2015年03月28日
日本一時帰国(予定)決定?
それは、夫がいつものように、夜通しのトランプ博打で朝帰りしたある朝、いきなり夫が言い出した事だった。
「おい、お前今年日本に帰るか?」
いつもなら、ここ十数年のイサーン暮らしですっかり重くなった腰を上げるのが億劫で、「そうだね…。」とそのまま保留にしてしまうのが、最近の私だったのだ。
しかし、このままでは2年前の帰国以来、この機会を逃せば次に帰れるのはいつになるか分からないと言う危機感から、ここぞ!とばかりに、「うん!そうだね、今年は行こうかな!」と、即答していた。
実際、私が日本に帰国出来るかどうかは、99%夫の機嫌に左右されるので(残りの1%は緊急事態)、こういう機嫌のいいときを逃したら、次にいつ帰国の話が出るか分からないのだ。
とりあえず、その話が持ち上がったのが、3月の上旬。
私は、すぐさま航空券の予約を入れるため、知り合いの方などに航空券の手配代理店などを教えて頂いて、いろいろと準備を始めたのだが、いざ調べて予約を入れようとしたところ、夫から、「何でそんなにするんだ?俺の知り合いが今度五月の上旬に日本に旅行に行くけど、10日の滞在で、飛行機代と滞在するホテル代込みで、30,000バーツくらいだって言ってたぞ。何で往復の飛行機代だけで3万近くするんだ?高過ぎるんじゃないか?」とダメ出しが入ってしまった。
話を聞いてみると、私が取ろうとした航空券の予約の日程では、もう時期が迫っているので、予約したい当日は全日空しか空いておらず、もちろんエコノミーではあるのだが、一人当たり3万近くになると言う事だった。
しかし、夫の言う友人が利用する航空会社は、エアアジアで、調べてみたら、余計なサービスは無いと言う、超節約型の航空会社だと言う事だった。
何はともあれ、「俺の金」で妻子を一時帰国させてくれるのだから、夫の意思に従う他は無い。
私は全日空などの日系航空会社のサービスや設備に後ろ髪を引かれながらも、夫の指示通り、その友人が勧めると言う初めてのエアアジアで、日本行きチケットを予約する事になったのである。
前回の一時帰国の頃は、まだ日本のビザがタイ人に開放されていなかったので、夫の友人もそうそう日本に行く機会などなかったのだが、最近のビザの開放処置で、とりあえずこういう格安旅行などが出来るようになって、どうも夫にも余計な知恵が付いてしまったようだ。
別に年に数回どころか、年に一度だって帰るわけでもない、数年に一度帰れるかどうかの一時帰国なのだから、少しくらい贅沢させてくれても(贅沢と言っても、所詮は日系航空会社のエコノミークラスなのだが)いいのでは?と思うのだが、余計な事を言って、また機嫌が悪くなって、一時帰国まで取りやめにされては困るので、この不満は胸の内に仕舞って置く事にした。
と言う訳で、今回は噂のエアアジアを利用しての帰国に決まった。
実はそれに至る間に、まだ航空券の予約が済んでいない時点で、夫がある日何故か不意に機嫌が悪くなり、一時は日本帰国も中止かと危ぶまれたが、何とか二日程度で持ち直し、無事航空代金も支払って、ソンクラーン中日の4月14日出発、ゴールデンウィーク終盤の5月7日帰タイ予定で予約も済んだ。
ただ残念な事に、今回の一時帰国には長男だけ連れて行けなくなったのだ。
タイ政府の訳の分からないASEAN同調政策の影響で、各教育機関の休暇に色々と変化があった事で、我が長男の大学の夏期休暇も大幅にずれた。
本来常識的にタイで一番暑い季節で、どこもかしこも休むはずの4月でもまだ休暇に入らないため、長男だけ今回の一時帰国に行けなくなってしまったのだ。
店番をしなくてはならない夫を除けば、自分一人だけ他の兄弟たちに置いてけぼりを喰うのだから残念なところだが、長男はすでに私よりも余程大人な思考回路なので、「残念だけど、仕方ない。その代わりに、飛行機代の分、余計にお土産買って来て貰うよ。」と言う事で、気持ちよく納得してくれている。
まあ、下の妹弟と違って、タイでは絶対に乗れない遊園地の絶叫マシーンに乗りたい!(まあ、タイのお祭りのチャチな遊具は別の意味でスリルが満点だが…)などと言う願望もないようで、「まあ、自分で行けない分、日本でしか買えないお土産をいっぱい貰った方が得だ。」と言う事らしい。
本来その長男は、家に帰っているときは空気を読んでよく仕事を手伝うため、夫のお気に入りなので、もし行ける時期なら確実に行かせてもらえるのだが、その下の長女と次男は、普段夫の思っている「当然のように朝から晩まで親の仕事を手伝うタイの子供」レベルには達していないため、今回の日本行きに関しても、夫から「普段から仕事をしないから、連れて行かなくていい、連れて行くな。」と言う命令が出ていた。
まあ、末っ子のミックはまだ小2なので、連れて行くのを認めていたらしいが、長女次男に関しては、昨年日本帰国の話が出た際も、「子供を連れて行けないのなら、帰らなくてもいい。」と言った私の言葉で、「じゃ、行かなくてもいい。」とそのまま立ち消えてしまったのだった。
そして今年もしつこく毎日のように「何であいつらも連れて行くんだ。仕事もしないのに。」と言い続けていたが、結局私も無言で「4人で行くに決まってるでしょ!」と言う姿勢を崩さなかったためと、二人にはなるべく仕事を手伝うように言い聞かせて、休みに入って一日の大半を店に出ているようにさせたので、結局、暗黙の了解のように私と子供3人の帰国となった。
そうこうする内に、もうすぐ3月も終わり、いよいよ待ちに待った一時帰国の4月…。
今回は、2年ぶりと言う事で子供たちのパスポートも切れていないので、アソークの大使館まで行かなくて済んで、正直ホッとしている。
日本人に会えるのは嬉しい(それが事務で向き合う大使館の係員の方でも)のだが、何しろここイサーンの田舎から、大都会バンコクに出るのは、私にとってはもはや日本に行くのとそう変わらないくらいの距離感なのである。
ただ一つ更新しなければならない書類は、国際免許証。
私は、日本の運転免許証がとうの昔に失効しているので、日本に帰るときはタイの運転免許証を国際免許証に書き換えて、日本では外国の国際免許証を所持して運転する。
タイの運転免許証に関しては、日本の運転免許証と同等の価値があるとはとても思えないのだが、国際免許証が通用する以上、私もそれを利用する。
そしてこれは正確に言えば、更新ではなく取得なのだが、実はこの更新にチャイヤプムの陸運局まで行くのも出不精が身体に染み付いた私にとっては面倒で、ちょうど2年前取った国際免許証の期限の日付の年の所が「2013」だったので、これはちょっと修正したら何とか「2015」に出来ないだろうか…などと言う悪魔が囁いたのだが、それをちょっと子供たちに「メー、面倒くさくてさ〜、ここをこうしたら…。」などと話したら、長男と長女に叱られてしまった。
まあ、子供たちには「冗談だよ、冗談!」と笑ってごまかしたが、心の隅ではちょっと本気で「出来たらいいな〜。」と思ってしまった事は秘密である。
「おい、お前今年日本に帰るか?」
いつもなら、ここ十数年のイサーン暮らしですっかり重くなった腰を上げるのが億劫で、「そうだね…。」とそのまま保留にしてしまうのが、最近の私だったのだ。
しかし、このままでは2年前の帰国以来、この機会を逃せば次に帰れるのはいつになるか分からないと言う危機感から、ここぞ!とばかりに、「うん!そうだね、今年は行こうかな!」と、即答していた。
実際、私が日本に帰国出来るかどうかは、99%夫の機嫌に左右されるので(残りの1%は緊急事態)、こういう機嫌のいいときを逃したら、次にいつ帰国の話が出るか分からないのだ。
とりあえず、その話が持ち上がったのが、3月の上旬。
私は、すぐさま航空券の予約を入れるため、知り合いの方などに航空券の手配代理店などを教えて頂いて、いろいろと準備を始めたのだが、いざ調べて予約を入れようとしたところ、夫から、「何でそんなにするんだ?俺の知り合いが今度五月の上旬に日本に旅行に行くけど、10日の滞在で、飛行機代と滞在するホテル代込みで、30,000バーツくらいだって言ってたぞ。何で往復の飛行機代だけで3万近くするんだ?高過ぎるんじゃないか?」とダメ出しが入ってしまった。
話を聞いてみると、私が取ろうとした航空券の予約の日程では、もう時期が迫っているので、予約したい当日は全日空しか空いておらず、もちろんエコノミーではあるのだが、一人当たり3万近くになると言う事だった。
しかし、夫の言う友人が利用する航空会社は、エアアジアで、調べてみたら、余計なサービスは無いと言う、超節約型の航空会社だと言う事だった。
何はともあれ、「俺の金」で妻子を一時帰国させてくれるのだから、夫の意思に従う他は無い。
私は全日空などの日系航空会社のサービスや設備に後ろ髪を引かれながらも、夫の指示通り、その友人が勧めると言う初めてのエアアジアで、日本行きチケットを予約する事になったのである。
前回の一時帰国の頃は、まだ日本のビザがタイ人に開放されていなかったので、夫の友人もそうそう日本に行く機会などなかったのだが、最近のビザの開放処置で、とりあえずこういう格安旅行などが出来るようになって、どうも夫にも余計な知恵が付いてしまったようだ。
別に年に数回どころか、年に一度だって帰るわけでもない、数年に一度帰れるかどうかの一時帰国なのだから、少しくらい贅沢させてくれても(贅沢と言っても、所詮は日系航空会社のエコノミークラスなのだが)いいのでは?と思うのだが、余計な事を言って、また機嫌が悪くなって、一時帰国まで取りやめにされては困るので、この不満は胸の内に仕舞って置く事にした。
と言う訳で、今回は噂のエアアジアを利用しての帰国に決まった。
実はそれに至る間に、まだ航空券の予約が済んでいない時点で、夫がある日何故か不意に機嫌が悪くなり、一時は日本帰国も中止かと危ぶまれたが、何とか二日程度で持ち直し、無事航空代金も支払って、ソンクラーン中日の4月14日出発、ゴールデンウィーク終盤の5月7日帰タイ予定で予約も済んだ。
ただ残念な事に、今回の一時帰国には長男だけ連れて行けなくなったのだ。
タイ政府の訳の分からないASEAN同調政策の影響で、各教育機関の休暇に色々と変化があった事で、我が長男の大学の夏期休暇も大幅にずれた。
本来常識的にタイで一番暑い季節で、どこもかしこも休むはずの4月でもまだ休暇に入らないため、長男だけ今回の一時帰国に行けなくなってしまったのだ。
店番をしなくてはならない夫を除けば、自分一人だけ他の兄弟たちに置いてけぼりを喰うのだから残念なところだが、長男はすでに私よりも余程大人な思考回路なので、「残念だけど、仕方ない。その代わりに、飛行機代の分、余計にお土産買って来て貰うよ。」と言う事で、気持ちよく納得してくれている。
まあ、下の妹弟と違って、タイでは絶対に乗れない遊園地の絶叫マシーンに乗りたい!(まあ、タイのお祭りのチャチな遊具は別の意味でスリルが満点だが…)などと言う願望もないようで、「まあ、自分で行けない分、日本でしか買えないお土産をいっぱい貰った方が得だ。」と言う事らしい。
本来その長男は、家に帰っているときは空気を読んでよく仕事を手伝うため、夫のお気に入りなので、もし行ける時期なら確実に行かせてもらえるのだが、その下の長女と次男は、普段夫の思っている「当然のように朝から晩まで親の仕事を手伝うタイの子供」レベルには達していないため、今回の日本行きに関しても、夫から「普段から仕事をしないから、連れて行かなくていい、連れて行くな。」と言う命令が出ていた。
まあ、末っ子のミックはまだ小2なので、連れて行くのを認めていたらしいが、長女次男に関しては、昨年日本帰国の話が出た際も、「子供を連れて行けないのなら、帰らなくてもいい。」と言った私の言葉で、「じゃ、行かなくてもいい。」とそのまま立ち消えてしまったのだった。
そして今年もしつこく毎日のように「何であいつらも連れて行くんだ。仕事もしないのに。」と言い続けていたが、結局私も無言で「4人で行くに決まってるでしょ!」と言う姿勢を崩さなかったためと、二人にはなるべく仕事を手伝うように言い聞かせて、休みに入って一日の大半を店に出ているようにさせたので、結局、暗黙の了解のように私と子供3人の帰国となった。
そうこうする内に、もうすぐ3月も終わり、いよいよ待ちに待った一時帰国の4月…。
今回は、2年ぶりと言う事で子供たちのパスポートも切れていないので、アソークの大使館まで行かなくて済んで、正直ホッとしている。
日本人に会えるのは嬉しい(それが事務で向き合う大使館の係員の方でも)のだが、何しろここイサーンの田舎から、大都会バンコクに出るのは、私にとってはもはや日本に行くのとそう変わらないくらいの距離感なのである。
ただ一つ更新しなければならない書類は、国際免許証。
私は、日本の運転免許証がとうの昔に失効しているので、日本に帰るときはタイの運転免許証を国際免許証に書き換えて、日本では外国の国際免許証を所持して運転する。
タイの運転免許証に関しては、日本の運転免許証と同等の価値があるとはとても思えないのだが、国際免許証が通用する以上、私もそれを利用する。
そしてこれは正確に言えば、更新ではなく取得なのだが、実はこの更新にチャイヤプムの陸運局まで行くのも出不精が身体に染み付いた私にとっては面倒で、ちょうど2年前取った国際免許証の期限の日付の年の所が「2013」だったので、これはちょっと修正したら何とか「2015」に出来ないだろうか…などと言う悪魔が囁いたのだが、それをちょっと子供たちに「メー、面倒くさくてさ〜、ここをこうしたら…。」などと話したら、長男と長女に叱られてしまった。
まあ、子供たちには「冗談だよ、冗談!」と笑ってごまかしたが、心の隅ではちょっと本気で「出来たらいいな〜。」と思ってしまった事は秘密である。
2015年03月16日
『第5回アジア女子ジュニアソフトボール選手権大会』in チャイヤプム 開催
事の起こりは先月の中旬の事でした。
語学系に力を入れている元女子校のチャイヤプムサトリー高校に通っていた長女が、「来月の中旬に、チャイヤプムでスポーツの大会が開催されて、外国からの選手団の通訳とかの手伝いをする事になったんだけど…。」と言う話を持って来ました。
英語が割と得意な方で、しかも日本人のハーフだと言うことで、友達に推薦されて参加することになってしまったのだとか…。
それでもちろん、日本人選手団のお世話に…と期待されていたそうですが、長女は日本人のハーフと言っても、幼稚園以降はすっかり現地育ち。
私も、仕事に忙しいのと、夫の「タイ人として育てるのが一番!」と言う考えに、「そんなにタイ人が良いのだったら、日本語を教えなくてもいいでしょ?」と変な意地を張って、日本語で話し掛ける事もどんどん減って行き、今では私の話す日本語くらいなら、何とか理解出来るレベルなので、見ず知らずのネイティブの日本語の通訳レベルは無理だろう…と思っていました。
そうしたら、長女が「お母さんも一緒に行って手伝ってくれない?」と言い出したので、「そうだね、チャイヤプムで日本人に会えるなんて滅多にないし…。数日間だけなら行ってみたいな。」と、二人で盛り上がっていました。
そしてその数日後、夫の機嫌を見てその話を言い出して見たのですが、それまで機嫌良く話をしていたにも関わらず、「その日本人選手団の通訳の手伝いに行って欲しいって言われてるんだけど…。」と切り出したところ、だんだん雲行きが怪しくなり、「お前は最近、どうも変だよな。以前は俺がどこに誘っても行きたくない…って行ってたのに、最近急にどこかに出掛けたがる。」と何だか、まるで私が浮気でもしてるんじゃないか…と言うような疑いを含んだ言い方をするのです。
大体、「俺が誘った」所と言うのは、夜中の飲み会だったりで、はっきり言って絶対行きたくない場所な訳で、今回私が行きたいと言い出したのは、長女のお願いと言うのもあるけれど、私自身がそういう事に参加してみたいと言う意思があるからで、自分の意思に従って行動すれば、当然、夫の誘いは行きたくないけど、こういう事には行きたいとなるのが普通だと思うのです。
それを、何だか言いがかりを付けているだけのような夫の言い分なのですが、ここでこれを無視して行動しようものなら、「お前はすぐ俺に反抗する。」と一刀両断されてしまうので困ったものです。
先日も、こういう事がありました。
末っ子のミックが、「学校の友達を我が家に一泊お泊まりさせたい。」と言い出したのです。
私は、翌日は学校も休みだし、普段10km離れた学校に行っているため、学校以外では放課後なども友達と遊ぶ機会がないので、一日くらいならいいかな?と思ったのですが、一応、「お父さんに聞いてごらん、もしいいって言ったら、お母さんが迎えに行って上げるから。」と言って聞きに行かせました。
そしてミックが戻って来て、「お父さんは何も言わないって」と言うので、それが了解したのだと思って、迎えに行こうとしたら、何やらブチブチ文句を言っていたのですが、それがミックに対する愚痴だと思ったので、そのまま迎えに行って帰って来たら、今度はその迎えに行っていた20分くらいの間に客が立て込んだらしく、すごく機嫌が悪くなっていて、急いで店に戻って商品探しを始めた私に怒るのです。
「まったくお前は、いつも俺の言う事に反抗してばかりいる。昔からそうだった。そんなに自分がすごいと思うのなら、財産を分けてやるから、自分で好きにやって行け!」としばらくグチグチ言いながら、接客をしていたのですが、一段落すると本格的に怒りが込み上げてきたらしく、それから数日、私を完全無視に入りました。
と言う訳で、今回はせっかくの日本人選手団のチャイヤプムでの活躍を見る事も、少しでもタイ滞在に便を図れるようにお手伝いをする事も叶いませんでした。
ちょうど、その大会にお手伝い要員として参加予定の長女の友人から、「今日BIG−Cで、日本人の選手団らしい人たちを見たよ。すごく色白できれいだった。」と報告が入ったので、「ああ、日本人選手団の人たちがもうチャイヤプムに来ているんだな…。面識も無いけれど、この近く(とは言え30km以上離れているが…。)に、そんなにたくさんの日本人が来ているなんて…。」と不思議な感慨に耽っていました。
先ほど、日程を確認したら、試合の方は明日16日から20日までとの事。
その期間にもしチャイヤプムに行く機会があったら、もちろんほんの数分でしょうが、こっそり立ち寄って見ようかとも思っています。
でも、最近はタイも暑季に入って来て、ここチャイヤプムも例外ではなく、朝からムワ〜っとした空気が漂っているくらいなので、まだ寒さの残る日本から来た選手たちが、白昼の試合ばかりで暑気にやられないかと、そればかりが心配でなりません。
語学系に力を入れている元女子校のチャイヤプムサトリー高校に通っていた長女が、「来月の中旬に、チャイヤプムでスポーツの大会が開催されて、外国からの選手団の通訳とかの手伝いをする事になったんだけど…。」と言う話を持って来ました。
英語が割と得意な方で、しかも日本人のハーフだと言うことで、友達に推薦されて参加することになってしまったのだとか…。
それでもちろん、日本人選手団のお世話に…と期待されていたそうですが、長女は日本人のハーフと言っても、幼稚園以降はすっかり現地育ち。
私も、仕事に忙しいのと、夫の「タイ人として育てるのが一番!」と言う考えに、「そんなにタイ人が良いのだったら、日本語を教えなくてもいいでしょ?」と変な意地を張って、日本語で話し掛ける事もどんどん減って行き、今では私の話す日本語くらいなら、何とか理解出来るレベルなので、見ず知らずのネイティブの日本語の通訳レベルは無理だろう…と思っていました。
そうしたら、長女が「お母さんも一緒に行って手伝ってくれない?」と言い出したので、「そうだね、チャイヤプムで日本人に会えるなんて滅多にないし…。数日間だけなら行ってみたいな。」と、二人で盛り上がっていました。
そしてその数日後、夫の機嫌を見てその話を言い出して見たのですが、それまで機嫌良く話をしていたにも関わらず、「その日本人選手団の通訳の手伝いに行って欲しいって言われてるんだけど…。」と切り出したところ、だんだん雲行きが怪しくなり、「お前は最近、どうも変だよな。以前は俺がどこに誘っても行きたくない…って行ってたのに、最近急にどこかに出掛けたがる。」と何だか、まるで私が浮気でもしてるんじゃないか…と言うような疑いを含んだ言い方をするのです。
大体、「俺が誘った」所と言うのは、夜中の飲み会だったりで、はっきり言って絶対行きたくない場所な訳で、今回私が行きたいと言い出したのは、長女のお願いと言うのもあるけれど、私自身がそういう事に参加してみたいと言う意思があるからで、自分の意思に従って行動すれば、当然、夫の誘いは行きたくないけど、こういう事には行きたいとなるのが普通だと思うのです。
それを、何だか言いがかりを付けているだけのような夫の言い分なのですが、ここでこれを無視して行動しようものなら、「お前はすぐ俺に反抗する。」と一刀両断されてしまうので困ったものです。
先日も、こういう事がありました。
末っ子のミックが、「学校の友達を我が家に一泊お泊まりさせたい。」と言い出したのです。
私は、翌日は学校も休みだし、普段10km離れた学校に行っているため、学校以外では放課後なども友達と遊ぶ機会がないので、一日くらいならいいかな?と思ったのですが、一応、「お父さんに聞いてごらん、もしいいって言ったら、お母さんが迎えに行って上げるから。」と言って聞きに行かせました。
そしてミックが戻って来て、「お父さんは何も言わないって」と言うので、それが了解したのだと思って、迎えに行こうとしたら、何やらブチブチ文句を言っていたのですが、それがミックに対する愚痴だと思ったので、そのまま迎えに行って帰って来たら、今度はその迎えに行っていた20分くらいの間に客が立て込んだらしく、すごく機嫌が悪くなっていて、急いで店に戻って商品探しを始めた私に怒るのです。
「まったくお前は、いつも俺の言う事に反抗してばかりいる。昔からそうだった。そんなに自分がすごいと思うのなら、財産を分けてやるから、自分で好きにやって行け!」としばらくグチグチ言いながら、接客をしていたのですが、一段落すると本格的に怒りが込み上げてきたらしく、それから数日、私を完全無視に入りました。
と言う訳で、今回はせっかくの日本人選手団のチャイヤプムでの活躍を見る事も、少しでもタイ滞在に便を図れるようにお手伝いをする事も叶いませんでした。
ちょうど、その大会にお手伝い要員として参加予定の長女の友人から、「今日BIG−Cで、日本人の選手団らしい人たちを見たよ。すごく色白できれいだった。」と報告が入ったので、「ああ、日本人選手団の人たちがもうチャイヤプムに来ているんだな…。面識も無いけれど、この近く(とは言え30km以上離れているが…。)に、そんなにたくさんの日本人が来ているなんて…。」と不思議な感慨に耽っていました。
先ほど、日程を確認したら、試合の方は明日16日から20日までとの事。
その期間にもしチャイヤプムに行く機会があったら、もちろんほんの数分でしょうが、こっそり立ち寄って見ようかとも思っています。
でも、最近はタイも暑季に入って来て、ここチャイヤプムも例外ではなく、朝からムワ〜っとした空気が漂っているくらいなので、まだ寒さの残る日本から来た選手たちが、白昼の試合ばかりで暑気にやられないかと、そればかりが心配でなりません。
2015年03月04日
イサーンで『サバの味噌煮』
先週の土曜日に、子供達とチャイヤプムに久々の買い出しに行った。
行き先はBig-Cである。
チャイヤプムでは、ロータスが街中にあるのに対し、後から出来たBig-CとMakroは街中からだいぶ離れた郊外に並立している。
3軒全部回る時もあるのだが、最近は、ロータスの縮小版がうちの近所にも出来たので、チャイヤプムで買い出しと言えば、専ら郊外の2店舗に行く機会が多い。
前置きはこれくらいにして…。
今回も、釣りに出掛けている夫は放って置いて、店を閉めてから子供達と出掛けたのだが、今回は少し遅くなったのでBig-Cだけで買い物を済ませた。
一通り、それぞれが欲しい物をカートに入れて買い物も終盤に差し掛かった頃、私はいつもの順路通りに、生鮮食品のコーナーを過ぎようとしていた。
そしてちょうど鮮魚売り場で、サバのコーナーがあり、氷がいっぱいの容器の上に、残り4〜5匹になった小振りのサバが、申し訳なさそうに転がっていた。
その日の値段は一匹15バーツ。
ごくたま〜に、超目玉品とかで、「サバ1匹9バーツ」とかで売っていることもあるが、前回来た時は、確か50〜60バーツくらいだったから、今回はかなり安い方だと思ったが、まあこの子供の腕くらいの大きさだからこんな物か?とも思って眺めていた時だった。
鮮魚売り場の店員が、売り場の裏から補充用のサバの箱を担いで出て来た。
そして箱を開けて補充し始めたので見ていたら、出て来るサバの大きさが明らかに違うではないか。
残っていたのが、子供の腕くらいだとすれば、新しい方は大人の男性の腕くらいはある。
明らかに1.5倍くらいの差があるのだ。
補充した店員も、「ありゃありゃ、こりゃ箱を間違えたな…。まあ、いいか。」などと言いながら、そのまま1.5倍の体格差のあるサバをどんどん品出しして行く…。
おそらく、今更戻して取り替えるのが面倒臭いのだろう。
それに別に自腹を切る訳でもないので、もともと仕事や会社に忠誠心の欠片もない彼らにとって、どうでもいい事なのだろう。
それまで傍観していた私は、この値段に釣り合わず大振りのサバを、ミックと一緒にここぞとばかりに袋に詰めたのである。
しかし、その大きさの違いに気が動転したのか、いつもなら頭を落として内蔵まで出して貰うのに、それさえも忘れてしまって解凍も溶け切らないそのままのサバを買って来てしまった。
そして今日、タイの仏教系の休日で朝の時間に余裕もあったので、昨夜から外に出して解凍して置いた例のサバを捌いて、久々に味噌煮にしてみた。
これも、イサーンの田舎で食材を調達して作れる、数少ない日本食のメニューの一つである。
Posted by バットニャオ@第二期 at
14:27
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