2016年07月13日
今年もビザ更新の時期になりました。
今年も、私にとってこの上なく面倒なビザ更新の季節がやってきました。
私の居住地のチャイヤプムがコンケーンの管轄に入ってから、今年で何年目でしょうか、もう何度も足を運んだ事くらいしか覚えていません。
まあ、毎年の事なので、数年前くらいから私も用意周到になって来て、例年その年のビザ更新書類を一部余分にコピーしておいて、翌年用に書類見本を一冊(我が家は子供が多いので、子供たち関係の書類だけで半分くらいを占め、書類が「一冊」と呼べるくらい分厚くなるのです。)用意しておくのですが、何せ、気ままなタイ人係官の事。
当たる人毎に、見解や認識がズレていて、言う事が違い、せっかく一年越しで用意しておいた、見本書類もあまり役に立たない事が多いのです。
今回も、昨年の男性係官と違って、日本からの戸籍謄本の英訳が無いなどと言われ(昨年まで一言も言われなかった)、あやうく日本大使館行きとなるところでしたが、今回の女性係官も、そこに難癖をつけた割に、いつの間にかスルーされて、うやむやなまま、その件に関しては不問となりました。
が、やはり女性の方が細かいと言うか、今回の女性係官は、夫のIDカードの有効期限が切れている事に気付き(夫はもちろん私も全く見落としていた)、IDカードを新しく作り直してコピーしてから申請するように言われ、せっかく朝4時起きで、夜明け前から出掛けたのに、昼を越えて午後の再申請になってしまいました。
まあ、それでも幸いな事に、最近はIDカードの申請が居住地以外でも出来るようになり、しかもコンケーンのショッピングセンターBIG-C内に簡易出張所が出来て、そこで出来たので、一度地元に戻って、後日再度申請と言う事態は避けられました。
それから、今回は、おそらく30代くらいの真面目そうな女性係官だったので、ビザ更新料の支払い時の、ビザ代1,900バーツに2,000バーツで支払った場合に、勝手にそのお釣を懐に仕舞われて、納得行かない(自主的に袖の下として上げたのなら構わないが)と言うわだかまりも無く、気持ちよく更新が終わりました。
まあ、ただ昨年の男性係官のように、「500バーツ払えば、郵送して上げるよ。」と言うお誘いが無かったのが残念でしたが…。
ほとんどの男性係官が、賄賂を要求するのに対し、大抵の女性係官はそれは無く…と言う事で、お金で融通を利かせるとか、こちらの都合を優先してもらうか、正規の方法で、手続き出来る代わりに、多少自分が不便になるか、どちらがいいのでしょうか。
私としては、もう年に一度の事。タイ人の賄賂癖は、子供のときからの慣習の上に成り立っている、国民的習慣だと割り切れて来たので、ビザ代のお釣の100バーツはもちろん、コンケーンまでまた受け取りに来なくていいのなら、500バーツくらいはらっても構わないくらいに思えるようにまで、タイに馴染んでは居るのですが…。
まあ、受け取りは夫婦揃って行かなくてもいいので、すでにコンケーン慣れしている夫に行ってもらうつもりで居ますが…。
ところで、大体入管に行くと、何故か「え?この人が何故?」と言うような地元の顔見知り(大体が客)に出くわすことがあるのですが、今回も子供が通っている学校の村の女性に会って、ちょうど外国人らしい人も一緒でなかったので、「何故この人がここに?」と訝しんだのですが、おそらく、よくいるイサーンのミアファランなのでしょう。
その辺の辺鄙な村でも、西洋人は何故かかなり住んでいます。
まあ、この辺で日本人で住んでいるのは、私くらいのものですが。
その人が、大声で話し掛けて来て知ったのですが、掲示板を見たら、何と今年の5月の11日から、今までコンケーンの管轄となっていたマハサラカームとチャイヤプムが、それぞれの地域の出張所で手続きが出来るようになったと言うのです。
マハサラカームの詳細は知りませんが、チャイヤプムはラチャパット大学チャイヤプム校内に設置されたと言う事で、今回の私のビザの受け取りコンケーンになりますが、次回の90日レポートからは、チャイヤプム出張所で出来るそうです。
思えば十数年前、タイに移住したての頃は、ここイサーンに住んでいても、バンコクのスワンプルーの入管本部まで行かなければならず、たしか最初の5年くらいは、毎年バンコク参りをしていたものです。
その後、コラートに移され、数年後には何故かルーイ県の管轄に入れられ、それがここ数年はコンケーンに移動し、今回のチャイヤプム出張所です。
長かった道程だと、柄にも無くしみじみとしてしまいました。
これで見納めか、コンケーン入管の風景
私の居住地のチャイヤプムがコンケーンの管轄に入ってから、今年で何年目でしょうか、もう何度も足を運んだ事くらいしか覚えていません。
まあ、毎年の事なので、数年前くらいから私も用意周到になって来て、例年その年のビザ更新書類を一部余分にコピーしておいて、翌年用に書類見本を一冊(我が家は子供が多いので、子供たち関係の書類だけで半分くらいを占め、書類が「一冊」と呼べるくらい分厚くなるのです。)用意しておくのですが、何せ、気ままなタイ人係官の事。
当たる人毎に、見解や認識がズレていて、言う事が違い、せっかく一年越しで用意しておいた、見本書類もあまり役に立たない事が多いのです。
今回も、昨年の男性係官と違って、日本からの戸籍謄本の英訳が無いなどと言われ(昨年まで一言も言われなかった)、あやうく日本大使館行きとなるところでしたが、今回の女性係官も、そこに難癖をつけた割に、いつの間にかスルーされて、うやむやなまま、その件に関しては不問となりました。
が、やはり女性の方が細かいと言うか、今回の女性係官は、夫のIDカードの有効期限が切れている事に気付き(夫はもちろん私も全く見落としていた)、IDカードを新しく作り直してコピーしてから申請するように言われ、せっかく朝4時起きで、夜明け前から出掛けたのに、昼を越えて午後の再申請になってしまいました。
まあ、それでも幸いな事に、最近はIDカードの申請が居住地以外でも出来るようになり、しかもコンケーンのショッピングセンターBIG-C内に簡易出張所が出来て、そこで出来たので、一度地元に戻って、後日再度申請と言う事態は避けられました。
それから、今回は、おそらく30代くらいの真面目そうな女性係官だったので、ビザ更新料の支払い時の、ビザ代1,900バーツに2,000バーツで支払った場合に、勝手にそのお釣を懐に仕舞われて、納得行かない(自主的に袖の下として上げたのなら構わないが)と言うわだかまりも無く、気持ちよく更新が終わりました。
まあ、ただ昨年の男性係官のように、「500バーツ払えば、郵送して上げるよ。」と言うお誘いが無かったのが残念でしたが…。
ほとんどの男性係官が、賄賂を要求するのに対し、大抵の女性係官はそれは無く…と言う事で、お金で融通を利かせるとか、こちらの都合を優先してもらうか、正規の方法で、手続き出来る代わりに、多少自分が不便になるか、どちらがいいのでしょうか。
私としては、もう年に一度の事。タイ人の賄賂癖は、子供のときからの慣習の上に成り立っている、国民的習慣だと割り切れて来たので、ビザ代のお釣の100バーツはもちろん、コンケーンまでまた受け取りに来なくていいのなら、500バーツくらいはらっても構わないくらいに思えるようにまで、タイに馴染んでは居るのですが…。
まあ、受け取りは夫婦揃って行かなくてもいいので、すでにコンケーン慣れしている夫に行ってもらうつもりで居ますが…。
ところで、大体入管に行くと、何故か「え?この人が何故?」と言うような地元の顔見知り(大体が客)に出くわすことがあるのですが、今回も子供が通っている学校の村の女性に会って、ちょうど外国人らしい人も一緒でなかったので、「何故この人がここに?」と訝しんだのですが、おそらく、よくいるイサーンのミアファランなのでしょう。
その辺の辺鄙な村でも、西洋人は何故かかなり住んでいます。
まあ、この辺で日本人で住んでいるのは、私くらいのものですが。
その人が、大声で話し掛けて来て知ったのですが、掲示板を見たら、何と今年の5月の11日から、今までコンケーンの管轄となっていたマハサラカームとチャイヤプムが、それぞれの地域の出張所で手続きが出来るようになったと言うのです。
マハサラカームの詳細は知りませんが、チャイヤプムはラチャパット大学チャイヤプム校内に設置されたと言う事で、今回の私のビザの受け取りコンケーンになりますが、次回の90日レポートからは、チャイヤプム出張所で出来るそうです。
思えば十数年前、タイに移住したての頃は、ここイサーンに住んでいても、バンコクのスワンプルーの入管本部まで行かなければならず、たしか最初の5年くらいは、毎年バンコク参りをしていたものです。
その後、コラートに移され、数年後には何故かルーイ県の管轄に入れられ、それがここ数年はコンケーンに移動し、今回のチャイヤプム出張所です。
長かった道程だと、柄にも無くしみじみとしてしまいました。
これで見納めか、コンケーン入管の風景
2016年07月03日
夫の夏休み
毎年の事ですが、4月のソンクラーンが終わり、5月の新学期が始まったな…と思っているうちに、いつの間にかカオパンサーが近付いて来ると、店も農閑期の影響でだいぶ暇になって来ます。
今までなら、こういう時期は暇を持て余しながらも、家でゴロゴロしながら適当に過ごしていた夫ですが、今年は、大学1年の長女と大学3年の長男の長期休みで揃って帰省しているため、ここぞとばかりに一週間以上家にも戻らず、実家の沼池で趣味の釣りに明け暮れていたようです。
そもそも、タイの政府の訳の分からない『ASEAN政策』で、大学の休みが、小中高のソンクラーンを挟んだ長期休みとずれて、6月過ぎからとなったため、我が家の日本一時帰国計画も、今年から見通しが立たなくなった訳です。
お陰で私は、子連れで一時帰国が出来なくなり、今度日本に帰れるのは、何年後になるのか分からなくなり、ここイサーンの片隅で来る日も来る日も、ひたすらうんざりするようなタイ人相手に商売をするしかなくなりました。
それとは反対に、長男も帰っているので、夫は家でやる事が増々無くなって、もはや居ても居なくても同じ…と言う状況になり、いたたまれなくなったのか、単に「これはチャンス!」と思ったのか、衣装ケースに着替えを詰めて、大事な釣り具セット一式車に積んで、出掛ける事一週間と少し、もはや、次男からは「ポー(お父さん)って誰?」と真面目な顔で聞き返されるほど、家に居ない事が多くなりました。
そして、帰って来ると家族の反応が不安なのか、「むこう(沼池)に居ると、みんなが聞くんだよ。こんなに毎日毎日、毎晩毎晩家を空けて、奥さんが文句を言わないのか?って。」と聞くので、私は、「私は、タイ人の奥さんじゃないからじゃない?ほら、いつでもどこでもくっついて行くみたいな…。私は、一体何がそんなに心配なのか分からないけどさ。(自分の旦那がそんなに格好いいとでも思ってるのかね。まあ、付き合い始めの若いカップルなら分からないでもないけどね。)←内心。」と答え、「まあ、私がいろいろ聞かないのは、自分で赤ちゃんじゃないんだから考えて行動出来ると信じてるからね。(←「まさか、まだ
脳みそ残ってるだろうから、バカな事はしないでしょ?」とさりげなく釘を刺して置く。)」と言う感じで答えています。
よく子供達とも話すのですが、実際のところ、もしも私が一般的なタイ人の奥さんだったら、こういう生活をしている夫は、今頃命が無いか、奥さんが出て行っている,もしくは最初からこういう生活など出来るはずが無い…と言う、結論になっています。
まあ、そうこう子供達と何かに付けて話題に上る夫の行動ですが、実際のところ、私と子供達は、割とこの状況を楽しんでいたりします。
「鬼の居ぬ間に命の洗濯」ではないですが、こういう好き勝手な事をしているくせに、家に帰って来ると、急に偉そうに主人面をして、小さな事から文句ばかり言っているので、私も子供もいい加減うんざりしているのです。
居ない方が気が楽と言うのが本音です。
タイの諺では、「猫が居ないと、ネズミが浮かれる。」と言うようなのがありますが、まさに私はそのネズミです。
こちらは、店番はもちろん、商品チェックから注文、値段設定、品出しまで全部やって、それこそ一日中身を粉にして働いているのに、自分は遊んで来て、戻ったら文句を言うばかりでは、誰でも怒って当然だと思うのですが…。
そういう事が続いたので、帰省中で、毎日留守の父親の代わりに店を手伝ってくれていた長男や長女も、あまりの放蕩親父に呆れ果てています。
なんだか、クーデター寸前のどこかの政府のようですが、国民ならぬ家族の不満は爆発寸前です。
いつもは、冷静沈着な長男も、先日、2、3日泊まり掛けで出掛かると言いながら、結局一週間戻らず、ようやく帰って来たと思ったら、翌日サッケオ県の友達の所を訪ねる約束をしてるから、車を変えてまた出掛けるからと言う父親に、「今度またこういうことがあれば、今度こそ一言言い返すかも知れない。」と、静かな怒りを露にしていました。
実は、その日買い出しに出掛ける予定だった私たちに、自分が急いで乗用車(普段は私が乗っている家族用)を使いたいから、「買い物なんて、必要な物だけ買えばいいんだ。ゆっくり見てるんじゃない。さっさと行ってさっさと帰って来い。」と言い出した夫に、長女が「買い物はマラソンじゃないんだよ。」と皮肉めいて言った事で、逆ギレし、「お前は子供のくせに親に文句を言うのか!俺が子供の時、お母さんにそんな口はきかなかったぞ!そんな事を言うお前は、きっと地獄に堕ちるぞ!大体、もし俺がお前の事を抱いてやらなければ、お前はとっくの昔に死んでいたんだ。」などと、一方的に威張り腐った支配者のような言い方をするので、それを聞いていた、長男があまりの暴君ぶりに呆れ果てたと言う訳です。
一体、いつからこうなってしまったのか…?
家族との溝は深まるばかりですが、子供達がタイの「親が大事」的な洗脳教育の影響を少しは受けているので、タイの常識的に、父親にそれほどの暴言を吐く事はありません。
これが、もし日本で育っていたら、今頃父親は家には居ないかも知れません。
まあ、それは私たちが日本で暮らしていたら…と言う話なので、この夫も、日本で暮らして居た頃は、猫を被っていたと言うか、故郷に戻ってからの夫とは別人だったので、子供に文句を言われるほどの事はしていなかったでしょう。
良く有る話ですが、環境が変わると人も変わります。
タイで知り合って、日本に帰ったら、日本で知り合って、タイに帰ったら…など、「向こうではこうじゃなかったのに…。」と言う話はよく耳にします。
特に、日本からタイに帰って来たタイ人と言うのは、まさに水を得た魚。
男女問わず、連れて来た日本人(外国人)を無視して思い切り好き勝手するパターンが多いです。
これから、そう言う予定がある方は、特に気をつけましょう…と言うか、覚悟を決めた方がいいと思います。
さて、こうしてしばらく続いた夫の『放蕩生活』もとい、『夏休み』も、来週からは少しは、改善されるかもしれません。
長男の大学が、来週から開講になるので、今日から大学に戻ってしまったからです。
長女の大学はまだ長期休みで、8月中旬から新学期ですが、夫が私の手伝いとして、長男のように頼っていないので、今までほどの勝手気ままな生活は改めるでしょう。
夫の憩いの『我が家』である沼池
今までなら、こういう時期は暇を持て余しながらも、家でゴロゴロしながら適当に過ごしていた夫ですが、今年は、大学1年の長女と大学3年の長男の長期休みで揃って帰省しているため、ここぞとばかりに一週間以上家にも戻らず、実家の沼池で趣味の釣りに明け暮れていたようです。
そもそも、タイの政府の訳の分からない『ASEAN政策』で、大学の休みが、小中高のソンクラーンを挟んだ長期休みとずれて、6月過ぎからとなったため、我が家の日本一時帰国計画も、今年から見通しが立たなくなった訳です。
お陰で私は、子連れで一時帰国が出来なくなり、今度日本に帰れるのは、何年後になるのか分からなくなり、ここイサーンの片隅で来る日も来る日も、ひたすらうんざりするようなタイ人相手に商売をするしかなくなりました。
それとは反対に、長男も帰っているので、夫は家でやる事が増々無くなって、もはや居ても居なくても同じ…と言う状況になり、いたたまれなくなったのか、単に「これはチャンス!」と思ったのか、衣装ケースに着替えを詰めて、大事な釣り具セット一式車に積んで、出掛ける事一週間と少し、もはや、次男からは「ポー(お父さん)って誰?」と真面目な顔で聞き返されるほど、家に居ない事が多くなりました。
そして、帰って来ると家族の反応が不安なのか、「むこう(沼池)に居ると、みんなが聞くんだよ。こんなに毎日毎日、毎晩毎晩家を空けて、奥さんが文句を言わないのか?って。」と聞くので、私は、「私は、タイ人の奥さんじゃないからじゃない?ほら、いつでもどこでもくっついて行くみたいな…。私は、一体何がそんなに心配なのか分からないけどさ。(自分の旦那がそんなに格好いいとでも思ってるのかね。まあ、付き合い始めの若いカップルなら分からないでもないけどね。)←内心。」と答え、「まあ、私がいろいろ聞かないのは、自分で赤ちゃんじゃないんだから考えて行動出来ると信じてるからね。(←「まさか、まだ
脳みそ残ってるだろうから、バカな事はしないでしょ?」とさりげなく釘を刺して置く。)」と言う感じで答えています。
よく子供達とも話すのですが、実際のところ、もしも私が一般的なタイ人の奥さんだったら、こういう生活をしている夫は、今頃命が無いか、奥さんが出て行っている,もしくは最初からこういう生活など出来るはずが無い…と言う、結論になっています。
まあ、そうこう子供達と何かに付けて話題に上る夫の行動ですが、実際のところ、私と子供達は、割とこの状況を楽しんでいたりします。
「鬼の居ぬ間に命の洗濯」ではないですが、こういう好き勝手な事をしているくせに、家に帰って来ると、急に偉そうに主人面をして、小さな事から文句ばかり言っているので、私も子供もいい加減うんざりしているのです。
居ない方が気が楽と言うのが本音です。
タイの諺では、「猫が居ないと、ネズミが浮かれる。」と言うようなのがありますが、まさに私はそのネズミです。
こちらは、店番はもちろん、商品チェックから注文、値段設定、品出しまで全部やって、それこそ一日中身を粉にして働いているのに、自分は遊んで来て、戻ったら文句を言うばかりでは、誰でも怒って当然だと思うのですが…。
そういう事が続いたので、帰省中で、毎日留守の父親の代わりに店を手伝ってくれていた長男や長女も、あまりの放蕩親父に呆れ果てています。
なんだか、クーデター寸前のどこかの政府のようですが、国民ならぬ家族の不満は爆発寸前です。
いつもは、冷静沈着な長男も、先日、2、3日泊まり掛けで出掛かると言いながら、結局一週間戻らず、ようやく帰って来たと思ったら、翌日サッケオ県の友達の所を訪ねる約束をしてるから、車を変えてまた出掛けるからと言う父親に、「今度またこういうことがあれば、今度こそ一言言い返すかも知れない。」と、静かな怒りを露にしていました。
実は、その日買い出しに出掛ける予定だった私たちに、自分が急いで乗用車(普段は私が乗っている家族用)を使いたいから、「買い物なんて、必要な物だけ買えばいいんだ。ゆっくり見てるんじゃない。さっさと行ってさっさと帰って来い。」と言い出した夫に、長女が「買い物はマラソンじゃないんだよ。」と皮肉めいて言った事で、逆ギレし、「お前は子供のくせに親に文句を言うのか!俺が子供の時、お母さんにそんな口はきかなかったぞ!そんな事を言うお前は、きっと地獄に堕ちるぞ!大体、もし俺がお前の事を抱いてやらなければ、お前はとっくの昔に死んでいたんだ。」などと、一方的に威張り腐った支配者のような言い方をするので、それを聞いていた、長男があまりの暴君ぶりに呆れ果てたと言う訳です。
一体、いつからこうなってしまったのか…?
家族との溝は深まるばかりですが、子供達がタイの「親が大事」的な洗脳教育の影響を少しは受けているので、タイの常識的に、父親にそれほどの暴言を吐く事はありません。
これが、もし日本で育っていたら、今頃父親は家には居ないかも知れません。
まあ、それは私たちが日本で暮らしていたら…と言う話なので、この夫も、日本で暮らして居た頃は、猫を被っていたと言うか、故郷に戻ってからの夫とは別人だったので、子供に文句を言われるほどの事はしていなかったでしょう。
良く有る話ですが、環境が変わると人も変わります。
タイで知り合って、日本に帰ったら、日本で知り合って、タイに帰ったら…など、「向こうではこうじゃなかったのに…。」と言う話はよく耳にします。
特に、日本からタイに帰って来たタイ人と言うのは、まさに水を得た魚。
男女問わず、連れて来た日本人(外国人)を無視して思い切り好き勝手するパターンが多いです。
これから、そう言う予定がある方は、特に気をつけましょう…と言うか、覚悟を決めた方がいいと思います。
さて、こうしてしばらく続いた夫の『放蕩生活』もとい、『夏休み』も、来週からは少しは、改善されるかもしれません。
長男の大学が、来週から開講になるので、今日から大学に戻ってしまったからです。
長女の大学はまだ長期休みで、8月中旬から新学期ですが、夫が私の手伝いとして、長男のように頼っていないので、今までほどの勝手気ままな生活は改めるでしょう。
夫の憩いの『我が家』である沼池