないだろう。」と思うのは日本人の感覚なのか?実の親子でも、この生まれ持った国民性の違いと言うか、センスの違いは乗り越えられないようです。
そしてもう一つの収穫がこれ。
タイをはじめ、世界的に人気のドラえもん。
タイでは、特に人気が高く、今年の初めのテスコロータスのスタンプ収集の景品もドラえもんグッズでした。
まあ、それはそれで分かるのですが、長女が気に入って買ったこのカバン。
何も、このノスタルジックな色合いの生地に、「何もドラえもん柄でなくてもいいだろう…」と思うのですが、これもやはりタイ人にとっては「ナーラック!」なのです。
お店の売り手も自慢げに、「これはドラえもん柄だから、著作権の関係で値段が高めなんですよ。」と言う売り口上でした。
何が「著作権の関係」なんだ?と、突っ込みたくなったくらいに、こんな屋台の店で売るようなカバン程度に、どう見ても著作権を取っているようには見えないオリジナル感が漂っているのですが、ドラえもんと言うキャラクターを(無断で勝手に)使っていると言うことを、敢えて「著作権を取ってはいないけど、著作権に引っ掛かるほど有名なキャラクターの商品なんですよ。」と言う意味で「著作権が」と強調したのか…?まあ、真実は分からないのですが。
そしてそのお姉さんが「高め」と言うお値段は390バーツ。やはり値段から見ても、正式に著作権をどうこうしているような値段ではないのだな…と、値段を聞いて納得しました。
お祭りに行くのだからと、1,000バーツくらいは捨てる気持ちで出掛けているのですが、やはり所詮は屋台の商品、だいぶ安く上がりました。
今年受験の長女は、来年のこの時期はどこにいるかも分からないので、来年「お祭りに連れて行って!」とせがむのは、末っ子のミックくらいのものでしょう。
もう、長男と次男は、だいぶ前に「ガーンジャオポー」と卒業してしまって、半強制の参拝にさっさと行って済ませたら、急いで帰って来て家に居る方がいい…くらいのものなので、末っ子のミックもいつまで子供らしい事を言っているのかな…とそんな遠くない未来の事を思ったのでした。
2014年12月07日
剥がれた爪
以前も書いたことがあるが、我が家の商売は自動車部品の販売である。
自動車部品と言っても、我が家で扱っているのはダンプやトラックと言った中大型自動車と、トラクターや耕耘機と言った農業用車両とタイ農業用車両であるロット•イテーンの部品などが主な商品になる。
元々日本に居た頃に、このノンブアラウェー市に投資目的で土地を買って商業用の建て売り住宅を建設した夫の従兄弟が、その建物を売りたいが為に、日本で働いていた夫に白羽の矢が当たったのだ。
そして、その従兄弟と言うのが元々隣の市でトラクター部品の専門店をしていた事から、「隣の市でそれと同じ事業をやらないか?」と言う誘いでこの地に引き込まれ、日本から移住してここで商売を始めることになったのだった。
ところが、従兄弟の老舗のトラクター専門店とは違い、まだ店を始めた当初の我が家はそれだけではとてもやって行ける状況ではなかった。
我が家のある市は、その従兄弟の店がある市より更に田舎で規模も小さい場所だったからだ。
そのため、当時日本で稼いで義母に送金し続けた挙げ句にようやく貯めた100万バーツと言うわずかばかりの所持金では、新生活品の調達、車の購入、そしてこれから始める商売の仕入れ代ですっかり終わってしまい、農業の季節によって売り上げが大幅に左右されるトラクター部品だけではやって行けないと夫は判断した。
それでその他の自動車部品も販売し始めて、今は私が苦手なトラクター部品よりも、日本車の多い大型自動車部品の割合が多くなっている。
当初はタイでは最も需要が多い、ピックアップトラックや普通の乗用車の部品も扱っていたのだが、我々よりも4年ほど後に同じく出稼ぎしていた日本から戻って来た義姉夫婦が、隣で修理工場兼部品販売をする事になり、その乗用車部品だけを持って行ってしまったので、我が家はトラクターや大型部品を中心とした重量のある部品が主となってしまった。
さて、いつもの事ながらすっかり前置きが長くなってしまったが、そう言う事で酸素ボンベやトラクターの部品など、我が家の商品はとにかく重い、危険な物が多い。
前に、お客で足の指の部分に包帯を巻いて来た若者がいたので、どうしたのか聞いたら「ブルドーザーの前部に付いている鉄板部分が足に落ちた」と言う事だった。
それを聞いた時は他人事ながら鳥肌が立ったものだった。
ところが、ほんの数ヶ月前のある日、いつものように夫が闘鶏場に出掛けて留守にしていた土曜日にそれは起こった。
我が家にはそのブルドーザーの鉄板部の端に取り付ける「鉄の刃」と呼ばれる商品があるのだが、それを売っていて、普段は一人で運ぶのだが、その日はたまたま居合わせた長女が手伝って、二人で運ぼうとした為にバランスを崩してタイミングを外し、手を滑らせて私の右手の小指の爪に落としてしまった。
落としたと言っても、先ほど足の爪に落とした若者のように、完全に潰れるほどまともには乗った訳ではなく、その鉄板と下の鉄板の間に挟まれた感じになったので、最初はちょっと挟んだくらいの感覚しかなかった。
しかし、気を取り直して長女を制し私一人で運ぼうとしたところ、その挟んだ小指から血が滴ったので、「挟んだだけなのに…?」と思ったが、とりあえずティッシュで押さえて運び、仕事が終わって見てみると、小指の爪がすっかり内出血していた。
さて、最初は痺れていただけの指先だったが、時間が経つと徐々に痛みが始まった。
とりあえず、血が集まると余計に痛いのではないかと思い、仕事机に腕を置いて心臓より指先の位置を高くするようにしてみる。
…が、痛い。
そのうちじっとしているのが辛いほど、痛みが上って来た。
何年か前に、子供たちと同じ小学校だった子供が、中国正月の季節に爆竹で遊んでいて、手の指が2本吹っ飛んだと言う話を聞いたが、私の爪が挟まれた程度でこんなに痛いのなら、その子供はどれくらい痛かったのだろう?などと、余計な想像しながら痛みに耐える事数時間。
夕方頃になると、痛みに慣れて来たのか、だいぶ耐えられる程度の痛みに治まって来た。
しかし、内出血のせいで爪は真っ黒と言うかどす黒い赤になり、まるで普段全く縁のないマニキュアでも塗っているかのようになった。
そして、休めばいいのに日課のウォーキングマシンで40分歩いているうちに、腕を振ると小指の先に余計に血が溜まる事に気が付き、それから数日は左手だけ振ってウォーキングと言う奇妙な格好で歩いていた。
そんな事があってから、約一ヶ月。
小指だけマニキュア生活にも慣れた頃、その爪の上半分近くが、何となく剥離しているような隙間が開いたようになって来た。
そして、それからまた数日後。
いつもの様に、PCで動画を見ていたところ…。
何気なく、パカパカしている小指の先を触ってみたら…剥げた。
そして特に痛みもなく、まるで抜けかけた乳歯みたいなむず痒い感覚に襲われたので、もう少しいじってみたら、ついに完全剥離。
さて、それから数ヶ月後…。
乾いた生爪状態から変な甘皮のような半人前の爪が生えて来て、それがどうも一人前にならずにいたら、さらに二段にまた新しい爪が生えて来たので経過を見守っていたところ…。
数日前にようやく半人前の爪の上段部分が無くなり、まともな爪に完全に生え変わった。
剥げてしまった爪が再生すると言うのは、私より色々な人生経験の多い長男が、幼稚園時代にした「足の親指の爪をドアで挟んで剥げた」と言う体験談を聞いていたのだが、最初は「これが元通りに戻るのか?」と半信半疑だった。
しかし長男の言う通り、どす黒い血の色の爪から、すっかり元通りの桜貝色の爪に戻った。
その事実に妙に納得するとともに、これとほぼ同じ苦痛をわずか5歳のときに体験してしまった長男を心底可哀想に思ったのだった。
追伸、いつもの事ながら、前置きが長くなり申し訳ありません。
自動車部品と言っても、我が家で扱っているのはダンプやトラックと言った中大型自動車と、トラクターや耕耘機と言った農業用車両とタイ農業用車両であるロット•イテーンの部品などが主な商品になる。
元々日本に居た頃に、このノンブアラウェー市に投資目的で土地を買って商業用の建て売り住宅を建設した夫の従兄弟が、その建物を売りたいが為に、日本で働いていた夫に白羽の矢が当たったのだ。
そして、その従兄弟と言うのが元々隣の市でトラクター部品の専門店をしていた事から、「隣の市でそれと同じ事業をやらないか?」と言う誘いでこの地に引き込まれ、日本から移住してここで商売を始めることになったのだった。
ところが、従兄弟の老舗のトラクター専門店とは違い、まだ店を始めた当初の我が家はそれだけではとてもやって行ける状況ではなかった。
我が家のある市は、その従兄弟の店がある市より更に田舎で規模も小さい場所だったからだ。
そのため、当時日本で稼いで義母に送金し続けた挙げ句にようやく貯めた100万バーツと言うわずかばかりの所持金では、新生活品の調達、車の購入、そしてこれから始める商売の仕入れ代ですっかり終わってしまい、農業の季節によって売り上げが大幅に左右されるトラクター部品だけではやって行けないと夫は判断した。
それでその他の自動車部品も販売し始めて、今は私が苦手なトラクター部品よりも、日本車の多い大型自動車部品の割合が多くなっている。
当初はタイでは最も需要が多い、ピックアップトラックや普通の乗用車の部品も扱っていたのだが、我々よりも4年ほど後に同じく出稼ぎしていた日本から戻って来た義姉夫婦が、隣で修理工場兼部品販売をする事になり、その乗用車部品だけを持って行ってしまったので、我が家はトラクターや大型部品を中心とした重量のある部品が主となってしまった。
さて、いつもの事ながらすっかり前置きが長くなってしまったが、そう言う事で酸素ボンベやトラクターの部品など、我が家の商品はとにかく重い、危険な物が多い。
前に、お客で足の指の部分に包帯を巻いて来た若者がいたので、どうしたのか聞いたら「ブルドーザーの前部に付いている鉄板部分が足に落ちた」と言う事だった。
それを聞いた時は他人事ながら鳥肌が立ったものだった。
ところが、ほんの数ヶ月前のある日、いつものように夫が闘鶏場に出掛けて留守にしていた土曜日にそれは起こった。
我が家にはそのブルドーザーの鉄板部の端に取り付ける「鉄の刃」と呼ばれる商品があるのだが、それを売っていて、普段は一人で運ぶのだが、その日はたまたま居合わせた長女が手伝って、二人で運ぼうとした為にバランスを崩してタイミングを外し、手を滑らせて私の右手の小指の爪に落としてしまった。
落としたと言っても、先ほど足の爪に落とした若者のように、完全に潰れるほどまともには乗った訳ではなく、その鉄板と下の鉄板の間に挟まれた感じになったので、最初はちょっと挟んだくらいの感覚しかなかった。
しかし、気を取り直して長女を制し私一人で運ぼうとしたところ、その挟んだ小指から血が滴ったので、「挟んだだけなのに…?」と思ったが、とりあえずティッシュで押さえて運び、仕事が終わって見てみると、小指の爪がすっかり内出血していた。
さて、最初は痺れていただけの指先だったが、時間が経つと徐々に痛みが始まった。
とりあえず、血が集まると余計に痛いのではないかと思い、仕事机に腕を置いて心臓より指先の位置を高くするようにしてみる。
…が、痛い。
そのうちじっとしているのが辛いほど、痛みが上って来た。
何年か前に、子供たちと同じ小学校だった子供が、中国正月の季節に爆竹で遊んでいて、手の指が2本吹っ飛んだと言う話を聞いたが、私の爪が挟まれた程度でこんなに痛いのなら、その子供はどれくらい痛かったのだろう?などと、余計な想像しながら痛みに耐える事数時間。
夕方頃になると、痛みに慣れて来たのか、だいぶ耐えられる程度の痛みに治まって来た。
しかし、内出血のせいで爪は真っ黒と言うかどす黒い赤になり、まるで普段全く縁のないマニキュアでも塗っているかのようになった。
そして、休めばいいのに日課のウォーキングマシンで40分歩いているうちに、腕を振ると小指の先に余計に血が溜まる事に気が付き、それから数日は左手だけ振ってウォーキングと言う奇妙な格好で歩いていた。
そんな事があってから、約一ヶ月。
小指だけマニキュア生活にも慣れた頃、その爪の上半分近くが、何となく剥離しているような隙間が開いたようになって来た。
そして、それからまた数日後。
いつもの様に、PCで動画を見ていたところ…。
何気なく、パカパカしている小指の先を触ってみたら…剥げた。
そして特に痛みもなく、まるで抜けかけた乳歯みたいなむず痒い感覚に襲われたので、もう少しいじってみたら、ついに完全剥離。
さて、それから数ヶ月後…。
乾いた生爪状態から変な甘皮のような半人前の爪が生えて来て、それがどうも一人前にならずにいたら、さらに二段にまた新しい爪が生えて来たので経過を見守っていたところ…。
数日前にようやく半人前の爪の上段部分が無くなり、まともな爪に完全に生え変わった。
剥げてしまった爪が再生すると言うのは、私より色々な人生経験の多い長男が、幼稚園時代にした「足の親指の爪をドアで挟んで剥げた」と言う体験談を聞いていたのだが、最初は「これが元通りに戻るのか?」と半信半疑だった。
しかし長男の言う通り、どす黒い血の色の爪から、すっかり元通りの桜貝色の爪に戻った。
その事実に妙に納得するとともに、これとほぼ同じ苦痛をわずか5歳のときに体験してしまった長男を心底可哀想に思ったのだった。
追伸、いつもの事ながら、前置きが長くなり申し訳ありません。