2014年10月30日
弟の結婚式に思う。
つい先日、日本に二人居る弟のうち、末の弟の結婚式が執り行われた。
実は、数年前に日本に帰国したときには、そういう素振りは全くなく、このまま独身生活を満喫し続けると言うような事を話していたのだった。
まあ、その時点で本人が実際のところはどうだったかは別として、その自由に見える生活に憧れた我が家の長男は、「叔父さんのように、独身で過ごして家庭を背負わない自由な生活をし、老後は老人ホームに入る為に貯金をしておく。」と言う人生の計画を建て始めていたくらいである。
そう言う我が家の子供たちに大きな影響を与えていた我が弟だったが、この度喜ばしいことに、今までの人生計画を覆すような良い伴侶に出会い、結婚と言う決断に至ったらしい。
さて、今回の結婚式の連絡は6月頃に弟から、参加出来るかを打診されていて、本当なら参加すべきだし、私自身も是非参加したいと思ったのだが、何しろ我が家の夫からの条件があったので、返事をする最後の最後まで悩んだ挙げ句、結局不参加となった。
式は10月26日だったので、本来なら時期的には子供たちの2学期の休みと重なっていた。
しかし、今年は例のASEAN政策で、子供4人のうちその日に休みだったのは大学生の長男と小学生の末っ子の2人だけだった。
とは言え、これは後から分かった事で、実際のところ、6月7月の時点では子供たちの休み中だと言う認識だった。
しかし、そこですでに子供たちを連れて結婚式に参加しようか…と考えていた私に、夫が「子供たちは連れて行かなくていい。」と言い放った。
そこでもう半分くらい「参加しよう!」と言う意欲が削がれていたのだが、それに加え、普段から私が用事で外出しようとすると不機嫌になる夫の態度も一因となった。
日本への一時帰国に「一人で2週間くらい行って来ていいよ。」と言う割に、私がチャイヤプムの街中はもちろん、すぐ側の市場やコンビニに出掛けるだけで、店の商品が見つからなくて、すぐに電話を掛けて来る夫。
そして、先日も日本から来た友人とチャイヤプムの街中に買い物に出掛けただけで、何となく不機嫌な態度になっている夫。
休みで店を手伝っている長男が言うには、「お父さんは、商売をするのが面倒なんだよ。」との見解である。
まあ、それは店の中に所狭しと詰め込まれた商品の中から、目当ての物を探すのはそう簡単ではない。
それも、私は自分で商品チェックをし、商品棚などに並べているから大体の物がどこにあるかくらいは覚えているが、夫は自分でそう言う事を全くやらないので、大まかな商品の配置は覚えていても、細かい物や滅多に売れない物などは「宝島の宝探し」のレベルなのである。
だから、私が居ないと半分以上の商品が見つからない…と言うことになる。
だったら、少しは手伝えばいいのだが、「それは俺の仕事ではない。」と言う態度で、私が商品チェックをしているのを横目に、テレビを見て大笑いしているのであるから、これも自業自得と言うのだろうか。
とにかく、そう言ういくつかの心配事が重なって、貴重な体験になるはずだった兄弟の結婚式への参加は断念した。
その結婚式の数日前に母と電話で話していたのだが、母は実はこれが初めての我が子の結婚式になったのであった。
本来なら、もう二十年以上前に私は結婚しているのだが、何しろ一人娘の将来を心配する父親の猛反対を押し切っての結婚。
しかも、夫は義母の借金を返済する為に日本に出稼ぎで来ていた身、一円でも多く祖国の義母に仕送りしたいと思っていた。
私も、父に反対されているので、結婚式などと言う考えも無かった。
その上、とある事情で仕事をクビになったばかり、配偶者ビザも婚姻の証拠が無ければ難しい時期だった。
大金を叩いての結婚披露宴などは夢のまた夢…。
私と夫は当然のように、紙切れ一枚で婚姻を済ませた。
その夜、母と話していて、今の今まで甥や姪、その他の親戚や近所の子供たちの結婚式には出席しても、自分の子供たちの結婚式に出席したことが無かった母が今更ながら可哀想に思えて来た。
そして、その初めての我が子の結婚式である今回の弟の結婚式さえ見られずして、数年前に亡くなった父には、殊更に申し訳ない気持ちが溢れて来た。
一人娘の結婚式に参列する父親。
父親として、本当に夢見ていたかも知れなかったのに、見事にその期待を裏切ってしまった事に今更ながら深く後悔した。
…などと、今回の弟の結婚式について色々な思いを巡らせたのだが、何はともあれ、せっかく縁あって結ばれた二人の未来が幸多かれと願うばかりである。
実は、数年前に日本に帰国したときには、そういう素振りは全くなく、このまま独身生活を満喫し続けると言うような事を話していたのだった。
まあ、その時点で本人が実際のところはどうだったかは別として、その自由に見える生活に憧れた我が家の長男は、「叔父さんのように、独身で過ごして家庭を背負わない自由な生活をし、老後は老人ホームに入る為に貯金をしておく。」と言う人生の計画を建て始めていたくらいである。
そう言う我が家の子供たちに大きな影響を与えていた我が弟だったが、この度喜ばしいことに、今までの人生計画を覆すような良い伴侶に出会い、結婚と言う決断に至ったらしい。
さて、今回の結婚式の連絡は6月頃に弟から、参加出来るかを打診されていて、本当なら参加すべきだし、私自身も是非参加したいと思ったのだが、何しろ我が家の夫からの条件があったので、返事をする最後の最後まで悩んだ挙げ句、結局不参加となった。
式は10月26日だったので、本来なら時期的には子供たちの2学期の休みと重なっていた。
しかし、今年は例のASEAN政策で、子供4人のうちその日に休みだったのは大学生の長男と小学生の末っ子の2人だけだった。
とは言え、これは後から分かった事で、実際のところ、6月7月の時点では子供たちの休み中だと言う認識だった。
しかし、そこですでに子供たちを連れて結婚式に参加しようか…と考えていた私に、夫が「子供たちは連れて行かなくていい。」と言い放った。
そこでもう半分くらい「参加しよう!」と言う意欲が削がれていたのだが、それに加え、普段から私が用事で外出しようとすると不機嫌になる夫の態度も一因となった。
日本への一時帰国に「一人で2週間くらい行って来ていいよ。」と言う割に、私がチャイヤプムの街中はもちろん、すぐ側の市場やコンビニに出掛けるだけで、店の商品が見つからなくて、すぐに電話を掛けて来る夫。
そして、先日も日本から来た友人とチャイヤプムの街中に買い物に出掛けただけで、何となく不機嫌な態度になっている夫。
休みで店を手伝っている長男が言うには、「お父さんは、商売をするのが面倒なんだよ。」との見解である。
まあ、それは店の中に所狭しと詰め込まれた商品の中から、目当ての物を探すのはそう簡単ではない。
それも、私は自分で商品チェックをし、商品棚などに並べているから大体の物がどこにあるかくらいは覚えているが、夫は自分でそう言う事を全くやらないので、大まかな商品の配置は覚えていても、細かい物や滅多に売れない物などは「宝島の宝探し」のレベルなのである。
だから、私が居ないと半分以上の商品が見つからない…と言うことになる。
だったら、少しは手伝えばいいのだが、「それは俺の仕事ではない。」と言う態度で、私が商品チェックをしているのを横目に、テレビを見て大笑いしているのであるから、これも自業自得と言うのだろうか。
とにかく、そう言ういくつかの心配事が重なって、貴重な体験になるはずだった兄弟の結婚式への参加は断念した。
その結婚式の数日前に母と電話で話していたのだが、母は実はこれが初めての我が子の結婚式になったのであった。
本来なら、もう二十年以上前に私は結婚しているのだが、何しろ一人娘の将来を心配する父親の猛反対を押し切っての結婚。
しかも、夫は義母の借金を返済する為に日本に出稼ぎで来ていた身、一円でも多く祖国の義母に仕送りしたいと思っていた。
私も、父に反対されているので、結婚式などと言う考えも無かった。
その上、とある事情で仕事をクビになったばかり、配偶者ビザも婚姻の証拠が無ければ難しい時期だった。
大金を叩いての結婚披露宴などは夢のまた夢…。
私と夫は当然のように、紙切れ一枚で婚姻を済ませた。
その夜、母と話していて、今の今まで甥や姪、その他の親戚や近所の子供たちの結婚式には出席しても、自分の子供たちの結婚式に出席したことが無かった母が今更ながら可哀想に思えて来た。
そして、その初めての我が子の結婚式である今回の弟の結婚式さえ見られずして、数年前に亡くなった父には、殊更に申し訳ない気持ちが溢れて来た。
一人娘の結婚式に参列する父親。
父親として、本当に夢見ていたかも知れなかったのに、見事にその期待を裏切ってしまった事に今更ながら深く後悔した。
…などと、今回の弟の結婚式について色々な思いを巡らせたのだが、何はともあれ、せっかく縁あって結ばれた二人の未来が幸多かれと願うばかりである。
2014年10月25日
高血圧?低血圧?
先日の破傷風の予防接種のときに測ったのが一番最近のデータだが、私は基本的に『低血圧』の部類に入る。
ところがまた最近、店で訳の分からない客の接客時や、先日の隣人ウワンの弟がやった裏庭での焚き火事件などの時に、興奮と言うか怒りがこみ上げて来て、それを原因とするストレスから、身体の中の血液が充満するような感覚を覚えた。
この症状が出始めたのは、今から遡ること3年前…。
近所のチャン(修理工)が、一年以上前にツケで持って行ったエンジンオイル代を、途中も何度か催促はしていたのだが、ある日何度目かの催促をしたところ、しばらくしてその奥さんがすごい剣幕でやって来て、「その代金はもう払っている。」と捲し立てたのだ。
私も負けずに「我が家には伝票も残っているし…。」と言い返したのだが、「もう払った!」の一点張りで絶対に譲らない。
しばらくそういうやり取りを続けたところ、横で聞いていた夫が、「もういいよ。それじゃそう言うことにしておけ。」と問題を打ち切ろうとするので、余計意地になった私の身体に変化が現れた。
これが「血圧が上がる」と言う症状なのか、その時点で血圧を測っていないので、実際に血圧が上がっていたのかも分からないのだが、両腕を中心に身体の中に血液が充満して行く…ような感覚に襲われたのであった。
その日を発端にして、今日までにも大抵は無理難題を言う客や、こちらがいくら丁寧に説明しても理解出来ない客、そして最初から「外国人」と言う偏見で相手にしようとしない客…などの接客の最中に、何度かこういう症状が現れた。
そして最近、この症状がほぼ毎日しかも頻繁に現れるようになって、健康管理に疎い私もさすがに心配になって来た。
最初は、もう5年以上していない健康診断を、チャイヤプム市内の私立の病院で受けてみようか…などと思ったのだが、普段低血圧の私が検査を受けてこの症状が出るとも思えないので、検査では分からないかも知れないと思い、直接診察を受けるためにこういう症状をネットで検索してみることにした。
その結果、何となくではあるが、おそらく「ストレス性の一時的な血圧の上昇」と言う感じではないかと思い、やはりその状況を説明しないと医師も分からないだろうと言う結論になった。
バンコク辺りの最新設備の大病院ならともかく、ここチャイヤプムでは最近出来た私立の病院でも、こういう症状を訴えてストレスが原因と診断されるものかどうか…心配である。
何だか、まったくあさっての方向的な診断をされそうで怖い…。
はっきり言って、私は末っ子の出産以来、タイ人の医師を全く信用していないのである。
そして、今日もそんな事を考えていた矢先に、夫とのたわいのない世間話から始まった会話の矛先が私に向けられて、例の症状を引き起こしたのだった。
それは、この数日間、日本から里帰りしてここチャイヤプムに来ている夫の幼なじみの日本人の奥さんの話が発端だった。
その奥さんが、旦那さんの実家に滞在している間、そこに同居している甥っ子たちと実に仲良く過ごしている…と言う話だったのだが、それがすぐに矛先を私に変え、夫の文句が始まった。
「お前は、この彼女のように、親戚の集まりで、輪の中に入って溶け込もうとしない。」(最初は私だって一緒にご飯を食べて輪に入っていたよ。最近座る場所が足りないから、遠慮して早々に席を立つだけなのに…。)
「俺が日本に居た頃はお前の親戚の叔父さんたちと酒を酌み交わしたり、話もしたぞ。」(でも、日本で親戚に会ったのって、私の祖母のお葬式くらいじゃない?それと偶然実家に帰ったときに、来ていた叔母夫婦に会った事があるだけのような…。)
「彼女(幼なじみの奥さん)は、甥や親戚と上手く付き合っていて、お前とはえらい違いだ。」(私だって、年に1、2回の再会だったら、とびきりの作り笑顔で過ごして上げられるよ。こう何かにつけて会ってて、今更無理して愛想笑いもないでしょ?)
などと、言いがかり的な文句を黙って聞いているうちに、両腕の辺りが徐々に熱くなるような感じがして来て、例の症状が出て来たのだ。
今までは、そのストレスの原因のほとんどが客や近所の人間にあったので、なるべく付き合わないようにすれば、ストレスを防げると思っていたのだが、夫の文句にまで身体が反応するようになっては、私はどうしたらいいのだろう?…と、これから先の事が増々心配になった。
何しろ、嫌でも毎日顔を合わせる訳である。
しかも、我が家は自営業なので夫が外出しない限り、一日中一緒に居る事になる。
一日も早くこのストレスに因る体調不良の治療法を探さないと、家庭の中でストレスに殺されてしまいそうである。
ところがまた最近、店で訳の分からない客の接客時や、先日の隣人ウワンの弟がやった裏庭での焚き火事件などの時に、興奮と言うか怒りがこみ上げて来て、それを原因とするストレスから、身体の中の血液が充満するような感覚を覚えた。
この症状が出始めたのは、今から遡ること3年前…。
近所のチャン(修理工)が、一年以上前にツケで持って行ったエンジンオイル代を、途中も何度か催促はしていたのだが、ある日何度目かの催促をしたところ、しばらくしてその奥さんがすごい剣幕でやって来て、「その代金はもう払っている。」と捲し立てたのだ。
私も負けずに「我が家には伝票も残っているし…。」と言い返したのだが、「もう払った!」の一点張りで絶対に譲らない。
しばらくそういうやり取りを続けたところ、横で聞いていた夫が、「もういいよ。それじゃそう言うことにしておけ。」と問題を打ち切ろうとするので、余計意地になった私の身体に変化が現れた。
これが「血圧が上がる」と言う症状なのか、その時点で血圧を測っていないので、実際に血圧が上がっていたのかも分からないのだが、両腕を中心に身体の中に血液が充満して行く…ような感覚に襲われたのであった。
その日を発端にして、今日までにも大抵は無理難題を言う客や、こちらがいくら丁寧に説明しても理解出来ない客、そして最初から「外国人」と言う偏見で相手にしようとしない客…などの接客の最中に、何度かこういう症状が現れた。
そして最近、この症状がほぼ毎日しかも頻繁に現れるようになって、健康管理に疎い私もさすがに心配になって来た。
最初は、もう5年以上していない健康診断を、チャイヤプム市内の私立の病院で受けてみようか…などと思ったのだが、普段低血圧の私が検査を受けてこの症状が出るとも思えないので、検査では分からないかも知れないと思い、直接診察を受けるためにこういう症状をネットで検索してみることにした。
その結果、何となくではあるが、おそらく「ストレス性の一時的な血圧の上昇」と言う感じではないかと思い、やはりその状況を説明しないと医師も分からないだろうと言う結論になった。
バンコク辺りの最新設備の大病院ならともかく、ここチャイヤプムでは最近出来た私立の病院でも、こういう症状を訴えてストレスが原因と診断されるものかどうか…心配である。
何だか、まったくあさっての方向的な診断をされそうで怖い…。
はっきり言って、私は末っ子の出産以来、タイ人の医師を全く信用していないのである。
そして、今日もそんな事を考えていた矢先に、夫とのたわいのない世間話から始まった会話の矛先が私に向けられて、例の症状を引き起こしたのだった。
それは、この数日間、日本から里帰りしてここチャイヤプムに来ている夫の幼なじみの日本人の奥さんの話が発端だった。
その奥さんが、旦那さんの実家に滞在している間、そこに同居している甥っ子たちと実に仲良く過ごしている…と言う話だったのだが、それがすぐに矛先を私に変え、夫の文句が始まった。
「お前は、この彼女のように、親戚の集まりで、輪の中に入って溶け込もうとしない。」(最初は私だって一緒にご飯を食べて輪に入っていたよ。最近座る場所が足りないから、遠慮して早々に席を立つだけなのに…。)
「俺が日本に居た頃はお前の親戚の叔父さんたちと酒を酌み交わしたり、話もしたぞ。」(でも、日本で親戚に会ったのって、私の祖母のお葬式くらいじゃない?それと偶然実家に帰ったときに、来ていた叔母夫婦に会った事があるだけのような…。)
「彼女(幼なじみの奥さん)は、甥や親戚と上手く付き合っていて、お前とはえらい違いだ。」(私だって、年に1、2回の再会だったら、とびきりの作り笑顔で過ごして上げられるよ。こう何かにつけて会ってて、今更無理して愛想笑いもないでしょ?)
などと、言いがかり的な文句を黙って聞いているうちに、両腕の辺りが徐々に熱くなるような感じがして来て、例の症状が出て来たのだ。
今までは、そのストレスの原因のほとんどが客や近所の人間にあったので、なるべく付き合わないようにすれば、ストレスを防げると思っていたのだが、夫の文句にまで身体が反応するようになっては、私はどうしたらいいのだろう?…と、これから先の事が増々心配になった。
何しろ、嫌でも毎日顔を合わせる訳である。
しかも、我が家は自営業なので夫が外出しない限り、一日中一緒に居る事になる。
一日も早くこのストレスに因る体調不良の治療法を探さないと、家庭の中でストレスに殺されてしまいそうである。
2014年10月20日
他人の迷惑顧みず…。
昨日の昼下がりの出来事だった…。
相変わらず、家を空けてあくまで個人的な用事で出掛けている夫の留守を預かり、午前中の接客の大波を乗り越え、トイレに入って一息ついた時だった。
我が家のトイレは、店から入って来て、リビングのドアを開け、そのリビングの一番奥に位置している。
つまり、家の裏の土地とブロックの壁で隔てられているだけなのだが、トイレで用を足していると、何やら聞き慣れない音がした。
最初はその小刻みにリズム感のある音に、雨でも降り出したのかと思ったが、曇りガラス越しに感じる外は明るい。
しかも、次第に何となくきな臭い臭いがして来た。
そう言えば、「パチパチ…」と、火の粉の弾けるような音がする。…と、これではまるで「かちかち山」ではないか。
次の瞬間「これは間違いなく、裏の空き地で誰かが何かを焼いている!」と思った私は、すぐに「あ!2階のベランダの洗濯物が!!」と思いつき、急いでトイレを飛び出した。
リビングでそれぞれくつろいでいる子供たちに「ちょっと店を見てて!」と指示を出し、急いで裏に回ろうと家の横の車庫まで行ったところで、朦々と白い煙が車庫の方にも、2階のベランダにも上っているのが見えた。
私はすぐさま引き返し、2階に上ってベランダに飛び出し煙の元を見つけた。
裏庭で焚き火をしていたのは、隣人ウワンの弟の一人で、16日に行われたフワイ(闇宝くじ)の証拠隠滅をしていたらしい。
すでに、以前の記事でも書いたように、ウワンは軍部の圧力で一度はフワイの元締めを辞めたと言う事になっていたのだが、そのほとぼりも冷めたところで、またフワイの元締めとしての事業を再開していたらしい。
そして、そのフワイが非合法で行っているものなので、当選発表が済んで、利益精算が済んだところで、その客たちがメモして来た紙切れや書類を証拠隠滅する為に焼却していたのである。
だが、フワイを毛嫌いする私には、もちろんそんな事はどうでもいい。
今は我が家の洗濯物の一大事なのだ!とばかりに、階下のウワンの弟に向かって叫んだ。
「何燃やしてるの!!ここは洗濯物干してるんだよ、どうしてくれるの!!」
と、怒りに任せて怒鳴ってから、急いでまだ生乾きの物もある洗濯物を取り込んだ。
下にいるウワンの弟が、ヘラヘラとタイ人独特の笑ってごまかす「微笑みの国タイランド」笑いをしているのが余計頭に来て、洗濯物を全て取り込んでカゴに入れると、鉄のドアを思い切りバーン!と閉めて階下の店に戻った。
この私にとってはとても非常識な行動に、血圧が上がって来たのか、たまに訳の分からない客の接客中になるように、身体の中から手足、指先まで充血するような感覚になり、その治まらない身体で、今度はウワンの家の前に向かった。
本人に直接文句を言ってやろうと思ったのだが、家の前はシャッターは開いているものの、静まり返っている。
おそらく、その部下たちも全員、上の階でフワイの処理をしているのだろう。
仕方がないので、その隣の義姉の家の前で座っていた義兄に、「ちょっと聞いてもいい?裏庭で焚き火してて、洗濯物が煤だらけになっちゃうし、せっかく選択したのに焦げた臭いも付いちゃったよ。タイ人はこういう場合、はっきり文句を言ってもいいかな?」と、かなり興奮していたので、早口で捲し立てた。
すると、義兄が「フワイの証拠隠滅してるんだろう。」と答えるので、「そんなの分かってるけど、こっちはすごい迷惑なんだけど!」と言い返したので、義兄も困った様子で、家の奥に入って行き、おそらく裏口から私が怒っている…とでも伝えたのだろう。
しかし、一度この非常識行為に怒り心頭に達した私の興奮はなかなか治まらず、ちょうど夫が出掛けているので、私も子供たちを連れてチャイヤプムに最近出来た「DQ(Dairy Queen)」にアイスクリームでも食べに出掛けようと思っていたので、その予定を一時間ほど繰り上げて、すぐに閉店準備に取りかかるうちに、何とか落ち着いて来た。
いつもこういう症状が出ると思うのだが、こういう私にとって受け入れられない行動を平気でする対人(タイ人)ストレスで、私はそのうち殺されてしまうのではないか…?と言う気になる。
そういう事(身体の不調など)があると、夫はすぐに「余計な事ばかり考えるからだ。小さな事をいちいち気に病むな。」で私の気持ちなど一刀両断してくれるが、もちろんそんな簡単に私の問題が解決する訳ではない。それどころか、理解の無い言葉に更に症状悪化である。
ストレスなど精神的なものから来る身体や精神の不調は、カウンセリングのように、親身になって話を聞いてくれる「患者への肯定」の姿勢から始まるのだと思うのだが、我が家の夫にそれは期待出来ない…。
なのでそう言う場合、とりあえず一番の良き理解者である長男に話すと、「うんうん、理解るよ。そうだよね。」と話を聞いてくれるので、それが解決にはならないが、私にとっては一番の薬かも知れない。
もちろん、長男は私に同情して無理に話を合わせていると言うのではなく、話題によっては意見が違う事もある。
だが、殊にタイの社会やタイ人の性格と言う話では、日本からタイに来て、この十年以上暮らして来た経験から、二人の意見がピッタリと合うのである。
他の子供たちにも同じ様に話す事もあるのだが、一番日本人的な感覚を持っているのは長男で、長女や次男は話しても聞いてはいるが、共感と言う感じにはほど遠い時も多い。
まあ、さすがに今回の事は、休日の洗濯を担当している子供たちも、洗濯のやり直し…と言う迷惑を被ったので、全員一致で「隣のウワンの弟が非常識だ、遠慮を知らない。」と言う事になったのだが…。
本当に、自己中と言うのか、他人の迷惑を全く顧みない行動に、我が家の子供たちも呆れていた。
これが今朝一番に洗濯し直して、2階のベランダに干しに行ったときに撮った昨日の焼け跡である。
裏庭に夫がわざわざ植えていたバナナの木も半焼している。このバナナの被害に、明日バンコクから帰宅した夫がどう言う反応をするか…見物である。
普段外面のいい夫だけに、うちの中では文句を言っても、やはりウワン本人には面と向かって文句を言えないだろうと言うのが、私の予想だが…。
相変わらず、家を空けてあくまで個人的な用事で出掛けている夫の留守を預かり、午前中の接客の大波を乗り越え、トイレに入って一息ついた時だった。
我が家のトイレは、店から入って来て、リビングのドアを開け、そのリビングの一番奥に位置している。
つまり、家の裏の土地とブロックの壁で隔てられているだけなのだが、トイレで用を足していると、何やら聞き慣れない音がした。
最初はその小刻みにリズム感のある音に、雨でも降り出したのかと思ったが、曇りガラス越しに感じる外は明るい。
しかも、次第に何となくきな臭い臭いがして来た。
そう言えば、「パチパチ…」と、火の粉の弾けるような音がする。…と、これではまるで「かちかち山」ではないか。
次の瞬間「これは間違いなく、裏の空き地で誰かが何かを焼いている!」と思った私は、すぐに「あ!2階のベランダの洗濯物が!!」と思いつき、急いでトイレを飛び出した。
リビングでそれぞれくつろいでいる子供たちに「ちょっと店を見てて!」と指示を出し、急いで裏に回ろうと家の横の車庫まで行ったところで、朦々と白い煙が車庫の方にも、2階のベランダにも上っているのが見えた。
私はすぐさま引き返し、2階に上ってベランダに飛び出し煙の元を見つけた。
裏庭で焚き火をしていたのは、隣人ウワンの弟の一人で、16日に行われたフワイ(闇宝くじ)の証拠隠滅をしていたらしい。
すでに、以前の記事でも書いたように、ウワンは軍部の圧力で一度はフワイの元締めを辞めたと言う事になっていたのだが、そのほとぼりも冷めたところで、またフワイの元締めとしての事業を再開していたらしい。
そして、そのフワイが非合法で行っているものなので、当選発表が済んで、利益精算が済んだところで、その客たちがメモして来た紙切れや書類を証拠隠滅する為に焼却していたのである。
だが、フワイを毛嫌いする私には、もちろんそんな事はどうでもいい。
今は我が家の洗濯物の一大事なのだ!とばかりに、階下のウワンの弟に向かって叫んだ。
「何燃やしてるの!!ここは洗濯物干してるんだよ、どうしてくれるの!!」
と、怒りに任せて怒鳴ってから、急いでまだ生乾きの物もある洗濯物を取り込んだ。
下にいるウワンの弟が、ヘラヘラとタイ人独特の笑ってごまかす「微笑みの国タイランド」笑いをしているのが余計頭に来て、洗濯物を全て取り込んでカゴに入れると、鉄のドアを思い切りバーン!と閉めて階下の店に戻った。
この私にとってはとても非常識な行動に、血圧が上がって来たのか、たまに訳の分からない客の接客中になるように、身体の中から手足、指先まで充血するような感覚になり、その治まらない身体で、今度はウワンの家の前に向かった。
本人に直接文句を言ってやろうと思ったのだが、家の前はシャッターは開いているものの、静まり返っている。
おそらく、その部下たちも全員、上の階でフワイの処理をしているのだろう。
仕方がないので、その隣の義姉の家の前で座っていた義兄に、「ちょっと聞いてもいい?裏庭で焚き火してて、洗濯物が煤だらけになっちゃうし、せっかく選択したのに焦げた臭いも付いちゃったよ。タイ人はこういう場合、はっきり文句を言ってもいいかな?」と、かなり興奮していたので、早口で捲し立てた。
すると、義兄が「フワイの証拠隠滅してるんだろう。」と答えるので、「そんなの分かってるけど、こっちはすごい迷惑なんだけど!」と言い返したので、義兄も困った様子で、家の奥に入って行き、おそらく裏口から私が怒っている…とでも伝えたのだろう。
しかし、一度この非常識行為に怒り心頭に達した私の興奮はなかなか治まらず、ちょうど夫が出掛けているので、私も子供たちを連れてチャイヤプムに最近出来た「DQ(Dairy Queen)」にアイスクリームでも食べに出掛けようと思っていたので、その予定を一時間ほど繰り上げて、すぐに閉店準備に取りかかるうちに、何とか落ち着いて来た。
いつもこういう症状が出ると思うのだが、こういう私にとって受け入れられない行動を平気でする対人(タイ人)ストレスで、私はそのうち殺されてしまうのではないか…?と言う気になる。
そういう事(身体の不調など)があると、夫はすぐに「余計な事ばかり考えるからだ。小さな事をいちいち気に病むな。」で私の気持ちなど一刀両断してくれるが、もちろんそんな簡単に私の問題が解決する訳ではない。それどころか、理解の無い言葉に更に症状悪化である。
ストレスなど精神的なものから来る身体や精神の不調は、カウンセリングのように、親身になって話を聞いてくれる「患者への肯定」の姿勢から始まるのだと思うのだが、我が家の夫にそれは期待出来ない…。
なのでそう言う場合、とりあえず一番の良き理解者である長男に話すと、「うんうん、理解るよ。そうだよね。」と話を聞いてくれるので、それが解決にはならないが、私にとっては一番の薬かも知れない。
もちろん、長男は私に同情して無理に話を合わせていると言うのではなく、話題によっては意見が違う事もある。
だが、殊にタイの社会やタイ人の性格と言う話では、日本からタイに来て、この十年以上暮らして来た経験から、二人の意見がピッタリと合うのである。
他の子供たちにも同じ様に話す事もあるのだが、一番日本人的な感覚を持っているのは長男で、長女や次男は話しても聞いてはいるが、共感と言う感じにはほど遠い時も多い。
まあ、さすがに今回の事は、休日の洗濯を担当している子供たちも、洗濯のやり直し…と言う迷惑を被ったので、全員一致で「隣のウワンの弟が非常識だ、遠慮を知らない。」と言う事になったのだが…。
本当に、自己中と言うのか、他人の迷惑を全く顧みない行動に、我が家の子供たちも呆れていた。
これが今朝一番に洗濯し直して、2階のベランダに干しに行ったときに撮った昨日の焼け跡である。
裏庭に夫がわざわざ植えていたバナナの木も半焼している。このバナナの被害に、明日バンコクから帰宅した夫がどう言う反応をするか…見物である。
普段外面のいい夫だけに、うちの中では文句を言っても、やはりウワン本人には面と向かって文句を言えないだろうと言うのが、私の予想だが…。
2014年10月18日
首輪?
隣に住む、朝から晩までお寺に入り浸りの義姉と、ここ数年来の付き合いになった、闘鶏場経営と野生動物売買をしているピーウワンの影響で、夫は普通のプラ(仏像のお守り)好きから、かなりのプラ気違いになった。
普段からお寺で「有り難い物」を頻繁に手にする義姉が、ここ数ヶ月前から、近くにあるかなり有名なお寺『ワットカオターゴッ』の大僧侶様を象ったプラを作ると言うので、その予約販売に来た。
まあ、義姉や夫に言わせれば、有り難いプラを手に入れる絶好の機会を知らせてくれたのだと言うが…。
その額、木箱入りの1セット(金銀メッキのウズラの卵大のプラが5体入り)でなんと
13万バーツ(42万円以上)。
普通の感覚では、正気の沙汰ではないと言う額だが、プラに狂っているタイ人連中には、別に驚く程の金額でもないらしい。
夫も、「こんな時期でなくて、もう少し店に余裕があれば、もう1セット買って置きたかったのにな〜。」と、とても残念そうにしていた。
私は、もちろん全く興味がないので、「これ以上お金を使う気か?」と内心呆れていたが、もちろんそういう素振りは微塵も見せず、ただ普通に無関心を装っていた。
そして、その後も日に日にプラに心酔している夫だが、我が家の収入は全部「俺の金」がモットーの夫なので、自分で好き勝手に投資している内は別に好きにすれば…?と思っていた。
しかし、とうとう私にもそのプラ狂いの矛先を向けて来た。
以前から言っては居たのだが、今日、品切れしているエンジンオイル類の買い出しの為、チャイヤプムまで出掛けたついでに、かなり前からしようとしていた、数個のプラの保護ケースを金で作って来たのだ。
その金額も、4〜5個分で5千バーツ弱。
たかがケースに…である。
まあ、かねてからの目的を果たせて意気揚々と帰って来た夫は、嬉しそうに私に近づいて来て、「ちょっと、頭貸して。」
と言うと、そのケースを付けたプラのうちの一つに金のネックレス(と言うより鎖?)を付けて、私の首に掛けた。
これが、それである。
私が以前から「タイは暑くてすぐに汗をかくから、装飾品なんて付けていられない。」と言っていたので、胸元に入るくらいの長さでは拒否されるのが分かっていたらしいが、どうしてもせっかくのプラを付けさせたいらしく、夫なりに考えて私の胸元まで入らない長さのネックレスを用意したのだった。
これは確か、長男が赤ちゃんのときに誰かにもらった赤ちゃん用のネックレスだったような気がするが、金に興味がない私ははっきり言って忘れていた。
それが、ちょうど私の首回りサイズ。
しかし、これを付けられた直後、「ほら、ちょうど良いじゃないか。」と喜ぶ夫を横目に、「ねえ、これじゃ首輪みたいだよね、ほら、ワンワン…って。」
と、傍らで見守っていた長男に同意を求めた。
確かに、胸元の皮膚アレルギーにはならないが、この長さが微妙で、付け慣れないせいもあってか何となく首回りが鬱陶しいし、心なしか首を絞められているような気さえする。
シャツの襟のボタンを全部留めたような感覚とでも言おうか…。
それに私はとうの昔に、努力してタイ仏教徒になるのは辞めたので、今更信仰してもいないお守りを付けても何のご利益もないと思う。
だが、ここで拒否するのも、せっかく付けてくれた夫に申し訳ないと言うよりは、私がまた自己主張をする(夫にとっては、「反抗をする」)と言う事で家庭に余計な波風が立つので、とりあえずしばらくの間はこのまま首輪を付けて置いて、夫の気が済むのを待つ事にしよう…と思うのだった。
普段からお寺で「有り難い物」を頻繁に手にする義姉が、ここ数ヶ月前から、近くにあるかなり有名なお寺『ワットカオターゴッ』の大僧侶様を象ったプラを作ると言うので、その予約販売に来た。
まあ、義姉や夫に言わせれば、有り難いプラを手に入れる絶好の機会を知らせてくれたのだと言うが…。
その額、木箱入りの1セット(金銀メッキのウズラの卵大のプラが5体入り)でなんと
13万バーツ(42万円以上)。
普通の感覚では、正気の沙汰ではないと言う額だが、プラに狂っているタイ人連中には、別に驚く程の金額でもないらしい。
夫も、「こんな時期でなくて、もう少し店に余裕があれば、もう1セット買って置きたかったのにな〜。」と、とても残念そうにしていた。
私は、もちろん全く興味がないので、「これ以上お金を使う気か?」と内心呆れていたが、もちろんそういう素振りは微塵も見せず、ただ普通に無関心を装っていた。
そして、その後も日に日にプラに心酔している夫だが、我が家の収入は全部「俺の金」がモットーの夫なので、自分で好き勝手に投資している内は別に好きにすれば…?と思っていた。
しかし、とうとう私にもそのプラ狂いの矛先を向けて来た。
以前から言っては居たのだが、今日、品切れしているエンジンオイル類の買い出しの為、チャイヤプムまで出掛けたついでに、かなり前からしようとしていた、数個のプラの保護ケースを金で作って来たのだ。
その金額も、4〜5個分で5千バーツ弱。
たかがケースに…である。
まあ、かねてからの目的を果たせて意気揚々と帰って来た夫は、嬉しそうに私に近づいて来て、「ちょっと、頭貸して。」
と言うと、そのケースを付けたプラのうちの一つに金のネックレス(と言うより鎖?)を付けて、私の首に掛けた。
これが、それである。
私が以前から「タイは暑くてすぐに汗をかくから、装飾品なんて付けていられない。」と言っていたので、胸元に入るくらいの長さでは拒否されるのが分かっていたらしいが、どうしてもせっかくのプラを付けさせたいらしく、夫なりに考えて私の胸元まで入らない長さのネックレスを用意したのだった。
これは確か、長男が赤ちゃんのときに誰かにもらった赤ちゃん用のネックレスだったような気がするが、金に興味がない私ははっきり言って忘れていた。
それが、ちょうど私の首回りサイズ。
しかし、これを付けられた直後、「ほら、ちょうど良いじゃないか。」と喜ぶ夫を横目に、「ねえ、これじゃ首輪みたいだよね、ほら、ワンワン…って。」
と、傍らで見守っていた長男に同意を求めた。
確かに、胸元の皮膚アレルギーにはならないが、この長さが微妙で、付け慣れないせいもあってか何となく首回りが鬱陶しいし、心なしか首を絞められているような気さえする。
シャツの襟のボタンを全部留めたような感覚とでも言おうか…。
それに私はとうの昔に、努力してタイ仏教徒になるのは辞めたので、今更信仰してもいないお守りを付けても何のご利益もないと思う。
だが、ここで拒否するのも、せっかく付けてくれた夫に申し訳ないと言うよりは、私がまた自己主張をする(夫にとっては、「反抗をする」)と言う事で家庭に余計な波風が立つので、とりあえずしばらくの間はこのまま首輪を付けて置いて、夫の気が済むのを待つ事にしよう…と思うのだった。
2014年10月15日
束の間の休息
明日は10月16日である。
例年なら、今まさにピットゥームレック(短期休暇)の真っ最中で、店の暇期にも重なっている。
そこで、多少季節外れだが、ここ内陸のチャイヤプムには無い、海水浴場への家族旅行などに行っている頃である。
だが今年は、4人の子供たちのうち高校生組の二人は、明日16日から始業式となってしまう。
大学生である長男は、今日ようやく最終科目であった日本語の試験が終わって、明日からピットゥーム。
小学生の末っ子ミックは、10日からピットゥームに入ったばかりで、30日から始業式だと言う。
これらは全て、昨年辺りからタイ全土で騒いでいる『ASEAN』の影響なのだ。
政府のASEAN政策に伴って、教育省の方針で、幼稚園から総力を挙げてASEAN化に乗り出している。
この学校のASEAN化については、またの機会に譲るとして、このASEAN化で学校の休暇日程が大幅に変更されて、今年の短期休暇の更なる短縮が実行されたのだ。
私としては、ASEAN化でも何でもいいから、この失われた短期休暇を返して欲しい!と叫びたい。
学校の休みは私の大事な休息の日々でもあるのだ。
毎朝4時起床の生活から、6時起床へと少しの睡眠時間の延長が出来るのである。
どちらにしろ、6時半には店を開けなくてはならないのだが、この2時間の猶予は私にとって大変な余裕になる。
夜中の1時、2時まで夜更かししていても、朝6時起床なら、まだ4時間は寝られる…と思う。
これが、普段の4時起床なら、ようやくベッドに入っても、「ああ、後2時間で起きなくちゃ…。」となる。
さすがに睡眠時間2時間で起きて、この歳で一日フルに仕事をするのは辛い。
だから、毎日夜更かし…と言う訳には行かないし、基本的に末っ子が寝る時間になると添い寝をする事になるので、そのまま一緒に寝入ってしまって…と言うのが、普段のパターンである。
と言う訳で、この学校の休暇中こそが、私の大事な休息期間なのだ。
ああ、明日から新学期…。
お弁当のおかずも考えなくては…。
そろそろ寝た方がいいのかも知れない…そう思って、今夜はもうパソコンを閉じる事にしよう。
例年なら、今まさにピットゥームレック(短期休暇)の真っ最中で、店の暇期にも重なっている。
そこで、多少季節外れだが、ここ内陸のチャイヤプムには無い、海水浴場への家族旅行などに行っている頃である。
だが今年は、4人の子供たちのうち高校生組の二人は、明日16日から始業式となってしまう。
大学生である長男は、今日ようやく最終科目であった日本語の試験が終わって、明日からピットゥーム。
小学生の末っ子ミックは、10日からピットゥームに入ったばかりで、30日から始業式だと言う。
これらは全て、昨年辺りからタイ全土で騒いでいる『ASEAN』の影響なのだ。
政府のASEAN政策に伴って、教育省の方針で、幼稚園から総力を挙げてASEAN化に乗り出している。
この学校のASEAN化については、またの機会に譲るとして、このASEAN化で学校の休暇日程が大幅に変更されて、今年の短期休暇の更なる短縮が実行されたのだ。
私としては、ASEAN化でも何でもいいから、この失われた短期休暇を返して欲しい!と叫びたい。
学校の休みは私の大事な休息の日々でもあるのだ。
毎朝4時起床の生活から、6時起床へと少しの睡眠時間の延長が出来るのである。
どちらにしろ、6時半には店を開けなくてはならないのだが、この2時間の猶予は私にとって大変な余裕になる。
夜中の1時、2時まで夜更かししていても、朝6時起床なら、まだ4時間は寝られる…と思う。
これが、普段の4時起床なら、ようやくベッドに入っても、「ああ、後2時間で起きなくちゃ…。」となる。
さすがに睡眠時間2時間で起きて、この歳で一日フルに仕事をするのは辛い。
だから、毎日夜更かし…と言う訳には行かないし、基本的に末っ子が寝る時間になると添い寝をする事になるので、そのまま一緒に寝入ってしまって…と言うのが、普段のパターンである。
と言う訳で、この学校の休暇中こそが、私の大事な休息期間なのだ。
ああ、明日から新学期…。
お弁当のおかずも考えなくては…。
そろそろ寝た方がいいのかも知れない…そう思って、今夜はもうパソコンを閉じる事にしよう。
2014年10月13日
お誕生会
今夜は上の義姉の誕生日だと言う事で、義母の家に集まる事になった。
我が家の親戚連中は、子供の誕生会は祝わないのに、大人の誕生会は盛大に行う…。
要は、宴会の理由が欲しいだけなのだ。
タイでは普通、誕生日を迎えた本人が主催者となって客を振る舞う。
今日も、我々が義母の家に着いた頃には、主役である義姉夫婦が色々と料理を作っていた。
もちろん、我々も料理を持参した訳だが、そのほとんどは義母へのお土産である。
さて料理も完成し始まった…お待ちかねの大宴会。
親戚はもちろん、近所にも声を掛け、更には夫の友人の旦那で、刑務所の看守をしている人が、ちょうどバンコクからこの辺に受刑者を送還して来た帰りだと言って、宴会に参入。
勤務中なので、乗り付けた車もこの通り…。
我が家は私も長女も次男もこの時間に食べないので、宴会に盛り上がっている大人たちを横目に時間を潰しているしかない…。
夫もダイエット中なのだが、こうして親戚や友人が来ると調子に乗って食べてしまうので、普段せっかく努力していても、誰かの呼び出しですぐに水の泡…。
その体重はいつも一進一退…だったらいいのだが、昨日はビールに誘われたとかで、先日やっと1〜2kg減ったと喜んでいたのが、一夜にして3kg増えてしまったそうだが、今夜も懲りずに食べている…。
私に「魚だけ食べれば?」と勧めるが、魚だってカロリーはあるんだよ…と言いかけてやめた。
楽しいひと時に水は差したくない。
明日、自分で体重計に乗って、一人で反省すればいいだけの事である。
私なら、この歳になって今更「お誕生会」などやりたいとも思わない。
まあ、一緒に祝って欲しい友達が居ないせいもあるのかも知れない。
でも、家族のうちでも、私に費やすお金があったら、子供達に誕生日プレゼントの一つでも…と思うのが親心だと思う。
しかし、この辺の親心はタイ人には理解出来ないのか、「子供に費やすお金があったら、親の為に使いたい。」と思うらしい。
実際、タイ人にとっての子どもの位置はその程度で、今夜のお誕生会に主役の義姉の一人娘は来ていない。
大学がまだ休みに入っていないので、来られないのだが、私だったら、子どもが休みに入ってから、もしくは土日にでも日を改めてやりたいと思う。
まあ、こう言う事を言ったところで、所詮ただの飲み会の口実なのだから、意味はないのだろう…と、すでに口を挟む気にもなれない私は、こうして酔っ払い達を横目にブログを書いているのだった…。
2014年10月08日
懐かしの香り…。
先週の土曜日の早朝の事である。
いつも通り、朝の6時過ぎから店を開けていると、いつもその辺で警備員もどきをやっているおじさん(私より少し年上くらいだが…)が、バイクに乗って店の前に乗り付けた。
何事かと思っていると、おもむろに「旦那はいるかい? 今日、破傷風と百日咳の予防接種をやるから、午前中に公会堂に行くように伝えてくれ。あ、そうだあんたも、住民票はあるかい? あれば接種出来るから、行くようにな。それと、この家は他に20歳以上の人はいるかい? いればその人も行くように言ってくれ。午前中だよ。昼で医者が帰っちまうからな。」と捲し立てるだけ捲し立てて去って行った。
普通、こういう事は地域のスピーカーから流れる広報などで予め知らされるはずだが、急遽決まったのか、そのバイクで伝達して回っているおじさんは、まるで戦場を回る伝令のようだった。
しばらくすると、市場に行っていた夫が帰って来たのでその事を伝えたので、夫から順に出掛けた。
私は、今年20歳になっている長男の運転するバイクの後ろに乗って、初めての長男との二人乗りに胸をときめかせていた。(普段は店があるので長男と二人きりで相乗りする機会が無かった。)
私はこの公会堂は初めてだったので、場所も知らなかったのだが、以前父親と選挙に行っていた長男が会場を知っていたので迷わず到着した。
会場に着くと、その辺の村人たちに混じって、私の店の客として顔見知りの人もちらほらいた。
それでも、着いてすぐ問診票の記入のための質疑応答と血圧検査などに入れたので、設置された会場の椅子に座っているほとんどの人は、すでに予防接種が完了して、暇つぶしに、井戸端会議をしているだけなんだな…と気がついた。
受付では普通のタイ人ならIDカードを提示する事になっているのだが、私は外国人なのでIDカードがないため、先に行って聞いて来た夫に言われた通り、住民票と運転免許証を提示して受付を済ませた。
すると受付の女性が、隣の市で看護婦をしている義姉と知り合いだったらしく、「ああ、あなたが日本人のお嫁さんでしょ? ノイさん(義姉のあだ名)から聞いてるよ。」
などと話しかけられて、必死に作り笑いをして話を合わせたのだった。
そうこうしているうちに私の順番になり、とりあえず予防接種を済ませた。
次に、私の後から来た長男の番だったが、私の話題で盛り上がっている看護婦さんたちは、長男の腕に注射針を刺したまま、今度は私と長男の話題で話が弾み、私の2倍の時間を掛けて、ようやく長男の腕から注射針を抜いたのだった。
横にいた私は、その様子に冷や汗を流しながら、「おいおい、そういう事は注射終わってから話してよ。」と思いながらもただ見守るしかなかった。
先に行って来た、夫や隣の義姉から、「大して痛くない、蟻に噛まれた方が痛いくらいだよ。」と聞いていたのに、帰り道ですでに腕が重くなり、家に着く頃には鈍痛も感じだした。
それで、ネットで調べてみたら、「破傷風の予防接種では筋肉痛のような痛みが副作用として出る場合が多い。」というような事が書かれていた。
夫は普段からあまり仕事をしないからか、それほど痛いとも言わなかったが、私と長男は帰宅後徐々に痛みが増し、腕を上げるのも痛みが伴うようになってしまった。
その日の夕方、ちょうど長女を受験のための補習を受けている長女を迎えに行って、久々の買い出しを予定していた私は、運転の際にハンドルを握るのさえ腕がだるくて仕方が無かった。
すると、車に乗って来た長女が、「これ貼れば? 私も注射で痛くなったときとかに貼ってるよ。」
と、鞄からまさにトクホンの匂いのする湿布薬出してくれた。
私は、「ええ? 筋肉痛とかじゃないよ。」と一応遠慮して見たが、長女があまりにも勧めるので、仕方なく貼ってみた。
「注射なんかにこういうのが効くの?」と確かに騙されたと思って、試しに貼ってみた私だったが、気のせいか、しばらくすると腕のだるさがだいぶ良くなった気がした。
チャイヤプム市街までの運転中に、だいぶマシになったのである。
そこで家に戻ってから、留守番していた長男にもこの湿布薬を勧め、この数日これを愛用している。
すでに予防接種から3日経ったが、まだ少し筋肉痛に似た痛みが残っているからである。
私は、この手の湿布薬を今まであえて避けて来た。
それは、この手の湿布薬の匂いが、幼い頃いつも一緒に寝ていた祖母を思い出させるからである。
何となく、これは「おばあちゃんの匂い」なのだと言う感覚がつきまとっていて、自分自身は使用しようと思った事がなかったのである。
それを、すでに小学生の頃から愛用していた長女に勧められて貼る事になった。
長女も、初めてこれを使った長男もこの匂いをこう表現した。
「ヤー・モン(タイガーバームなどのメンソール系の塗薬)の匂いだ。」
さすがは、タイ育ち。
タイ人にとっては、「トクホンの匂い」ではなく、「ヤー・モンの匂い」なのだと、改めて納得させられた。
タイ人がよく鼻に突っ込んでいる、ヤー・ドム(鼻で嗅ぐためのスティック状ヤー・モン)も、この系統の匂いなので、この匂い自体がタイ人にとって、とても馴染み深い匂いなのだと言える。
それこそ、私が郷愁を感じる「おばあちゃんの匂い」ではなく、タイ人にとっては、物心つく前から周囲の大人が常用するため、自然と嗅覚に染み込まされた、ごく当たり前の匂いなのだろう。
いつも通り、朝の6時過ぎから店を開けていると、いつもその辺で警備員もどきをやっているおじさん(私より少し年上くらいだが…)が、バイクに乗って店の前に乗り付けた。
何事かと思っていると、おもむろに「旦那はいるかい? 今日、破傷風と百日咳の予防接種をやるから、午前中に公会堂に行くように伝えてくれ。あ、そうだあんたも、住民票はあるかい? あれば接種出来るから、行くようにな。それと、この家は他に20歳以上の人はいるかい? いればその人も行くように言ってくれ。午前中だよ。昼で医者が帰っちまうからな。」と捲し立てるだけ捲し立てて去って行った。
普通、こういう事は地域のスピーカーから流れる広報などで予め知らされるはずだが、急遽決まったのか、そのバイクで伝達して回っているおじさんは、まるで戦場を回る伝令のようだった。
しばらくすると、市場に行っていた夫が帰って来たのでその事を伝えたので、夫から順に出掛けた。
私は、今年20歳になっている長男の運転するバイクの後ろに乗って、初めての長男との二人乗りに胸をときめかせていた。(普段は店があるので長男と二人きりで相乗りする機会が無かった。)
私はこの公会堂は初めてだったので、場所も知らなかったのだが、以前父親と選挙に行っていた長男が会場を知っていたので迷わず到着した。
会場に着くと、その辺の村人たちに混じって、私の店の客として顔見知りの人もちらほらいた。
それでも、着いてすぐ問診票の記入のための質疑応答と血圧検査などに入れたので、設置された会場の椅子に座っているほとんどの人は、すでに予防接種が完了して、暇つぶしに、井戸端会議をしているだけなんだな…と気がついた。
受付では普通のタイ人ならIDカードを提示する事になっているのだが、私は外国人なのでIDカードがないため、先に行って聞いて来た夫に言われた通り、住民票と運転免許証を提示して受付を済ませた。
すると受付の女性が、隣の市で看護婦をしている義姉と知り合いだったらしく、「ああ、あなたが日本人のお嫁さんでしょ? ノイさん(義姉のあだ名)から聞いてるよ。」
などと話しかけられて、必死に作り笑いをして話を合わせたのだった。
そうこうしているうちに私の順番になり、とりあえず予防接種を済ませた。
次に、私の後から来た長男の番だったが、私の話題で盛り上がっている看護婦さんたちは、長男の腕に注射針を刺したまま、今度は私と長男の話題で話が弾み、私の2倍の時間を掛けて、ようやく長男の腕から注射針を抜いたのだった。
横にいた私は、その様子に冷や汗を流しながら、「おいおい、そういう事は注射終わってから話してよ。」と思いながらもただ見守るしかなかった。
先に行って来た、夫や隣の義姉から、「大して痛くない、蟻に噛まれた方が痛いくらいだよ。」と聞いていたのに、帰り道ですでに腕が重くなり、家に着く頃には鈍痛も感じだした。
それで、ネットで調べてみたら、「破傷風の予防接種では筋肉痛のような痛みが副作用として出る場合が多い。」というような事が書かれていた。
夫は普段からあまり仕事をしないからか、それほど痛いとも言わなかったが、私と長男は帰宅後徐々に痛みが増し、腕を上げるのも痛みが伴うようになってしまった。
その日の夕方、ちょうど長女を受験のための補習を受けている長女を迎えに行って、久々の買い出しを予定していた私は、運転の際にハンドルを握るのさえ腕がだるくて仕方が無かった。
すると、車に乗って来た長女が、「これ貼れば? 私も注射で痛くなったときとかに貼ってるよ。」
と、鞄からまさにトクホンの匂いのする湿布薬出してくれた。
私は、「ええ? 筋肉痛とかじゃないよ。」と一応遠慮して見たが、長女があまりにも勧めるので、仕方なく貼ってみた。
「注射なんかにこういうのが効くの?」と確かに騙されたと思って、試しに貼ってみた私だったが、気のせいか、しばらくすると腕のだるさがだいぶ良くなった気がした。
チャイヤプム市街までの運転中に、だいぶマシになったのである。
そこで家に戻ってから、留守番していた長男にもこの湿布薬を勧め、この数日これを愛用している。
すでに予防接種から3日経ったが、まだ少し筋肉痛に似た痛みが残っているからである。
私は、この手の湿布薬を今まであえて避けて来た。
それは、この手の湿布薬の匂いが、幼い頃いつも一緒に寝ていた祖母を思い出させるからである。
何となく、これは「おばあちゃんの匂い」なのだと言う感覚がつきまとっていて、自分自身は使用しようと思った事がなかったのである。
それを、すでに小学生の頃から愛用していた長女に勧められて貼る事になった。
長女も、初めてこれを使った長男もこの匂いをこう表現した。
「ヤー・モン(タイガーバームなどのメンソール系の塗薬)の匂いだ。」
さすがは、タイ育ち。
タイ人にとっては、「トクホンの匂い」ではなく、「ヤー・モンの匂い」なのだと、改めて納得させられた。
タイ人がよく鼻に突っ込んでいる、ヤー・ドム(鼻で嗅ぐためのスティック状ヤー・モン)も、この系統の匂いなので、この匂い自体がタイ人にとって、とても馴染み深い匂いなのだと言える。
それこそ、私が郷愁を感じる「おばあちゃんの匂い」ではなく、タイ人にとっては、物心つく前から周囲の大人が常用するため、自然と嗅覚に染み込まされた、ごく当たり前の匂いなのだろう。
2014年10月02日
白昼の爆発音
それは、昨日の昼下がりの出来事…。
いつものように、燦々と降り注ぐ日射しの中、我が家の前の交差点を往来する車の流れから、それは響いて来た。
ドオオーーーン!!
ちょうど店先で作業していた私の耳に、ガス爆発かと思わせるような(とは言え、実際のガス爆発を経験した事もないのだが。)地面を震撼させるような爆発音が轟いた。
私はすぐに音のしたと思われる方に目を向けると、ちょうど大型トラックが交差点を右折して、我が家の前を通り過ぎようとしていた。
その爆発音は、そのトラックの後部車輪のタイヤが裂けているのが見え、タイヤが爆発したのだとすぐに分かった。
この手の爆発音は、日常的にかなりの頻度で耳にする。
ただ昨日この目で確認するまでは、それが大型トラックのタイヤの爆発音だとは知らずに、どこかでガス爆発でもあったのか?くらいに思っていた。
それが、頻繁に耳にする…と書いた通り、昨日と同じような爆発音が、今日もやはり夕方近くになって聞こえた。
ただ、今日は目の前を走っている車ではなかったので、どの車かまでは分からなかったのだが…。
それから少しして午後4時近くになり、末っ子ミックの小学校まで迎えに出掛けた。
すると、その途中の道路の反対車線(とは言え、センターラインも引いていない田舎道なのだが)の道路脇に、見覚えのあるピックアップが2台、大型トラックを前後から挟むように停まっているのが見えた。
そのピックアップも大型トラックも、我が家の客であるパッタナーニコムと言う、キャッサバ芋工場の車だったのだが、どうやら大型が故障でもしたのかな…と見ながら通り過ぎた。
すると、そこから百メートルくらい先(大型トラックから見れば後方)の道路上に、何やら黒い固まりが散乱していた。
最初は、いつものように誰かが落とした長靴とか手拭き用のボロ切れなどか、もしくは轢かれた犬猫の死骸かと思ったが、それらは一様に真っ黒で、運転しながら目を凝らして見たところ、ようやくそれが破裂したタイヤの破片だと言う事に気がついた。
すると、もちろんさっきの大型トラックの物に違いなく、その数十分前に聞こえた爆発音の正体こそが、この大型トラックのタイヤ爆発だったのだと言う事実が繋がった。
しかし、そこはすでにミックの通う小学校のある村の区域で、我が家から10キロメートルほど離れているのだが、私の耳には昨日とさほど変わらない音量に聞こえた。
それくらい、今日は大きな音だったのだろう。
確かに昨日の家の前で爆発したトラックのタイヤは、破裂しても破片が散乱するほどではなかった。
さて、こういう風に車が路上でパンクしたり、シャフトが折れたり(古すぎて後部車輪のシャフトが折れて立ち往生している車も良く見かける。)場合、ここタイの田舎ではお決まりの目印を立てる。
走行中のフロントガラスから撮ったので見にくいが、前方に転がっている木の枝が見えるだろうか。
これが日本では、法律で使用が定められている「三角表示板」の代用物である。
バンコク辺りはどうか知らないが、タイの田舎では、この三角表示板を携帯している車はまず無いだろう。
大型も小型も、農業用車両も、路上で故障したり、何かの理由で車が動かなくなったら、その辺の木の枝を折って来て車の前後数十メートルの所に置いて置くだけである。
これは、現地の人間なら暗黙の了解だが、初めてこれを目にした人間には、もしかしたら状況が分からず、気がつかないで突っ込んでしまいそうだと思っているが、あいにくこの辺りにそういう他所の人間(私のような外国人など)というのは滅多に訪れないので、今まで突っ込んだと言う話もまだ聞いた事は無い。
話が逸れたが、この警告標識代わりの枝と枝の間に停車していた大型トラックのタイヤ破裂の写真を撮ろうと思っていたのだが、ミックの小学校まで行って帰って来る間に(何とか応急修理が終わったらしく)逃げられてしまった。
という訳で、この警告表示の木の枝のみの写真になってしまったのだった。
タイの田舎を訪れる際には、この道路上にいきなり放り出されているかなり大きめの木の枝に注意が必要である。
基本的に、タイ人はこういう物を、「用が済んだら片付ける」という事をしない人種である。
そういう、「他人の迷惑になる」という配慮は一切無い。
自分の用が済めばそれでいい。
後は、どうなろうが気にしないのである。後から通る車両の邪魔になろうが、それを避けようとしてオートバイが道路中央にはみ出して来て、反対車線から来た車両と正面衝突するかも知れない…などと言う可能性を考えるなどと言う気遣いは、彼らの頭の中には存在しない。
以前、大学時代のルームメイトだった友人(タイ人)が、バンコクから私を訪ねて来てくれたことがあった。
その友人の乗用車が、我が家から2キロメートルも離れていない場所で、カーブの先の道路上に転がっていたスイカほどもある大きな石が通過しようとした際に車体の腹部に当たり、走行不可能となってしまい、レッカー車で牽引され修理する羽目になったという事件があった。
バンコクから来た友人は、まさかカーブの先の道路上に、そんな大きな石が転がっているとは思わずにとんだ災難に遭ったのである。
しかし正確に言うと、この石は転がっていたのではない、故意に置かれていたのだ。
だが、決して見ず知らずの他人の車両を傷つける目的ではなく、カーブの坂道の途中で故障したか上りきれなくなった、農業用トラックのタイヤ止めとして…。
しかし、首尾よく出発出来た農業用トラックは、後始末もせずその車止めの石を放置したままで、さっさとどこかへ行ってしまったのである。
『白昼の爆発音』の話題からだいぶ逸れたが、これがタイの田舎道の怖さである。
いつものように、燦々と降り注ぐ日射しの中、我が家の前の交差点を往来する車の流れから、それは響いて来た。
ドオオーーーン!!
ちょうど店先で作業していた私の耳に、ガス爆発かと思わせるような(とは言え、実際のガス爆発を経験した事もないのだが。)地面を震撼させるような爆発音が轟いた。
私はすぐに音のしたと思われる方に目を向けると、ちょうど大型トラックが交差点を右折して、我が家の前を通り過ぎようとしていた。
その爆発音は、そのトラックの後部車輪のタイヤが裂けているのが見え、タイヤが爆発したのだとすぐに分かった。
この手の爆発音は、日常的にかなりの頻度で耳にする。
ただ昨日この目で確認するまでは、それが大型トラックのタイヤの爆発音だとは知らずに、どこかでガス爆発でもあったのか?くらいに思っていた。
それが、頻繁に耳にする…と書いた通り、昨日と同じような爆発音が、今日もやはり夕方近くになって聞こえた。
ただ、今日は目の前を走っている車ではなかったので、どの車かまでは分からなかったのだが…。
それから少しして午後4時近くになり、末っ子ミックの小学校まで迎えに出掛けた。
すると、その途中の道路の反対車線(とは言え、センターラインも引いていない田舎道なのだが)の道路脇に、見覚えのあるピックアップが2台、大型トラックを前後から挟むように停まっているのが見えた。
そのピックアップも大型トラックも、我が家の客であるパッタナーニコムと言う、キャッサバ芋工場の車だったのだが、どうやら大型が故障でもしたのかな…と見ながら通り過ぎた。
すると、そこから百メートルくらい先(大型トラックから見れば後方)の道路上に、何やら黒い固まりが散乱していた。
最初は、いつものように誰かが落とした長靴とか手拭き用のボロ切れなどか、もしくは轢かれた犬猫の死骸かと思ったが、それらは一様に真っ黒で、運転しながら目を凝らして見たところ、ようやくそれが破裂したタイヤの破片だと言う事に気がついた。
すると、もちろんさっきの大型トラックの物に違いなく、その数十分前に聞こえた爆発音の正体こそが、この大型トラックのタイヤ爆発だったのだと言う事実が繋がった。
しかし、そこはすでにミックの通う小学校のある村の区域で、我が家から10キロメートルほど離れているのだが、私の耳には昨日とさほど変わらない音量に聞こえた。
それくらい、今日は大きな音だったのだろう。
確かに昨日の家の前で爆発したトラックのタイヤは、破裂しても破片が散乱するほどではなかった。
さて、こういう風に車が路上でパンクしたり、シャフトが折れたり(古すぎて後部車輪のシャフトが折れて立ち往生している車も良く見かける。)場合、ここタイの田舎ではお決まりの目印を立てる。
走行中のフロントガラスから撮ったので見にくいが、前方に転がっている木の枝が見えるだろうか。
これが日本では、法律で使用が定められている「三角表示板」の代用物である。
バンコク辺りはどうか知らないが、タイの田舎では、この三角表示板を携帯している車はまず無いだろう。
大型も小型も、農業用車両も、路上で故障したり、何かの理由で車が動かなくなったら、その辺の木の枝を折って来て車の前後数十メートルの所に置いて置くだけである。
これは、現地の人間なら暗黙の了解だが、初めてこれを目にした人間には、もしかしたら状況が分からず、気がつかないで突っ込んでしまいそうだと思っているが、あいにくこの辺りにそういう他所の人間(私のような外国人など)というのは滅多に訪れないので、今まで突っ込んだと言う話もまだ聞いた事は無い。
話が逸れたが、この警告標識代わりの枝と枝の間に停車していた大型トラックのタイヤ破裂の写真を撮ろうと思っていたのだが、ミックの小学校まで行って帰って来る間に(何とか応急修理が終わったらしく)逃げられてしまった。
という訳で、この警告表示の木の枝のみの写真になってしまったのだった。
タイの田舎を訪れる際には、この道路上にいきなり放り出されているかなり大きめの木の枝に注意が必要である。
基本的に、タイ人はこういう物を、「用が済んだら片付ける」という事をしない人種である。
そういう、「他人の迷惑になる」という配慮は一切無い。
自分の用が済めばそれでいい。
後は、どうなろうが気にしないのである。後から通る車両の邪魔になろうが、それを避けようとしてオートバイが道路中央にはみ出して来て、反対車線から来た車両と正面衝突するかも知れない…などと言う可能性を考えるなどと言う気遣いは、彼らの頭の中には存在しない。
以前、大学時代のルームメイトだった友人(タイ人)が、バンコクから私を訪ねて来てくれたことがあった。
その友人の乗用車が、我が家から2キロメートルも離れていない場所で、カーブの先の道路上に転がっていたスイカほどもある大きな石が通過しようとした際に車体の腹部に当たり、走行不可能となってしまい、レッカー車で牽引され修理する羽目になったという事件があった。
バンコクから来た友人は、まさかカーブの先の道路上に、そんな大きな石が転がっているとは思わずにとんだ災難に遭ったのである。
しかし正確に言うと、この石は転がっていたのではない、故意に置かれていたのだ。
だが、決して見ず知らずの他人の車両を傷つける目的ではなく、カーブの坂道の途中で故障したか上りきれなくなった、農業用トラックのタイヤ止めとして…。
しかし、首尾よく出発出来た農業用トラックは、後始末もせずその車止めの石を放置したままで、さっさとどこかへ行ってしまったのである。
『白昼の爆発音』の話題からだいぶ逸れたが、これがタイの田舎道の怖さである。