2015年01月26日
我が家の湯沸かし器
前回の『寒季の行水』(http://muangchai.namjai.cc/e151256.html)で記事で、ガス湯沸かし器の話が出たのだが、記事の内容よりもそのガス湯沸かし器についての関心が高かったようなので、今回は我が家で8年来使っている、リンナイのガス湯沸かし器について書いてみたい。
こちらに来た当初は我が家も普通にタイの量販店で売っている電気式の湯沸かし器を購入して使用していた。
ところが、休みを利用して我が家に泊まりに来ていた甥たちが、珍しい温水シャワーに喜んで、そのシャワーのを掛け合って遊び、電気湯沸かし器本体に上から水が掛かってしまったために、すぐに壊れてしまった。
その後、我々より数年遅れて日本の出稼ぎから帰国した義姉夫婦が、日本に残っている友人を通じて湯沸かし器やらガスコンロやらを2〜3個ずつ日本から送って貰ったのを、「使うか?」と訊くのでせっかくだからと、それを売ってもらった物である。
まず、ガスコンロでもガス湯沸かし器でも、こちらのプロパンガスのボンベに取り付ける際に、専用のバルブを購入した。
夫の実家で義母が使っているガスコンロは、ボンベからコンロに繋げるホースにそういうバルブを付けていないのだが、義姉の夫の話では「これでガスの強弱を調節出来る」のだと言う事だった。
このガスボンベとホースの間にある、丸い物体がバルブである。
ガスボンベ自体は浴室に隣接した更衣室に置いてあるので、浴室と更衣室の間の壁に穴を開け、そこからガスホースを通して浴室の中の湯沸かし器本体に繋げている。
壁を挟んで設置したガスボンベ。
湯沸かし器の右横下の穴からホースを通し、湯沸かし器の左下のガス接続口に繋げる。
このホースの先の黒い接続口がポイント。
職業柄、うちの夫がガス湯沸かし器の接続口のネジ山を見分けて工夫して、我が家でハイドリックホースを作成する際使っている、90°の接続口をホースに差し込める様に改造にした。
これが問題の接続部分。そしてその手前の箱型の入れ物にオレンジのツマミがあるのが、単一乾電池2個分を入れるスペース。
確か、コメントの中にガス代がいくらくらい掛かるかと言う質問を頂いたが、ガス代自体は我が家の人数×一人当たりの使用時間を考えても、一ヶ月に1,000バーツも行かないと思うし、この乾電池も二つで60バーツ程度の物で、月に一度か二度の交換で済むので、電気式よりは確実に安上がりだと思う。
そうでなければ、あの財布の紐が堅いしっかり者の義姉がわざわざ郵送費を掛けてまで日本から送ってもらうはずはないと思う。
これが、肝心のシャワー口だが、もう8年も使い込んでいるので、数年前にホースが途中から漏れ始め、終いには肝心のシャワー口が折れてしまい、ホースの中の金属だけが残った。
ただ、それでもスイッチ部分が壊れていないので、切れた電線は何とかテープで繋ぎ直して、シャワー口は紐でぶら下げて残してある。
これは、上のダイヤル部分のスイッチだけでもお湯は出るのだが、頭からシャワーを掛かる為に、最初から高めの位置に設置してあるので、このシャワー口のスイッチが無くなると、当時はまだ身長が足りなかった末っ子のミックの手が届かなくて、自分で開閉出来なかったためである。
そして、本来のシャワー口が取れてむき出しになってしまったホース口のままでは水流が強すぎて、身体に直接水が当たったときに跳ね返るので困っていたのだが、炊事場の水道の蛇口に付けてある10バーツで売っているシャワー口を思い出し、それを買って来て取り付けてみたところ、満足行くほどのシャワーにはならないが、何とか跳ね返らない程度には使える様になったのである。
肝心のお湯の温度だが、普段は下のツマミを最小にしておいても、だいぶ熱いお湯が出る。
夏場の3月、4月はお湯では使えないくらい熱い。
冬場でもツマミを半分より右寄りにしたことはない。
上のダイヤル式の温度調節も「低」から一つ目の目盛りまで回して使った事は無いくらいに、十分な熱さのお湯が出る。
これに慣れてしまうと、他人の家に行った時など、水浴びや水のシャワーなどは問題外にしても、普通のタイ製の温水シャワーなども使うに耐えなくなってしまった。
まだ、機械自体の性能は故障する気配もないのだが、これに慣れてしまっているので、念のため、次回の日本帰国時にはお土産に買って帰って来る様に言われている。
こちらに来た当初は我が家も普通にタイの量販店で売っている電気式の湯沸かし器を購入して使用していた。
ところが、休みを利用して我が家に泊まりに来ていた甥たちが、珍しい温水シャワーに喜んで、そのシャワーのを掛け合って遊び、電気湯沸かし器本体に上から水が掛かってしまったために、すぐに壊れてしまった。
その後、我々より数年遅れて日本の出稼ぎから帰国した義姉夫婦が、日本に残っている友人を通じて湯沸かし器やらガスコンロやらを2〜3個ずつ日本から送って貰ったのを、「使うか?」と訊くのでせっかくだからと、それを売ってもらった物である。
まず、ガスコンロでもガス湯沸かし器でも、こちらのプロパンガスのボンベに取り付ける際に、専用のバルブを購入した。
夫の実家で義母が使っているガスコンロは、ボンベからコンロに繋げるホースにそういうバルブを付けていないのだが、義姉の夫の話では「これでガスの強弱を調節出来る」のだと言う事だった。
このガスボンベとホースの間にある、丸い物体がバルブである。
ガスボンベ自体は浴室に隣接した更衣室に置いてあるので、浴室と更衣室の間の壁に穴を開け、そこからガスホースを通して浴室の中の湯沸かし器本体に繋げている。
壁を挟んで設置したガスボンベ。
湯沸かし器の右横下の穴からホースを通し、湯沸かし器の左下のガス接続口に繋げる。
このホースの先の黒い接続口がポイント。
職業柄、うちの夫がガス湯沸かし器の接続口のネジ山を見分けて工夫して、我が家でハイドリックホースを作成する際使っている、90°の接続口をホースに差し込める様に改造にした。
これが問題の接続部分。そしてその手前の箱型の入れ物にオレンジのツマミがあるのが、単一乾電池2個分を入れるスペース。
確か、コメントの中にガス代がいくらくらい掛かるかと言う質問を頂いたが、ガス代自体は我が家の人数×一人当たりの使用時間を考えても、一ヶ月に1,000バーツも行かないと思うし、この乾電池も二つで60バーツ程度の物で、月に一度か二度の交換で済むので、電気式よりは確実に安上がりだと思う。
そうでなければ、あの財布の紐が堅いしっかり者の義姉がわざわざ郵送費を掛けてまで日本から送ってもらうはずはないと思う。
これが、肝心のシャワー口だが、もう8年も使い込んでいるので、数年前にホースが途中から漏れ始め、終いには肝心のシャワー口が折れてしまい、ホースの中の金属だけが残った。
ただ、それでもスイッチ部分が壊れていないので、切れた電線は何とかテープで繋ぎ直して、シャワー口は紐でぶら下げて残してある。
これは、上のダイヤル部分のスイッチだけでもお湯は出るのだが、頭からシャワーを掛かる為に、最初から高めの位置に設置してあるので、このシャワー口のスイッチが無くなると、当時はまだ身長が足りなかった末っ子のミックの手が届かなくて、自分で開閉出来なかったためである。
そして、本来のシャワー口が取れてむき出しになってしまったホース口のままでは水流が強すぎて、身体に直接水が当たったときに跳ね返るので困っていたのだが、炊事場の水道の蛇口に付けてある10バーツで売っているシャワー口を思い出し、それを買って来て取り付けてみたところ、満足行くほどのシャワーにはならないが、何とか跳ね返らない程度には使える様になったのである。
肝心のお湯の温度だが、普段は下のツマミを最小にしておいても、だいぶ熱いお湯が出る。
夏場の3月、4月はお湯では使えないくらい熱い。
冬場でもツマミを半分より右寄りにしたことはない。
上のダイヤル式の温度調節も「低」から一つ目の目盛りまで回して使った事は無いくらいに、十分な熱さのお湯が出る。
これに慣れてしまうと、他人の家に行った時など、水浴びや水のシャワーなどは問題外にしても、普通のタイ製の温水シャワーなども使うに耐えなくなってしまった。
まだ、機械自体の性能は故障する気配もないのだが、これに慣れてしまっているので、念のため、次回の日本帰国時にはお土産に買って帰って来る様に言われている。
2015年01月21日
寒季の行水
先週の朝のニュースで、このチャイヤプムでも凍死者が出た…と言う事が放送された。
死因は、アルコール中毒気味で酒浸りになっていた30歳過ぎの男性が、家族が止めるのも聞かず、いつものように家の庭先でほぼ半裸で夜通し飲み続けていたらしく、朝になって起き出した家族が発見した時にはすでに死亡していた…と言う事件だった。
それが、たまたま夫がいつもよく行っている飲み屋の主人の弟だったと言うことは、後日夫に聞いて知ったのだった。
まあ、基本的に一般的な日本人の意識では、『タイは常夏の国』一年中暑い…と思われている事が多いのだが、一応季節があって、乾季に入ると徐々に気温が下がって来て、さすがに11月くらいからは朝晩冷え込む日も出てくる。
タイでも、北部に位置するチェンマイ、チェンラーイ、ルーイなどは寒い事で有名だが、ここチャイヤプムでさえ、1月ともなればだいぶ冷え込む。
日中の太陽が高い時間はともかく、朝晩は厚い防寒着までは着ないものの、薄手の長袖の上着の一枚くらいは羽織らないとかなり寒いのである。
私は、女性特有なのか年齢のせいなのか、最近は手足の先が冷えきって血が通ってないくらいに冷たくなっているので、靴下も履くのだが、タイなので靴はサンダル履きのままである。
と、それくらい寒い今日この頃のイサーンなのだが、今日の夕方いつものように店を閉めてから室内でウォーキングをしていると、先にフラフープを終えて浴室に入っていた長女が「お湯が出ないよ〜!」と叫び出した。
どうやら夕方のこの時間帯に、また市内のどこかで水道管が壊れて、断水状態になったらしい。
市内を通っている水道管自体が、いつの時代の代物だ?と言うような状態なので、そこら中で度々水道管の破損が起きるのだ。
しかし、今日は細々とであるが何とか水は出ているので、断水とは言えないのだが、多くの給湯器がそうであるように、我が家の『リンナイガス給湯器』も例外無く水量不足でお湯が出なくなった訳だ。
普段から水で入浴している人にはそうでもないらしいが、タイ製の普通の給湯器よりだいぶ熱いお湯が出る日本製のキッチン用ガス湯沸かし器で、熱いお湯に慣れている我が家では、この時期に水道水で行水するのは自殺行為ではないか?とさえ思われた。
しかし、私がウォーキングをしている間に、長女は何とかこの試練に耐え、水道水で苦行のような行水を済ませたのだった。
そして私自身も、この状況をどうするか悩んだが、もうすでにウォーキングを終えてだいぶ汗をかいているので、まさかこのまま入浴しない訳にも行かない。
もし、運動をせずろくに汗もかいていなければ、顔を洗い歯を磨いて我慢して寝ると言う選択肢もあるのだが、この運動後のベタついた身体で寝る訳には行かない。
幸い?な事にだいぶ水量は少ないが、一応水も出ている。
私は長女の入浴には間に合わなかったが、我が家で一番大きな鍋にいっぱいのお湯を沸かして、それを風呂場に持ち込んで水を混ぜながら桶でぞの温ま湯を汲み汲み行水を済ませた。
ただ、タイ人恐怖症で美容院嫌いになり、この3年間伸ばしたままのロングヘアは、シャワーで流すのとは違い、この行水で一番手間取ったので、「髪を短くしてれば良かった。」と少々後悔した。
途中、長女と違いお湯を混ぜて掛かっているにも関わらず、いつも以上に段違いな寒さに、「このまま心臓発作で倒れたら、救急車を呼ぶ前に誰か服を着せてくれるのだろうか?それともタオル巻きだけ?」などと、どうでもいい事を想像し、更に寒気が襲ったのだった。
明日の朝はもっと寒いと思うので、長女がまた朝一番に入入浴する前にこの水量が回復されて、いつも通り熱めのお湯が出ているといいな…と思うのだった。
死因は、アルコール中毒気味で酒浸りになっていた30歳過ぎの男性が、家族が止めるのも聞かず、いつものように家の庭先でほぼ半裸で夜通し飲み続けていたらしく、朝になって起き出した家族が発見した時にはすでに死亡していた…と言う事件だった。
それが、たまたま夫がいつもよく行っている飲み屋の主人の弟だったと言うことは、後日夫に聞いて知ったのだった。
まあ、基本的に一般的な日本人の意識では、『タイは常夏の国』一年中暑い…と思われている事が多いのだが、一応季節があって、乾季に入ると徐々に気温が下がって来て、さすがに11月くらいからは朝晩冷え込む日も出てくる。
タイでも、北部に位置するチェンマイ、チェンラーイ、ルーイなどは寒い事で有名だが、ここチャイヤプムでさえ、1月ともなればだいぶ冷え込む。
日中の太陽が高い時間はともかく、朝晩は厚い防寒着までは着ないものの、薄手の長袖の上着の一枚くらいは羽織らないとかなり寒いのである。
私は、女性特有なのか年齢のせいなのか、最近は手足の先が冷えきって血が通ってないくらいに冷たくなっているので、靴下も履くのだが、タイなので靴はサンダル履きのままである。
と、それくらい寒い今日この頃のイサーンなのだが、今日の夕方いつものように店を閉めてから室内でウォーキングをしていると、先にフラフープを終えて浴室に入っていた長女が「お湯が出ないよ〜!」と叫び出した。
どうやら夕方のこの時間帯に、また市内のどこかで水道管が壊れて、断水状態になったらしい。
市内を通っている水道管自体が、いつの時代の代物だ?と言うような状態なので、そこら中で度々水道管の破損が起きるのだ。
しかし、今日は細々とであるが何とか水は出ているので、断水とは言えないのだが、多くの給湯器がそうであるように、我が家の『リンナイガス給湯器』も例外無く水量不足でお湯が出なくなった訳だ。
普段から水で入浴している人にはそうでもないらしいが、タイ製の普通の給湯器よりだいぶ熱いお湯が出る日本製のキッチン用ガス湯沸かし器で、熱いお湯に慣れている我が家では、この時期に水道水で行水するのは自殺行為ではないか?とさえ思われた。
しかし、私がウォーキングをしている間に、長女は何とかこの試練に耐え、水道水で苦行のような行水を済ませたのだった。
そして私自身も、この状況をどうするか悩んだが、もうすでにウォーキングを終えてだいぶ汗をかいているので、まさかこのまま入浴しない訳にも行かない。
もし、運動をせずろくに汗もかいていなければ、顔を洗い歯を磨いて我慢して寝ると言う選択肢もあるのだが、この運動後のベタついた身体で寝る訳には行かない。
幸い?な事にだいぶ水量は少ないが、一応水も出ている。
私は長女の入浴には間に合わなかったが、我が家で一番大きな鍋にいっぱいのお湯を沸かして、それを風呂場に持ち込んで水を混ぜながら桶でぞの温ま湯を汲み汲み行水を済ませた。
ただ、タイ人恐怖症で美容院嫌いになり、この3年間伸ばしたままのロングヘアは、シャワーで流すのとは違い、この行水で一番手間取ったので、「髪を短くしてれば良かった。」と少々後悔した。
途中、長女と違いお湯を混ぜて掛かっているにも関わらず、いつも以上に段違いな寒さに、「このまま心臓発作で倒れたら、救急車を呼ぶ前に誰か服を着せてくれるのだろうか?それともタオル巻きだけ?」などと、どうでもいい事を想像し、更に寒気が襲ったのだった。
明日の朝はもっと寒いと思うので、長女がまた朝一番に入入浴する前にこの水量が回復されて、いつも通り熱めのお湯が出ているといいな…と思うのだった。
2015年01月20日
チャイヤプムのガーン•ジャオポーのお土産。
今月12日を封切りに、今年もチャイヤプムの創始者と言われるジャオポー•パヤレーを讃えた、ここチャイヤプムの年中行事の中でも最も盛大なお祭りが、明日20日までの9日間の日程で行われています。
思い起こせば、最初にこのお祭りに来たのは今から二十年近くも前の事。
あの時は初めてのチャイヤプムの実家訪問で、夫が出家する間の3ヶ月の滞在期間中にちょうどこのお祭りも行われたのでした。
ちょうどまだ出家前の夫がいたので、親戚に車を用意してもらって夫とその親戚たちと出掛けたのですが、何しろ学生時代の大気留学以来、初めてのタイみたいなものだったので、何もかもが珍しくて、あれもこれも欲しい物ばかりでした。
確か、通りの両側に所狭しと出ている屋台を足が疲れるまで見て回り、お土産用に竹製のお弁当箱(実際はもち米入れでした。)を何個かと、古着のシルクから作ったパッチワークのスカートを買ったのを覚えています。
その後、この地に移り住んで12年…。
今では、何の感動も無くなったばかりか、そのお祭りに行く事でさえ面倒で仕方ありません。
でも、子供たちにはまだまだ楽しみな行事なので、とりあえず開催期間の内の一日くらいは連れて行かなければ…と考えて先週の日曜日に、試験が終わった長女を迎えに行くついでに夕方からのお祭りにを回って見ました。
長女は、もう何日も前から目を付けていた何軒かの店を回り、お目当ての靴や洋服を手に入れました。
もう数日の間学校の目の前で行われているお祭りに飽き飽きしている次男は、屋台のホットドッグや肉団子を買って食べただけで気が済んだようです。
末っ子ミックのお目当ては、PCゲームの海賊版CD。
普段の市場にもこの手の屋台はあるのですが、普段はなんだかんだ言って中々買ってもらえないので、この機会に…と企んでいたようです。
そして、この手のお祭りにうんざりしていた私の唯一のお目当ては…。
カノム•モーゲーン
日本のお祭りでもそうであるように、全国から様々な屋台がやって来るお祭りで、毎年やって来て、ほぼジャオポーの銅像の裏手の定位置に店を出しています。
これが食べた後の断面です。
見た目でも分かる様に、四角い容器に入ってはいるものの、卵と砂糖、ココナツミルクを主体にした焼き菓子。
分かりやすく言えば、焼きプリンみたいなものです。
味は、卵だけのプレーン味、緑豆味、里芋味の3種類。
夫などは、プレーン味に拘りますが、私にはプレーン味はだいぶ普通のカスタードプリンのような感じがする以外、残りの二つの緑豆と里芋の味の違いがイマイチ判断出来ません。
これがカボチャ味とかならもっと分かりやすいと思うのですが、二つともプレーン味に比べてちょっとザラついている…と言う感じしかしないのです。
まあ、せっかく出掛けたのだからと、このカノム•モーゲーン一つ40バーツ也、3種類を2つずつ買ってお土産にしました。
このオバさんの写真付きの紙袋に、3つずつ入れてくれるのですが、この紙袋に入れると、それだけで価値が付くような気になってくるから不思議です。
せっかく、昨年の2月から続けているダイエットが、今年の正月にだいぶ悪影響を受けたばかりなのに、畳み掛ける様にしてこのお祭りのカノム•モーゲーンが来てしまいました。かなり甘いので、カロリーも心配なのは山々ですが、一口食べるとその心配を忘れさせるほど、つい止められないので困ります。
買って来なければ良かったのですが、「どうせこのお祭りでしか買えないんだし…。」と、やはり「つい」買ってしまいました。
しかも、明日で終わるお祭りの最後の値下げを目的に、昼休みに出歩くと言う長女にまた「つい」お土産のカノム•モーゲーンを頼んでしまいました。
それくらいクセになる味の、タイ風焼きプリンなのでした。
思い起こせば、最初にこのお祭りに来たのは今から二十年近くも前の事。
あの時は初めてのチャイヤプムの実家訪問で、夫が出家する間の3ヶ月の滞在期間中にちょうどこのお祭りも行われたのでした。
ちょうどまだ出家前の夫がいたので、親戚に車を用意してもらって夫とその親戚たちと出掛けたのですが、何しろ学生時代の大気留学以来、初めてのタイみたいなものだったので、何もかもが珍しくて、あれもこれも欲しい物ばかりでした。
確か、通りの両側に所狭しと出ている屋台を足が疲れるまで見て回り、お土産用に竹製のお弁当箱(実際はもち米入れでした。)を何個かと、古着のシルクから作ったパッチワークのスカートを買ったのを覚えています。
その後、この地に移り住んで12年…。
今では、何の感動も無くなったばかりか、そのお祭りに行く事でさえ面倒で仕方ありません。
でも、子供たちにはまだまだ楽しみな行事なので、とりあえず開催期間の内の一日くらいは連れて行かなければ…と考えて先週の日曜日に、試験が終わった長女を迎えに行くついでに夕方からのお祭りにを回って見ました。
長女は、もう何日も前から目を付けていた何軒かの店を回り、お目当ての靴や洋服を手に入れました。
もう数日の間学校の目の前で行われているお祭りに飽き飽きしている次男は、屋台のホットドッグや肉団子を買って食べただけで気が済んだようです。
末っ子ミックのお目当ては、PCゲームの海賊版CD。
普段の市場にもこの手の屋台はあるのですが、普段はなんだかんだ言って中々買ってもらえないので、この機会に…と企んでいたようです。
そして、この手のお祭りにうんざりしていた私の唯一のお目当ては…。
カノム•モーゲーン
日本のお祭りでもそうであるように、全国から様々な屋台がやって来るお祭りで、毎年やって来て、ほぼジャオポーの銅像の裏手の定位置に店を出しています。
これが食べた後の断面です。
見た目でも分かる様に、四角い容器に入ってはいるものの、卵と砂糖、ココナツミルクを主体にした焼き菓子。
分かりやすく言えば、焼きプリンみたいなものです。
味は、卵だけのプレーン味、緑豆味、里芋味の3種類。
夫などは、プレーン味に拘りますが、私にはプレーン味はだいぶ普通のカスタードプリンのような感じがする以外、残りの二つの緑豆と里芋の味の違いがイマイチ判断出来ません。
これがカボチャ味とかならもっと分かりやすいと思うのですが、二つともプレーン味に比べてちょっとザラついている…と言う感じしかしないのです。
まあ、せっかく出掛けたのだからと、このカノム•モーゲーン一つ40バーツ也、3種類を2つずつ買ってお土産にしました。
このオバさんの写真付きの紙袋に、3つずつ入れてくれるのですが、この紙袋に入れると、それだけで価値が付くような気になってくるから不思議です。
せっかく、昨年の2月から続けているダイエットが、今年の正月にだいぶ悪影響を受けたばかりなのに、畳み掛ける様にしてこのお祭りのカノム•モーゲーンが来てしまいました。かなり甘いので、カロリーも心配なのは山々ですが、一口食べるとその心配を忘れさせるほど、つい止められないので困ります。
買って来なければ良かったのですが、「どうせこのお祭りでしか買えないんだし…。」と、やはり「つい」買ってしまいました。
しかも、明日で終わるお祭りの最後の値下げを目的に、昼休みに出歩くと言う長女にまた「つい」お土産のカノム•モーゲーンを頼んでしまいました。
それくらいクセになる味の、タイ風焼きプリンなのでした。
2015年01月13日
手配書の成果
先日の記事『貼ってみました。』(http://muangchai.namjai.cc/e149732.html)で、指名手配書もとい「尋ね人」の貼り紙を貼り出してから約20日。
先週の木曜日に、ようやくその尋ね人本人が現れた。
それまでにも、その『尋ね人』の貼り紙を貼り出してから来店する客の反応はかなりあって、手応えを感じてはいたのだが、これと言った成果は上がっていなかった。
中には、とても興味深そうに「この人どうしたの?」とか、ツケを払わないと言うと「いくらくらいなの?」などと詳しい事を聞いて来て、「これは、手応えあり?知り合いかも?」と言う人も数人いたのだが、それだけでは決定打にはならず、一日また一日と過ぎて新年を迎えてしまった。
私たちも、もうそういう質問にも慣れて来てしまって、「ああ、またか…。」くらいに気にならなくなっていた。
そんな空気が流れていた先週の水曜日の事。
2トン車のブレーキパッド等の部品を買いに来た中年の女性が、部品を待っている間に例の貼り紙を食い入る様に見ていた。
そして、部品を揃えて持って行くと、すぐに「この子は何でここに貼られているの?」と聞くので、事情を説明したところ、
「この子は私の甥なんだよ。まあ、それにこの子は自分のトラクターは持っていないから、奥さんのお父さんのトラクターの部品だったんだろうね。私が言って置いてあげるから。悪気が有ったんじゃないと思うよ。」
と、自分の甥を弁護するような言い方で、さっそくその甥へと電話してくれた。
すると電話が終わって、「やっぱり、あの子は奥さんのお父さんの代わりに買いに来たんだって。それで、ツケの伝票は奥さんのお母さんに渡したんだけど、そのお母さんが払うのを忘れてしまったらしいよ。」と、その一家の事情の一部始終を話してくれた。
そして翌日…。
その伯母さんから話を聞いた「カングン」君はお母さんからお金を貰い、慌てて払いに来たらしい。
「らしい」と言うのは、彼が払いに来た時間、私は末っ子のミック学校に迎えに行って留守だったので、店番をしていた夫から聞いたのだった。
しかも、さすがは「いい人」の夫。
私が、わざわざ数百バーツの利子を計算して書いて置いたのに、まったく無視して、わずか20バーツちょっと上乗せしただけで、チャラにしてしまった。
私がこの貼り紙を貼り出すと言う強硬手段に出るまでに至った、日々の葛藤と苦悩を全く無視した夫の行動に、もはや怒りも呆れも通り越して「諦め」だけが残った。
顔も覚えていないくらいの相手に、結果的に何の保証もなくツケをさせてしまい、しかも「夕方には持ってくる」と言ったその言葉を信じて待っていたにも関わらず、翌日その翌日…と結局数ヶ月も待たされて、しかも向こうは忘れていた…。
この間の私の気苦労は何だったのか。それをせめてわずかな利子でも…と、支払いの際に徴収しようと計算して置いたにも関わらす…だ。
しかし、当の夫はこの貼り紙作戦が功を成した事に上機嫌で、「これからもこれで行こう!」と張り切っていた。
だが、私は心の中で「ここまでして最後にがっかりするくらいなら、これからは私がもっと厳しくして、最初からツケを拒否した方がいいな…。」と全く別の事を考えていた。
と、最近どんどん他人(タイ人客)に厳しくなっている自分自身に改めて気付いた。
先週の木曜日に、ようやくその尋ね人本人が現れた。
それまでにも、その『尋ね人』の貼り紙を貼り出してから来店する客の反応はかなりあって、手応えを感じてはいたのだが、これと言った成果は上がっていなかった。
中には、とても興味深そうに「この人どうしたの?」とか、ツケを払わないと言うと「いくらくらいなの?」などと詳しい事を聞いて来て、「これは、手応えあり?知り合いかも?」と言う人も数人いたのだが、それだけでは決定打にはならず、一日また一日と過ぎて新年を迎えてしまった。
私たちも、もうそういう質問にも慣れて来てしまって、「ああ、またか…。」くらいに気にならなくなっていた。
そんな空気が流れていた先週の水曜日の事。
2トン車のブレーキパッド等の部品を買いに来た中年の女性が、部品を待っている間に例の貼り紙を食い入る様に見ていた。
そして、部品を揃えて持って行くと、すぐに「この子は何でここに貼られているの?」と聞くので、事情を説明したところ、
「この子は私の甥なんだよ。まあ、それにこの子は自分のトラクターは持っていないから、奥さんのお父さんのトラクターの部品だったんだろうね。私が言って置いてあげるから。悪気が有ったんじゃないと思うよ。」
と、自分の甥を弁護するような言い方で、さっそくその甥へと電話してくれた。
すると電話が終わって、「やっぱり、あの子は奥さんのお父さんの代わりに買いに来たんだって。それで、ツケの伝票は奥さんのお母さんに渡したんだけど、そのお母さんが払うのを忘れてしまったらしいよ。」と、その一家の事情の一部始終を話してくれた。
そして翌日…。
その伯母さんから話を聞いた「カングン」君はお母さんからお金を貰い、慌てて払いに来たらしい。
「らしい」と言うのは、彼が払いに来た時間、私は末っ子のミック学校に迎えに行って留守だったので、店番をしていた夫から聞いたのだった。
しかも、さすがは「いい人」の夫。
私が、わざわざ数百バーツの利子を計算して書いて置いたのに、まったく無視して、わずか20バーツちょっと上乗せしただけで、チャラにしてしまった。
私がこの貼り紙を貼り出すと言う強硬手段に出るまでに至った、日々の葛藤と苦悩を全く無視した夫の行動に、もはや怒りも呆れも通り越して「諦め」だけが残った。
顔も覚えていないくらいの相手に、結果的に何の保証もなくツケをさせてしまい、しかも「夕方には持ってくる」と言ったその言葉を信じて待っていたにも関わらず、翌日その翌日…と結局数ヶ月も待たされて、しかも向こうは忘れていた…。
この間の私の気苦労は何だったのか。それをせめてわずかな利子でも…と、支払いの際に徴収しようと計算して置いたにも関わらす…だ。
しかし、当の夫はこの貼り紙作戦が功を成した事に上機嫌で、「これからもこれで行こう!」と張り切っていた。
だが、私は心の中で「ここまでして最後にがっかりするくらいなら、これからは私がもっと厳しくして、最初からツケを拒否した方がいいな…。」と全く別の事を考えていた。
と、最近どんどん他人(タイ人客)に厳しくなっている自分自身に改めて気付いた。
2015年01月06日
行方不明者…再び。
正月休みに乗じて、丸二日間行方不明となっていた我が家の夫が帰って来て、今日からようやくまともに仕事に復帰した。
さて我が家の夫が復帰したのも束の間、今朝は夫の携帯に、実家の義母や知り合いの奥さんからひっきりなしに電話が掛かって来ていた。
その内容は…。
実は昨夜、例の闘鶏場の元締めのピーウワンが、正月早々奥さんとちょっとした口喧嘩をしていたのがこじれて、昨夜闘鶏場の打ち上げの帰りに、車内でかなりの口論(罵り合い)になって、その口論が原因で、義母と奥さんを自宅まで送り届けると、その足で「出て行く!」と宣言しどこかに行ってしまったらしいのだ。
それで、朝になっても帰って来ないので、母親代わりの義母と奥さんが心配して、男同士で義兄弟のような付き合いで、何かに付けて一緒に出掛けているうちの夫が行方を知っているのでは?…と言う訳なのであるが、あいにく、当の夫はピーウワンが昨夜から居なくなったことさえ知らなかったので、何も手助けにはならなかった。
私は、その喧嘩の原因の口論の原因が知りたかったので、聞いてみた。
すると、音が言うには、闘鶏場の運営で二人の意見が食い違い、「何でそう言う事するの?」と言うような事を奥さんが言ったのだが、それがもう口論がエキサイトしていた段階だったので、奥さんもつい口が悪くなって「何やってんのよ!アイヒヤ!」と、日本語で言えば「何やってんのよ!この馬鹿野郎!」のような感じの言葉をピーウワンに対して叫んでしまったらしい。
それが、ピーウワンの自尊心に触れて、ピーウワンも頭に血が上ってしまったのか、家出をすると言う事態になったらしいのだ。
夫は、「へえ?それだけで?」と言う納得出来ないような顔をしている私に向かって、補足説明のつもりかこんな風に言い出した。
「タイの男はね、たとえ奥さんが年上(うちもそう…)でも、男を見下すような物言いは許せないんだ。それに、奥さんがタイの男の頭を叩くのもダメだ。何でかと言うと、タイの男の頭はプラ(出た!自分に後ろめたい奴ほどこれでもかとぶら下げている、タイのお守りネックレス。)を首とか上半身に付けているから、それを叩くのと同じだから、タイの男の頭なんかを女が叩いてはダメなんだ。」
と、当然の事として話して聞かせるが、聞けば聞くほど何だかすごく理不尽な気がして思わず聞き返した。
「要は、タイ人の男はプラを付けてるから、叩いちゃダメって言いたい訳?」
「その言い方だと、女の人の頭とか顔とか叩いてもいいように聞こえるけど?女の人だって付けてる人いるじゃん。」
と、質問してみた物の、
「いや、俺の母さんだって、今回ローズ(ピーウワンの奥さん)の言動とかを文句言ってたよ。やっぱり女がそう言う事しちゃいけないって。」
と、上手い様に話題をはぐらかされてしまった。
何だか、これではタイ社会特有の「年取ってれば偉い」的な、意味の無い年功序列や、「どんなぐうたらしていようとも、男は女より偉い」のような全く理不尽な男尊女卑そのままではないか。
これで、納得している義母たちタイ人女性の意図が分からない。
ゴミ箱に吐き捨ててしまいたいような男がほとんどのタイの男どもなのに、何でこんな理不尽な理由で受け入れられるのか?
恐るべし宗教の力か? 信じる者は救われるか?
こんな理不尽な理由で成り立っているタイの社会構造がつくづく嫌になったが、私一人がわめこうとどうなるものではない。
しかも、私はこのタイの入管に居住権を握られているしがない一外国人の身。
選挙権もなければ、こんな事に発言する権利も無いので、ここは黙ってブログで吐く事にした。
しかし、余りに呆れた理由なので、夕方ウォーキングをしながら少し考えた。
「そうだ!明日から、プラをぶら下げよう。」
以前の記事にも書いたが、夫が私に首輪のような短いネックレスに付けたプラを付けさせたのだが、一週間少しで、あまりに息苦しいので新しいネックレスを買うまで外させて貰うことにして外したままだった。
ところが、この夫の発言を聞いて、
「そうか、夫が言ったのを逆手に取れば、プラは事故とか災難からのお守りになるだけじゃなく、相手の攻撃を防げるのか。じゃあ、明日からこれ見よがしにぶら下げて、夫が文句を言い出したら護符のように、プラを盾に夫の文句を言わせないようにしよう。」とこんな事を思いついて、一人ほくそ笑んでしまった。
今更タイ仏教を信仰する気にはなれないが、このプラを魔除けではなく夫の文句除けの護符代わりに、ぶら下げるのも悪くない。
ところで、この正月二人目の行方不明者となっていたピーウワンは、夕方になって義母のところへ出頭したらしい。
何でも、これ以上続けて義母が怒って縁を切られたら困るからだとか、本当の親子ではないとは言え、母親に弱いのはさすがタイ男の性か。
しかし、まだ奥さんへの怒りは消えた訳ではなく、「もしローズ(奥さん)が先に謝ったら、許して家に帰ってやる…とあくまで俺様的な態度は変わらないらしい。
何を謝るかと言えば、もちろん奥さんが口走ってしまった「アイヒヤ!」の罵言。
夫は、「こういう言葉は、たとえ奥さんが年上でも言っちゃいけないんだ。ローズなんてピーウワンよりずっと年下だし。」と念を押す様に私に言い聞かせていたが、心配されるまでもなく、私の性格からして直接本人に向かって火に油を注ぐような発言をする訳がない。
そう言う事は、本人が居ないときに、気の置けない長男などと話のネタにして何倍も楽しむものなのだ。
直接本人に言うなんて、愚の骨頂。
どうせ自分が世界で一番正しいと信じて疑わない人種に、真っ向から向かっても時間の無駄、体力の無駄。
話は、聞ける時は「ハイハイ…。」と聞いておいて、聞けない時は心に耳栓をして嵐が過ぎるのを待つに限る。
夫婦喧嘩なんて、まともに相手する価値もない…私の持論はこういうものなので、結婚してこの方、夫婦喧嘩をした事はない。
何度か嵐もあったが、それは夫が勝手に怒って、勝手に暴れたに過ぎない。
義姉たちをはじめ、よく夫婦喧嘩の翌日に、ケロッと元通りになっている夫婦がいるが、私には理解出来ない。
あそこまで言いたい事を言ったら、もうその先一緒に居る事は不可能ではないか…?と思うのである。
この闘鶏柄付きシャツを着た後ろ姿がこの行方不明騒ぎの当事者ピーウワンである。
さて我が家の夫が復帰したのも束の間、今朝は夫の携帯に、実家の義母や知り合いの奥さんからひっきりなしに電話が掛かって来ていた。
その内容は…。
実は昨夜、例の闘鶏場の元締めのピーウワンが、正月早々奥さんとちょっとした口喧嘩をしていたのがこじれて、昨夜闘鶏場の打ち上げの帰りに、車内でかなりの口論(罵り合い)になって、その口論が原因で、義母と奥さんを自宅まで送り届けると、その足で「出て行く!」と宣言しどこかに行ってしまったらしいのだ。
それで、朝になっても帰って来ないので、母親代わりの義母と奥さんが心配して、男同士で義兄弟のような付き合いで、何かに付けて一緒に出掛けているうちの夫が行方を知っているのでは?…と言う訳なのであるが、あいにく、当の夫はピーウワンが昨夜から居なくなったことさえ知らなかったので、何も手助けにはならなかった。
私は、その喧嘩の原因の口論の原因が知りたかったので、聞いてみた。
すると、音が言うには、闘鶏場の運営で二人の意見が食い違い、「何でそう言う事するの?」と言うような事を奥さんが言ったのだが、それがもう口論がエキサイトしていた段階だったので、奥さんもつい口が悪くなって「何やってんのよ!アイヒヤ!」と、日本語で言えば「何やってんのよ!この馬鹿野郎!」のような感じの言葉をピーウワンに対して叫んでしまったらしい。
それが、ピーウワンの自尊心に触れて、ピーウワンも頭に血が上ってしまったのか、家出をすると言う事態になったらしいのだ。
夫は、「へえ?それだけで?」と言う納得出来ないような顔をしている私に向かって、補足説明のつもりかこんな風に言い出した。
「タイの男はね、たとえ奥さんが年上(うちもそう…)でも、男を見下すような物言いは許せないんだ。それに、奥さんがタイの男の頭を叩くのもダメだ。何でかと言うと、タイの男の頭はプラ(出た!自分に後ろめたい奴ほどこれでもかとぶら下げている、タイのお守りネックレス。)を首とか上半身に付けているから、それを叩くのと同じだから、タイの男の頭なんかを女が叩いてはダメなんだ。」
と、当然の事として話して聞かせるが、聞けば聞くほど何だかすごく理不尽な気がして思わず聞き返した。
「要は、タイ人の男はプラを付けてるから、叩いちゃダメって言いたい訳?」
「その言い方だと、女の人の頭とか顔とか叩いてもいいように聞こえるけど?女の人だって付けてる人いるじゃん。」
と、質問してみた物の、
「いや、俺の母さんだって、今回ローズ(ピーウワンの奥さん)の言動とかを文句言ってたよ。やっぱり女がそう言う事しちゃいけないって。」
と、上手い様に話題をはぐらかされてしまった。
何だか、これではタイ社会特有の「年取ってれば偉い」的な、意味の無い年功序列や、「どんなぐうたらしていようとも、男は女より偉い」のような全く理不尽な男尊女卑そのままではないか。
これで、納得している義母たちタイ人女性の意図が分からない。
ゴミ箱に吐き捨ててしまいたいような男がほとんどのタイの男どもなのに、何でこんな理不尽な理由で受け入れられるのか?
恐るべし宗教の力か? 信じる者は救われるか?
こんな理不尽な理由で成り立っているタイの社会構造がつくづく嫌になったが、私一人がわめこうとどうなるものではない。
しかも、私はこのタイの入管に居住権を握られているしがない一外国人の身。
選挙権もなければ、こんな事に発言する権利も無いので、ここは黙ってブログで吐く事にした。
しかし、余りに呆れた理由なので、夕方ウォーキングをしながら少し考えた。
「そうだ!明日から、プラをぶら下げよう。」
以前の記事にも書いたが、夫が私に首輪のような短いネックレスに付けたプラを付けさせたのだが、一週間少しで、あまりに息苦しいので新しいネックレスを買うまで外させて貰うことにして外したままだった。
ところが、この夫の発言を聞いて、
「そうか、夫が言ったのを逆手に取れば、プラは事故とか災難からのお守りになるだけじゃなく、相手の攻撃を防げるのか。じゃあ、明日からこれ見よがしにぶら下げて、夫が文句を言い出したら護符のように、プラを盾に夫の文句を言わせないようにしよう。」とこんな事を思いついて、一人ほくそ笑んでしまった。
今更タイ仏教を信仰する気にはなれないが、このプラを魔除けではなく夫の文句除けの護符代わりに、ぶら下げるのも悪くない。
ところで、この正月二人目の行方不明者となっていたピーウワンは、夕方になって義母のところへ出頭したらしい。
何でも、これ以上続けて義母が怒って縁を切られたら困るからだとか、本当の親子ではないとは言え、母親に弱いのはさすがタイ男の性か。
しかし、まだ奥さんへの怒りは消えた訳ではなく、「もしローズ(奥さん)が先に謝ったら、許して家に帰ってやる…とあくまで俺様的な態度は変わらないらしい。
何を謝るかと言えば、もちろん奥さんが口走ってしまった「アイヒヤ!」の罵言。
夫は、「こういう言葉は、たとえ奥さんが年上でも言っちゃいけないんだ。ローズなんてピーウワンよりずっと年下だし。」と念を押す様に私に言い聞かせていたが、心配されるまでもなく、私の性格からして直接本人に向かって火に油を注ぐような発言をする訳がない。
そう言う事は、本人が居ないときに、気の置けない長男などと話のネタにして何倍も楽しむものなのだ。
直接本人に言うなんて、愚の骨頂。
どうせ自分が世界で一番正しいと信じて疑わない人種に、真っ向から向かっても時間の無駄、体力の無駄。
話は、聞ける時は「ハイハイ…。」と聞いておいて、聞けない時は心に耳栓をして嵐が過ぎるのを待つに限る。
夫婦喧嘩なんて、まともに相手する価値もない…私の持論はこういうものなので、結婚してこの方、夫婦喧嘩をした事はない。
何度か嵐もあったが、それは夫が勝手に怒って、勝手に暴れたに過ぎない。
義姉たちをはじめ、よく夫婦喧嘩の翌日に、ケロッと元通りになっている夫婦がいるが、私には理解出来ない。
あそこまで言いたい事を言ったら、もうその先一緒に居る事は不可能ではないか…?と思うのである。
この闘鶏柄付きシャツを着た後ろ姿がこの行方不明騒ぎの当事者ピーウワンである。
2015年01月04日
行方不明
新年が明けて、すでに3日が過ぎようとしている。
我が家の夫は、大晦日の親戚集合大宴会から帰宅したその晩は家で寝たものの、その翌日の元旦の午後には、バンコク残留組の高校時代の同級生たちと会って飲みに行く為に、意気揚々と出掛けて行った。
例年だと元旦だけか、年末年始も無休と言う事もあった正月の我が家だが、今年は自分に予定が入っている夫の都合で、すでに年末から「元旦、2日休業」の貼り紙を貼って告知していたので、私と子供たちはは正月の二日間ゆっくりと家に閉じ籠る事が出来た。
夫は当初の予定では、元旦の夜に友人たちと会って、解散した後その足で深夜のバスターミナルに向かい、そこで夜を明かし朝一番のバスで帰宅すると言う事だった。
だが、その夜に私が「せっかくバンコクまで行ったのだから、ゆっくり遊んでくれば?店の事は子供もいるから気にしなくていいから。」とメールを送ったので、「それでは遠慮なく。」と言うように、翌日帰宅の予定を変更し、そのまま一昨日も行って大宴会をした実家の村に直行してしまったらしかった。
翌朝10時過ぎに「実家の村にいるよ〜!」とだけ書かれたメールが届いて、それきり連絡が途絶えた…。
そして昨夜は、実家にいるのなら遅くなっても夜中には戻るかな…と思い、家の外側から施錠し、帰宅した時の為に玄関の灯りを点けたままにして置いたのだが、それも朝まで灯りが点いたままだった。
まあ、こういう事もよくあるので、大して気にはしていなかったのだが、こういう場合、大抵は午前様で帰宅したがシャッターを開けて家に入るのが面倒らしく、家の横の駐車場に停めて車の中で寝ている事が多い。
しかし、今朝窓から見ても車は停まっていなかったので、まだ帰宅していないと言う事は分かっていた。
次の可能性としては、昼近くになってからゆっくりと帰って来る…と言うパターン。
これもたまにはあるので、次はこの可能性を考えた。
しかし、昼を過ぎても、一向に帰宅する気配もない。
営業は今日からと分かっているのに、やはり子供(特に長男)がいるから大丈夫…と甘えているのだなと私は思った。
長男も、「お母さんが甘やかすから(父親は)調子に乗って仕事サボってる。」と厳しく陰口を言うくらいだった。
私も、「実家に行ってる」メールからそれ以降何の連絡も無いので、仕事中もときどき様々な妄想が浮かんでは消えた…。
まあ、あり得ないと思いながらもつい最悪の事態を想像してしまうのがいつもの癖なのだが、それは本当にあり得ない事で、毎回必ず何事も無く戻って来る。
これが心配から来る妄想なのか、期待から来るものなのか、私自身にも分からないのだが、毎回勝手な妄想をしては、想像の世界で自分や子供たちのこれからについてシュミレーションしている。
…私も相当暇らしい。
こういう場合、普通のタイ人妻なら旦那が出掛けた5分後には「あんた!今どこにいるの?」と言う居場所確認コールが入り、速やかに用事を済ませて急いで帰らないと、軽い場合で数時間のお説教(文句、罵声の嵐)、相手が悪いと命の保証は無い。
うちの夫のように、会いに行くのは高校時代の同級生で、その8割方が女と分かっていれば、まず行かせてはもらえないだろう。
そして、そのままどこかにご宿泊などと言う事態になれば、帰宅した後血の雨が降る。
夫の友達や、知り合いのタイ男性の話に拠ると、多くのタイ人妻は、旦那が外出すると5分置きに所在確認コールを掛けてくると言う話だが、それも分からなくないでも無い。タイ人女性の独占欲とタイ人男性の信用の無さが原因なのだろうから。
常連客の男性が夫と私の事を聞いて、「いい奥さんだ。こういう奥さんが欲しいよ。」と言うので、私は内心「出掛けても一度も電話を掛けて来てくれない奥さんがいい? 表向きは『信用してる』って言って置くけど、実際には気にも掛けてもらえないって事だよ。」と思いながら、曖昧な笑みを浮かべていた。
人間、心配され独占したいと思われているうちが華なのだ。
午後、暇になってきたので、連絡も寄越さず、まだ一向に帰宅する気配のない夫の事を思い出しては、「หายสาบสูญ(行方不明)」と言う言葉が浮かんで、夫のIDカードのコピーを拡大して、「หายสาบสูญ(行方不明)」とマジックで書き込んで、例のツケを払いに来ないで家の前に貼られている客の上にでも貼って置いてやろうか…などと思いついて、子供と面白がっていた。
そうこうしているうちに新年初営業の今日も終わり、店を閉めて私と子供たちはいつも通りそれぞれの用事を済ませ、寝室に上がろうとしていた頃に、ようやく思いついたように行方不明だった(私も連絡する気はなかったのだが)夫からのメールが届いた。
「今夜は遅くなるから、家の外から施錠して置いて。ピーウワンと奥さんが喧嘩して手伝いに来ないから、俺がピーウワンを手伝ってる。」
何を今更…。
昨日も今日も、ちゃんと外から施錠して帰宅したら入れる様にしていたし、「今夜は遅くなる」じゃなくて、「今夜は帰るから」の間違いでしょ?と、呆れると同時に、思わず口を突いて出た言葉は、
「あ、生きてた!」だった。
我が家の夫は、大晦日の親戚集合大宴会から帰宅したその晩は家で寝たものの、その翌日の元旦の午後には、バンコク残留組の高校時代の同級生たちと会って飲みに行く為に、意気揚々と出掛けて行った。
例年だと元旦だけか、年末年始も無休と言う事もあった正月の我が家だが、今年は自分に予定が入っている夫の都合で、すでに年末から「元旦、2日休業」の貼り紙を貼って告知していたので、私と子供たちはは正月の二日間ゆっくりと家に閉じ籠る事が出来た。
夫は当初の予定では、元旦の夜に友人たちと会って、解散した後その足で深夜のバスターミナルに向かい、そこで夜を明かし朝一番のバスで帰宅すると言う事だった。
だが、その夜に私が「せっかくバンコクまで行ったのだから、ゆっくり遊んでくれば?店の事は子供もいるから気にしなくていいから。」とメールを送ったので、「それでは遠慮なく。」と言うように、翌日帰宅の予定を変更し、そのまま一昨日も行って大宴会をした実家の村に直行してしまったらしかった。
翌朝10時過ぎに「実家の村にいるよ〜!」とだけ書かれたメールが届いて、それきり連絡が途絶えた…。
そして昨夜は、実家にいるのなら遅くなっても夜中には戻るかな…と思い、家の外側から施錠し、帰宅した時の為に玄関の灯りを点けたままにして置いたのだが、それも朝まで灯りが点いたままだった。
まあ、こういう事もよくあるので、大して気にはしていなかったのだが、こういう場合、大抵は午前様で帰宅したがシャッターを開けて家に入るのが面倒らしく、家の横の駐車場に停めて車の中で寝ている事が多い。
しかし、今朝窓から見ても車は停まっていなかったので、まだ帰宅していないと言う事は分かっていた。
次の可能性としては、昼近くになってからゆっくりと帰って来る…と言うパターン。
これもたまにはあるので、次はこの可能性を考えた。
しかし、昼を過ぎても、一向に帰宅する気配もない。
営業は今日からと分かっているのに、やはり子供(特に長男)がいるから大丈夫…と甘えているのだなと私は思った。
長男も、「お母さんが甘やかすから(父親は)調子に乗って仕事サボってる。」と厳しく陰口を言うくらいだった。
私も、「実家に行ってる」メールからそれ以降何の連絡も無いので、仕事中もときどき様々な妄想が浮かんでは消えた…。
まあ、あり得ないと思いながらもつい最悪の事態を想像してしまうのがいつもの癖なのだが、それは本当にあり得ない事で、毎回必ず何事も無く戻って来る。
これが心配から来る妄想なのか、期待から来るものなのか、私自身にも分からないのだが、毎回勝手な妄想をしては、想像の世界で自分や子供たちのこれからについてシュミレーションしている。
…私も相当暇らしい。
こういう場合、普通のタイ人妻なら旦那が出掛けた5分後には「あんた!今どこにいるの?」と言う居場所確認コールが入り、速やかに用事を済ませて急いで帰らないと、軽い場合で数時間のお説教(文句、罵声の嵐)、相手が悪いと命の保証は無い。
うちの夫のように、会いに行くのは高校時代の同級生で、その8割方が女と分かっていれば、まず行かせてはもらえないだろう。
そして、そのままどこかにご宿泊などと言う事態になれば、帰宅した後血の雨が降る。
夫の友達や、知り合いのタイ男性の話に拠ると、多くのタイ人妻は、旦那が外出すると5分置きに所在確認コールを掛けてくると言う話だが、それも分からなくないでも無い。タイ人女性の独占欲とタイ人男性の信用の無さが原因なのだろうから。
常連客の男性が夫と私の事を聞いて、「いい奥さんだ。こういう奥さんが欲しいよ。」と言うので、私は内心「出掛けても一度も電話を掛けて来てくれない奥さんがいい? 表向きは『信用してる』って言って置くけど、実際には気にも掛けてもらえないって事だよ。」と思いながら、曖昧な笑みを浮かべていた。
人間、心配され独占したいと思われているうちが華なのだ。
午後、暇になってきたので、連絡も寄越さず、まだ一向に帰宅する気配のない夫の事を思い出しては、「หายสาบสูญ(行方不明)」と言う言葉が浮かんで、夫のIDカードのコピーを拡大して、「หายสาบสูญ(行方不明)」とマジックで書き込んで、例のツケを払いに来ないで家の前に貼られている客の上にでも貼って置いてやろうか…などと思いついて、子供と面白がっていた。
そうこうしているうちに新年初営業の今日も終わり、店を閉めて私と子供たちはいつも通りそれぞれの用事を済ませ、寝室に上がろうとしていた頃に、ようやく思いついたように行方不明だった(私も連絡する気はなかったのだが)夫からのメールが届いた。
「今夜は遅くなるから、家の外から施錠して置いて。ピーウワンと奥さんが喧嘩して手伝いに来ないから、俺がピーウワンを手伝ってる。」
何を今更…。
昨日も今日も、ちゃんと外から施錠して帰宅したら入れる様にしていたし、「今夜は遅くなる」じゃなくて、「今夜は帰るから」の間違いでしょ?と、呆れると同時に、思わず口を突いて出た言葉は、
「あ、生きてた!」だった。
2015年01月03日
忘年会&新年会の結末
先日、大晦日の午後から夜中まで行われた、夫の親戚集合の忘年会&新年会の模様を記事にしました。
実はそろそろ終わるだろうと見切り停車(発車ではなく)で、宴会の収束を見越して記事を締めくくったのですが、実はその後宴は更に続いたのでした。
例の義姉の、商品がプラ(仏像のお守り)しかない=タイ人にしか喜ばれない、従って我が家は夫以外誰も喜んでいない新年福くじ引き大会が終わり、そこでお開きとなるかと思って喜んだのも束の間、その流れで何故かご機嫌になった大人の一人が、お酒の準備をしていた子供にチップと言う感じでお金を上げたのをきっかけに、予想外の子供たちへの新年のご祝儀合戦が始まりました。
まあ、予想外と言っても、私はこういう流れになれば…と言う期待があったので、夫が甥や姪、そしてうちの子供たちに配る為に、百バーツ札を両替して置いたものを、夫の気が変わる前にサッと手渡せるよう用意しておきました。
ところが、通常なら十数人の子供たちが集まるので、義姉や義兄たちも普通一人百バーツくらいで渡すのですが、夫はこういう時かなり調子に乗りやすいので、一人で多く他の兄弟よりも多く渡す事が多いのです。
そして今年も調子に乗っていて、相場を大きく上回る一人当たり500バーツずつのご祝儀を渡したので、義母に渡した分も含めて全員で10,000バーツと言う金額になってしまいました。
まあ、我が家の子供たちも夫公認のお小遣いが一人500バーツずつ入ったので、これはこれで良しとしました。
しかし、その後さらに調子に乗った夫と兄弟たちがついに始めました…。
こういう親戚集合の宴会を締めくくるトランプ博打大会です。
最初これでお開きか…と思ったときには、今年はこのトランプ博打大会が無くて良かったと一安心したので、やはり来たか…とひどく落胆したのでした。
もうすでに内心では帰宅準備を進めていたので、これでまた長引くかと思うと正直気が滅入りました。
一応、親戚同士でやっていますが、小銭でもお金を賭けているので立派な賭博です。
もし警察に見つかれば、捕まるとまでは行かなくても、例の警察の小遣い稼ぎのカモになるだけなので、それまで開けっ放しだった正面のシャッターと脇の扉を閉め切って準備完了です。
そう言ういかにも怪しい雰囲気の中、テーブルから床に敷いたゴザに移動し老若男女入り交じって、ついに始まってしまいました。
もう、私も子供たちも諦めの表情で、「だから車2台で来れば良かったのに…。」などと夫に聞こえない場所で文句を言っていました。
その後、悠々2時間ばかり…。
それでも、私や子供たちが待っているので、朝までのトランプ博打大会までには至らなかったのですが、お陰で新年を迎えるくらいの帰宅時間になりました。
結局、年末も仏頂面、新年早々疲れきった忘年会&新年会の結末でした。
年末年始がこんな最悪な状況で、この先一年いい事があるのか…?と心配になってきますが、毎年それほど変わらない状況でもあるので、まあこんなものか…と昨年同様、流す事にしました。
実はそろそろ終わるだろうと見切り停車(発車ではなく)で、宴会の収束を見越して記事を締めくくったのですが、実はその後宴は更に続いたのでした。
例の義姉の、商品がプラ(仏像のお守り)しかない=タイ人にしか喜ばれない、従って我が家は夫以外誰も喜んでいない新年福くじ引き大会が終わり、そこでお開きとなるかと思って喜んだのも束の間、その流れで何故かご機嫌になった大人の一人が、お酒の準備をしていた子供にチップと言う感じでお金を上げたのをきっかけに、予想外の子供たちへの新年のご祝儀合戦が始まりました。
まあ、予想外と言っても、私はこういう流れになれば…と言う期待があったので、夫が甥や姪、そしてうちの子供たちに配る為に、百バーツ札を両替して置いたものを、夫の気が変わる前にサッと手渡せるよう用意しておきました。
ところが、通常なら十数人の子供たちが集まるので、義姉や義兄たちも普通一人百バーツくらいで渡すのですが、夫はこういう時かなり調子に乗りやすいので、一人で多く他の兄弟よりも多く渡す事が多いのです。
そして今年も調子に乗っていて、相場を大きく上回る一人当たり500バーツずつのご祝儀を渡したので、義母に渡した分も含めて全員で10,000バーツと言う金額になってしまいました。
まあ、我が家の子供たちも夫公認のお小遣いが一人500バーツずつ入ったので、これはこれで良しとしました。
しかし、その後さらに調子に乗った夫と兄弟たちがついに始めました…。
こういう親戚集合の宴会を締めくくるトランプ博打大会です。
最初これでお開きか…と思ったときには、今年はこのトランプ博打大会が無くて良かったと一安心したので、やはり来たか…とひどく落胆したのでした。
もうすでに内心では帰宅準備を進めていたので、これでまた長引くかと思うと正直気が滅入りました。
一応、親戚同士でやっていますが、小銭でもお金を賭けているので立派な賭博です。
もし警察に見つかれば、捕まるとまでは行かなくても、例の警察の小遣い稼ぎのカモになるだけなので、それまで開けっ放しだった正面のシャッターと脇の扉を閉め切って準備完了です。
そう言ういかにも怪しい雰囲気の中、テーブルから床に敷いたゴザに移動し老若男女入り交じって、ついに始まってしまいました。
もう、私も子供たちも諦めの表情で、「だから車2台で来れば良かったのに…。」などと夫に聞こえない場所で文句を言っていました。
その後、悠々2時間ばかり…。
それでも、私や子供たちが待っているので、朝までのトランプ博打大会までには至らなかったのですが、お陰で新年を迎えるくらいの帰宅時間になりました。
結局、年末も仏頂面、新年早々疲れきった忘年会&新年会の結末でした。
年末年始がこんな最悪な状況で、この先一年いい事があるのか…?と心配になってきますが、毎年それほど変わらない状況でもあるので、まあこんなものか…と昨年同様、流す事にしました。