2016年01月17日
ガーンジャオポーパヤレーのお土産
今年も、正月が開け、ここチャイヤプムの始祖、ジャオポーパヤレーの例大祭がやって来た。
私は、もう昨年くらいから引き篭もり症状が出ているので、出来れば行かなくてもいいように…と、なるべくその話題が出ないように最新の注意を払っていたのだが、末っ子ミックも地元小学校に通っているため、自然と友達伝いに知ってしまった。
しかし、それほど行きたい様子でもなかったので、安心していたのだが、今週2週間ぶりにバンコク近郊の大学から帰省した長女がどうしても行きたいと言うので、夕方店を閉めてから出掛ける事になった。
夕方、6時過ぎに家を出て、6時半過ぎには現地へ着いたものの、当てにしていた市街地にある長女の母校の高校が営業する臨時駐車場がいっぱいで、市街地を周回する事3回…。
その周辺の私有地の臨時駐車場も全て満車だったため、一度諦めて、郊外にあるBIG-CとMakroで買い物をして時間を潰し、その後まだ諦めきれない長女のために、もう一度長女の母校へ駐車を試みたが、やはり満車は変わらず、また周回を繰り返していたところに、かなり中心地から離れた道端の路上駐車群に空きを見つけたので、そこに駐車し、タイ人にはかなり遠いと感じるらしい500メートルほどの距離を歩いて行った。
そうして、しばらく特に楽しみもない田舎の若者が年に一度の晴れ舞台と言わんばかりに着飾って繰り出す様子を見ていたが、遊技場付近の耳も割れんばかりの音楽に合わせてタコ踊りをしている様は、まるで「コイツらみんな薬中なんじゃないか?」と思わせるに相応しい酔い具合だった。
そんな様子なので、私は後ろからついて来る、長女と末っ子のミックが絡まれはしないかとそればかりが心配だった。
田舎の祭りの遊具を写真に収めて、バンコクの友達に見せると張り切ってカメラを構えていた長女を促して、さっさとその場を去ったのだった。
大抵、こういう田舎の若者は、他に大した楽しみがないので、こういう何かのお祭りにはひどく張り切っていかにも『田舎の若者』を絵に描いたような一張羅で格好を付け、酔った勢いでチンピラ同然の振る舞いをし、すぐに殴り合いの喧嘩が始まるので、極力近づかない方がいい。
これは、タイの田舎の(もしくは都会に於いても?)どこのお祭りにでも言える事で、鬱屈した若者の憂さ晴らしの場になっている。
まあ、そういうタイの若者の話はどうでもいいのだが、その若者たちから逃れるようにして、遊技場を通り過ぎたところで、もちろん正規品ではないがキティグッズの出店があった。
私は別に興味もないので、通り過ぎようとしたところ、ふと聞き慣れたような聞き慣れていないような会話が耳に入って来た。
「わあ、かわいい!」
「ねえ、こっちでもキティちゃんって人気あるんだ。」
…そう、このチャイヤプムの地で、母国語を話す日本人に出会ったのである。
いや、出会ったと言うのはちょっと違う。
実は、見掛けただけなのだ。
彼女たちは、女性3人で旅行に来ている感じだった。
年の頃ははっきりとは分からないが、まあ私よりは若いだろうと言う事は確かだった。
聞いた事の有る言葉に、長女もミックも反応し、ミックは「日本人?挨拶したら?」と私に促したのだが、私はタイ語で言う「マイカー(勇気が出ない)」と言う感じで、そう、日本語で言えば、「気後れ」したのである。
しばらく、何となく距離を取りながら、話し掛けようかどうしようか…と久々の日本人との遭遇に、緊張して何を言ったらいいか考えあぐねていたのだが、ちょうど長女が欲しい物を見つけて、その店に入ったので、私もそのままそこにいるうちに、彼女たちは別の店を見て移動して行ってしまった。
もしかしたら、もう一度偶然見掛けるかも…と言う期待を胸に、帰り道を歩いたのだが、それなりの人出だったので、もう一度会う事はなかった。
やはり、バンコクならいざ知らず、こんな田舎では日本人に遭遇する事は滅多にないので、少し残念な事をした…と思った。
さて、今年のチャイヤプムのガーンジャオポーのお土産は…。

これ…。
よく日本の縁日でひよこを買ってしまうような感覚か?
末っ子のミックがどうしてもと欲しがって、ついつい買ってしまった。
そしてその後、一緒にいた長女が、「昔、私も欲しがったけど、買って貰えなかったんだよね…。」と一言。
その後、その日課のLINEでの「おやすみ」の挨拶のついでに、この報告をした長男からも「本当に買ったの?子供の頃、ぼくも欲しかったけど…。」と続いた。
やはり、末っ子には甘くなってしまうのか?
このハムスターを見て思うのだった。
私は、もう昨年くらいから引き篭もり症状が出ているので、出来れば行かなくてもいいように…と、なるべくその話題が出ないように最新の注意を払っていたのだが、末っ子ミックも地元小学校に通っているため、自然と友達伝いに知ってしまった。
しかし、それほど行きたい様子でもなかったので、安心していたのだが、今週2週間ぶりにバンコク近郊の大学から帰省した長女がどうしても行きたいと言うので、夕方店を閉めてから出掛ける事になった。
夕方、6時過ぎに家を出て、6時半過ぎには現地へ着いたものの、当てにしていた市街地にある長女の母校の高校が営業する臨時駐車場がいっぱいで、市街地を周回する事3回…。
その周辺の私有地の臨時駐車場も全て満車だったため、一度諦めて、郊外にあるBIG-CとMakroで買い物をして時間を潰し、その後まだ諦めきれない長女のために、もう一度長女の母校へ駐車を試みたが、やはり満車は変わらず、また周回を繰り返していたところに、かなり中心地から離れた道端の路上駐車群に空きを見つけたので、そこに駐車し、タイ人にはかなり遠いと感じるらしい500メートルほどの距離を歩いて行った。
そうして、しばらく特に楽しみもない田舎の若者が年に一度の晴れ舞台と言わんばかりに着飾って繰り出す様子を見ていたが、遊技場付近の耳も割れんばかりの音楽に合わせてタコ踊りをしている様は、まるで「コイツらみんな薬中なんじゃないか?」と思わせるに相応しい酔い具合だった。
そんな様子なので、私は後ろからついて来る、長女と末っ子のミックが絡まれはしないかとそればかりが心配だった。
田舎の祭りの遊具を写真に収めて、バンコクの友達に見せると張り切ってカメラを構えていた長女を促して、さっさとその場を去ったのだった。
大抵、こういう田舎の若者は、他に大した楽しみがないので、こういう何かのお祭りにはひどく張り切っていかにも『田舎の若者』を絵に描いたような一張羅で格好を付け、酔った勢いでチンピラ同然の振る舞いをし、すぐに殴り合いの喧嘩が始まるので、極力近づかない方がいい。
これは、タイの田舎の(もしくは都会に於いても?)どこのお祭りにでも言える事で、鬱屈した若者の憂さ晴らしの場になっている。
まあ、そういうタイの若者の話はどうでもいいのだが、その若者たちから逃れるようにして、遊技場を通り過ぎたところで、もちろん正規品ではないがキティグッズの出店があった。
私は別に興味もないので、通り過ぎようとしたところ、ふと聞き慣れたような聞き慣れていないような会話が耳に入って来た。
「わあ、かわいい!」
「ねえ、こっちでもキティちゃんって人気あるんだ。」
…そう、このチャイヤプムの地で、母国語を話す日本人に出会ったのである。
いや、出会ったと言うのはちょっと違う。
実は、見掛けただけなのだ。
彼女たちは、女性3人で旅行に来ている感じだった。
年の頃ははっきりとは分からないが、まあ私よりは若いだろうと言う事は確かだった。
聞いた事の有る言葉に、長女もミックも反応し、ミックは「日本人?挨拶したら?」と私に促したのだが、私はタイ語で言う「マイカー(勇気が出ない)」と言う感じで、そう、日本語で言えば、「気後れ」したのである。
しばらく、何となく距離を取りながら、話し掛けようかどうしようか…と久々の日本人との遭遇に、緊張して何を言ったらいいか考えあぐねていたのだが、ちょうど長女が欲しい物を見つけて、その店に入ったので、私もそのままそこにいるうちに、彼女たちは別の店を見て移動して行ってしまった。
もしかしたら、もう一度偶然見掛けるかも…と言う期待を胸に、帰り道を歩いたのだが、それなりの人出だったので、もう一度会う事はなかった。
やはり、バンコクならいざ知らず、こんな田舎では日本人に遭遇する事は滅多にないので、少し残念な事をした…と思った。
さて、今年のチャイヤプムのガーンジャオポーのお土産は…。

これ…。
よく日本の縁日でひよこを買ってしまうような感覚か?
末っ子のミックがどうしてもと欲しがって、ついつい買ってしまった。
そしてその後、一緒にいた長女が、「昔、私も欲しがったけど、買って貰えなかったんだよね…。」と一言。
その後、その日課のLINEでの「おやすみ」の挨拶のついでに、この報告をした長男からも「本当に買ったの?子供の頃、ぼくも欲しかったけど…。」と続いた。
やはり、末っ子には甘くなってしまうのか?
このハムスターを見て思うのだった。
Posted by バットニャオ@第二期 at 03:30│Comments(2)
│つぶやき
この記事へのコメント
タイをぶらぶらしてる日本人って、話してみるとぜんぜん会話にならない事が多いです。
なんでかな?と不思議なんですが、考えるに、彼らは非日常とやらを味わってるに過ぎず、そもそも出会いなんてのは求めてないのかもしれないなと。
それなのに日常に引き戻されたがごとく日本語で話しかけられて、ご気分害したかな?なんて思う場合もありました。
最近はもっぱら見て見ぬふり、フレンドリーな日本人なんて極僅かな数しかいないし、まともな会話ができる人となれば更に少ない、そう決め込んでおります。
まったく末っ子には甘くなりがちですよね。
私も末っ子のK子には甘くなります。
実は私の弟が昨年に急死しまして、母親はたいそう悲しみました。
母が第一発見者なんですよ。
すぐにタイの私に電話してきて「○○が~、○○が死んどる~!」と叫び続けました。
かわいがってたんですけど、死んだのは自分のせいだと考えてるようです。
一気に10歳くらい老け込みまして、今も突然泣き崩れたりするそうです。
昨年末から一ヶ月ほどタイに来てた母ですが、「やっぱり甘やかして育てたからね、甘やかすとダメやな…」と呟きましたよ。後悔先に立たずですね。
つまらない話で申し訳ありませんm(__)m
なんでかな?と不思議なんですが、考えるに、彼らは非日常とやらを味わってるに過ぎず、そもそも出会いなんてのは求めてないのかもしれないなと。
それなのに日常に引き戻されたがごとく日本語で話しかけられて、ご気分害したかな?なんて思う場合もありました。
最近はもっぱら見て見ぬふり、フレンドリーな日本人なんて極僅かな数しかいないし、まともな会話ができる人となれば更に少ない、そう決め込んでおります。
まったく末っ子には甘くなりがちですよね。
私も末っ子のK子には甘くなります。
実は私の弟が昨年に急死しまして、母親はたいそう悲しみました。
母が第一発見者なんですよ。
すぐにタイの私に電話してきて「○○が~、○○が死んどる~!」と叫び続けました。
かわいがってたんですけど、死んだのは自分のせいだと考えてるようです。
一気に10歳くらい老け込みまして、今も突然泣き崩れたりするそうです。
昨年末から一ヶ月ほどタイに来てた母ですが、「やっぱり甘やかして育てたからね、甘やかすとダメやな…」と呟きましたよ。後悔先に立たずですね。
つまらない話で申し訳ありませんm(__)m
Posted by muga at 2016年01月22日 00:08
mugaさん、コメントありがとうございます。
それは、旅行気分の人の非日常と、私たちの日常のタイの違い…。それは私も常々感じています。まあ、過去のタイに移住する前の自分と比べてもそうなんですけどね。
まあ、そういう本音はさておき、やはり意外な場所で、偶然発見した日本人の方だったので、少し興奮してしまったのですね。
コラートなどの日本人が割と多い地域なら、それほど興奮はなかったと思うのですが…。
私は、お母様の話に同情してしまいました。
それは、旅行気分の人の非日常と、私たちの日常のタイの違い…。それは私も常々感じています。まあ、過去のタイに移住する前の自分と比べてもそうなんですけどね。
まあ、そういう本音はさておき、やはり意外な場所で、偶然発見した日本人の方だったので、少し興奮してしまったのですね。
コラートなどの日本人が割と多い地域なら、それほど興奮はなかったと思うのですが…。
私は、お母様の話に同情してしまいました。
Posted by バットニャオ@第二期
at 2016年01月28日 01:07
