2023年08月24日
デリバリー
先日、家の前で洗濯物を干していると、ふとMakro(タイ全土にあるコストコ?のような卸売大型販売店)の配達用車両が、目の前を通り過ぎて行きました。
以前から、Makroに買い出しに行くと、店舗の前に数台の配達用車両が停まっているのを見ましたが、そう言うのはある程度大量注文をする小売店向けの配送サービスだと思い込んでいました。
ところが、その日は何を思いついたのか、ふと以前ロードしたMakroアプリの中に、まるでネット通販のような注文形式があったのを思い出し、よく使っているネット通販のサイトのように、アプリ内で目的の商品を検索して、それを次々とカートに入れてみたのです。
そして、一通りカートに入れたところで、次の段階に進み、名前、電話番号、住所(届け先)を入力したところで、支払いに進みました。
「え?こんなに簡単に進んでいいの?」と言うくらい簡単に支払い方法の選択まで進み、私はいつもネット通販で使っている、カシコン銀行のデビットカードで決済しました。
たかがネットスーパーのデリバリーで、何をそんなに驚いているのかと思われるかも知れませんが、我が家のあるチャイヤプム県はタイでもかなりの田舎にあります。
しかも、我が家のあるノンブアラウェー市と言うのは、その田舎の県の中でも、はっきり言って主要都市ではありません。
今でこそ、PTTのガソリンスタンドが出来て、それに付随してAmazon カフェやセブンイレブンなどのコンビニも出来て、コロナの頃からコンビニのデリバリーが普通の光景になって来ました。
しかし、それ以前は地元の雑貨屋さんくらいしかなく、普通の食材は市場で買えるものの、まともなパンや牛乳は、チャイヤプム中心地の市内にある、これまた地元しかない田舎の百貨店に行かないと入手出来なかったのです。
その後、我が市にもコンビニサイズのミニスーパーが出来たものの、チャイヤプムの中心地に出来たピザの配達は当然ながら圏外、コロナ以降、チャイヤプム市内には普通に走っているフードパンダやglab、LINEMANなどのバイクのデリバリーサービスも、ここノンブアラウェーには未だに一つの業者もありません。
そう言うわけで、我が市でデリバリーと言えば、今まではセブンイレブンの独占市場だったのですが、このMakroデリバリーの進出でますます私が引きこもれる状況が進んだ訳です。
因みに、今回は7月21日の午後に注文して、23日の夕方に無事配達されました。
商品も常温品、冷凍品やバターなどもありましたが、きちんと凍ったまま配達されました。
ただ今回は、注文した商品の中にひとつ品切れで配達が間に合わない商品があったのですが、代金は注文した時点で引き落とされているので、配達出来ない商品は、事務員から電話で直接その連絡が入り、後日引き落とし口座に返金となると言う事でした。
最初、すぐに返金されるのかと思ったら、事務処理の関係で、30〜45日掛かる可能性もあると言う事でした。
その為、まだ返金はされていませんが、まあそのうち戻るでしょう。
夫の実家の村の雑貨屋の人は、すでに前から利用していたそうですが、我が家は一応店舗ではあるものの、注文品は自家用の物ばかりなので、細々とした注文でしたが、それでも利用出来るのはとても助かります。
配送料は、3,000バーツ以上なら無料ですが、それ未満は99バーツでした。
しかしながら、今はガソリンも上がる一方で、自分で買い出しに行けば、往復とても100バーツで済むわけがないので、配送料を払うのも99バーツでは申し訳ないくらいに思えます。
とにかく、これから私もどんどん利用して、私の引きこもり生活にもさらに拍車が掛かりそうです。
お世話になります。Makro のアプリ
以前から、Makroに買い出しに行くと、店舗の前に数台の配達用車両が停まっているのを見ましたが、そう言うのはある程度大量注文をする小売店向けの配送サービスだと思い込んでいました。
ところが、その日は何を思いついたのか、ふと以前ロードしたMakroアプリの中に、まるでネット通販のような注文形式があったのを思い出し、よく使っているネット通販のサイトのように、アプリ内で目的の商品を検索して、それを次々とカートに入れてみたのです。
そして、一通りカートに入れたところで、次の段階に進み、名前、電話番号、住所(届け先)を入力したところで、支払いに進みました。
「え?こんなに簡単に進んでいいの?」と言うくらい簡単に支払い方法の選択まで進み、私はいつもネット通販で使っている、カシコン銀行のデビットカードで決済しました。
たかがネットスーパーのデリバリーで、何をそんなに驚いているのかと思われるかも知れませんが、我が家のあるチャイヤプム県はタイでもかなりの田舎にあります。
しかも、我が家のあるノンブアラウェー市と言うのは、その田舎の県の中でも、はっきり言って主要都市ではありません。
今でこそ、PTTのガソリンスタンドが出来て、それに付随してAmazon カフェやセブンイレブンなどのコンビニも出来て、コロナの頃からコンビニのデリバリーが普通の光景になって来ました。
しかし、それ以前は地元の雑貨屋さんくらいしかなく、普通の食材は市場で買えるものの、まともなパンや牛乳は、チャイヤプム中心地の市内にある、これまた地元しかない田舎の百貨店に行かないと入手出来なかったのです。
その後、我が市にもコンビニサイズのミニスーパーが出来たものの、チャイヤプムの中心地に出来たピザの配達は当然ながら圏外、コロナ以降、チャイヤプム市内には普通に走っているフードパンダやglab、LINEMANなどのバイクのデリバリーサービスも、ここノンブアラウェーには未だに一つの業者もありません。
そう言うわけで、我が市でデリバリーと言えば、今まではセブンイレブンの独占市場だったのですが、このMakroデリバリーの進出でますます私が引きこもれる状況が進んだ訳です。
因みに、今回は7月21日の午後に注文して、23日の夕方に無事配達されました。
商品も常温品、冷凍品やバターなどもありましたが、きちんと凍ったまま配達されました。
ただ今回は、注文した商品の中にひとつ品切れで配達が間に合わない商品があったのですが、代金は注文した時点で引き落とされているので、配達出来ない商品は、事務員から電話で直接その連絡が入り、後日引き落とし口座に返金となると言う事でした。
最初、すぐに返金されるのかと思ったら、事務処理の関係で、30〜45日掛かる可能性もあると言う事でした。
その為、まだ返金はされていませんが、まあそのうち戻るでしょう。
夫の実家の村の雑貨屋の人は、すでに前から利用していたそうですが、我が家は一応店舗ではあるものの、注文品は自家用の物ばかりなので、細々とした注文でしたが、それでも利用出来るのはとても助かります。
配送料は、3,000バーツ以上なら無料ですが、それ未満は99バーツでした。
しかしながら、今はガソリンも上がる一方で、自分で買い出しに行けば、往復とても100バーツで済むわけがないので、配送料を払うのも99バーツでは申し訳ないくらいに思えます。
とにかく、これから私もどんどん利用して、私の引きこもり生活にもさらに拍車が掛かりそうです。
お世話になります。Makro のアプリ
2021年12月26日
そう言えば、今日はクリスマスでした。
前回の更新から、あっという間に二週間が経っていました
師走と言う名の通り、今月に入ってから店も打って変わって忙しくなり、なかなか更新もままならず…と言う状態でした。
とは言え、店が忙しくなった原因は別に師走だからと言うことではなく、数年前から始まった主要道路の拡張工事がようやく我が家の近所にも到達して、その工事車両のハイドリックホースの修理や交換で我が家の仕事が増えた事と、キャッサバ芋やサトウキビの収穫後の運搬車両の部品が出るようになったと言う事なのですが。
私が見てきた限り、タイ人は基本的に「備える」と言うことは面倒なので、日頃から整備や検査をしたりするよりも、壊れてから慌てて修理する方を選ぶのが大半です。
前に『クレジット』と言う記事にも書いたように普段から備えず、緊急事態が発生してから、夜中だろうが慌てて探し回ると言う性質なので、運搬車や作業車が動き始めると、途端にあちこちが壊れて急いで修理が始まると言う始末です。
「備えあれば憂なし」とか「転ばぬ先の杖」などと言う諺が当てはまらないのがタイなのです。
お陰で、私の右手も腱鞘炎が復活しそうです。
そう言えば、すっかり忘れていましたが、今日はクリスマスでした。
タイは仏教国と言う事(物心つかない頃から半強制的に仏教徒に仕立て上げられるせいですが…)なので、デパートやショッピングセンターの客寄せの飾り付け以外は、クリスマスらしい行事はほとんど存在しません。
クリスマスと言えば思い出すのが、日本で暮らしていた頃の年に一度の子供たちへのクリスマスプレゼント。
その昔、日本仕込みのクリスマスのサンタさんを信じていた長男も、もう結婚して父親になります。
私の教え込んだ日本には来るけど、タイは暑いから来ないサンタさんを未だに信じているかは不明ですが、結婚した相手が台湾仕込みの菜食主義の宗教を信仰しているので、もうクリスマスについて考えることもないかも知れませんが…。
師走と言う名の通り、今月に入ってから店も打って変わって忙しくなり、なかなか更新もままならず…と言う状態でした。
とは言え、店が忙しくなった原因は別に師走だからと言うことではなく、数年前から始まった主要道路の拡張工事がようやく我が家の近所にも到達して、その工事車両のハイドリックホースの修理や交換で我が家の仕事が増えた事と、キャッサバ芋やサトウキビの収穫後の運搬車両の部品が出るようになったと言う事なのですが。
私が見てきた限り、タイ人は基本的に「備える」と言うことは面倒なので、日頃から整備や検査をしたりするよりも、壊れてから慌てて修理する方を選ぶのが大半です。
前に『クレジット』と言う記事にも書いたように普段から備えず、緊急事態が発生してから、夜中だろうが慌てて探し回ると言う性質なので、運搬車や作業車が動き始めると、途端にあちこちが壊れて急いで修理が始まると言う始末です。
「備えあれば憂なし」とか「転ばぬ先の杖」などと言う諺が当てはまらないのがタイなのです。
お陰で、私の右手も腱鞘炎が復活しそうです。
そう言えば、すっかり忘れていましたが、今日はクリスマスでした。
タイは仏教国と言う事(物心つかない頃から半強制的に仏教徒に仕立て上げられるせいですが…)なので、デパートやショッピングセンターの客寄せの飾り付け以外は、クリスマスらしい行事はほとんど存在しません。
クリスマスと言えば思い出すのが、日本で暮らしていた頃の年に一度の子供たちへのクリスマスプレゼント。
その昔、日本仕込みのクリスマスのサンタさんを信じていた長男も、もう結婚して父親になります。
私の教え込んだ日本には来るけど、タイは暑いから来ないサンタさんを未だに信じているかは不明ですが、結婚した相手が台湾仕込みの菜食主義の宗教を信仰しているので、もうクリスマスについて考えることもないかも知れませんが…。
2021年11月19日
クレジット
日本は秋も晩秋に差し掛かって来た頃でしょうか?
秋といえば収穫の季節ですが、一年中常夏などと思われているこのタイでも、なんとなくそれなりに季節感は有ります。
確かに日本ほど気温に変化がないので、稲作も二期作三期作と行われる事も有りますが、やはり世界的にも収穫期のこの時期に収穫される事が多いようです。
と言うわけで毎年この時期になると、稲刈り&脱穀車とも言うべきタイのつぎはぎ組立て国産車『ロットキャオカーオ』が行き交います。
この車の持ち主と言うのは往々にして、一家もしくは一族総出で、田んぼは有るが機械を持っていない農民相手に、各地を巡って稲作の収穫と脱穀を請負う謂わば『請負い収穫業者』なのです。
その請負い収穫業の人と言うのが、我が家の客にも多い彼らは、彼らの出身地はもちろんあるものの、仕事に合わせて移動するジプシー的な生活を送っています。
我が家にも顔馴染みの客的な人もいるものの、一年の収穫期の時期だけ、ほぼ決まった物を頻繁に買いに来る客という位置づけです。
その決まった物と言うのは、タイ語で『サーイパーン』、日本語で言うところの『ベルト』と言う物です。
ベルトと言っても自動車部品のベルトの事で、その稲刈り&脱穀機には決まった規格がなく、それぞれの制作者(普通はその辺にいる町の修理屋さん)によって適当に作られているので、個人個人の感性や趣味が反映されていて、ベルトの長さもその機械によって長さが違います。そして一台に5〜6本ずつ使うので、我が家のような個人の部品店でもかなりの数のベルトを常備していなければなりません。
場所も取る上にゴム製品なので重く、しかもインチに付き1.8バーツと言う値段。我が家の商品の中でも特に利益の少ない商品の一つです。
昨日の事、そんな収穫業者の女将さんらしき女性が買い物に来ました。
私と同年代くらいの、いかにもオバサンと言った風体の女性でした。
予想通り、買いに来た物は稲刈り機のベルトでしたが、その際にこんな事を言っていたのです。
「ジェー(お姉さん:タイでは店の女店主を呼ぶ言葉)、クレジットにしてくれない?この店もクレジットにしてくれればいいのに。そうすれば、夜中の作業中に、ベルトが切れた時に、わざわざチャイヤプムの町中まで買いに行かなくてもいいのに。」
私は『クレジット』と言うので、てっきりツケとかの信用払いの事だと思って、最初はどういう意図で言っているのか分からなかったのですが、何度か聞き返していると、どうやらこの女性の言う『クレジット』とは、『VIP待遇』のような特別扱いの意味らしく、彼女の言うところでは、「夜間の作業中によくベルトが切れたりするのでうちの電話番号を聞いておいて、切れたら電話して買いに来るから、店のシャッターを少し開けて商品を売ってくれればいい。」と言うものでした。
それが彼女の言う『クレジット』らしく、要は「自分たちの時間に合わせて店を開けろ」と言う要求でした。
しかも彼女は、その説明の際に、「例えば夜の10時11時にベルトが切れたら、電話するから、店のシャッターの隙間から売ってくれればいいから。」などと、理不尽な要求を平気でするのです。
彼女が言うには、自分たちはよくそうしてチャイヤプムの町中の店に夜中に買いに行っていて、それをうちでもやってくれたら、自分たちが楽になるという事でした。
まるで、世の中が自分中心に回っているようなその言い分…。
最初は、「店の開店時間は朝の7時から夕方5時までですから。」とか、「夜は私たちも休みますので…。」などとなるべく丁寧に応対していた私でしたが、あまりの自己中心的な言い分に、呆れて言葉を返す気力も失せてしまい、そのうち黙って引きつった作り笑いをして、まともに返答するのもバカバカしくなり最後はもう聞き流しました。
そんなに夜中にベルトが切れて困るのなら、予め自分たちの使うベルトのサイズを控えて置いて買い置きして置けばいいのに…と、それくらいの事もしない怠慢さに内心腹が立ちました。
まるで、毎年起こる洪水の被害に全く対処出来ないタイの行政を思い起こさせます。
日本では『お客様は神様です』とよく言いますが、タイではそんな心構えはとうの昔に消え去りました。
秋といえば収穫の季節ですが、一年中常夏などと思われているこのタイでも、なんとなくそれなりに季節感は有ります。
確かに日本ほど気温に変化がないので、稲作も二期作三期作と行われる事も有りますが、やはり世界的にも収穫期のこの時期に収穫される事が多いようです。
と言うわけで毎年この時期になると、稲刈り&脱穀車とも言うべきタイのつぎはぎ組立て国産車『ロットキャオカーオ』が行き交います。
この車の持ち主と言うのは往々にして、一家もしくは一族総出で、田んぼは有るが機械を持っていない農民相手に、各地を巡って稲作の収穫と脱穀を請負う謂わば『請負い収穫業者』なのです。
その請負い収穫業の人と言うのが、我が家の客にも多い彼らは、彼らの出身地はもちろんあるものの、仕事に合わせて移動するジプシー的な生活を送っています。
我が家にも顔馴染みの客的な人もいるものの、一年の収穫期の時期だけ、ほぼ決まった物を頻繁に買いに来る客という位置づけです。
その決まった物と言うのは、タイ語で『サーイパーン』、日本語で言うところの『ベルト』と言う物です。
ベルトと言っても自動車部品のベルトの事で、その稲刈り&脱穀機には決まった規格がなく、それぞれの制作者(普通はその辺にいる町の修理屋さん)によって適当に作られているので、個人個人の感性や趣味が反映されていて、ベルトの長さもその機械によって長さが違います。そして一台に5〜6本ずつ使うので、我が家のような個人の部品店でもかなりの数のベルトを常備していなければなりません。
場所も取る上にゴム製品なので重く、しかもインチに付き1.8バーツと言う値段。我が家の商品の中でも特に利益の少ない商品の一つです。
昨日の事、そんな収穫業者の女将さんらしき女性が買い物に来ました。
私と同年代くらいの、いかにもオバサンと言った風体の女性でした。
予想通り、買いに来た物は稲刈り機のベルトでしたが、その際にこんな事を言っていたのです。
「ジェー(お姉さん:タイでは店の女店主を呼ぶ言葉)、クレジットにしてくれない?この店もクレジットにしてくれればいいのに。そうすれば、夜中の作業中に、ベルトが切れた時に、わざわざチャイヤプムの町中まで買いに行かなくてもいいのに。」
私は『クレジット』と言うので、てっきりツケとかの信用払いの事だと思って、最初はどういう意図で言っているのか分からなかったのですが、何度か聞き返していると、どうやらこの女性の言う『クレジット』とは、『VIP待遇』のような特別扱いの意味らしく、彼女の言うところでは、「夜間の作業中によくベルトが切れたりするのでうちの電話番号を聞いておいて、切れたら電話して買いに来るから、店のシャッターを少し開けて商品を売ってくれればいい。」と言うものでした。
それが彼女の言う『クレジット』らしく、要は「自分たちの時間に合わせて店を開けろ」と言う要求でした。
しかも彼女は、その説明の際に、「例えば夜の10時11時にベルトが切れたら、電話するから、店のシャッターの隙間から売ってくれればいいから。」などと、理不尽な要求を平気でするのです。
彼女が言うには、自分たちはよくそうしてチャイヤプムの町中の店に夜中に買いに行っていて、それをうちでもやってくれたら、自分たちが楽になるという事でした。
まるで、世の中が自分中心に回っているようなその言い分…。
最初は、「店の開店時間は朝の7時から夕方5時までですから。」とか、「夜は私たちも休みますので…。」などとなるべく丁寧に応対していた私でしたが、あまりの自己中心的な言い分に、呆れて言葉を返す気力も失せてしまい、そのうち黙って引きつった作り笑いをして、まともに返答するのもバカバカしくなり最後はもう聞き流しました。
そんなに夜中にベルトが切れて困るのなら、予め自分たちの使うベルトのサイズを控えて置いて買い置きして置けばいいのに…と、それくらいの事もしない怠慢さに内心腹が立ちました。
まるで、毎年起こる洪水の被害に全く対処出来ないタイの行政を思い起こさせます。
日本では『お客様は神様です』とよく言いますが、タイではそんな心構えはとうの昔に消え去りました。
2021年11月06日
貧乏草
前にも書いたと思いますが、我が家はタイのイサーン地方の片隅で、小さな自動車部品店を営業して暮らしています。
タイに移住してこの商売を始めて、かれこれ20年近くになりますが、なんとか今までやって来ました。
始めたばかりの頃は、何の知識も無かったので、同じ県内の別の市で大きな農耕車両やトラクター部品を扱っている夫の母の甥の店から部品を分けてもらってからのスタートでした。
その後、徐々に通り掛かりや、どこかで新規の部品店開店の噂を聞いて来たセールスマンなどが店に訪れるようになり、部品の仕入れ先もだんだんと決まって来ました。
その中でも、もう開店当時からずっと細く長くと言う付き合いをしている会社の中の2社の経営者が毎日欠かさずLINEを送って来るのですが、先日そのLINEが私的にちょっと面白かったので書いてみます。
この会社の経営者の方は女性で、以前はその旦那様の方が経営者でありセールスマンも兼ねていたのですが、今から10年くらい前だったか、セールスの地方営業の途中で、自動車事故で亡くなられたので、そのまま引き継ぎ経営されているのです。
彼女は毎朝、やはり女性らしい選択で、タイでよくある曜日ごとの色をモチーフにした画像で朝の挨拶をして来るのです。
画像に書いてあるメッセージは「良い一日をお過ごしください。」とか、「健やかに過ごされますように。」「金運に恵まれますように。」などの決まり文句なのですが、その日によって、曜日の色に合わせた花屋可愛らしいティーセットなどの画像を送って来るのです。
ところが、一昨日いつものようにLINEを開くとこの画像が…。
書いてあるのは、「今日は水曜日です。」「いい事ばかりに出会えますように。」「幸運、裕福」「健やかにお過ごしください」なのですが、私がふと引っ掛かったのがこの画像の花。
確かに、水曜日の色は緑色なので、なんとなく緑色の雰囲気を醸し出しているのはいいのですが、問題はその花。
これは、春紫苑、俗に言う「貧乏草」ではないか?
私はその花を見た瞬間に、「貧乏草」としか思い浮かばなかったのです。
その貧乏草の画像に添えられた「裕福」の文字…。
なんだかすごくギャップと言うかチグハグで、一人で皮肉めいた顔をしていましたが、よくよく考えればここはタイ。
タイ人にとってこの花は貧乏草ではないのだから、そんな事は関係ないのだな…と一人納得して、誰も周囲に共感する人のいない事実をこう言う瞬間に改めて実感するのでした。
タイに移住してこの商売を始めて、かれこれ20年近くになりますが、なんとか今までやって来ました。
始めたばかりの頃は、何の知識も無かったので、同じ県内の別の市で大きな農耕車両やトラクター部品を扱っている夫の母の甥の店から部品を分けてもらってからのスタートでした。
その後、徐々に通り掛かりや、どこかで新規の部品店開店の噂を聞いて来たセールスマンなどが店に訪れるようになり、部品の仕入れ先もだんだんと決まって来ました。
その中でも、もう開店当時からずっと細く長くと言う付き合いをしている会社の中の2社の経営者が毎日欠かさずLINEを送って来るのですが、先日そのLINEが私的にちょっと面白かったので書いてみます。
この会社の経営者の方は女性で、以前はその旦那様の方が経営者でありセールスマンも兼ねていたのですが、今から10年くらい前だったか、セールスの地方営業の途中で、自動車事故で亡くなられたので、そのまま引き継ぎ経営されているのです。
彼女は毎朝、やはり女性らしい選択で、タイでよくある曜日ごとの色をモチーフにした画像で朝の挨拶をして来るのです。
画像に書いてあるメッセージは「良い一日をお過ごしください。」とか、「健やかに過ごされますように。」「金運に恵まれますように。」などの決まり文句なのですが、その日によって、曜日の色に合わせた花屋可愛らしいティーセットなどの画像を送って来るのです。
ところが、一昨日いつものようにLINEを開くとこの画像が…。
書いてあるのは、「今日は水曜日です。」「いい事ばかりに出会えますように。」「幸運、裕福」「健やかにお過ごしください」なのですが、私がふと引っ掛かったのがこの画像の花。
確かに、水曜日の色は緑色なので、なんとなく緑色の雰囲気を醸し出しているのはいいのですが、問題はその花。
これは、春紫苑、俗に言う「貧乏草」ではないか?
私はその花を見た瞬間に、「貧乏草」としか思い浮かばなかったのです。
その貧乏草の画像に添えられた「裕福」の文字…。
なんだかすごくギャップと言うかチグハグで、一人で皮肉めいた顔をしていましたが、よくよく考えればここはタイ。
タイ人にとってこの花は貧乏草ではないのだから、そんな事は関係ないのだな…と一人納得して、誰も周囲に共感する人のいない事実をこう言う瞬間に改めて実感するのでした。
2016年07月03日
夫の夏休み
毎年の事ですが、4月のソンクラーンが終わり、5月の新学期が始まったな…と思っているうちに、いつの間にかカオパンサーが近付いて来ると、店も農閑期の影響でだいぶ暇になって来ます。
今までなら、こういう時期は暇を持て余しながらも、家でゴロゴロしながら適当に過ごしていた夫ですが、今年は、大学1年の長女と大学3年の長男の長期休みで揃って帰省しているため、ここぞとばかりに一週間以上家にも戻らず、実家の沼池で趣味の釣りに明け暮れていたようです。
そもそも、タイの政府の訳の分からない『ASEAN政策』で、大学の休みが、小中高のソンクラーンを挟んだ長期休みとずれて、6月過ぎからとなったため、我が家の日本一時帰国計画も、今年から見通しが立たなくなった訳です。
お陰で私は、子連れで一時帰国が出来なくなり、今度日本に帰れるのは、何年後になるのか分からなくなり、ここイサーンの片隅で来る日も来る日も、ひたすらうんざりするようなタイ人相手に商売をするしかなくなりました。
それとは反対に、長男も帰っているので、夫は家でやる事が増々無くなって、もはや居ても居なくても同じ…と言う状況になり、いたたまれなくなったのか、単に「これはチャンス!」と思ったのか、衣装ケースに着替えを詰めて、大事な釣り具セット一式車に積んで、出掛ける事一週間と少し、もはや、次男からは「ポー(お父さん)って誰?」と真面目な顔で聞き返されるほど、家に居ない事が多くなりました。
そして、帰って来ると家族の反応が不安なのか、「むこう(沼池)に居ると、みんなが聞くんだよ。こんなに毎日毎日、毎晩毎晩家を空けて、奥さんが文句を言わないのか?って。」と聞くので、私は、「私は、タイ人の奥さんじゃないからじゃない?ほら、いつでもどこでもくっついて行くみたいな…。私は、一体何がそんなに心配なのか分からないけどさ。(自分の旦那がそんなに格好いいとでも思ってるのかね。まあ、付き合い始めの若いカップルなら分からないでもないけどね。)←内心。」と答え、「まあ、私がいろいろ聞かないのは、自分で赤ちゃんじゃないんだから考えて行動出来ると信じてるからね。(←「まさか、まだ
脳みそ残ってるだろうから、バカな事はしないでしょ?」とさりげなく釘を刺して置く。)」と言う感じで答えています。
よく子供達とも話すのですが、実際のところ、もしも私が一般的なタイ人の奥さんだったら、こういう生活をしている夫は、今頃命が無いか、奥さんが出て行っている,もしくは最初からこういう生活など出来るはずが無い…と言う、結論になっています。
まあ、そうこう子供達と何かに付けて話題に上る夫の行動ですが、実際のところ、私と子供達は、割とこの状況を楽しんでいたりします。
「鬼の居ぬ間に命の洗濯」ではないですが、こういう好き勝手な事をしているくせに、家に帰って来ると、急に偉そうに主人面をして、小さな事から文句ばかり言っているので、私も子供もいい加減うんざりしているのです。
居ない方が気が楽と言うのが本音です。
タイの諺では、「猫が居ないと、ネズミが浮かれる。」と言うようなのがありますが、まさに私はそのネズミです。
こちらは、店番はもちろん、商品チェックから注文、値段設定、品出しまで全部やって、それこそ一日中身を粉にして働いているのに、自分は遊んで来て、戻ったら文句を言うばかりでは、誰でも怒って当然だと思うのですが…。
そういう事が続いたので、帰省中で、毎日留守の父親の代わりに店を手伝ってくれていた長男や長女も、あまりの放蕩親父に呆れ果てています。
なんだか、クーデター寸前のどこかの政府のようですが、国民ならぬ家族の不満は爆発寸前です。
いつもは、冷静沈着な長男も、先日、2、3日泊まり掛けで出掛かると言いながら、結局一週間戻らず、ようやく帰って来たと思ったら、翌日サッケオ県の友達の所を訪ねる約束をしてるから、車を変えてまた出掛けるからと言う父親に、「今度またこういうことがあれば、今度こそ一言言い返すかも知れない。」と、静かな怒りを露にしていました。
実は、その日買い出しに出掛ける予定だった私たちに、自分が急いで乗用車(普段は私が乗っている家族用)を使いたいから、「買い物なんて、必要な物だけ買えばいいんだ。ゆっくり見てるんじゃない。さっさと行ってさっさと帰って来い。」と言い出した夫に、長女が「買い物はマラソンじゃないんだよ。」と皮肉めいて言った事で、逆ギレし、「お前は子供のくせに親に文句を言うのか!俺が子供の時、お母さんにそんな口はきかなかったぞ!そんな事を言うお前は、きっと地獄に堕ちるぞ!大体、もし俺がお前の事を抱いてやらなければ、お前はとっくの昔に死んでいたんだ。」などと、一方的に威張り腐った支配者のような言い方をするので、それを聞いていた、長男があまりの暴君ぶりに呆れ果てたと言う訳です。
一体、いつからこうなってしまったのか…?
家族との溝は深まるばかりですが、子供達がタイの「親が大事」的な洗脳教育の影響を少しは受けているので、タイの常識的に、父親にそれほどの暴言を吐く事はありません。
これが、もし日本で育っていたら、今頃父親は家には居ないかも知れません。
まあ、それは私たちが日本で暮らしていたら…と言う話なので、この夫も、日本で暮らして居た頃は、猫を被っていたと言うか、故郷に戻ってからの夫とは別人だったので、子供に文句を言われるほどの事はしていなかったでしょう。
良く有る話ですが、環境が変わると人も変わります。
タイで知り合って、日本に帰ったら、日本で知り合って、タイに帰ったら…など、「向こうではこうじゃなかったのに…。」と言う話はよく耳にします。
特に、日本からタイに帰って来たタイ人と言うのは、まさに水を得た魚。
男女問わず、連れて来た日本人(外国人)を無視して思い切り好き勝手するパターンが多いです。
これから、そう言う予定がある方は、特に気をつけましょう…と言うか、覚悟を決めた方がいいと思います。
さて、こうしてしばらく続いた夫の『放蕩生活』もとい、『夏休み』も、来週からは少しは、改善されるかもしれません。
長男の大学が、来週から開講になるので、今日から大学に戻ってしまったからです。
長女の大学はまだ長期休みで、8月中旬から新学期ですが、夫が私の手伝いとして、長男のように頼っていないので、今までほどの勝手気ままな生活は改めるでしょう。
夫の憩いの『我が家』である沼池
今までなら、こういう時期は暇を持て余しながらも、家でゴロゴロしながら適当に過ごしていた夫ですが、今年は、大学1年の長女と大学3年の長男の長期休みで揃って帰省しているため、ここぞとばかりに一週間以上家にも戻らず、実家の沼池で趣味の釣りに明け暮れていたようです。
そもそも、タイの政府の訳の分からない『ASEAN政策』で、大学の休みが、小中高のソンクラーンを挟んだ長期休みとずれて、6月過ぎからとなったため、我が家の日本一時帰国計画も、今年から見通しが立たなくなった訳です。
お陰で私は、子連れで一時帰国が出来なくなり、今度日本に帰れるのは、何年後になるのか分からなくなり、ここイサーンの片隅で来る日も来る日も、ひたすらうんざりするようなタイ人相手に商売をするしかなくなりました。
それとは反対に、長男も帰っているので、夫は家でやる事が増々無くなって、もはや居ても居なくても同じ…と言う状況になり、いたたまれなくなったのか、単に「これはチャンス!」と思ったのか、衣装ケースに着替えを詰めて、大事な釣り具セット一式車に積んで、出掛ける事一週間と少し、もはや、次男からは「ポー(お父さん)って誰?」と真面目な顔で聞き返されるほど、家に居ない事が多くなりました。
そして、帰って来ると家族の反応が不安なのか、「むこう(沼池)に居ると、みんなが聞くんだよ。こんなに毎日毎日、毎晩毎晩家を空けて、奥さんが文句を言わないのか?って。」と聞くので、私は、「私は、タイ人の奥さんじゃないからじゃない?ほら、いつでもどこでもくっついて行くみたいな…。私は、一体何がそんなに心配なのか分からないけどさ。(自分の旦那がそんなに格好いいとでも思ってるのかね。まあ、付き合い始めの若いカップルなら分からないでもないけどね。)←内心。」と答え、「まあ、私がいろいろ聞かないのは、自分で赤ちゃんじゃないんだから考えて行動出来ると信じてるからね。(←「まさか、まだ
脳みそ残ってるだろうから、バカな事はしないでしょ?」とさりげなく釘を刺して置く。)」と言う感じで答えています。
よく子供達とも話すのですが、実際のところ、もしも私が一般的なタイ人の奥さんだったら、こういう生活をしている夫は、今頃命が無いか、奥さんが出て行っている,もしくは最初からこういう生活など出来るはずが無い…と言う、結論になっています。
まあ、そうこう子供達と何かに付けて話題に上る夫の行動ですが、実際のところ、私と子供達は、割とこの状況を楽しんでいたりします。
「鬼の居ぬ間に命の洗濯」ではないですが、こういう好き勝手な事をしているくせに、家に帰って来ると、急に偉そうに主人面をして、小さな事から文句ばかり言っているので、私も子供もいい加減うんざりしているのです。
居ない方が気が楽と言うのが本音です。
タイの諺では、「猫が居ないと、ネズミが浮かれる。」と言うようなのがありますが、まさに私はそのネズミです。
こちらは、店番はもちろん、商品チェックから注文、値段設定、品出しまで全部やって、それこそ一日中身を粉にして働いているのに、自分は遊んで来て、戻ったら文句を言うばかりでは、誰でも怒って当然だと思うのですが…。
そういう事が続いたので、帰省中で、毎日留守の父親の代わりに店を手伝ってくれていた長男や長女も、あまりの放蕩親父に呆れ果てています。
なんだか、クーデター寸前のどこかの政府のようですが、国民ならぬ家族の不満は爆発寸前です。
いつもは、冷静沈着な長男も、先日、2、3日泊まり掛けで出掛かると言いながら、結局一週間戻らず、ようやく帰って来たと思ったら、翌日サッケオ県の友達の所を訪ねる約束をしてるから、車を変えてまた出掛けるからと言う父親に、「今度またこういうことがあれば、今度こそ一言言い返すかも知れない。」と、静かな怒りを露にしていました。
実は、その日買い出しに出掛ける予定だった私たちに、自分が急いで乗用車(普段は私が乗っている家族用)を使いたいから、「買い物なんて、必要な物だけ買えばいいんだ。ゆっくり見てるんじゃない。さっさと行ってさっさと帰って来い。」と言い出した夫に、長女が「買い物はマラソンじゃないんだよ。」と皮肉めいて言った事で、逆ギレし、「お前は子供のくせに親に文句を言うのか!俺が子供の時、お母さんにそんな口はきかなかったぞ!そんな事を言うお前は、きっと地獄に堕ちるぞ!大体、もし俺がお前の事を抱いてやらなければ、お前はとっくの昔に死んでいたんだ。」などと、一方的に威張り腐った支配者のような言い方をするので、それを聞いていた、長男があまりの暴君ぶりに呆れ果てたと言う訳です。
一体、いつからこうなってしまったのか…?
家族との溝は深まるばかりですが、子供達がタイの「親が大事」的な洗脳教育の影響を少しは受けているので、タイの常識的に、父親にそれほどの暴言を吐く事はありません。
これが、もし日本で育っていたら、今頃父親は家には居ないかも知れません。
まあ、それは私たちが日本で暮らしていたら…と言う話なので、この夫も、日本で暮らして居た頃は、猫を被っていたと言うか、故郷に戻ってからの夫とは別人だったので、子供に文句を言われるほどの事はしていなかったでしょう。
良く有る話ですが、環境が変わると人も変わります。
タイで知り合って、日本に帰ったら、日本で知り合って、タイに帰ったら…など、「向こうではこうじゃなかったのに…。」と言う話はよく耳にします。
特に、日本からタイに帰って来たタイ人と言うのは、まさに水を得た魚。
男女問わず、連れて来た日本人(外国人)を無視して思い切り好き勝手するパターンが多いです。
これから、そう言う予定がある方は、特に気をつけましょう…と言うか、覚悟を決めた方がいいと思います。
さて、こうしてしばらく続いた夫の『放蕩生活』もとい、『夏休み』も、来週からは少しは、改善されるかもしれません。
長男の大学が、来週から開講になるので、今日から大学に戻ってしまったからです。
長女の大学はまだ長期休みで、8月中旬から新学期ですが、夫が私の手伝いとして、長男のように頼っていないので、今までほどの勝手気ままな生活は改めるでしょう。
夫の憩いの『我が家』である沼池
2015年01月13日
手配書の成果
先日の記事『貼ってみました。』(http://muangchai.namjai.cc/e149732.html)で、指名手配書もとい「尋ね人」の貼り紙を貼り出してから約20日。
先週の木曜日に、ようやくその尋ね人本人が現れた。
それまでにも、その『尋ね人』の貼り紙を貼り出してから来店する客の反応はかなりあって、手応えを感じてはいたのだが、これと言った成果は上がっていなかった。
中には、とても興味深そうに「この人どうしたの?」とか、ツケを払わないと言うと「いくらくらいなの?」などと詳しい事を聞いて来て、「これは、手応えあり?知り合いかも?」と言う人も数人いたのだが、それだけでは決定打にはならず、一日また一日と過ぎて新年を迎えてしまった。
私たちも、もうそういう質問にも慣れて来てしまって、「ああ、またか…。」くらいに気にならなくなっていた。
そんな空気が流れていた先週の水曜日の事。
2トン車のブレーキパッド等の部品を買いに来た中年の女性が、部品を待っている間に例の貼り紙を食い入る様に見ていた。
そして、部品を揃えて持って行くと、すぐに「この子は何でここに貼られているの?」と聞くので、事情を説明したところ、
「この子は私の甥なんだよ。まあ、それにこの子は自分のトラクターは持っていないから、奥さんのお父さんのトラクターの部品だったんだろうね。私が言って置いてあげるから。悪気が有ったんじゃないと思うよ。」
と、自分の甥を弁護するような言い方で、さっそくその甥へと電話してくれた。
すると電話が終わって、「やっぱり、あの子は奥さんのお父さんの代わりに買いに来たんだって。それで、ツケの伝票は奥さんのお母さんに渡したんだけど、そのお母さんが払うのを忘れてしまったらしいよ。」と、その一家の事情の一部始終を話してくれた。
そして翌日…。
その伯母さんから話を聞いた「カングン」君はお母さんからお金を貰い、慌てて払いに来たらしい。
「らしい」と言うのは、彼が払いに来た時間、私は末っ子のミック学校に迎えに行って留守だったので、店番をしていた夫から聞いたのだった。
しかも、さすがは「いい人」の夫。
私が、わざわざ数百バーツの利子を計算して書いて置いたのに、まったく無視して、わずか20バーツちょっと上乗せしただけで、チャラにしてしまった。
私がこの貼り紙を貼り出すと言う強硬手段に出るまでに至った、日々の葛藤と苦悩を全く無視した夫の行動に、もはや怒りも呆れも通り越して「諦め」だけが残った。
顔も覚えていないくらいの相手に、結果的に何の保証もなくツケをさせてしまい、しかも「夕方には持ってくる」と言ったその言葉を信じて待っていたにも関わらず、翌日その翌日…と結局数ヶ月も待たされて、しかも向こうは忘れていた…。
この間の私の気苦労は何だったのか。それをせめてわずかな利子でも…と、支払いの際に徴収しようと計算して置いたにも関わらす…だ。
しかし、当の夫はこの貼り紙作戦が功を成した事に上機嫌で、「これからもこれで行こう!」と張り切っていた。
だが、私は心の中で「ここまでして最後にがっかりするくらいなら、これからは私がもっと厳しくして、最初からツケを拒否した方がいいな…。」と全く別の事を考えていた。
と、最近どんどん他人(タイ人客)に厳しくなっている自分自身に改めて気付いた。
先週の木曜日に、ようやくその尋ね人本人が現れた。
それまでにも、その『尋ね人』の貼り紙を貼り出してから来店する客の反応はかなりあって、手応えを感じてはいたのだが、これと言った成果は上がっていなかった。
中には、とても興味深そうに「この人どうしたの?」とか、ツケを払わないと言うと「いくらくらいなの?」などと詳しい事を聞いて来て、「これは、手応えあり?知り合いかも?」と言う人も数人いたのだが、それだけでは決定打にはならず、一日また一日と過ぎて新年を迎えてしまった。
私たちも、もうそういう質問にも慣れて来てしまって、「ああ、またか…。」くらいに気にならなくなっていた。
そんな空気が流れていた先週の水曜日の事。
2トン車のブレーキパッド等の部品を買いに来た中年の女性が、部品を待っている間に例の貼り紙を食い入る様に見ていた。
そして、部品を揃えて持って行くと、すぐに「この子は何でここに貼られているの?」と聞くので、事情を説明したところ、
「この子は私の甥なんだよ。まあ、それにこの子は自分のトラクターは持っていないから、奥さんのお父さんのトラクターの部品だったんだろうね。私が言って置いてあげるから。悪気が有ったんじゃないと思うよ。」
と、自分の甥を弁護するような言い方で、さっそくその甥へと電話してくれた。
すると電話が終わって、「やっぱり、あの子は奥さんのお父さんの代わりに買いに来たんだって。それで、ツケの伝票は奥さんのお母さんに渡したんだけど、そのお母さんが払うのを忘れてしまったらしいよ。」と、その一家の事情の一部始終を話してくれた。
そして翌日…。
その伯母さんから話を聞いた「カングン」君はお母さんからお金を貰い、慌てて払いに来たらしい。
「らしい」と言うのは、彼が払いに来た時間、私は末っ子のミック学校に迎えに行って留守だったので、店番をしていた夫から聞いたのだった。
しかも、さすがは「いい人」の夫。
私が、わざわざ数百バーツの利子を計算して書いて置いたのに、まったく無視して、わずか20バーツちょっと上乗せしただけで、チャラにしてしまった。
私がこの貼り紙を貼り出すと言う強硬手段に出るまでに至った、日々の葛藤と苦悩を全く無視した夫の行動に、もはや怒りも呆れも通り越して「諦め」だけが残った。
顔も覚えていないくらいの相手に、結果的に何の保証もなくツケをさせてしまい、しかも「夕方には持ってくる」と言ったその言葉を信じて待っていたにも関わらず、翌日その翌日…と結局数ヶ月も待たされて、しかも向こうは忘れていた…。
この間の私の気苦労は何だったのか。それをせめてわずかな利子でも…と、支払いの際に徴収しようと計算して置いたにも関わらす…だ。
しかし、当の夫はこの貼り紙作戦が功を成した事に上機嫌で、「これからもこれで行こう!」と張り切っていた。
だが、私は心の中で「ここまでして最後にがっかりするくらいなら、これからは私がもっと厳しくして、最初からツケを拒否した方がいいな…。」と全く別の事を考えていた。
と、最近どんどん他人(タイ人客)に厳しくなっている自分自身に改めて気付いた。
2014年12月21日
貼ってみました。
もう年末も近いのに、相変わらずツケを放置したままの客たち…。
今朝も今年の4月から5,000バーツ相当の品物を持って行って、未だに支払いに来ていなかった客が買い物にきたのだが、「あの…、パイサーンさんですよね。前の部品代が残ってるんですけど…。」と言うと、「え?そうだっけ…?ああ、ああ、そうだ、そうだ。でいくらだっけ?」とまるで忘れていたようだ。
私はかなりムッとしながら、「利子が一ヶ月当たり100バーツになるので、現在の金額は5,800バーツです。」と言った。
すると大方のお決まりのセリフで、「今芋を収穫するところだから、それが終わったら持って来るよ。正月前後には終わるから。」と答えて帰って行った。
こう言う客が後を絶たないのだが、それは何も我が家に限った事ではないらしく、以前我が家にハイドリックホースの修理に来た客で、我が家がこの市に店を開く以前にこの市で部品屋をやっていた…と言う人が、「この辺の客はツケしても払いに来る気が更々無い。IDカードを預けさせても、払いたくないから取りに来ない。お陰であの頃はIDカードだけで、段ボール箱一杯になったよ。」と話していた。
まあ、我が家はそこまでにはなっていないが、ツケの伝票を見る度に頭が痛くなる事は事実だ。
そこで今朝は、数か月前に4,000バーツ程度のツケをして、音信不通の客の対策を考えてみた。
その客は全く常連でもなかったので、電話番号を聞こうとしたが覚えていないと言い、IDカードを預かろうと思ったら、そのカードはこれから病院に行くので使うから預けられないと断った。
そして本人は夕方にはお金を持って支払いに来るから…と言い残して去って行ったのだった。
するとその日の夕方はもちろん、翌日も翌々日も全く来る気配も無い。
ではせめて…と写真を撮って置いたので、それを店頭に貼り出す事にした。
これで、効果が出るといいのだが…。
今朝も今年の4月から5,000バーツ相当の品物を持って行って、未だに支払いに来ていなかった客が買い物にきたのだが、「あの…、パイサーンさんですよね。前の部品代が残ってるんですけど…。」と言うと、「え?そうだっけ…?ああ、ああ、そうだ、そうだ。でいくらだっけ?」とまるで忘れていたようだ。
私はかなりムッとしながら、「利子が一ヶ月当たり100バーツになるので、現在の金額は5,800バーツです。」と言った。
すると大方のお決まりのセリフで、「今芋を収穫するところだから、それが終わったら持って来るよ。正月前後には終わるから。」と答えて帰って行った。
こう言う客が後を絶たないのだが、それは何も我が家に限った事ではないらしく、以前我が家にハイドリックホースの修理に来た客で、我が家がこの市に店を開く以前にこの市で部品屋をやっていた…と言う人が、「この辺の客はツケしても払いに来る気が更々無い。IDカードを預けさせても、払いたくないから取りに来ない。お陰であの頃はIDカードだけで、段ボール箱一杯になったよ。」と話していた。
まあ、我が家はそこまでにはなっていないが、ツケの伝票を見る度に頭が痛くなる事は事実だ。
そこで今朝は、数か月前に4,000バーツ程度のツケをして、音信不通の客の対策を考えてみた。
その客は全く常連でもなかったので、電話番号を聞こうとしたが覚えていないと言い、IDカードを預かろうと思ったら、そのカードはこれから病院に行くので使うから預けられないと断った。
そして本人は夕方にはお金を持って支払いに来るから…と言い残して去って行ったのだった。
するとその日の夕方はもちろん、翌日も翌々日も全く来る気配も無い。
ではせめて…と写真を撮って置いたので、それを店頭に貼り出す事にした。
これで、効果が出るといいのだが…。
2014年12月07日
剥がれた爪
以前も書いたことがあるが、我が家の商売は自動車部品の販売である。
自動車部品と言っても、我が家で扱っているのはダンプやトラックと言った中大型自動車と、トラクターや耕耘機と言った農業用車両とタイ農業用車両であるロット•イテーンの部品などが主な商品になる。
元々日本に居た頃に、このノンブアラウェー市に投資目的で土地を買って商業用の建て売り住宅を建設した夫の従兄弟が、その建物を売りたいが為に、日本で働いていた夫に白羽の矢が当たったのだ。
そして、その従兄弟と言うのが元々隣の市でトラクター部品の専門店をしていた事から、「隣の市でそれと同じ事業をやらないか?」と言う誘いでこの地に引き込まれ、日本から移住してここで商売を始めることになったのだった。
ところが、従兄弟の老舗のトラクター専門店とは違い、まだ店を始めた当初の我が家はそれだけではとてもやって行ける状況ではなかった。
我が家のある市は、その従兄弟の店がある市より更に田舎で規模も小さい場所だったからだ。
そのため、当時日本で稼いで義母に送金し続けた挙げ句にようやく貯めた100万バーツと言うわずかばかりの所持金では、新生活品の調達、車の購入、そしてこれから始める商売の仕入れ代ですっかり終わってしまい、農業の季節によって売り上げが大幅に左右されるトラクター部品だけではやって行けないと夫は判断した。
それでその他の自動車部品も販売し始めて、今は私が苦手なトラクター部品よりも、日本車の多い大型自動車部品の割合が多くなっている。
当初はタイでは最も需要が多い、ピックアップトラックや普通の乗用車の部品も扱っていたのだが、我々よりも4年ほど後に同じく出稼ぎしていた日本から戻って来た義姉夫婦が、隣で修理工場兼部品販売をする事になり、その乗用車部品だけを持って行ってしまったので、我が家はトラクターや大型部品を中心とした重量のある部品が主となってしまった。
さて、いつもの事ながらすっかり前置きが長くなってしまったが、そう言う事で酸素ボンベやトラクターの部品など、我が家の商品はとにかく重い、危険な物が多い。
前に、お客で足の指の部分に包帯を巻いて来た若者がいたので、どうしたのか聞いたら「ブルドーザーの前部に付いている鉄板部分が足に落ちた」と言う事だった。
それを聞いた時は他人事ながら鳥肌が立ったものだった。
ところが、ほんの数ヶ月前のある日、いつものように夫が闘鶏場に出掛けて留守にしていた土曜日にそれは起こった。
我が家にはそのブルドーザーの鉄板部の端に取り付ける「鉄の刃」と呼ばれる商品があるのだが、それを売っていて、普段は一人で運ぶのだが、その日はたまたま居合わせた長女が手伝って、二人で運ぼうとした為にバランスを崩してタイミングを外し、手を滑らせて私の右手の小指の爪に落としてしまった。
落としたと言っても、先ほど足の爪に落とした若者のように、完全に潰れるほどまともには乗った訳ではなく、その鉄板と下の鉄板の間に挟まれた感じになったので、最初はちょっと挟んだくらいの感覚しかなかった。
しかし、気を取り直して長女を制し私一人で運ぼうとしたところ、その挟んだ小指から血が滴ったので、「挟んだだけなのに…?」と思ったが、とりあえずティッシュで押さえて運び、仕事が終わって見てみると、小指の爪がすっかり内出血していた。
さて、最初は痺れていただけの指先だったが、時間が経つと徐々に痛みが始まった。
とりあえず、血が集まると余計に痛いのではないかと思い、仕事机に腕を置いて心臓より指先の位置を高くするようにしてみる。
…が、痛い。
そのうちじっとしているのが辛いほど、痛みが上って来た。
何年か前に、子供たちと同じ小学校だった子供が、中国正月の季節に爆竹で遊んでいて、手の指が2本吹っ飛んだと言う話を聞いたが、私の爪が挟まれた程度でこんなに痛いのなら、その子供はどれくらい痛かったのだろう?などと、余計な想像しながら痛みに耐える事数時間。
夕方頃になると、痛みに慣れて来たのか、だいぶ耐えられる程度の痛みに治まって来た。
しかし、内出血のせいで爪は真っ黒と言うかどす黒い赤になり、まるで普段全く縁のないマニキュアでも塗っているかのようになった。
そして、休めばいいのに日課のウォーキングマシンで40分歩いているうちに、腕を振ると小指の先に余計に血が溜まる事に気が付き、それから数日は左手だけ振ってウォーキングと言う奇妙な格好で歩いていた。
そんな事があってから、約一ヶ月。
小指だけマニキュア生活にも慣れた頃、その爪の上半分近くが、何となく剥離しているような隙間が開いたようになって来た。
そして、それからまた数日後。
いつもの様に、PCで動画を見ていたところ…。
何気なく、パカパカしている小指の先を触ってみたら…剥げた。
そして特に痛みもなく、まるで抜けかけた乳歯みたいなむず痒い感覚に襲われたので、もう少しいじってみたら、ついに完全剥離。
さて、それから数ヶ月後…。
乾いた生爪状態から変な甘皮のような半人前の爪が生えて来て、それがどうも一人前にならずにいたら、さらに二段にまた新しい爪が生えて来たので経過を見守っていたところ…。
数日前にようやく半人前の爪の上段部分が無くなり、まともな爪に完全に生え変わった。
剥げてしまった爪が再生すると言うのは、私より色々な人生経験の多い長男が、幼稚園時代にした「足の親指の爪をドアで挟んで剥げた」と言う体験談を聞いていたのだが、最初は「これが元通りに戻るのか?」と半信半疑だった。
しかし長男の言う通り、どす黒い血の色の爪から、すっかり元通りの桜貝色の爪に戻った。
その事実に妙に納得するとともに、これとほぼ同じ苦痛をわずか5歳のときに体験してしまった長男を心底可哀想に思ったのだった。
追伸、いつもの事ながら、前置きが長くなり申し訳ありません。
自動車部品と言っても、我が家で扱っているのはダンプやトラックと言った中大型自動車と、トラクターや耕耘機と言った農業用車両とタイ農業用車両であるロット•イテーンの部品などが主な商品になる。
元々日本に居た頃に、このノンブアラウェー市に投資目的で土地を買って商業用の建て売り住宅を建設した夫の従兄弟が、その建物を売りたいが為に、日本で働いていた夫に白羽の矢が当たったのだ。
そして、その従兄弟と言うのが元々隣の市でトラクター部品の専門店をしていた事から、「隣の市でそれと同じ事業をやらないか?」と言う誘いでこの地に引き込まれ、日本から移住してここで商売を始めることになったのだった。
ところが、従兄弟の老舗のトラクター専門店とは違い、まだ店を始めた当初の我が家はそれだけではとてもやって行ける状況ではなかった。
我が家のある市は、その従兄弟の店がある市より更に田舎で規模も小さい場所だったからだ。
そのため、当時日本で稼いで義母に送金し続けた挙げ句にようやく貯めた100万バーツと言うわずかばかりの所持金では、新生活品の調達、車の購入、そしてこれから始める商売の仕入れ代ですっかり終わってしまい、農業の季節によって売り上げが大幅に左右されるトラクター部品だけではやって行けないと夫は判断した。
それでその他の自動車部品も販売し始めて、今は私が苦手なトラクター部品よりも、日本車の多い大型自動車部品の割合が多くなっている。
当初はタイでは最も需要が多い、ピックアップトラックや普通の乗用車の部品も扱っていたのだが、我々よりも4年ほど後に同じく出稼ぎしていた日本から戻って来た義姉夫婦が、隣で修理工場兼部品販売をする事になり、その乗用車部品だけを持って行ってしまったので、我が家はトラクターや大型部品を中心とした重量のある部品が主となってしまった。
さて、いつもの事ながらすっかり前置きが長くなってしまったが、そう言う事で酸素ボンベやトラクターの部品など、我が家の商品はとにかく重い、危険な物が多い。
前に、お客で足の指の部分に包帯を巻いて来た若者がいたので、どうしたのか聞いたら「ブルドーザーの前部に付いている鉄板部分が足に落ちた」と言う事だった。
それを聞いた時は他人事ながら鳥肌が立ったものだった。
ところが、ほんの数ヶ月前のある日、いつものように夫が闘鶏場に出掛けて留守にしていた土曜日にそれは起こった。
我が家にはそのブルドーザーの鉄板部の端に取り付ける「鉄の刃」と呼ばれる商品があるのだが、それを売っていて、普段は一人で運ぶのだが、その日はたまたま居合わせた長女が手伝って、二人で運ぼうとした為にバランスを崩してタイミングを外し、手を滑らせて私の右手の小指の爪に落としてしまった。
落としたと言っても、先ほど足の爪に落とした若者のように、完全に潰れるほどまともには乗った訳ではなく、その鉄板と下の鉄板の間に挟まれた感じになったので、最初はちょっと挟んだくらいの感覚しかなかった。
しかし、気を取り直して長女を制し私一人で運ぼうとしたところ、その挟んだ小指から血が滴ったので、「挟んだだけなのに…?」と思ったが、とりあえずティッシュで押さえて運び、仕事が終わって見てみると、小指の爪がすっかり内出血していた。
さて、最初は痺れていただけの指先だったが、時間が経つと徐々に痛みが始まった。
とりあえず、血が集まると余計に痛いのではないかと思い、仕事机に腕を置いて心臓より指先の位置を高くするようにしてみる。
…が、痛い。
そのうちじっとしているのが辛いほど、痛みが上って来た。
何年か前に、子供たちと同じ小学校だった子供が、中国正月の季節に爆竹で遊んでいて、手の指が2本吹っ飛んだと言う話を聞いたが、私の爪が挟まれた程度でこんなに痛いのなら、その子供はどれくらい痛かったのだろう?などと、余計な想像しながら痛みに耐える事数時間。
夕方頃になると、痛みに慣れて来たのか、だいぶ耐えられる程度の痛みに治まって来た。
しかし、内出血のせいで爪は真っ黒と言うかどす黒い赤になり、まるで普段全く縁のないマニキュアでも塗っているかのようになった。
そして、休めばいいのに日課のウォーキングマシンで40分歩いているうちに、腕を振ると小指の先に余計に血が溜まる事に気が付き、それから数日は左手だけ振ってウォーキングと言う奇妙な格好で歩いていた。
そんな事があってから、約一ヶ月。
小指だけマニキュア生活にも慣れた頃、その爪の上半分近くが、何となく剥離しているような隙間が開いたようになって来た。
そして、それからまた数日後。
いつもの様に、PCで動画を見ていたところ…。
何気なく、パカパカしている小指の先を触ってみたら…剥げた。
そして特に痛みもなく、まるで抜けかけた乳歯みたいなむず痒い感覚に襲われたので、もう少しいじってみたら、ついに完全剥離。
さて、それから数ヶ月後…。
乾いた生爪状態から変な甘皮のような半人前の爪が生えて来て、それがどうも一人前にならずにいたら、さらに二段にまた新しい爪が生えて来たので経過を見守っていたところ…。
数日前にようやく半人前の爪の上段部分が無くなり、まともな爪に完全に生え変わった。
剥げてしまった爪が再生すると言うのは、私より色々な人生経験の多い長男が、幼稚園時代にした「足の親指の爪をドアで挟んで剥げた」と言う体験談を聞いていたのだが、最初は「これが元通りに戻るのか?」と半信半疑だった。
しかし長男の言う通り、どす黒い血の色の爪から、すっかり元通りの桜貝色の爪に戻った。
その事実に妙に納得するとともに、これとほぼ同じ苦痛をわずか5歳のときに体験してしまった長男を心底可哀想に思ったのだった。
追伸、いつもの事ながら、前置きが長くなり申し訳ありません。
2014年09月20日
タイ人客のツケ対策
昨夕の事。
店を閉めてから、昨年から我が市にも開店した、セブンイレブンとテスコロータスの縮小版ロータス•エクスプレスに買い出しに出掛けた。
まあ、ほぼ毎日のように通っているのだが、いつもはその道順から、ロータスに寄ってからUターンし、道路を挟んで向かいにあるセブンに寄っていた。
ところが昨夕は、セブンで用事が済めばそれで帰ろうと思っていたので、先にセブンに寄り、いつも通りセブンのカードで買い物を済ませたが、残高が500バーツくらいになっていたので、ちょうど財布に入れて来た1,000バーツを何気なくカードに入れてしまった。
それから、セブンでは買えなかった物があり、結局もう一度Uターンして向かいのロータスに行ったのだが、必要な物をカゴに入れ、いざレジで支払おうとしたところ、財布の中に100バーツしか残っていない事に気が付いた。
「…?たしか家を出るときに1,000バーツ入れて来たはずなのに…。」と焦って探していると、先ほどセブンのレジで、カードで買い物した後に、カードの残高を増やす為に、ついクセでその1,000バーツを入れてしまった事に思い当たった。
私は、急いで店員さんに「あ、この商品はちょっと置いておいてください。今、すぐにお金取って来ますから…。」と言い残して大急ぎで店を出て、家に着くとすぐにお金を持ってロータスに戻り無事支払いを済ませた。
普段、買い物でお金が足りないと言う事がないように、いつも余分にお金を持って買い物に行く私としては本当に冷や汗物だった。
まあ、ロータスやセブンと言った店でツケをする人は、まさか居ないだろうとは思うが(でも、ここイサーンの人々なら有るかも…と思えるところが怖い。)、私はこういう店だろうが、個人商店だろうが、もし持参したお金が足りないと言うことがあれば、未払いの商品はそのまま店の人に預けて、急いで現金を取りに帰って、引き返し支払いを済ませる。
普通に考えて、それは常識だと思うだろうが、日本人の常識はタイ人とは違うのだ。
例えば、我が家に買い物に来る大抵の客は全く違う。
自分が、いくら持っているか…と言う事に拘らず、買い物に来る。
中には、全くお金を持って来ないのに、平気で買い物に来る…と言う強者もいる。
もちろん、当然のように「ツケといて。」である。
「持ってるお金が足りない…。」と言うのは、よくある事である。
それでも、まだ私たちが認める常連客ならいい。
顔も見た事があるか分からないような(向こうは、常連だと言い張るが…)客なのに、「これしか持ってないから、残りは今度持って来るから。」と言うような事を言う。
だったら、先にお金を取りに行って戻って来ればいいのに、タイ人は決まって「後でお金持って来るから。」と言って、どうしてもまだ未払いの商品を先に持って行こうとするのだ。
最初はそれでも客を信じて、何の保証も無いのに「今度持って来る。」と言って、ぱったりと払いに来ない客を待った事もあった。
多分、「貸した金は忘れないが、借りた金は忘れる。」の言葉通り、借金はきれいさっぱり忘れてしまった人たちなのだろう。
でも、我が家の商売もさすがにもう12年。
私たちも伝票を書いたりしたが、伝票だけ書いてもそのまま失くしてしまうのか、1年2年3年…と一向に払いに来ない客が後を絶たない。
夫は、世間体を気にする方なので、あまり乗り気ではなかったが、免許証やIDカードを保証として預かる…と言うのも試したが、免許証は運転する客が多いので、渡したがらないし(私としては必要性のある免許証を預かって置きたいのだが。)、IDカードは免許証ほど必要性がないのと、紛失しても20バーツくらいですぐに市役所で再発行出来るので、そのまま放置される事もあった。
そこで、今度思いついたのが、ツケをする客の顔写真を撮る事。
もちろん、ただ「証拠として顔写真を撮る。」と言うのでは、おそらく相手も警戒するだろうし、拒否されるかも知れない。
そこで、毎週土日は闘鶏場通いでまったく家に居ない、普段も用事を見つけてはあちこちに出掛けてしまう、我が家の夫の留守がいい口実になると思いついた。
もし、ツケをしたいと言う客が来て、その客が常連客以外(私の言う常連客は、よく買い物に来て、きちんと支払ってくれる客)だった場合、夫が居れば夫が知っている客か、もし払いに来ないとき集金出来る客かなど…を判断してもらう。
そして、もし夫が居ない場合、「夫に許可を取るのに、電話では(客の事を)説明しにくいから、顔写真を撮って送って夫に見せる。」と言う理由をつけて、顔写真を撮ると言うもの。
それをLINEで送って夫に確認させておけば、後から帰宅した夫に「どこの客だ?」などと聞かれ、説明が出来ずに文句を言われる事も無い。(今までは、いつもそうだった。自分が遊びに行って居ないときに起きた不都合なのに、帰って来てから「だから、お前には任せて置けない。」と私が怒られるのが常。任せて置けない…と言いながら毎回出掛けるのだが…。)
そして、私の携帯にも夫の携帯にも客の顔写真が証拠として残り、もしいつまでも払いに来なければ、それをプリントアウトして、店の前に指名手配のように貼る事も出来る!とまで考えて、私はほくそ笑んだ。
まあ、そこまでするのは多分、夫の世間体を気にする性格から反対されるだろうが、十分な証拠にもなるし、おそらく写真を撮られた客本人もあまりいい気がしないだろうから、今までの伝票やIDカード差し押さえよりも、早めに払いに来るか、もしくは撮られたくないから、ツケをするのをやめるかも知れない…と言う効果が期待出来る。
今回の苦肉の策がどういう効果を上げるか早く試してみたいのだが、最近は農閑期で客自体が少ないため、まだ実行する機会がないのが残念である。