2022年03月25日
許すと言う事。
ネットサーフィンなどと言いますが、最近はネットで検索したり閲覧したりすると、すぐにその情報に基づいた広告やら関連情報が出て来ます。
個人情報の問題とかもありますが、それは今回は置いておいて、こう言う関連情報が勝手に出て来る事によって、思い掛けない結果になったりする事もあります。
先月の事ですが、私はYouTubeの勝間和代さんのチャンネルのお話をよく聞いていました。
内容は自分の生活をいかに良くするか?や、効率化とか、そう言ったお話が多かったのですが、その中に自分の幸せを見つける…というような内容の話がありました。
するとその関連なのか、次からオススメ欄にハッピー研究所と言う本を紹介するチャンネルが頻繁に出て来て、今度はそのチャンネルにハマりました。
まるで、わらしべ長者のような感じですが、その幸せ探しの本の紹介チャンネルをしばらく見ていたら、その中に出て来る事にいろいろ興味を持ち、それぞれ参考になる事が多かったのですが、その中でも、斎藤一人さんと言う方のお話を聞くことが多くなり、最近は暇があれば聞いています。
その中でも、特に参考になったのは、私がここ数年ずっと苦しんでいる、『許す』と言う事についてです。
実は私は、もうかれこれ5年以上前にもなる自動車同士の接触事故に心を囚われて、つい先日までずっと苦しんでいたのです。
元々、タイの田舎生活や夫との関係によって、いろんな不満やストレスが溜まっていたのでしょう。
その上、自分の過失による事故ではないと思っていたのに、警察や保険会社に囲まれて、「私の過失により起こした事故で…」と言う文面の文書を強制的に書かされた事に納得出来ず、この5年以上もの間、ずっと心に憎しみを抱いたまま、タイ人に対してすっかり心を閉ざしていました。
それが最近この斎藤一人さんのお話を聞くようになってから、徐々にですが、他人を許すとか自分を許すとか言う事を学び、あの事故に対しても、あの時は最悪だと思ったけれど、よく考えれば車が傷ついただけで済んだのだし、強制的に自分の非を認める不本意な文書を書かされたけれど、確かに保険屋の言う通り、それで留置所に入る事になった訳でもないし、多少の不利は被ったとは思いますが、澄んでしまえば良かった事だったのかも知れないと思えるようになって来ました。
今思えば、私は自分の誇りを傷つけられたように感じ憤り、5年以上もの間、自分で自分を苦しめて来たのです。
以前書いていた私の前ブログ『イサーンに埋没中』を書かなくなったのは、あの事故のわだかまりのせいで、タイ人嫌悪症になった事でした。もうタイの事全てが嫌でタイに住んでいながら、『タイ』と付くだけで毛嫌いしていました。
家の外では滅多に笑顔も見せず、接客以外は余計なお喋りもしませんでした。
何にそんなに腹を立てているのか、なぜそれを終わりに出来ないのか、自分でもどうする事も出来ず、ただただ悪循環を繰り返していました。
ところが、ひょんな事から聴き始めたYouTubeのチャンネルで、そんなすっかり閉ざした心がようやく少しずつ溶けて行くようになりました。
このせっかく訪れた転機を無駄にせず、無為に生きていたような5年を反省しながら、これからの人生を楽しいものにして行きたいと思います。
個人情報の問題とかもありますが、それは今回は置いておいて、こう言う関連情報が勝手に出て来る事によって、思い掛けない結果になったりする事もあります。
先月の事ですが、私はYouTubeの勝間和代さんのチャンネルのお話をよく聞いていました。
内容は自分の生活をいかに良くするか?や、効率化とか、そう言ったお話が多かったのですが、その中に自分の幸せを見つける…というような内容の話がありました。
するとその関連なのか、次からオススメ欄にハッピー研究所と言う本を紹介するチャンネルが頻繁に出て来て、今度はそのチャンネルにハマりました。
まるで、わらしべ長者のような感じですが、その幸せ探しの本の紹介チャンネルをしばらく見ていたら、その中に出て来る事にいろいろ興味を持ち、それぞれ参考になる事が多かったのですが、その中でも、斎藤一人さんと言う方のお話を聞くことが多くなり、最近は暇があれば聞いています。
その中でも、特に参考になったのは、私がここ数年ずっと苦しんでいる、『許す』と言う事についてです。
実は私は、もうかれこれ5年以上前にもなる自動車同士の接触事故に心を囚われて、つい先日までずっと苦しんでいたのです。
元々、タイの田舎生活や夫との関係によって、いろんな不満やストレスが溜まっていたのでしょう。
その上、自分の過失による事故ではないと思っていたのに、警察や保険会社に囲まれて、「私の過失により起こした事故で…」と言う文面の文書を強制的に書かされた事に納得出来ず、この5年以上もの間、ずっと心に憎しみを抱いたまま、タイ人に対してすっかり心を閉ざしていました。
それが最近この斎藤一人さんのお話を聞くようになってから、徐々にですが、他人を許すとか自分を許すとか言う事を学び、あの事故に対しても、あの時は最悪だと思ったけれど、よく考えれば車が傷ついただけで済んだのだし、強制的に自分の非を認める不本意な文書を書かされたけれど、確かに保険屋の言う通り、それで留置所に入る事になった訳でもないし、多少の不利は被ったとは思いますが、澄んでしまえば良かった事だったのかも知れないと思えるようになって来ました。
今思えば、私は自分の誇りを傷つけられたように感じ憤り、5年以上もの間、自分で自分を苦しめて来たのです。
以前書いていた私の前ブログ『イサーンに埋没中』を書かなくなったのは、あの事故のわだかまりのせいで、タイ人嫌悪症になった事でした。もうタイの事全てが嫌でタイに住んでいながら、『タイ』と付くだけで毛嫌いしていました。
家の外では滅多に笑顔も見せず、接客以外は余計なお喋りもしませんでした。
何にそんなに腹を立てているのか、なぜそれを終わりに出来ないのか、自分でもどうする事も出来ず、ただただ悪循環を繰り返していました。
ところが、ひょんな事から聴き始めたYouTubeのチャンネルで、そんなすっかり閉ざした心がようやく少しずつ溶けて行くようになりました。
このせっかく訪れた転機を無駄にせず、無為に生きていたような5年を反省しながら、これからの人生を楽しいものにして行きたいと思います。
2022年03月08日
タイの日本企業について思う。
今月の初めに長女が就職して、ようやく一週間が過ぎました。
寝耳に水とでも言うのか、思い掛けない急展開を迎えた私の生活は、最近ようやく落ち着きつつあります。
いつも隣に居た長女が家を出て、昼間の店番も一人で座っているのに慣れて来ました。
一応夫も居るのですが、ほぼ一日中家の中でスマホかテレビを見ているか、いつの間にか昼寝しているかなので、一日中店の事以外では口を利かないこともよくあります。
下手にお喋りをすると、年を重ねる毎に益々意思の疎通が上手くいかなくなって来たので、変な所で勝手に勘違いして逆ギレされたりして面倒臭いので、余計な口は利くべからずと言うのが生きていく上での最良の手段となりました。
さて私の事はこの辺にして、長女が就職した会社の事をいくらか聞いて、タイに進出した日本企業の方々の苦労は大変な事だろうと思いました。
長女が所属する部署には、数名の日本人技術者の方がいるそうですが、皆さん真面目そうな方ばかりのようで、私がタイで20年近く感じて来たタイ人との接客や交流経験から、おそらく小数点以下の精密機器を扱う彼らには、タイ人従業員の大雑把さは、相当なストレスになるだろうと思いました。
長女の翻訳の内容などを聞いただけで、こう言う精密な事をタイ人に求めるのは、進出する国を間違えたとしか思えません。
もちろん全員が全員大雑把な訳ではありませんが、細かさの基準がそもそも違うのです。
私はこのタイの価値観に囲まれてもう20年になるので、ほぼ全ての事は諦めると言う事に慣れましたが、この商売を始めて5年くらいは、注文の度に間違えて送って来る、箱に入っているネジの数が足りないなど日常茶飯事で、もうストレスの原因には事欠かない毎日でした。
よくストレスでどうにかなってしまわなかったものだと、今になってはしみじみ思います。
タイ生活が長くなるにつれて、タイ人とはこう言うものだと言う諦めに似た感情が芽生えて来て、その後はもう、注文が一つ二つ、三つや四つ違って来てもどうでもよくなりました。
この国では細かい事を気にしていては生きていけないのです。
ですが、製造業の現場ではそう言うわけにも行かないと思います。
タイで製造したからと言って、大雑把な『もの』を作る訳には行かないのです。
そう言う『ものづくり』の現場での、タイ人従業員との感覚の違いから来るストレスは相当なものでしょう。
私がこの20年、1人の従業員も雇わないで何でもかんでも自分でやって来たのは、雇った方がストレスが溜まって、自分の身体を酷使する以上に、精神的に参りそうだと思って来たからでした。
ただ、私がここタイに暮らして分かったこともあります。タイ人にも得意分野があるという事です。
それは、『製造』ではなく、『改造』です。
日本人が『ものづくり』を得意とするならば、それを自己流に改良して、いろいろな改造物を作ってしまうのがタイ人です。
タイ国産車(?)は、ロットイテーン、ロットキヤオカーオ、ロットイコーン、トゥクトゥク、サムローとみな改造車です。
とは言え長女の働いている製造の現場では、タイ人の得意分野の『改造』が役に立つとは思えませんが…。
そんなこんなで、この一週間、コラートに行った長女との会話から、タイに進出した日本企業の苦労について考えるキッカケとなり、こんな事を感じた次第です。
駐在員と言うと現地採用者からは待遇面などで羨ましがられる事も多いでしょうが、普通現地採用者が本人の意思でタイに来たのと違い、駐在員の方々はおそらくは別にタイに来たいと思って来ている訳でもなく、社命で来ているのでしょうから、ストレスも多い事と思います。
まあ、自分で一応は決めてタイに来たくせに、タイ人にストレスを感じている私が言うのも如何なものか?と言う感じですが…。
寝耳に水とでも言うのか、思い掛けない急展開を迎えた私の生活は、最近ようやく落ち着きつつあります。
いつも隣に居た長女が家を出て、昼間の店番も一人で座っているのに慣れて来ました。
一応夫も居るのですが、ほぼ一日中家の中でスマホかテレビを見ているか、いつの間にか昼寝しているかなので、一日中店の事以外では口を利かないこともよくあります。
下手にお喋りをすると、年を重ねる毎に益々意思の疎通が上手くいかなくなって来たので、変な所で勝手に勘違いして逆ギレされたりして面倒臭いので、余計な口は利くべからずと言うのが生きていく上での最良の手段となりました。
さて私の事はこの辺にして、長女が就職した会社の事をいくらか聞いて、タイに進出した日本企業の方々の苦労は大変な事だろうと思いました。
長女が所属する部署には、数名の日本人技術者の方がいるそうですが、皆さん真面目そうな方ばかりのようで、私がタイで20年近く感じて来たタイ人との接客や交流経験から、おそらく小数点以下の精密機器を扱う彼らには、タイ人従業員の大雑把さは、相当なストレスになるだろうと思いました。
長女の翻訳の内容などを聞いただけで、こう言う精密な事をタイ人に求めるのは、進出する国を間違えたとしか思えません。
もちろん全員が全員大雑把な訳ではありませんが、細かさの基準がそもそも違うのです。
私はこのタイの価値観に囲まれてもう20年になるので、ほぼ全ての事は諦めると言う事に慣れましたが、この商売を始めて5年くらいは、注文の度に間違えて送って来る、箱に入っているネジの数が足りないなど日常茶飯事で、もうストレスの原因には事欠かない毎日でした。
よくストレスでどうにかなってしまわなかったものだと、今になってはしみじみ思います。
タイ生活が長くなるにつれて、タイ人とはこう言うものだと言う諦めに似た感情が芽生えて来て、その後はもう、注文が一つ二つ、三つや四つ違って来てもどうでもよくなりました。
この国では細かい事を気にしていては生きていけないのです。
ですが、製造業の現場ではそう言うわけにも行かないと思います。
タイで製造したからと言って、大雑把な『もの』を作る訳には行かないのです。
そう言う『ものづくり』の現場での、タイ人従業員との感覚の違いから来るストレスは相当なものでしょう。
私がこの20年、1人の従業員も雇わないで何でもかんでも自分でやって来たのは、雇った方がストレスが溜まって、自分の身体を酷使する以上に、精神的に参りそうだと思って来たからでした。
ただ、私がここタイに暮らして分かったこともあります。タイ人にも得意分野があるという事です。
それは、『製造』ではなく、『改造』です。
日本人が『ものづくり』を得意とするならば、それを自己流に改良して、いろいろな改造物を作ってしまうのがタイ人です。
タイ国産車(?)は、ロットイテーン、ロットキヤオカーオ、ロットイコーン、トゥクトゥク、サムローとみな改造車です。
とは言え長女の働いている製造の現場では、タイ人の得意分野の『改造』が役に立つとは思えませんが…。
そんなこんなで、この一週間、コラートに行った長女との会話から、タイに進出した日本企業の苦労について考えるキッカケとなり、こんな事を感じた次第です。
駐在員と言うと現地採用者からは待遇面などで羨ましがられる事も多いでしょうが、普通現地採用者が本人の意思でタイに来たのと違い、駐在員の方々はおそらくは別にタイに来たいと思って来ている訳でもなく、社命で来ているのでしょうから、ストレスも多い事と思います。
まあ、自分で一応は決めてタイに来たくせに、タイ人にストレスを感じている私が言うのも如何なものか?と言う感じですが…。