2021年10月29日
スマホのバッテリー交換
このひと月ほど、どうもスマホの調子が悪く、以前に比べてバッテリーの減りが早かったり、突然再起動を繰り返したり…。
ちょうどその頃にアップデートしたiOSの不具合のせいかと思っていたのですが、ネットで検索しながらチェックしてみると、どうもスマホのバッテリーの最大容量と言うのが78%と表示されていて、だいぶ劣化しているらしい事が分かりました。
そこで、Appleのサイトから「近所」のバッテリー交換が出来る店舗を探したところ、最も至近距離の店舗がコラートのThe mall の中にある iCare だと言う事で、もともと出不精の私はなかなか行く決心がつかず二の足を踏んでいたのですが、コロナでずっと遠出出来なかったのが先月辺りから徐々に緩和された感じもあり、長女もかなり乗り気になっていたので、意を決して(これがバンコク行きなら、清水の舞台から飛び降りる…と言いたいところですが。)約1年ぶりのコラートに行くことになりました。
今回は、この7月に免許を取った長女が、運転の練習も兼ねて運転したいと言うので運転は長女に任せて、私は助手席でナビとして座っていました。
コラートは、コロナの規制を色で分ける管理地域の区分では、10月にレッドゾーンになったのですが、途中の道路での検問もなく、全く不便なく往復出来ました。
本来ならチャイヤプムの規制では、ダークレッドゾーンからはもちろんこのレッドゾーンからのチャイヤプムへ越境するだけでも、14日間の隔離が決められているそうですが、実際この決まりを守っている人は殆どいないらしく、各自自由に県と県の移動を繰り返しているようです。
もちろん私たちも、普段チャイヤプムの市街に買い物に行く程度には気をつけていましたが、それ以上のことはしませんでした。
朝の9時近くに出発して、途中道路工事の片道通行などもあり、目的地到着は11時近くなりました。
無事駐車場も見つかり、店内に入ってまず向かったのはもちろん iCare です。
銀行のように番号札を取って、バッテリー交換の受付を済ませました。
何枚もの書類にサインをさせられ、その中には「バッテリー交換後に万が一本体が起動しなくなっても、その責任はバッテリー交換とは無関係なので、損害賠償など訴えない…」などと言う、一瞬署名するのを躊躇するような内容の誓約書も有り、まるで昔ミックの出産後に避妊手術をする事になった時に署名させられた「手術で死んでも病院側は一切の責任は取りません」と言う旨の誓約書を彷彿とさせるものがありました。
それはともかく受付を済ませた私たちは、その2時間と言うバッテリー交換の所用時間を待つ為に、コラート郊外の大学から出て来た長男とその奥さんと待ち合わせ、長女の勧めのカフェに入り、コロナで数ヶ月顔を合わせていなかったので近況報告などをしながら、ビンズと言う韓国版かき氷を一緒に食べたのでした。
その後、チャイヤプムにはない店を中心に回り、2時間後には預けて置いたスマホを受け取りに行きました。
私のスマホはiPhone XSなのですが、バッテリーの交換費用は2,600バーツちょうどでした。
実は、私は内心コラートに行くのが面倒で、オンラインで最近出たばかりのiPhone 13に機種交換しようかな…とも思ったのですが、注文してもすぐには手に入らないようなので躊躇していたところでした。
兎にも角にもこうして無事バッテリーが交換出来たので、まだまだ十分この機種で使えそうです。
この機種ももう3年になりましたが、前のiPhone 5s は5年くらい使っていたので、この機種も寿命が来るまで使いたいと思います。
コラートと言えば、パン好きの私にはここは外せません。
毎回、両手に大袋に入ったヤマザキのパンを買って帰るのが我が家の習慣です。
ちょうどその頃にアップデートしたiOSの不具合のせいかと思っていたのですが、ネットで検索しながらチェックしてみると、どうもスマホのバッテリーの最大容量と言うのが78%と表示されていて、だいぶ劣化しているらしい事が分かりました。
そこで、Appleのサイトから「近所」のバッテリー交換が出来る店舗を探したところ、最も至近距離の店舗がコラートのThe mall の中にある iCare だと言う事で、もともと出不精の私はなかなか行く決心がつかず二の足を踏んでいたのですが、コロナでずっと遠出出来なかったのが先月辺りから徐々に緩和された感じもあり、長女もかなり乗り気になっていたので、意を決して(これがバンコク行きなら、清水の舞台から飛び降りる…と言いたいところですが。)約1年ぶりのコラートに行くことになりました。
今回は、この7月に免許を取った長女が、運転の練習も兼ねて運転したいと言うので運転は長女に任せて、私は助手席でナビとして座っていました。
コラートは、コロナの規制を色で分ける管理地域の区分では、10月にレッドゾーンになったのですが、途中の道路での検問もなく、全く不便なく往復出来ました。
本来ならチャイヤプムの規制では、ダークレッドゾーンからはもちろんこのレッドゾーンからのチャイヤプムへ越境するだけでも、14日間の隔離が決められているそうですが、実際この決まりを守っている人は殆どいないらしく、各自自由に県と県の移動を繰り返しているようです。
もちろん私たちも、普段チャイヤプムの市街に買い物に行く程度には気をつけていましたが、それ以上のことはしませんでした。
朝の9時近くに出発して、途中道路工事の片道通行などもあり、目的地到着は11時近くなりました。
無事駐車場も見つかり、店内に入ってまず向かったのはもちろん iCare です。
銀行のように番号札を取って、バッテリー交換の受付を済ませました。
何枚もの書類にサインをさせられ、その中には「バッテリー交換後に万が一本体が起動しなくなっても、その責任はバッテリー交換とは無関係なので、損害賠償など訴えない…」などと言う、一瞬署名するのを躊躇するような内容の誓約書も有り、まるで昔ミックの出産後に避妊手術をする事になった時に署名させられた「手術で死んでも病院側は一切の責任は取りません」と言う旨の誓約書を彷彿とさせるものがありました。
それはともかく受付を済ませた私たちは、その2時間と言うバッテリー交換の所用時間を待つ為に、コラート郊外の大学から出て来た長男とその奥さんと待ち合わせ、長女の勧めのカフェに入り、コロナで数ヶ月顔を合わせていなかったので近況報告などをしながら、ビンズと言う韓国版かき氷を一緒に食べたのでした。
その後、チャイヤプムにはない店を中心に回り、2時間後には預けて置いたスマホを受け取りに行きました。
私のスマホはiPhone XSなのですが、バッテリーの交換費用は2,600バーツちょうどでした。
実は、私は内心コラートに行くのが面倒で、オンラインで最近出たばかりのiPhone 13に機種交換しようかな…とも思ったのですが、注文してもすぐには手に入らないようなので躊躇していたところでした。
兎にも角にもこうして無事バッテリーが交換出来たので、まだまだ十分この機種で使えそうです。
この機種ももう3年になりましたが、前のiPhone 5s は5年くらい使っていたので、この機種も寿命が来るまで使いたいと思います。
コラートと言えば、パン好きの私にはここは外せません。
毎回、両手に大袋に入ったヤマザキのパンを買って帰るのが我が家の習慣です。
2021年10月25日
思えば遠くに来たもんだ。
この前の洪水を伴う連日の大雨が過ぎてから、朝、家のシャッターを開けると「これ」が必ず落ちています。
タイに住み始めた頃、私はこのカブトムシに違和感がありました。
ツノの長さの比率が違う…。
やはり自分が馴染んできた物と違うのは、違和感を感じるものです。
こちらが、日本で慣れ親しんでいたカブトムシの姿でした。
ところが、今日気がついたのですが、今の私にとってのカブトムシは毎朝踏みそうになるこの上の写真の姿でした。
先程、この記事を書く為に画像検索するまで、日本にいる当たり前のカブトムシの姿がハッキリとは思い浮かばなかったのです。
タイに来てもうすぐ20年…。
大好きな秋の金木犀の香りも、もう20年近くご無沙汰です。
色々な事が思い出の彼方に残っているもの、タイの同じような何かにすり替えられてしまったもの…。
上手く言い表せないのですが、ネットが発達した現在、私がタイに来たばかりの頃よりも、ここタイに居ても日本の今の情報を知ることは出来ますが、やはりそれは画面上の事なのだと、そんな事を感じました。
ここ数年帰国出来ていない私は、次に帰国出来た時にはまた、タイに来てから7年目にして初帰国した時のように、浦島太郎状態になっているのだろうと思います。
思えば遠くに来たもんだ…と言う歌がありましたが、この朝のカブトムシから、何故かそれを思い出しました。
タイに住み始めた頃、私はこのカブトムシに違和感がありました。
ツノの長さの比率が違う…。
やはり自分が馴染んできた物と違うのは、違和感を感じるものです。
こちらが、日本で慣れ親しんでいたカブトムシの姿でした。
ところが、今日気がついたのですが、今の私にとってのカブトムシは毎朝踏みそうになるこの上の写真の姿でした。
先程、この記事を書く為に画像検索するまで、日本にいる当たり前のカブトムシの姿がハッキリとは思い浮かばなかったのです。
タイに来てもうすぐ20年…。
大好きな秋の金木犀の香りも、もう20年近くご無沙汰です。
色々な事が思い出の彼方に残っているもの、タイの同じような何かにすり替えられてしまったもの…。
上手く言い表せないのですが、ネットが発達した現在、私がタイに来たばかりの頃よりも、ここタイに居ても日本の今の情報を知ることは出来ますが、やはりそれは画面上の事なのだと、そんな事を感じました。
ここ数年帰国出来ていない私は、次に帰国出来た時にはまた、タイに来てから7年目にして初帰国した時のように、浦島太郎状態になっているのだろうと思います。
思えば遠くに来たもんだ…と言う歌がありましたが、この朝のカブトムシから、何故かそれを思い出しました。
2021年10月19日
チャイヤプムは今日も雨…。
チャイヤプムの大洪水が収まってからも、ほんの数日の晴れ間の後、また先週から朝となく夜となく雨が降り続いています。
普通この時期は雨季から乾季に入り、タイでも気温が下がり始める時期で、滅多に雨なども降らないのですが、今年はどうした事か、この前の嵐の水が一度上空に戻って、また降りて来たかのように、連日日本の梅雨のようなしとしとした雨が降り続いています。
タイの雨と言えば、熱帯特有のスコールと言う感じのバケツをひっくり返したような大雨が一時的に降って、すぐに太陽が姿を見せると言うのが普通ですが、今回の雨は本当に始末が悪いようです。
日本の梅雨でも、毎日続くしとしと雨に、洗濯物が乾かなかったり、タンスや押し入れの中がカビ臭くなったり…と言う、梅雨の季節ならではの困り事が有りますが、ここタイでは、いつものスコールならそれほど心配要らない湿気が、この連日続く雨で緊急を要する問題になっています。
と言うのも、タイは熱帯モンスーン気候のためもともと湿度が高いのですが、この連日の雨で湿気はほぼ100%、朝起きてすぐに「あ、家中カビ臭い…。」と感じるほどの湿気なのです。
一応、タンスの中に入れた防湿剤を見たら、まだ一週間も経っていないのに、もうすっかり吸湿粒子も無くなっていました。
タンスの中の全ての側面にはうっすらとアオカビが生えて来ていて、タンスの中の衣類はカビ臭いのはもちろん、カビが生えてしまったのも数枚有りました。
こういう時、黒や白の服は洗ってもカビの跡が残るので無惨です。
一体、いつになったらこの季節外れの雨は収まるのか?
夕方、店を閉めようと表のシャッターの前に行ったらこんなものが…。
家の前のセメントの床にもこんな立派なカビが生えていました。
普通この時期は雨季から乾季に入り、タイでも気温が下がり始める時期で、滅多に雨なども降らないのですが、今年はどうした事か、この前の嵐の水が一度上空に戻って、また降りて来たかのように、連日日本の梅雨のようなしとしとした雨が降り続いています。
タイの雨と言えば、熱帯特有のスコールと言う感じのバケツをひっくり返したような大雨が一時的に降って、すぐに太陽が姿を見せると言うのが普通ですが、今回の雨は本当に始末が悪いようです。
日本の梅雨でも、毎日続くしとしと雨に、洗濯物が乾かなかったり、タンスや押し入れの中がカビ臭くなったり…と言う、梅雨の季節ならではの困り事が有りますが、ここタイでは、いつものスコールならそれほど心配要らない湿気が、この連日続く雨で緊急を要する問題になっています。
と言うのも、タイは熱帯モンスーン気候のためもともと湿度が高いのですが、この連日の雨で湿気はほぼ100%、朝起きてすぐに「あ、家中カビ臭い…。」と感じるほどの湿気なのです。
一応、タンスの中に入れた防湿剤を見たら、まだ一週間も経っていないのに、もうすっかり吸湿粒子も無くなっていました。
タンスの中の全ての側面にはうっすらとアオカビが生えて来ていて、タンスの中の衣類はカビ臭いのはもちろん、カビが生えてしまったのも数枚有りました。
こういう時、黒や白の服は洗ってもカビの跡が残るので無惨です。
一体、いつになったらこの季節外れの雨は収まるのか?
夕方、店を閉めようと表のシャッターの前に行ったらこんなものが…。
家の前のセメントの床にもこんな立派なカビが生えていました。
2021年10月13日
コロナワクチン接種
先月末に実家の母から聞いた話によると、タイの児童生徒にコロナワクチンの集団接種が行われると言う話が、日本のニュースでも放送されたと言う事でした。
私はその直前に、オンライン授業を受けている中学3年のミックからそのワクチン接種に関する話を聞いていて知っていましたが、日本のニュースに取り上げられるほどの事か?とも感じました。
その頃はまだ家に居た次男や長女も、「どうせ口ばっかりだよ。こんな田舎の学校にワクチンが届くには、早くても来年くらいだろうね。大体、ワクチンが手に入るのかさえ怪しいもんだ。」などと揶揄していたのですが、それに反して、洪水が引いたのと同じようにトントンと話は進み、今月の初めにはオンラインで必要書類を提出して、私たちの予想に反して、昨日接種が実現しました。
9月の末の洪水の際に、自宅から書類提出出来なくなったからと、宅配便に頼んで書類を出したのですが、ミックの中学周辺も大洪水なのはもちろん、担任の先生の自宅も洪水で浸水したそうで、宅配便もすぐには届けられず、結局最後はオンラインで書類提出となったらしいのですが、なら何故最初からオンラインにしなかったのか?何故か納得が行きません。
まあ、そういうところがタイなのでしょうが…。
集まったのはワクチン接種の為ですが、オンライン授業が何ヶ月も続いたので久々の再会に話も弾みます。
ワクチンの副作用で、具合が悪くなったクラスメイトもいたようですが、ミックのグループは久々の再会を祝して?シャブシビュッフェのはずが、予算の関係か何故かフードコートでバミーに変更になっていました。
それでも、年頃の子供たちには楽しい再会だったようです。
今回この生徒たちは、ファイザー製のワクチンを接種しましたが、タイでファイザー製のワクチンを接種出来るのは、今のところかなり限られた人たちなのです。
優先された外国人や一部の特権階級しか接種できないはずだったのですが、少し前にアメリカからの大量の寄付があったとかで、児童生徒にも優先して接種が行われるようになったという事です。
事実、今回の集団接種会場となったロビンソンでも、普段の平日に行われている一般庶民向けの無料集団接種のワクチンは、注射器に水でも入れて打っているのではないかと効果が疑問視されているシノバックス製だそうです。ですが、これは無料なので誰も文句も言えないようですが…。
私は田舎にポツンと住んでいる外国人なので、外国人用の優先接種のお誘いのような事もないので、長女や次男と一緒に8月ごろに募集のあった、バンコクの病院が主催する有料ワクチン接種の予約をしましたが、これは今少し問題になっているモデルナ製のワクチンが使用されるそうです。価格は2回の接種で3,300バーツ。
夫は、自分だけ病院勤務の実姉のコネで、アストラゼネカ製ワクチンの接種を済ませました。
大学院の長男も、大学に出入りするため、大学の病院で強制的に、やはりアストラぜネカ製ワクチンを接種済み。
そして今回ミックも、ファイザー製ワクチンを接種したので、残りは私と長女と次男の3人。
一人当たり3,300バーツなので、3人で約10,000バーツの出費ですがそれも仕方ありません。
先日病院から届いたSMSによると、先日のニュースを受けてか、モデルナ製ワクチンの接種権を他者に譲るかどうかと言う質問がありました。
それに、過去に他のワクチンを接種したことがあるかどうかも聞かれましたが、これはおそらく未接種の人を優先するためだと言うことです。
来月には、接種可能な日時の通知が来るだろうと言うことでした。
さて、だいぶ遅れましたが、いよいよワクチン接種に行く事になりそうです。
ただコンケーンの病院まで行くのが少し面倒ですが…。
私はその直前に、オンライン授業を受けている中学3年のミックからそのワクチン接種に関する話を聞いていて知っていましたが、日本のニュースに取り上げられるほどの事か?とも感じました。
その頃はまだ家に居た次男や長女も、「どうせ口ばっかりだよ。こんな田舎の学校にワクチンが届くには、早くても来年くらいだろうね。大体、ワクチンが手に入るのかさえ怪しいもんだ。」などと揶揄していたのですが、それに反して、洪水が引いたのと同じようにトントンと話は進み、今月の初めにはオンラインで必要書類を提出して、私たちの予想に反して、昨日接種が実現しました。
9月の末の洪水の際に、自宅から書類提出出来なくなったからと、宅配便に頼んで書類を出したのですが、ミックの中学周辺も大洪水なのはもちろん、担任の先生の自宅も洪水で浸水したそうで、宅配便もすぐには届けられず、結局最後はオンラインで書類提出となったらしいのですが、なら何故最初からオンラインにしなかったのか?何故か納得が行きません。
まあ、そういうところがタイなのでしょうが…。
集まったのはワクチン接種の為ですが、オンライン授業が何ヶ月も続いたので久々の再会に話も弾みます。
ワクチンの副作用で、具合が悪くなったクラスメイトもいたようですが、ミックのグループは久々の再会を祝して?シャブシビュッフェのはずが、予算の関係か何故かフードコートでバミーに変更になっていました。
それでも、年頃の子供たちには楽しい再会だったようです。
今回この生徒たちは、ファイザー製のワクチンを接種しましたが、タイでファイザー製のワクチンを接種出来るのは、今のところかなり限られた人たちなのです。
優先された外国人や一部の特権階級しか接種できないはずだったのですが、少し前にアメリカからの大量の寄付があったとかで、児童生徒にも優先して接種が行われるようになったという事です。
事実、今回の集団接種会場となったロビンソンでも、普段の平日に行われている一般庶民向けの無料集団接種のワクチンは、注射器に水でも入れて打っているのではないかと効果が疑問視されているシノバックス製だそうです。ですが、これは無料なので誰も文句も言えないようですが…。
私は田舎にポツンと住んでいる外国人なので、外国人用の優先接種のお誘いのような事もないので、長女や次男と一緒に8月ごろに募集のあった、バンコクの病院が主催する有料ワクチン接種の予約をしましたが、これは今少し問題になっているモデルナ製のワクチンが使用されるそうです。価格は2回の接種で3,300バーツ。
夫は、自分だけ病院勤務の実姉のコネで、アストラゼネカ製ワクチンの接種を済ませました。
大学院の長男も、大学に出入りするため、大学の病院で強制的に、やはりアストラぜネカ製ワクチンを接種済み。
そして今回ミックも、ファイザー製ワクチンを接種したので、残りは私と長女と次男の3人。
一人当たり3,300バーツなので、3人で約10,000バーツの出費ですがそれも仕方ありません。
先日病院から届いたSMSによると、先日のニュースを受けてか、モデルナ製ワクチンの接種権を他者に譲るかどうかと言う質問がありました。
それに、過去に他のワクチンを接種したことがあるかどうかも聞かれましたが、これはおそらく未接種の人を優先するためだと言うことです。
来月には、接種可能な日時の通知が来るだろうと言うことでした。
さて、だいぶ遅れましたが、いよいよワクチン接種に行く事になりそうです。
ただコンケーンの病院まで行くのが少し面倒ですが…。
2021年10月10日
タイの検問所
次男がチョンブリーへ働きに行って、もう10日になります。
毎晩聞く様子では、相変わらず元気でやっているようです。
そう言えば、次男が今回の引っ越しの際には父親には頼らず、自分で就活サイトから見つけた引っ越し請負いの車を頼んだのですが、当日来た引っ越し請負の青年は、次男とそう歳も違わないような若者で、今回の洪水の被害も大きくニュースにも出ていた隣接の町から来たと言う事でした。
なんとか水が引いて車は通れるようになったと話していましたが、次男の行くチョンブリーに行くには、またそのなんとか通れる道を通っていくと言う事でした。
私はタイに住む年数が増えるに連れて、ますます人を信じられなくなっているので、この見るからに純朴そうな若者でさえ信じられず、次男を無事に送り届けてくれるだろうか?
途中で、トイレ休憩とか言って、次男が降りた隙に荷物を載せたまま、次男をどこかわからないところに置いて逃げたりしないだろうか?
いや、それならまだいいが、途中で次男を拉致したりもっと酷い事にならないだろうか?
…などと、様々な妄想が頭をよぎって行きます。
そのため、普段は長女とミックと私で共有している位置情報アプリを、今回他県に行く次男にもロードさせていたので、チャイヤプムからチョンブリーのアパートに辿り着くまで、暇があればずっと見守っていました。
トイレ休憩もするだろうと思いましたが、途中で30分くらい停車していた所があり、それも明らかにガソリンスタンドなどの周囲に建物がないような道の途中だったので、まさか私の嫌な予想が当たったのでは?と、心配していましたが、30分くらい後動き出したのでなんとか安心しました。
その事を、無事に目的地に到着した次男に聞いてみたところ、途中の道路で警察の薬物検問所があり、ピックアップトラックに荷物を積んでいる若い男2人なので、足止めされて尿検査を受けさせられたそうです。
こう言う場面で、私のような年配の女だとそれほど不審に思われないらしく(まあ、同じおばさんでも派手なタイ人女性の場合はそうでもないでしょうが)検問の対象になった事はありませんが、我が家の夫などは、見た目がとても部品店の主とは見えず、その辺の庶民のオッサン風なので、県境を越えてコンケーンなどに行くときには、必ずと言っていいほど毎回毎回尿検査をさせられるそうです。
見た目で損をしているとしか言いようがありませんが、これがタイ警察の大事なお仕事なので仕方ありません。
この手の検問所は、薬物取締り以外にもほぼ毎日決まった場所で行われていますが、大抵は、車の保険の期限切れや、免許の所持や有効期限などを理由に罰金を徴収すると言う、タイ警察の重要な任務です。
この検問所は普段から行われている決まった場所の他に、何故か月末のお財布が寂しくなる期間には臨時の検問所が各地に増えます。警察も臨時収入が掛かっているので必死です。
そしてある程度お財布が潤うと、自然に撤収して行くのが、タイの日常的な風景です。
毎晩聞く様子では、相変わらず元気でやっているようです。
そう言えば、次男が今回の引っ越しの際には父親には頼らず、自分で就活サイトから見つけた引っ越し請負いの車を頼んだのですが、当日来た引っ越し請負の青年は、次男とそう歳も違わないような若者で、今回の洪水の被害も大きくニュースにも出ていた隣接の町から来たと言う事でした。
なんとか水が引いて車は通れるようになったと話していましたが、次男の行くチョンブリーに行くには、またそのなんとか通れる道を通っていくと言う事でした。
私はタイに住む年数が増えるに連れて、ますます人を信じられなくなっているので、この見るからに純朴そうな若者でさえ信じられず、次男を無事に送り届けてくれるだろうか?
途中で、トイレ休憩とか言って、次男が降りた隙に荷物を載せたまま、次男をどこかわからないところに置いて逃げたりしないだろうか?
いや、それならまだいいが、途中で次男を拉致したりもっと酷い事にならないだろうか?
…などと、様々な妄想が頭をよぎって行きます。
そのため、普段は長女とミックと私で共有している位置情報アプリを、今回他県に行く次男にもロードさせていたので、チャイヤプムからチョンブリーのアパートに辿り着くまで、暇があればずっと見守っていました。
トイレ休憩もするだろうと思いましたが、途中で30分くらい停車していた所があり、それも明らかにガソリンスタンドなどの周囲に建物がないような道の途中だったので、まさか私の嫌な予想が当たったのでは?と、心配していましたが、30分くらい後動き出したのでなんとか安心しました。
その事を、無事に目的地に到着した次男に聞いてみたところ、途中の道路で警察の薬物検問所があり、ピックアップトラックに荷物を積んでいる若い男2人なので、足止めされて尿検査を受けさせられたそうです。
こう言う場面で、私のような年配の女だとそれほど不審に思われないらしく(まあ、同じおばさんでも派手なタイ人女性の場合はそうでもないでしょうが)検問の対象になった事はありませんが、我が家の夫などは、見た目がとても部品店の主とは見えず、その辺の庶民のオッサン風なので、県境を越えてコンケーンなどに行くときには、必ずと言っていいほど毎回毎回尿検査をさせられるそうです。
見た目で損をしているとしか言いようがありませんが、これがタイ警察の大事なお仕事なので仕方ありません。
この手の検問所は、薬物取締り以外にもほぼ毎日決まった場所で行われていますが、大抵は、車の保険の期限切れや、免許の所持や有効期限などを理由に罰金を徴収すると言う、タイ警察の重要な任務です。
この検問所は普段から行われている決まった場所の他に、何故か月末のお財布が寂しくなる期間には臨時の検問所が各地に増えます。警察も臨時収入が掛かっているので必死です。
そしてある程度お財布が潤うと、自然に撤収して行くのが、タイの日常的な風景です。
2021年10月04日
久々の買い出し〜洪水から一週間〜
近年例を見ないチャイヤプムの洪水の爪跡も、先週後半になると、それまで全面通行止めだった各方面の道路も順次通行ができるようになったと言う噂が流れて来ました。
私も週末が近づくに連れて、今週末に買い出しに行けるかどうか?と内心気が気ではありませんでした。
何しろ、ちょっとした肉や野菜は近所のスーパーでも買えるものの、だんだん品薄になっているようだったので、いつまで保つか…と言う懸念がありました。
何より、ここ数年私の主食である、タイ産あきたこまちと冷凍パックサーモンの薄い切り身(日本のスーパーの安売り紅鮭の切り身の半分くらいの薄さ)、そして忘れてはならないのが、2年前に出来たロビンソンのスーパーで買えるようになった納豆で、チャイヤプムまで買い出しに行かないことには手に入らないのです。
日曜日の朝、午後から釣りに行くと言う夫が、「チャイヤプムは全道路通れるようになったって。」と言うので、半信半疑ながらもそれなら行ってみようと、店が休みの午後から、まだ若葉マークの代わりに自作の初心運転者標識を付けた長女の運転で出掛けたのです。
店を閉め支度をして出発すると、まず我が家から10kmくらい行った集落に入る手前で、道路陥没した箇所を通りましたが、連日、何往復も2トン車で泥を運搬して埋めたらしく、とりあえず陥没箇所は見事に埋められて、なんとか陥没前の道路と変わらないくらいに復旧していました。
まあ、泥を流し込んで踏んで固めた上にまた薄くアスファルトを被せただけなので、次の洪水時には同じ事を繰り返すと思われますが…。
でも、とりあえず今回は通行出来るようになった事に感謝しつつそこを通り過ぎました。
次にそこからまた2kmほど進んだ先に、今度は10年前の洪水時に決壊した小さな橋があります。また今回も決壊したのですが、その橋もすでに元通り。
そして、更にまた5kmほど先に進むと、また更に小さな、橋と呼ぶほどもおこがましいような2メートルくらいの橋があるのですが、その橋も元通りになっており、どうやら我が家からチャイヤプム市街への道は、とりあえずは復旧したようです。
この日は、長女が献血をしたいと言うので、チャイヤプム病院に寄ってから買い物に行こうと思ったのですが、まだ中心部の水嵩がどこまで引いたか分からなかったので、念のためチャイヤプムへの直線道路から行かずにバイパスを通って回り道をして行ったのですが、この道路もまだ少し水が残っていて、道端で魚獲りをしている人も結構いました。
その後チャイヤプム病院に着いて長女が献血をしたのですが、先週は水嵩が1mくらいあって、舟が行き来し、さながら水の都のようになっていた病院前の道路も、昨日はすっかり水も引き乾いていて、昔行った、カンカンと照りつける太陽の下のタイ湾の浜辺のような、熱くて乾いているけれど何故か生臭い…そんな臭いがしました。
長女の献血が済むと、今度はいよいよチャイヤプムの中心にあるジャオポー・パヤレー像の横を通り過ぎ、チャイヤプムの中心部から少し郊外にあるロビンソン・ライフスタイルと言うショッピングセンターに向かって車を走らせました。
すると中心部の通りを抜ける交差点の辺りから急に、乾いていた道路を水が浸食して来ました。
そこからは、先程とはまた別世界…。
先週までここが洪水だった事を思い出させました。
さすがに全体的に水も引いて来ているので、腰までとか胸までと言うほどの水嵩ではありませんが、この区域にはまだ車のバンパーに届くくらいの水は残っていました。
どこからこんなに用意したのか、土嚢が活躍しています。
レスキュー車や牽引車が多く行き来していました。
少しスピードが出ると、水飛沫が上がって視界が見えにくくなり、とても危険です。
まだ運転初心者の長女は、おっかなびっくりで運転していました。
コンビニも営業していますが、入り口に辿り着くまでにひと苦労でしょう。
この区域では、とてもまだ日常生活を送るまでには復旧していないようです。
まだしばらくは、非日常の不便な生活を送るのだろうと思い、同情していたところ…。
やはりここはタイ…。
大雨や洪水の後にはよく見かける光景ですが、水有る所魚有り、魚ある所タイ人有り…。
と言うわけで、洪水時にも転んでもただでは起きないタイ人の姿を見ました。
私も週末が近づくに連れて、今週末に買い出しに行けるかどうか?と内心気が気ではありませんでした。
何しろ、ちょっとした肉や野菜は近所のスーパーでも買えるものの、だんだん品薄になっているようだったので、いつまで保つか…と言う懸念がありました。
何より、ここ数年私の主食である、タイ産あきたこまちと冷凍パックサーモンの薄い切り身(日本のスーパーの安売り紅鮭の切り身の半分くらいの薄さ)、そして忘れてはならないのが、2年前に出来たロビンソンのスーパーで買えるようになった納豆で、チャイヤプムまで買い出しに行かないことには手に入らないのです。
日曜日の朝、午後から釣りに行くと言う夫が、「チャイヤプムは全道路通れるようになったって。」と言うので、半信半疑ながらもそれなら行ってみようと、店が休みの午後から、まだ若葉マークの代わりに自作の初心運転者標識を付けた長女の運転で出掛けたのです。
店を閉め支度をして出発すると、まず我が家から10kmくらい行った集落に入る手前で、道路陥没した箇所を通りましたが、連日、何往復も2トン車で泥を運搬して埋めたらしく、とりあえず陥没箇所は見事に埋められて、なんとか陥没前の道路と変わらないくらいに復旧していました。
まあ、泥を流し込んで踏んで固めた上にまた薄くアスファルトを被せただけなので、次の洪水時には同じ事を繰り返すと思われますが…。
でも、とりあえず今回は通行出来るようになった事に感謝しつつそこを通り過ぎました。
次にそこからまた2kmほど進んだ先に、今度は10年前の洪水時に決壊した小さな橋があります。また今回も決壊したのですが、その橋もすでに元通り。
そして、更にまた5kmほど先に進むと、また更に小さな、橋と呼ぶほどもおこがましいような2メートルくらいの橋があるのですが、その橋も元通りになっており、どうやら我が家からチャイヤプム市街への道は、とりあえずは復旧したようです。
この日は、長女が献血をしたいと言うので、チャイヤプム病院に寄ってから買い物に行こうと思ったのですが、まだ中心部の水嵩がどこまで引いたか分からなかったので、念のためチャイヤプムへの直線道路から行かずにバイパスを通って回り道をして行ったのですが、この道路もまだ少し水が残っていて、道端で魚獲りをしている人も結構いました。
その後チャイヤプム病院に着いて長女が献血をしたのですが、先週は水嵩が1mくらいあって、舟が行き来し、さながら水の都のようになっていた病院前の道路も、昨日はすっかり水も引き乾いていて、昔行った、カンカンと照りつける太陽の下のタイ湾の浜辺のような、熱くて乾いているけれど何故か生臭い…そんな臭いがしました。
長女の献血が済むと、今度はいよいよチャイヤプムの中心にあるジャオポー・パヤレー像の横を通り過ぎ、チャイヤプムの中心部から少し郊外にあるロビンソン・ライフスタイルと言うショッピングセンターに向かって車を走らせました。
すると中心部の通りを抜ける交差点の辺りから急に、乾いていた道路を水が浸食して来ました。
そこからは、先程とはまた別世界…。
先週までここが洪水だった事を思い出させました。
さすがに全体的に水も引いて来ているので、腰までとか胸までと言うほどの水嵩ではありませんが、この区域にはまだ車のバンパーに届くくらいの水は残っていました。
どこからこんなに用意したのか、土嚢が活躍しています。
レスキュー車や牽引車が多く行き来していました。
少しスピードが出ると、水飛沫が上がって視界が見えにくくなり、とても危険です。
まだ運転初心者の長女は、おっかなびっくりで運転していました。
コンビニも営業していますが、入り口に辿り着くまでにひと苦労でしょう。
この区域では、とてもまだ日常生活を送るまでには復旧していないようです。
まだしばらくは、非日常の不便な生活を送るのだろうと思い、同情していたところ…。
やはりここはタイ…。
大雨や洪水の後にはよく見かける光景ですが、水有る所魚有り、魚ある所タイ人有り…。
と言うわけで、洪水時にも転んでもただでは起きないタイ人の姿を見ました。
2021年10月02日
独り立ちの時
私には日本で出産した長男、長女、次男と、タイで生まれたミックの4人の子供がいますが、その4人のうち上の3人はすでに大学を卒業しました。
しかしながら、長男は大学院の修士課程を終え、また今年から博士課程に進学したので、まだ学生のまま。
長女も、大学を卒業して日本語検定試験を受けながら、就職活動をしていたのですが、コロナの影響で就職活動も思うように行かず、今は大学のあったバンコクから実家に戻って、引き続き日本語検定試験の勉強をしながら私の手伝いをしています。
次男も、長女に続いて大学をこの春卒業し、タイの大学の必須科目である職業実習を6月末で済ませて、その間にネットで偶然にも実家に近い就職先を見つけ、そこに就職するべく、実家に戻っていました。ちなみに、次男は土木工学、土木建築の勉強をしていたらしいです。
ところが、決まったはずの就職先がなかなか連絡をくれないので、業を煮やしてこちらから連絡を入れると、実は未だ今回の仕事の現場の認可が降りていないと言う事で、もう少し待ってくれと言う返事だそうでした。
その煮え切らない返事に不満を持った次男は、次の就職先をまたネットで探していましたが、今度は大学の友人が働いていると言うサラブリー県の会社に決まり、8月から仕事を始めるべく、荷物もまとめ、近所の病院でコロナの検査も受け、後は出発するだけのはずでした。
ところが当日になって、送って行くはずだった父親が、市役所にコロナの厳戒令下での県間の移動について聞いて来たところ、もし父親が送って行きこちらに戻って来た場合、戻り次第2週間の隔離をしなければならないと言われたそうです。すると父親は、急に次男に送れないから行くなと言い出したのです。
夫の言い分は、「俺が2週間隔離されたら、うちの店はどうなる。店が開けないと我が家はどうなる。」と言う感じでしたが、私としては、別に夫が2週間隔離されても、今はコロナで暇だし、私一人でも十分営業していけるから、その辺は問題ないと思ったのですが、それを言ったらどうキレるか分からないので、もちろん口には出しません。
と言う経緯で、せっかく決まった次男の次の就職先もキャンセルになってしまいました。
私としては、今はコロナで就職が余計難しくなっている事もあり、しばらく家でのんびりしてくれても構わないと思うのですが、次男は何もせず家にいるのが耐えられないらしく、一日も早く仕事をしたいと言う感じでした。
そうしてまたひと月が経ち、せっかく余っている時間がもったいないからと、その間に次男は長女と一緒に自動車学校に通い、普通自動車免許と自動二輪車免許を取得しておきました。(この件については、また後日アップします。)
そして9月も半ばを過ぎた頃、また次男が「仕事見つかったから。今月の28か29に出発するから。」と言い出しました。
毎晩朝方まで土木施工管理技士試験の勉強をする傍ら、人脈やネットを駆使して就職先を探していたようです。
今度は何と、チョンブリー県。
日本人の街と言われるシーラチャーや観光ビーチであまりにも有名なパタヤがある県ですが、次男が就職する会社はバーンラムンと言う、ちょうどシーラチャーとパタヤの間に挟まれた市のようです。
チョンブリーは、タイに来たばかりの頃、よく夫の友人ばかりの同窓会旅行に連れて行かれた場所で、私にとってはいい思い出もない、同じタイとは思えないはるか遠い地です。
それでも、痛いコロナの検査を受けても行きたいと言う次男の意思を尊重しない訳には行きません。
今回は、前に裏切られた父親には最初から頼らず、次男はこの2カ月の間にいろいろ探して、就職するための一人分の引っ越しを請け負う業者などを見つけ、就職先の近くの部屋探しも自分で全て済ませていました。
もともと大学時代から、頑張って勉強した奨学金で3年半で卒業し、その合間に大学の先輩の手伝いのアルバイトで貯金したり、ほとんど親に頼った事がないような次男でしたが、今回の就職騒動で今まで以上に更に成長したのを感じました。
そんな次男も、今日で就職2日目です。
今日は仕事の下見で、ラヨーン県に行ってるという事です。
毎日、夕方に様子を聞くのが最近の私の日課です。
アパートも職場も海の近くだそうで、毎日、海辺でご飯を食べているそうです。
今度いつ会えるのか、少し寂しい今日この頃です。
しかしながら、長男は大学院の修士課程を終え、また今年から博士課程に進学したので、まだ学生のまま。
長女も、大学を卒業して日本語検定試験を受けながら、就職活動をしていたのですが、コロナの影響で就職活動も思うように行かず、今は大学のあったバンコクから実家に戻って、引き続き日本語検定試験の勉強をしながら私の手伝いをしています。
次男も、長女に続いて大学をこの春卒業し、タイの大学の必須科目である職業実習を6月末で済ませて、その間にネットで偶然にも実家に近い就職先を見つけ、そこに就職するべく、実家に戻っていました。ちなみに、次男は土木工学、土木建築の勉強をしていたらしいです。
ところが、決まったはずの就職先がなかなか連絡をくれないので、業を煮やしてこちらから連絡を入れると、実は未だ今回の仕事の現場の認可が降りていないと言う事で、もう少し待ってくれと言う返事だそうでした。
その煮え切らない返事に不満を持った次男は、次の就職先をまたネットで探していましたが、今度は大学の友人が働いていると言うサラブリー県の会社に決まり、8月から仕事を始めるべく、荷物もまとめ、近所の病院でコロナの検査も受け、後は出発するだけのはずでした。
ところが当日になって、送って行くはずだった父親が、市役所にコロナの厳戒令下での県間の移動について聞いて来たところ、もし父親が送って行きこちらに戻って来た場合、戻り次第2週間の隔離をしなければならないと言われたそうです。すると父親は、急に次男に送れないから行くなと言い出したのです。
夫の言い分は、「俺が2週間隔離されたら、うちの店はどうなる。店が開けないと我が家はどうなる。」と言う感じでしたが、私としては、別に夫が2週間隔離されても、今はコロナで暇だし、私一人でも十分営業していけるから、その辺は問題ないと思ったのですが、それを言ったらどうキレるか分からないので、もちろん口には出しません。
と言う経緯で、せっかく決まった次男の次の就職先もキャンセルになってしまいました。
私としては、今はコロナで就職が余計難しくなっている事もあり、しばらく家でのんびりしてくれても構わないと思うのですが、次男は何もせず家にいるのが耐えられないらしく、一日も早く仕事をしたいと言う感じでした。
そうしてまたひと月が経ち、せっかく余っている時間がもったいないからと、その間に次男は長女と一緒に自動車学校に通い、普通自動車免許と自動二輪車免許を取得しておきました。(この件については、また後日アップします。)
そして9月も半ばを過ぎた頃、また次男が「仕事見つかったから。今月の28か29に出発するから。」と言い出しました。
毎晩朝方まで土木施工管理技士試験の勉強をする傍ら、人脈やネットを駆使して就職先を探していたようです。
今度は何と、チョンブリー県。
日本人の街と言われるシーラチャーや観光ビーチであまりにも有名なパタヤがある県ですが、次男が就職する会社はバーンラムンと言う、ちょうどシーラチャーとパタヤの間に挟まれた市のようです。
チョンブリーは、タイに来たばかりの頃、よく夫の友人ばかりの同窓会旅行に連れて行かれた場所で、私にとってはいい思い出もない、同じタイとは思えないはるか遠い地です。
それでも、痛いコロナの検査を受けても行きたいと言う次男の意思を尊重しない訳には行きません。
今回は、前に裏切られた父親には最初から頼らず、次男はこの2カ月の間にいろいろ探して、就職するための一人分の引っ越しを請け負う業者などを見つけ、就職先の近くの部屋探しも自分で全て済ませていました。
もともと大学時代から、頑張って勉強した奨学金で3年半で卒業し、その合間に大学の先輩の手伝いのアルバイトで貯金したり、ほとんど親に頼った事がないような次男でしたが、今回の就職騒動で今まで以上に更に成長したのを感じました。
そんな次男も、今日で就職2日目です。
今日は仕事の下見で、ラヨーン県に行ってるという事です。
毎日、夕方に様子を聞くのが最近の私の日課です。
アパートも職場も海の近くだそうで、毎日、海辺でご飯を食べているそうです。
今度いつ会えるのか、少し寂しい今日この頃です。