2021年11月28日
明日から登校再開。
コロナの影響で、もう一年近くオンライン授業をして来たミックの通う学校も、この11月からのタイ政府の規制緩和を受けて明日から登校再開する事となりました。
今月の初めから殆どの生徒に二度のワクチン接種を受けさせ、その上で生徒をクラス毎に二つのグループに分け、半数ずつのグループでそれぞれ隔日登校となります。
つまり、明日から登校するミックのグループは、今週は月水金曜日の3日間登校し、来週は火木曜日の2日間の登校となるそうです。
この登校に備えて、先週の火曜日にはコロナの検査も行われて、もちろんミックも受けて来ました。
就職の為に先だって、このコロナの検査を近所の病院で受けて来た次男によると、鼻の奥の方に検査用具を挿入されて涙が出たと言っていたので、検査の前には私も長女も心配していたのですが、検査を受けたミック当人は、全く痛くもなかったと言うことで無事検査も終えたようです。
と言う事で、明日からの登校に備えていつになく早寝したミックですが、この登校形態がいつまで続くのか、このまま何事もなく全校生徒普通登校に戻れるのか?
それとも、どこかの生徒の地域などで、また葬式クラスターや出家式クラスターなどが発生して、元のオンラインに逆戻りするのか?
それは今のところ誰にも分かりませんが、私の予感ではこの準備万端の学校の努力とは裏腹に、今日28日ののタイの地方自治体の選挙などで、またクラスターが発生しそうな気がするのです。
選挙会場についてのニュースでは、地域によってはこの選挙前にクラスターが発生したばかりで、とても選挙の投票に行くどころではない地域もあるそうですが、それ以外の地域でも、この選挙をいい機会にして、コロナの規制下でなかなか帰省出来なかった人々が田舎に戻って来ているらしく、昨日買い出しに行ったショッピングセンターなどでも異常なほどの人出がありました。
選挙の事などすっかり忘れていた私と長女は、「どうしたのか?何か行事でもあったっけ?」などと話していましたが、本当に正月やソンクランでもあるかのように、バンコクナンバーの車が異常に多く、特にmakro などは親戚一族総出のような買い物客で溢れていました。
基本的に親戚や近所と連むのが大好きなタイ人の事、こう言う機会があれば、まず沢山の料理を用意して夜通しで酒盛りが当たり前。
葬式クラスター発生と変わらない状況が自然と出来上がります。
しかも、その大半が他県やバンコクから来た帰省者たち…。
葬式クラスターと変わらない状況と言うより、更に危険度の増した状況のような気がします。
そして来月はもう年の瀬そして新年…と、更にタイ人の大好きな宴会の機会が増える季節となります。
せっかくの子供たちの登校の機会が、これでまた振り出しに戻るような事にならなければいいのですが…。
明日の登校を心待ちにしているミックを見ると、そう思わずにはいられません。
今月の初めから殆どの生徒に二度のワクチン接種を受けさせ、その上で生徒をクラス毎に二つのグループに分け、半数ずつのグループでそれぞれ隔日登校となります。
つまり、明日から登校するミックのグループは、今週は月水金曜日の3日間登校し、来週は火木曜日の2日間の登校となるそうです。
この登校に備えて、先週の火曜日にはコロナの検査も行われて、もちろんミックも受けて来ました。
就職の為に先だって、このコロナの検査を近所の病院で受けて来た次男によると、鼻の奥の方に検査用具を挿入されて涙が出たと言っていたので、検査の前には私も長女も心配していたのですが、検査を受けたミック当人は、全く痛くもなかったと言うことで無事検査も終えたようです。
と言う事で、明日からの登校に備えていつになく早寝したミックですが、この登校形態がいつまで続くのか、このまま何事もなく全校生徒普通登校に戻れるのか?
それとも、どこかの生徒の地域などで、また葬式クラスターや出家式クラスターなどが発生して、元のオンラインに逆戻りするのか?
それは今のところ誰にも分かりませんが、私の予感ではこの準備万端の学校の努力とは裏腹に、今日28日ののタイの地方自治体の選挙などで、またクラスターが発生しそうな気がするのです。
選挙会場についてのニュースでは、地域によってはこの選挙前にクラスターが発生したばかりで、とても選挙の投票に行くどころではない地域もあるそうですが、それ以外の地域でも、この選挙をいい機会にして、コロナの規制下でなかなか帰省出来なかった人々が田舎に戻って来ているらしく、昨日買い出しに行ったショッピングセンターなどでも異常なほどの人出がありました。
選挙の事などすっかり忘れていた私と長女は、「どうしたのか?何か行事でもあったっけ?」などと話していましたが、本当に正月やソンクランでもあるかのように、バンコクナンバーの車が異常に多く、特にmakro などは親戚一族総出のような買い物客で溢れていました。
基本的に親戚や近所と連むのが大好きなタイ人の事、こう言う機会があれば、まず沢山の料理を用意して夜通しで酒盛りが当たり前。
葬式クラスター発生と変わらない状況が自然と出来上がります。
しかも、その大半が他県やバンコクから来た帰省者たち…。
葬式クラスターと変わらない状況と言うより、更に危険度の増した状況のような気がします。
そして来月はもう年の瀬そして新年…と、更にタイ人の大好きな宴会の機会が増える季節となります。
せっかくの子供たちの登校の機会が、これでまた振り出しに戻るような事にならなければいいのですが…。
明日の登校を心待ちにしているミックを見ると、そう思わずにはいられません。
2021年11月25日
90日レポートと入国管理事務所
毎度の事ですが、90日レポートの期日になったので、チャイヤプムの入国管理事務所までちょっと出掛けて来ました。
思えば、タイに来た当初は、チャイヤプムどころか、お隣の大都市と呼ばれるコラートにも入国管理事務所の出張所が無く、夜中の3時前に家を出て、夜明け前にバンコクの入国管理局に着いて順番を待つと言う生活でしたが、何度目からだったか遠方者にはレポートの郵送が認められて、それからは90日レポートはずっと郵送で提出して来ました。
その後、コラートに出張所が出来て、ビザの更新を何度かしに行きましたが、そのうち急にチャイヤプムの管轄が変わったと言われ、次はルーイ県のチェンカーンと言う国境付近の僻地にある入国管理事務所に行く事になり、そこに2年くらい通った後、今度はコンケーンの入国管理事務所にまた移動になり、数年前からようやくラチャパット大学の敷地内に借り住まいでしたが、チャイヤプムにも出張所が開設され、約1時間くらいで行けるようになりました。
要するに、チャイヤプムは基本的に外国人がそれほど多くないので、いつもどこかのオマケみたいな位置づけだったのです。
が、最近は外国人労働者の需要が増えて、お隣のミャンマーやラオスなどから就労者が多く出入りする様になったので、チャイヤプムも規模を拡大せざるを得なかったのでしょう。
その数年後には、借り住まいの状況は変わらずでしたが、チャイヤプム郊外の大学の敷地内から、県の中心地にある県警察本部の敷地内に引っ越しました。
ここは、ミックの学校の斜向かいにあるので、私は買い物も行けるし、ミックの下校時刻に合わせて行けば帰りにミックを迎えに行って帰宅出来るので、とても便利でした。
しかも、ここに移動してからは、今まで90日レポートの届出用紙に自分で記入してパスポートのコピーなどを数枚添付しなければならなかったのが、パスポートを渡せば勝手に係員がパソコンに入力してくれて、ご丁寧に次の期日指定書をホッチキスで留めて返却してくれる程の親切な対応で、以前なら前日までに書類の記入の上パスポートの数ページのコピーを用意して…と言う心構えが必要だったのですが、今はパスポート一冊持って気軽に出掛けられるようになったのです。
ところが、今回はちょっとまた様子が違いました。
この前のチャイヤプムの大洪水の影響で、県の中心地にあった入国管理事務所の仮事務所も例外なく洪水被害に遭ったせいか、実際に外国人の急増により業務が忙しくなったせいか、その県警察本部の仮事務所を引き上げて本格的に一城の主となるべく、県の中心地から少しだけ郊外に出たところに3階建ての立派な事務所を建設中です。
おそらく本来なら事務所の建設が完了後に引っ越す予定だったと思うのですが、洪水の影響で予定が狂い完成まで待てずに、一度郊外の仮事務所へと引っ越したのでしょう。
チャイヤプム在住の夢想庵さんからの情報で、「倉庫」とは聞いていたのですが、実際に着いて見たら本当に倉庫…でした。
一応貼ってある入国管理事務所の看板代わりの垂幕です。
おそらく、肥料や飼料などの倉庫だった場所をそのまま借りているのでしょう。
本当にタイに必要な日差し避けの高い屋根に、泥棒対策の金網の柵で囲われている、日除けと風通しの良さに重点を置いただけの簡易倉庫です。
その前面にこれまた仮事務所感溢れる、受付カウンターにはタイでは無くてはならないプラスティック製のイベント用椅子。
ここで受付業務をしていたのは、見習いか新米と言った感じのお姉さんお兄さんばかりで、いつものチャイヤプム入国管理事務所幹部の面々は、右奥の特設事務所のエアコン部屋の中で、のんびりしているようでした。
まあ確かにこの倉庫事務所では、外に居たのでは風通しはいいものの、今までのエアコンの効いた室内に比べると暑くて、とてもベストを重ね着するの入国管理の制服などでは居られないのでしょう。
車を並べて駐車している様は、一瞬ここが入国管理局だと言うことを忘れさせました。
まるで中古車販売屋のガレージか、自動車修理工場の様に見えたからです。
ここに駐めているのが警察のパトカーばかりでなければ、とても入国管理局の事務所には見えません。
例に漏れず、コロナ対策の入口用の温度検査機と氏名記入用の冊子が置かれていましたが、殆んどの来場者は中に入らずに用事が済んでしまいそうなので、余り使われる事も無さそうでした。
私ももちろんその一人で、受付のお姉さんに「何の御用ですか?」と聞かれ、「90日レポートです。」と答えパスポートを差し出すと、5分もしないうちにパスポートを返却され、そこには次回の期日を記した紙が留められていました。
次回の期日は来年の2月20日だそうです。
さて今回の90日レポートも無事終わり、次回の更新までにこの仮事務所から新築した建物に引っ越しているといいなぁと思ったのでした。
この開放的な仮事務所もそう悪いものではないのですが、今建設中の新しい事務所はここより20分くらいは近いので、そちらの方が更に便利になると思います。
思えば、タイに来た当初は、チャイヤプムどころか、お隣の大都市と呼ばれるコラートにも入国管理事務所の出張所が無く、夜中の3時前に家を出て、夜明け前にバンコクの入国管理局に着いて順番を待つと言う生活でしたが、何度目からだったか遠方者にはレポートの郵送が認められて、それからは90日レポートはずっと郵送で提出して来ました。
その後、コラートに出張所が出来て、ビザの更新を何度かしに行きましたが、そのうち急にチャイヤプムの管轄が変わったと言われ、次はルーイ県のチェンカーンと言う国境付近の僻地にある入国管理事務所に行く事になり、そこに2年くらい通った後、今度はコンケーンの入国管理事務所にまた移動になり、数年前からようやくラチャパット大学の敷地内に借り住まいでしたが、チャイヤプムにも出張所が開設され、約1時間くらいで行けるようになりました。
要するに、チャイヤプムは基本的に外国人がそれほど多くないので、いつもどこかのオマケみたいな位置づけだったのです。
が、最近は外国人労働者の需要が増えて、お隣のミャンマーやラオスなどから就労者が多く出入りする様になったので、チャイヤプムも規模を拡大せざるを得なかったのでしょう。
その数年後には、借り住まいの状況は変わらずでしたが、チャイヤプム郊外の大学の敷地内から、県の中心地にある県警察本部の敷地内に引っ越しました。
ここは、ミックの学校の斜向かいにあるので、私は買い物も行けるし、ミックの下校時刻に合わせて行けば帰りにミックを迎えに行って帰宅出来るので、とても便利でした。
しかも、ここに移動してからは、今まで90日レポートの届出用紙に自分で記入してパスポートのコピーなどを数枚添付しなければならなかったのが、パスポートを渡せば勝手に係員がパソコンに入力してくれて、ご丁寧に次の期日指定書をホッチキスで留めて返却してくれる程の親切な対応で、以前なら前日までに書類の記入の上パスポートの数ページのコピーを用意して…と言う心構えが必要だったのですが、今はパスポート一冊持って気軽に出掛けられるようになったのです。
ところが、今回はちょっとまた様子が違いました。
この前のチャイヤプムの大洪水の影響で、県の中心地にあった入国管理事務所の仮事務所も例外なく洪水被害に遭ったせいか、実際に外国人の急増により業務が忙しくなったせいか、その県警察本部の仮事務所を引き上げて本格的に一城の主となるべく、県の中心地から少しだけ郊外に出たところに3階建ての立派な事務所を建設中です。
おそらく本来なら事務所の建設が完了後に引っ越す予定だったと思うのですが、洪水の影響で予定が狂い完成まで待てずに、一度郊外の仮事務所へと引っ越したのでしょう。
チャイヤプム在住の夢想庵さんからの情報で、「倉庫」とは聞いていたのですが、実際に着いて見たら本当に倉庫…でした。
一応貼ってある入国管理事務所の看板代わりの垂幕です。
おそらく、肥料や飼料などの倉庫だった場所をそのまま借りているのでしょう。
本当にタイに必要な日差し避けの高い屋根に、泥棒対策の金網の柵で囲われている、日除けと風通しの良さに重点を置いただけの簡易倉庫です。
その前面にこれまた仮事務所感溢れる、受付カウンターにはタイでは無くてはならないプラスティック製のイベント用椅子。
ここで受付業務をしていたのは、見習いか新米と言った感じのお姉さんお兄さんばかりで、いつものチャイヤプム入国管理事務所幹部の面々は、右奥の特設事務所のエアコン部屋の中で、のんびりしているようでした。
まあ確かにこの倉庫事務所では、外に居たのでは風通しはいいものの、今までのエアコンの効いた室内に比べると暑くて、とてもベストを重ね着するの入国管理の制服などでは居られないのでしょう。
車を並べて駐車している様は、一瞬ここが入国管理局だと言うことを忘れさせました。
まるで中古車販売屋のガレージか、自動車修理工場の様に見えたからです。
ここに駐めているのが警察のパトカーばかりでなければ、とても入国管理局の事務所には見えません。
例に漏れず、コロナ対策の入口用の温度検査機と氏名記入用の冊子が置かれていましたが、殆んどの来場者は中に入らずに用事が済んでしまいそうなので、余り使われる事も無さそうでした。
私ももちろんその一人で、受付のお姉さんに「何の御用ですか?」と聞かれ、「90日レポートです。」と答えパスポートを差し出すと、5分もしないうちにパスポートを返却され、そこには次回の期日を記した紙が留められていました。
次回の期日は来年の2月20日だそうです。
さて今回の90日レポートも無事終わり、次回の更新までにこの仮事務所から新築した建物に引っ越しているといいなぁと思ったのでした。
この開放的な仮事務所もそう悪いものではないのですが、今建設中の新しい事務所はここより20分くらいは近いので、そちらの方が更に便利になると思います。
2021年11月19日
クレジット
日本は秋も晩秋に差し掛かって来た頃でしょうか?
秋といえば収穫の季節ですが、一年中常夏などと思われているこのタイでも、なんとなくそれなりに季節感は有ります。
確かに日本ほど気温に変化がないので、稲作も二期作三期作と行われる事も有りますが、やはり世界的にも収穫期のこの時期に収穫される事が多いようです。
と言うわけで毎年この時期になると、稲刈り&脱穀車とも言うべきタイのつぎはぎ組立て国産車『ロットキャオカーオ』が行き交います。
この車の持ち主と言うのは往々にして、一家もしくは一族総出で、田んぼは有るが機械を持っていない農民相手に、各地を巡って稲作の収穫と脱穀を請負う謂わば『請負い収穫業者』なのです。
その請負い収穫業の人と言うのが、我が家の客にも多い彼らは、彼らの出身地はもちろんあるものの、仕事に合わせて移動するジプシー的な生活を送っています。
我が家にも顔馴染みの客的な人もいるものの、一年の収穫期の時期だけ、ほぼ決まった物を頻繁に買いに来る客という位置づけです。
その決まった物と言うのは、タイ語で『サーイパーン』、日本語で言うところの『ベルト』と言う物です。
ベルトと言っても自動車部品のベルトの事で、その稲刈り&脱穀機には決まった規格がなく、それぞれの制作者(普通はその辺にいる町の修理屋さん)によって適当に作られているので、個人個人の感性や趣味が反映されていて、ベルトの長さもその機械によって長さが違います。そして一台に5〜6本ずつ使うので、我が家のような個人の部品店でもかなりの数のベルトを常備していなければなりません。
場所も取る上にゴム製品なので重く、しかもインチに付き1.8バーツと言う値段。我が家の商品の中でも特に利益の少ない商品の一つです。
昨日の事、そんな収穫業者の女将さんらしき女性が買い物に来ました。
私と同年代くらいの、いかにもオバサンと言った風体の女性でした。
予想通り、買いに来た物は稲刈り機のベルトでしたが、その際にこんな事を言っていたのです。
「ジェー(お姉さん:タイでは店の女店主を呼ぶ言葉)、クレジットにしてくれない?この店もクレジットにしてくれればいいのに。そうすれば、夜中の作業中に、ベルトが切れた時に、わざわざチャイヤプムの町中まで買いに行かなくてもいいのに。」
私は『クレジット』と言うので、てっきりツケとかの信用払いの事だと思って、最初はどういう意図で言っているのか分からなかったのですが、何度か聞き返していると、どうやらこの女性の言う『クレジット』とは、『VIP待遇』のような特別扱いの意味らしく、彼女の言うところでは、「夜間の作業中によくベルトが切れたりするのでうちの電話番号を聞いておいて、切れたら電話して買いに来るから、店のシャッターを少し開けて商品を売ってくれればいい。」と言うものでした。
それが彼女の言う『クレジット』らしく、要は「自分たちの時間に合わせて店を開けろ」と言う要求でした。
しかも彼女は、その説明の際に、「例えば夜の10時11時にベルトが切れたら、電話するから、店のシャッターの隙間から売ってくれればいいから。」などと、理不尽な要求を平気でするのです。
彼女が言うには、自分たちはよくそうしてチャイヤプムの町中の店に夜中に買いに行っていて、それをうちでもやってくれたら、自分たちが楽になるという事でした。
まるで、世の中が自分中心に回っているようなその言い分…。
最初は、「店の開店時間は朝の7時から夕方5時までですから。」とか、「夜は私たちも休みますので…。」などとなるべく丁寧に応対していた私でしたが、あまりの自己中心的な言い分に、呆れて言葉を返す気力も失せてしまい、そのうち黙って引きつった作り笑いをして、まともに返答するのもバカバカしくなり最後はもう聞き流しました。
そんなに夜中にベルトが切れて困るのなら、予め自分たちの使うベルトのサイズを控えて置いて買い置きして置けばいいのに…と、それくらいの事もしない怠慢さに内心腹が立ちました。
まるで、毎年起こる洪水の被害に全く対処出来ないタイの行政を思い起こさせます。
日本では『お客様は神様です』とよく言いますが、タイではそんな心構えはとうの昔に消え去りました。
秋といえば収穫の季節ですが、一年中常夏などと思われているこのタイでも、なんとなくそれなりに季節感は有ります。
確かに日本ほど気温に変化がないので、稲作も二期作三期作と行われる事も有りますが、やはり世界的にも収穫期のこの時期に収穫される事が多いようです。
と言うわけで毎年この時期になると、稲刈り&脱穀車とも言うべきタイのつぎはぎ組立て国産車『ロットキャオカーオ』が行き交います。
この車の持ち主と言うのは往々にして、一家もしくは一族総出で、田んぼは有るが機械を持っていない農民相手に、各地を巡って稲作の収穫と脱穀を請負う謂わば『請負い収穫業者』なのです。
その請負い収穫業の人と言うのが、我が家の客にも多い彼らは、彼らの出身地はもちろんあるものの、仕事に合わせて移動するジプシー的な生活を送っています。
我が家にも顔馴染みの客的な人もいるものの、一年の収穫期の時期だけ、ほぼ決まった物を頻繁に買いに来る客という位置づけです。
その決まった物と言うのは、タイ語で『サーイパーン』、日本語で言うところの『ベルト』と言う物です。
ベルトと言っても自動車部品のベルトの事で、その稲刈り&脱穀機には決まった規格がなく、それぞれの制作者(普通はその辺にいる町の修理屋さん)によって適当に作られているので、個人個人の感性や趣味が反映されていて、ベルトの長さもその機械によって長さが違います。そして一台に5〜6本ずつ使うので、我が家のような個人の部品店でもかなりの数のベルトを常備していなければなりません。
場所も取る上にゴム製品なので重く、しかもインチに付き1.8バーツと言う値段。我が家の商品の中でも特に利益の少ない商品の一つです。
昨日の事、そんな収穫業者の女将さんらしき女性が買い物に来ました。
私と同年代くらいの、いかにもオバサンと言った風体の女性でした。
予想通り、買いに来た物は稲刈り機のベルトでしたが、その際にこんな事を言っていたのです。
「ジェー(お姉さん:タイでは店の女店主を呼ぶ言葉)、クレジットにしてくれない?この店もクレジットにしてくれればいいのに。そうすれば、夜中の作業中に、ベルトが切れた時に、わざわざチャイヤプムの町中まで買いに行かなくてもいいのに。」
私は『クレジット』と言うので、てっきりツケとかの信用払いの事だと思って、最初はどういう意図で言っているのか分からなかったのですが、何度か聞き返していると、どうやらこの女性の言う『クレジット』とは、『VIP待遇』のような特別扱いの意味らしく、彼女の言うところでは、「夜間の作業中によくベルトが切れたりするのでうちの電話番号を聞いておいて、切れたら電話して買いに来るから、店のシャッターを少し開けて商品を売ってくれればいい。」と言うものでした。
それが彼女の言う『クレジット』らしく、要は「自分たちの時間に合わせて店を開けろ」と言う要求でした。
しかも彼女は、その説明の際に、「例えば夜の10時11時にベルトが切れたら、電話するから、店のシャッターの隙間から売ってくれればいいから。」などと、理不尽な要求を平気でするのです。
彼女が言うには、自分たちはよくそうしてチャイヤプムの町中の店に夜中に買いに行っていて、それをうちでもやってくれたら、自分たちが楽になるという事でした。
まるで、世の中が自分中心に回っているようなその言い分…。
最初は、「店の開店時間は朝の7時から夕方5時までですから。」とか、「夜は私たちも休みますので…。」などとなるべく丁寧に応対していた私でしたが、あまりの自己中心的な言い分に、呆れて言葉を返す気力も失せてしまい、そのうち黙って引きつった作り笑いをして、まともに返答するのもバカバカしくなり最後はもう聞き流しました。
そんなに夜中にベルトが切れて困るのなら、予め自分たちの使うベルトのサイズを控えて置いて買い置きして置けばいいのに…と、それくらいの事もしない怠慢さに内心腹が立ちました。
まるで、毎年起こる洪水の被害に全く対処出来ないタイの行政を思い起こさせます。
日本では『お客様は神様です』とよく言いますが、タイではそんな心構えはとうの昔に消え去りました。
2021年11月14日
結婚記念日
今日11月14日は『埼玉県民の日』です。(多分…。タイに暮らしているせいで、知らないうちに日本の祝日が変わっていたりするので、今ひとつ自信はなかったのですが…。)
実は今日は私の結婚記念日でもあるのです。
元埼玉県民だった私は、ちょうどこの時期に結婚する事になり、せっかくだから覚えやすいようにと、その年の今日は日曜日だったにも関わらず、今日11月14日の『埼玉県民の日』に、当時住んでいた世田谷区役所に行って入籍したのでした。
あれから今年で28年の歳月が流れました。
よく世間では、紙婚式から始まって、その節目節目で祝ったりするものですが、私の場合は結婚以来ただの一度も結婚記念日について話した事さえありません。
それどころか、夫が結婚記念日を…と言うより入籍した日自体を覚えているとも思えません。
まあ今更そんな事はどうだっていい事なのですが、毎年領収書などを書きながら今日の日付を見る度に、ふと「あ、今日は県民の日で結婚記念日だったな…。」と思い出すのです。
覚えやすいようにと今日にしたがために、却って忘れられない日付になってしまった事を何となく後悔している今日この頃…。
珊瑚婚式になるくらいまでには、この11月14日が私にとって『埼玉県民の日』だけに戻っていればいいのに…と思っています。
実は今日は私の結婚記念日でもあるのです。
元埼玉県民だった私は、ちょうどこの時期に結婚する事になり、せっかくだから覚えやすいようにと、その年の今日は日曜日だったにも関わらず、今日11月14日の『埼玉県民の日』に、当時住んでいた世田谷区役所に行って入籍したのでした。
あれから今年で28年の歳月が流れました。
よく世間では、紙婚式から始まって、その節目節目で祝ったりするものですが、私の場合は結婚以来ただの一度も結婚記念日について話した事さえありません。
それどころか、夫が結婚記念日を…と言うより入籍した日自体を覚えているとも思えません。
まあ今更そんな事はどうだっていい事なのですが、毎年領収書などを書きながら今日の日付を見る度に、ふと「あ、今日は県民の日で結婚記念日だったな…。」と思い出すのです。
覚えやすいようにと今日にしたがために、却って忘れられない日付になってしまった事を何となく後悔している今日この頃…。
珊瑚婚式になるくらいまでには、この11月14日が私にとって『埼玉県民の日』だけに戻っていればいいのに…と思っています。
2021年11月11日
キノコ祭り
一昨日、正確には日曜日の夜中でしたが、コラートに居る長男からLINEが来ていて、「明日、家に帰ります。」と言う事でした。
大学院を卒業するまで待って、生活が安定してからではだいぶ歳を取ってしまうと言う心配から、今年の3月にコロナの厳戒令が少し落ち着いたのを機に学生結婚をした長男ですが、その後のコロナウイルス対策の状況が一転二転としたので、コラートからチャイヤプムの県間の移動がなかなか出来ず、数ヶ月ぶりの帰省となりました。
さて、晴れて結婚した二人は堂々と一緒に帰省する事になったのですが、長男たちは付き合い初めの頃、今どきの若者とは思えないほど、清い交際をしていたようです。
それは、うちの長男が初めて女性と交際したと言う事も有りますが、それよりも相手の女性がきちんと婚約や結婚をするまではバイクの相乗りもしてはいけないと自分で決めていて、同棲はもちろん、一緒に旅行などと言う事もしなかったようです。
そしてその彼女には、さらに他の人とは変わったところがあって、それが彼女が中学生の時から自分で決めて始めたタイで言う『キンジェー』の生活、日本で言うベジタリアン(菜食主義者)だと言う事でした。
彼女と付き合うようになって、うちの長男も彼女に影響され、自然とベジタリアンになりました。
ベジタリアンと言ってもいくつかの種類があるようで、彼女の行なっているのは、肉類は全て食べず、基本は野菜中心だが無精卵と乳製品は大丈夫と言う、台湾発祥の宗教のような感じの菜食主義です。
私は無信仰を貫いているので、長男の誘いには乗れなかったのですが、彼女の実家ではすでに彼女の影響で、同じベジタリアン生活を送っているそうです。
私は肉は食べなくても特に困らないのですが、このイサーンに居て、基本和風の料理を中心に食生活を送っているので、魚も食べられない菜食主義者にはなれないのです。
私自身は彼女の宗教的な菜食主義には迎合出来ないのですが、夫のように長男の選択にとやかく言うつもりはないので、長男がたまに帰省した時には、出来る限りの努力で長男夫婦の食べられるような食事を出せるように知恵を絞って作ります。
と言うわけで、今回は我が家の買い出しの土曜日前に言ってくれれば良かったのですが、その後に急に帰省の連絡があったので、急遽冷蔵庫にある物だけでもてなす事になりました。
幸い今年になってから、買い出しで大量買いして来たキノコ類の冷凍保存を始めて、キノコ類は冷凍庫に残っていたので、そのキノコと豆腐、油揚げ、常備野菜を使って、キノコの炊き込みご飯、キノコの野菜炒め、キノコのグラタン、キノコの味噌汁…と2日間の滞在中の食事を乗り切ったのでした。
それから、長男と彼女も食べられる物を自分たちで買って来るように言っておいたので、ベジタリアンフードのソーセージや大豆肉などを買って来て、タイ風の炒め物などを作っていました。
お陰でこの二日間で、冷凍庫にストックしてあったキノコ類の在庫がきれいになくなりました。
タイでは中華系タイ人の影響で、毎年『キンジェー』の期間が有りますが、我が家はこの二日間がまさに『ジェー』の食卓でした。
大学院を卒業するまで待って、生活が安定してからではだいぶ歳を取ってしまうと言う心配から、今年の3月にコロナの厳戒令が少し落ち着いたのを機に学生結婚をした長男ですが、その後のコロナウイルス対策の状況が一転二転としたので、コラートからチャイヤプムの県間の移動がなかなか出来ず、数ヶ月ぶりの帰省となりました。
さて、晴れて結婚した二人は堂々と一緒に帰省する事になったのですが、長男たちは付き合い初めの頃、今どきの若者とは思えないほど、清い交際をしていたようです。
それは、うちの長男が初めて女性と交際したと言う事も有りますが、それよりも相手の女性がきちんと婚約や結婚をするまではバイクの相乗りもしてはいけないと自分で決めていて、同棲はもちろん、一緒に旅行などと言う事もしなかったようです。
そしてその彼女には、さらに他の人とは変わったところがあって、それが彼女が中学生の時から自分で決めて始めたタイで言う『キンジェー』の生活、日本で言うベジタリアン(菜食主義者)だと言う事でした。
彼女と付き合うようになって、うちの長男も彼女に影響され、自然とベジタリアンになりました。
ベジタリアンと言ってもいくつかの種類があるようで、彼女の行なっているのは、肉類は全て食べず、基本は野菜中心だが無精卵と乳製品は大丈夫と言う、台湾発祥の宗教のような感じの菜食主義です。
私は無信仰を貫いているので、長男の誘いには乗れなかったのですが、彼女の実家ではすでに彼女の影響で、同じベジタリアン生活を送っているそうです。
私は肉は食べなくても特に困らないのですが、このイサーンに居て、基本和風の料理を中心に食生活を送っているので、魚も食べられない菜食主義者にはなれないのです。
私自身は彼女の宗教的な菜食主義には迎合出来ないのですが、夫のように長男の選択にとやかく言うつもりはないので、長男がたまに帰省した時には、出来る限りの努力で長男夫婦の食べられるような食事を出せるように知恵を絞って作ります。
と言うわけで、今回は我が家の買い出しの土曜日前に言ってくれれば良かったのですが、その後に急に帰省の連絡があったので、急遽冷蔵庫にある物だけでもてなす事になりました。
幸い今年になってから、買い出しで大量買いして来たキノコ類の冷凍保存を始めて、キノコ類は冷凍庫に残っていたので、そのキノコと豆腐、油揚げ、常備野菜を使って、キノコの炊き込みご飯、キノコの野菜炒め、キノコのグラタン、キノコの味噌汁…と2日間の滞在中の食事を乗り切ったのでした。
それから、長男と彼女も食べられる物を自分たちで買って来るように言っておいたので、ベジタリアンフードのソーセージや大豆肉などを買って来て、タイ風の炒め物などを作っていました。
お陰でこの二日間で、冷凍庫にストックしてあったキノコ類の在庫がきれいになくなりました。
タイでは中華系タイ人の影響で、毎年『キンジェー』の期間が有りますが、我が家はこの二日間がまさに『ジェー』の食卓でした。
2021年11月06日
貧乏草
前にも書いたと思いますが、我が家はタイのイサーン地方の片隅で、小さな自動車部品店を営業して暮らしています。
タイに移住してこの商売を始めて、かれこれ20年近くになりますが、なんとか今までやって来ました。
始めたばかりの頃は、何の知識も無かったので、同じ県内の別の市で大きな農耕車両やトラクター部品を扱っている夫の母の甥の店から部品を分けてもらってからのスタートでした。
その後、徐々に通り掛かりや、どこかで新規の部品店開店の噂を聞いて来たセールスマンなどが店に訪れるようになり、部品の仕入れ先もだんだんと決まって来ました。
その中でも、もう開店当時からずっと細く長くと言う付き合いをしている会社の中の2社の経営者が毎日欠かさずLINEを送って来るのですが、先日そのLINEが私的にちょっと面白かったので書いてみます。
この会社の経営者の方は女性で、以前はその旦那様の方が経営者でありセールスマンも兼ねていたのですが、今から10年くらい前だったか、セールスの地方営業の途中で、自動車事故で亡くなられたので、そのまま引き継ぎ経営されているのです。
彼女は毎朝、やはり女性らしい選択で、タイでよくある曜日ごとの色をモチーフにした画像で朝の挨拶をして来るのです。
画像に書いてあるメッセージは「良い一日をお過ごしください。」とか、「健やかに過ごされますように。」「金運に恵まれますように。」などの決まり文句なのですが、その日によって、曜日の色に合わせた花屋可愛らしいティーセットなどの画像を送って来るのです。
ところが、一昨日いつものようにLINEを開くとこの画像が…。
書いてあるのは、「今日は水曜日です。」「いい事ばかりに出会えますように。」「幸運、裕福」「健やかにお過ごしください」なのですが、私がふと引っ掛かったのがこの画像の花。
確かに、水曜日の色は緑色なので、なんとなく緑色の雰囲気を醸し出しているのはいいのですが、問題はその花。
これは、春紫苑、俗に言う「貧乏草」ではないか?
私はその花を見た瞬間に、「貧乏草」としか思い浮かばなかったのです。
その貧乏草の画像に添えられた「裕福」の文字…。
なんだかすごくギャップと言うかチグハグで、一人で皮肉めいた顔をしていましたが、よくよく考えればここはタイ。
タイ人にとってこの花は貧乏草ではないのだから、そんな事は関係ないのだな…と一人納得して、誰も周囲に共感する人のいない事実をこう言う瞬間に改めて実感するのでした。
タイに移住してこの商売を始めて、かれこれ20年近くになりますが、なんとか今までやって来ました。
始めたばかりの頃は、何の知識も無かったので、同じ県内の別の市で大きな農耕車両やトラクター部品を扱っている夫の母の甥の店から部品を分けてもらってからのスタートでした。
その後、徐々に通り掛かりや、どこかで新規の部品店開店の噂を聞いて来たセールスマンなどが店に訪れるようになり、部品の仕入れ先もだんだんと決まって来ました。
その中でも、もう開店当時からずっと細く長くと言う付き合いをしている会社の中の2社の経営者が毎日欠かさずLINEを送って来るのですが、先日そのLINEが私的にちょっと面白かったので書いてみます。
この会社の経営者の方は女性で、以前はその旦那様の方が経営者でありセールスマンも兼ねていたのですが、今から10年くらい前だったか、セールスの地方営業の途中で、自動車事故で亡くなられたので、そのまま引き継ぎ経営されているのです。
彼女は毎朝、やはり女性らしい選択で、タイでよくある曜日ごとの色をモチーフにした画像で朝の挨拶をして来るのです。
画像に書いてあるメッセージは「良い一日をお過ごしください。」とか、「健やかに過ごされますように。」「金運に恵まれますように。」などの決まり文句なのですが、その日によって、曜日の色に合わせた花屋可愛らしいティーセットなどの画像を送って来るのです。
ところが、一昨日いつものようにLINEを開くとこの画像が…。
書いてあるのは、「今日は水曜日です。」「いい事ばかりに出会えますように。」「幸運、裕福」「健やかにお過ごしください」なのですが、私がふと引っ掛かったのがこの画像の花。
確かに、水曜日の色は緑色なので、なんとなく緑色の雰囲気を醸し出しているのはいいのですが、問題はその花。
これは、春紫苑、俗に言う「貧乏草」ではないか?
私はその花を見た瞬間に、「貧乏草」としか思い浮かばなかったのです。
その貧乏草の画像に添えられた「裕福」の文字…。
なんだかすごくギャップと言うかチグハグで、一人で皮肉めいた顔をしていましたが、よくよく考えればここはタイ。
タイ人にとってこの花は貧乏草ではないのだから、そんな事は関係ないのだな…と一人納得して、誰も周囲に共感する人のいない事実をこう言う瞬間に改めて実感するのでした。
2021年11月02日
ミックのワクチン接種完了
今月からの新学期に備えて、先月の12日に1回目のコロナワクチンの集団接種を受けたミックですが、今日またその2回目の接種を受けて来ました。
実際のところは昨日からすでに新学期が始まっていて、何故か新学期2日目の今日に2回目の接種。
しかもまだしばらくはオンライン授業と言う、なんとも歯切れの悪いと言うか段取りの無茶苦茶な新学期になっているのですが、明日は学校の残りの学年の接種があるので一日休みで、また明後日からオンライン授業が再開されるようです。
前回は、学年毎に時間を分けて接種したので割とスムーズに運び、大体2時間ほどで終わったのですが、何故か今日は学年分けをせず一緒にしたため、なんと午前10時から並んで、接種が終わったのは午後の3時と言う、5時間にも及ぶ手際の悪い接種となりました。
接種会場は前回と同じロビンソンでしたが、今回は人数が多かった為か、屋外の駐車場に臨時の待合所を作るほどで、ミックはここで小一時間ほど待たされたそうです。
当初のミックの計画では、午前中に接種が済んだら、2階の映画館で友達と映画を観るつもりでオンラインで席まで取ってあったのですが、映画の上映開始時間になってようやく接種会場に入れたと言う事で、ミックの計画と予約したチケット代は水の泡と消えたのでした。
今回もミックは副作用も特に無いようで、至って元気、接種した腕も大した痛みもなく、多少眠いくらいだそうです。
幸い明日は授業が休みなので、副作用の眠気を理由に目一杯寝坊するそうです。
国が開国宣言をした今月、新学期になってもまだ続いているオンライン授業ですが、誰が決めたのか、後3週間ほどで通常の登校が始まると言う話です。
しかし、そういう話がある側から、我が家からミックの学校に行く途中の市にある集落で、新たなクラスターが発生したそうで、今日ワクチン接種に行く途中に、その集落のあらゆる入り口に赤い紐のようなものが張り巡らされているのが見えました。
そういえば、先週その辺りを通った時に、通りに面した家でお葬式を出しているのを見かけたので、詳しい事は分からないのですが、もしかしたら、田舎のタイ人に多い『葬式クラスター』かも知れません。
田舎のタイ人は葬式が大好きで、同窓会か何かと勘違いしている節があります。
「亡くなった人が寂しく無いように…」と言う大義名分の下に、家の予算(遺体の冷蔵代が掛かるので)にもよりますが、一週間くらい連日夜通しでトランプ博打などをして飲み明かす…それがタイの田舎の葬式の実態です。
まあ、普段特に楽しみのない田舎生活…今まではそれでよかったかも知れませんが、このコロナによる非常事態の今、それは非常にリスクの高い行為です。
ただでさえ、狭い家の中に大勢の村人が集まって「密」になるのに、そこで何故か同じグラスで回し飲みをするらしいのです。
私はよく「葬式を出すのに客用のコップや紙コップもないのか⁈」と思いますが、おそらくあっても数が足りないほど人が集まるのか、洗うのが面倒なのか、または酔った勢いで気にしないのでしょう。
その結果がこれです。
チャイヤプムのコロナ感染者の殆どが、この葬式クラスターだと言っても過言ではありません。
それほど、この慣習がコロナ禍の今、問題行動になっているのです。
実際のところは昨日からすでに新学期が始まっていて、何故か新学期2日目の今日に2回目の接種。
しかもまだしばらくはオンライン授業と言う、なんとも歯切れの悪いと言うか段取りの無茶苦茶な新学期になっているのですが、明日は学校の残りの学年の接種があるので一日休みで、また明後日からオンライン授業が再開されるようです。
前回は、学年毎に時間を分けて接種したので割とスムーズに運び、大体2時間ほどで終わったのですが、何故か今日は学年分けをせず一緒にしたため、なんと午前10時から並んで、接種が終わったのは午後の3時と言う、5時間にも及ぶ手際の悪い接種となりました。
接種会場は前回と同じロビンソンでしたが、今回は人数が多かった為か、屋外の駐車場に臨時の待合所を作るほどで、ミックはここで小一時間ほど待たされたそうです。
当初のミックの計画では、午前中に接種が済んだら、2階の映画館で友達と映画を観るつもりでオンラインで席まで取ってあったのですが、映画の上映開始時間になってようやく接種会場に入れたと言う事で、ミックの計画と予約したチケット代は水の泡と消えたのでした。
今回もミックは副作用も特に無いようで、至って元気、接種した腕も大した痛みもなく、多少眠いくらいだそうです。
幸い明日は授業が休みなので、副作用の眠気を理由に目一杯寝坊するそうです。
国が開国宣言をした今月、新学期になってもまだ続いているオンライン授業ですが、誰が決めたのか、後3週間ほどで通常の登校が始まると言う話です。
しかし、そういう話がある側から、我が家からミックの学校に行く途中の市にある集落で、新たなクラスターが発生したそうで、今日ワクチン接種に行く途中に、その集落のあらゆる入り口に赤い紐のようなものが張り巡らされているのが見えました。
そういえば、先週その辺りを通った時に、通りに面した家でお葬式を出しているのを見かけたので、詳しい事は分からないのですが、もしかしたら、田舎のタイ人に多い『葬式クラスター』かも知れません。
田舎のタイ人は葬式が大好きで、同窓会か何かと勘違いしている節があります。
「亡くなった人が寂しく無いように…」と言う大義名分の下に、家の予算(遺体の冷蔵代が掛かるので)にもよりますが、一週間くらい連日夜通しでトランプ博打などをして飲み明かす…それがタイの田舎の葬式の実態です。
まあ、普段特に楽しみのない田舎生活…今まではそれでよかったかも知れませんが、このコロナによる非常事態の今、それは非常にリスクの高い行為です。
ただでさえ、狭い家の中に大勢の村人が集まって「密」になるのに、そこで何故か同じグラスで回し飲みをするらしいのです。
私はよく「葬式を出すのに客用のコップや紙コップもないのか⁈」と思いますが、おそらくあっても数が足りないほど人が集まるのか、洗うのが面倒なのか、または酔った勢いで気にしないのでしょう。
その結果がこれです。
チャイヤプムのコロナ感染者の殆どが、この葬式クラスターだと言っても過言ではありません。
それほど、この慣習がコロナ禍の今、問題行動になっているのです。
2021年11月02日
次男の初任給
このコロナ禍の中、チョンブリーの会社に就職を決めて家を出た次男の新天地での生活も、早ひと月が過ぎました。
もともと外交的で、友達も他の兄弟と比べると飛び抜けて多い性格なので、どうやら会社の先輩方とも上手くやっているようで、週一の休日の前夜は大抵会社の先輩と夜遅くまで話し込んでいるそうです。
週に一日しか休みがないので、長女からは『ブラック企業』なのでは?などとからかわれていますが、次男に言わせれば、建築関係の会社はこれが普通だと言う事です。
ともかく、毎日会社とアパートを行き来する毎日にも、よく海に寄り海辺でご飯を食べたり、それなりのささやかな楽しみを見つけて元気に暮らしているようで、私も安心しています。
さて、その次男が先月の末にいきなり、「お母さんの口座番号を教えて。」と言って来たのですが、すぐさま長女は「初月給を貰ったから、お母さんに送ってくるんだよ、きっと。」と言い当てました。
その長女の言葉通り、しばらくすると次男から私の口座に5,000バーツが振り込まれていて、次男にすぐ返信して「気持ちはありがたいけど、私は次男がお金が足りないのではないかと心配だから、本当は受け取りたくないんだけど、今回はありがたく受け取っておくから。」と伝えました。
新年度になると、よくテレビのニュースのインタビューなどで、新入社員の初任給の使い道などを聞かれていますが、私の子供もついにそう言う歳になったのだと感慨深いものがありました。
まあ本来なら、長男長女の方が先に就職している歳なので、数年前に体験していたかもしれないのですが、我が家では少し順番が入れ替わって、次男が先を越してしまったので、今回がはじめての子供の初任給となりました。
思い出せば、次男のように大学を卒業して就職した頃の私は、自分の事で精一杯で親に感謝の気持ちを表す事も出来ず、本当に親不孝な娘でした。
そんな私なのに、子供たちはみんな親孝行な子供に育ってくれた事が、私には過ぎた事のように感じていて、親には申し訳ない気持ち、子供達には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
今回次男が送ってくれたお金は、次男が車を買うとか結婚するとか何か使う時のために、わずかばかりですが取って置いてあげようと思います。
次男がいつも見ている、チョンブリーの海浜。
もともと外交的で、友達も他の兄弟と比べると飛び抜けて多い性格なので、どうやら会社の先輩方とも上手くやっているようで、週一の休日の前夜は大抵会社の先輩と夜遅くまで話し込んでいるそうです。
週に一日しか休みがないので、長女からは『ブラック企業』なのでは?などとからかわれていますが、次男に言わせれば、建築関係の会社はこれが普通だと言う事です。
ともかく、毎日会社とアパートを行き来する毎日にも、よく海に寄り海辺でご飯を食べたり、それなりのささやかな楽しみを見つけて元気に暮らしているようで、私も安心しています。
さて、その次男が先月の末にいきなり、「お母さんの口座番号を教えて。」と言って来たのですが、すぐさま長女は「初月給を貰ったから、お母さんに送ってくるんだよ、きっと。」と言い当てました。
その長女の言葉通り、しばらくすると次男から私の口座に5,000バーツが振り込まれていて、次男にすぐ返信して「気持ちはありがたいけど、私は次男がお金が足りないのではないかと心配だから、本当は受け取りたくないんだけど、今回はありがたく受け取っておくから。」と伝えました。
新年度になると、よくテレビのニュースのインタビューなどで、新入社員の初任給の使い道などを聞かれていますが、私の子供もついにそう言う歳になったのだと感慨深いものがありました。
まあ本来なら、長男長女の方が先に就職している歳なので、数年前に体験していたかもしれないのですが、我が家では少し順番が入れ替わって、次男が先を越してしまったので、今回がはじめての子供の初任給となりました。
思い出せば、次男のように大学を卒業して就職した頃の私は、自分の事で精一杯で親に感謝の気持ちを表す事も出来ず、本当に親不孝な娘でした。
そんな私なのに、子供たちはみんな親孝行な子供に育ってくれた事が、私には過ぎた事のように感じていて、親には申し訳ない気持ち、子供達には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
今回次男が送ってくれたお金は、次男が車を買うとか結婚するとか何か使う時のために、わずかばかりですが取って置いてあげようと思います。
次男がいつも見ている、チョンブリーの海浜。
Posted by バットニャオ@第二期 at
00:41
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