2014年11月22日
タイ人ニート
長男の小学校時代の同級生で、その小学校の校門の真ん前に家があり、両親が教師をしていると言う子がいた。
その子は家の前の小学校を卒業後、長男も入学したチャイヤプム市内の公立中高校の入試に失敗したが、後から特別枠(寄付金2万〜3万を支払う=つまり正規の裏口)で入学したと言う事だった。
しかし、本人の実力が伴わなかったのと、おそらく親の意向での進路選択に無理が出て来たのか、何とか一年目は通学したものの、2年目から姿が見えなくなった…と長男が言っていた。
それから6年以上経って、最近末っ子のミックの送迎時に、その小学校の校門前の彼の自宅付近で、すっかり成人した姿を見掛けるようになった。
別に、朝と言わず夕方と言わず、家の庭辺りでブラブラしている、こういうのを日本ではニートと言うのだな…と、数年前に初めてネットで覚えた現代の日本語を思い出していた。
話は逸れるが、日本を離れてからのこの十年余りに、私の知らない日本語の語彙がどんどん増えている。
最初はネットも繋がらない状況だったので、離れ小島にいるように、知らない言葉が増えていること自体を知らない…と言う生活だったが、最近はちょっとネットをしていると、すぐにぶち当たる知らない流行り言葉の数々をさらにネットで調べると言う生活になった。
この『ニート』と言う言葉もその一つだった。
確か、アニメ関係のキャラソンの歌詞にあって、すぐに意味を調べたものだった。
そうしたら、私よりも長男の方が先に知っていて、そういう大抵の流行り言葉や、新しい言葉は私より長男の方が詳しくなっていると言う事に驚いたのだった。
さて話を戻して、その長男の同級生だったタイ人ニート君の姿を見掛ける様になってからしばらくして、それまでその家で車庫として使われていた家屋脇のスペースを改築して、この辺りの田舎ではまだ珍しい、入り口と側面がガラス窓とサッシで出来た小型のコンビニのような店舗が出来た。

確かに、小学校の目の前なので、駄菓子屋などをするには立地条件はいいな…と思っていたのだが、両親は教師なので、またタイ人公務員お得意の副業か?と思っていたら、いつの間にか開店していたその駄菓子屋には、例の長男の同級生が座って店番をしていた。
おそらく、学校も満足に卒業していない、別に何をする気力もない息子に困って、親がお膳立てしたに違いないのだが、タイのニートの良いところは、タイ人は基本的に「親の言う事は聞くもの」と言う観念が赤ちゃん時代から刷り込まれているので、親にはほとんどの場合反抗したりしない。
例えば、どんなに悪行を重ねた犯人でも、自分の母親には頭が上がらなかったり、こういうニート生活を送っているような人間でも、親の言う事にはかなり従順だったりする。
そして、タイの田舎の家屋は基本的にオープンハウス状態なので、引き蘢りたくても引き蘢れない…と言うより『引き蘢る』と言う観念がないのかも知れない。
こうして、少しばかりのニート生活を経験した彼も、今ではすっかり社会の一員。
『学校の前の駄菓子屋のお兄さん』として、社会人デビューを果たしてしまった。
我が家の末っ子ミックもすっかり常連になって、この自分の兄と同級生の『お兄さん』に懐いてしまった。
彼はこのまま、学校の前の駄菓子屋の店主として、この小さい村の中で過ごして行くのかも知れないが、それはそれで人生の選択肢の一つであるのだな…と思った。

左側が学校の校門。右の家が元ニート君の自宅兼店舗。
その子は家の前の小学校を卒業後、長男も入学したチャイヤプム市内の公立中高校の入試に失敗したが、後から特別枠(寄付金2万〜3万を支払う=つまり正規の裏口)で入学したと言う事だった。
しかし、本人の実力が伴わなかったのと、おそらく親の意向での進路選択に無理が出て来たのか、何とか一年目は通学したものの、2年目から姿が見えなくなった…と長男が言っていた。
それから6年以上経って、最近末っ子のミックの送迎時に、その小学校の校門前の彼の自宅付近で、すっかり成人した姿を見掛けるようになった。
別に、朝と言わず夕方と言わず、家の庭辺りでブラブラしている、こういうのを日本ではニートと言うのだな…と、数年前に初めてネットで覚えた現代の日本語を思い出していた。
話は逸れるが、日本を離れてからのこの十年余りに、私の知らない日本語の語彙がどんどん増えている。
最初はネットも繋がらない状況だったので、離れ小島にいるように、知らない言葉が増えていること自体を知らない…と言う生活だったが、最近はちょっとネットをしていると、すぐにぶち当たる知らない流行り言葉の数々をさらにネットで調べると言う生活になった。
この『ニート』と言う言葉もその一つだった。
確か、アニメ関係のキャラソンの歌詞にあって、すぐに意味を調べたものだった。
そうしたら、私よりも長男の方が先に知っていて、そういう大抵の流行り言葉や、新しい言葉は私より長男の方が詳しくなっていると言う事に驚いたのだった。
さて話を戻して、その長男の同級生だったタイ人ニート君の姿を見掛ける様になってからしばらくして、それまでその家で車庫として使われていた家屋脇のスペースを改築して、この辺りの田舎ではまだ珍しい、入り口と側面がガラス窓とサッシで出来た小型のコンビニのような店舗が出来た。

確かに、小学校の目の前なので、駄菓子屋などをするには立地条件はいいな…と思っていたのだが、両親は教師なので、またタイ人公務員お得意の副業か?と思っていたら、いつの間にか開店していたその駄菓子屋には、例の長男の同級生が座って店番をしていた。
おそらく、学校も満足に卒業していない、別に何をする気力もない息子に困って、親がお膳立てしたに違いないのだが、タイのニートの良いところは、タイ人は基本的に「親の言う事は聞くもの」と言う観念が赤ちゃん時代から刷り込まれているので、親にはほとんどの場合反抗したりしない。
例えば、どんなに悪行を重ねた犯人でも、自分の母親には頭が上がらなかったり、こういうニート生活を送っているような人間でも、親の言う事にはかなり従順だったりする。
そして、タイの田舎の家屋は基本的にオープンハウス状態なので、引き蘢りたくても引き蘢れない…と言うより『引き蘢る』と言う観念がないのかも知れない。
こうして、少しばかりのニート生活を経験した彼も、今ではすっかり社会の一員。
『学校の前の駄菓子屋のお兄さん』として、社会人デビューを果たしてしまった。
我が家の末っ子ミックもすっかり常連になって、この自分の兄と同級生の『お兄さん』に懐いてしまった。
彼はこのまま、学校の前の駄菓子屋の店主として、この小さい村の中で過ごして行くのかも知れないが、それはそれで人生の選択肢の一つであるのだな…と思った。

左側が学校の校門。右の家が元ニート君の自宅兼店舗。
2014年11月07日
ローイクラトンに思う。
今日(日本時間では昨日ですが…)はローイクラトンでした。
昨日の夕方、末っ子のミックが何やら紙切れにメモを書き始めました。
「ねえメー(私の事)、クルワイ(バナナ)ってコーカイ(鶏のコー)の次に何て書くんだっけ?」
と聞いて来たので、何事かと思ったら、今日のローイクラトンの為に学校で手作りのカトンを作るための材料を、書いていたのです。
それを、昨夜義母の所に行った帰りに、そのままチャイヤプム市内へと繰り出して、友人と遊んで朝帰りだったため、午後から居間の真ん中ですっかり眠りこけている父親に貼付けておきました。
さて朝が来て、これでもかと眠り続けた末にようやく起きた父親が、昨日の所業を反省してか、いそいそとバナナの幹と葉を用意してくれました。


それをビニール袋に入れて学校へ持って行き、ほぼ丸一日授業そっちのけで製作した作品がこれです。

本人は、何時間も掛けてやっと出来たのに、流してしまうのはもったいない…と最後まで惜しそうにしていました。

それでも、最後には流す事に…。

だいぶ、岸から離れて行きました。
さて、このバナナの幹と葉を使って作るカトンは、私が学生時代にパタニーに留学していた時も授業で作った事もあるくらいで、昔ながらの自然の材料を用いたカトンです。
しかし、私が覚えている限りでは、長男や長女が小学生だった頃は、この手の自然材料を使ったカトン作りよりも先生が率先して、発砲スチロールの土台に色とりどりの花紙を使った、軽くて値段も手頃なカトン作りが主流でした。
このカトンの良いところは、
1、材料を探す手間がいらない(文房具店で売っている、もしくは先生が一括購入して来て、学校で販売する。)。
2、発泡スチロールの土台に、紙を貼付けるだけで、簡単に製作出来る。
3、軽いので絶対に浮く、沈む心配がない。
などで、かなり長い間、このカトンが学校で製作するカトンの主流だった時期がありました。
しかしここ数年、外国からの影響で、タイにも名ばかりのエコブームが到来し、カトン作りにも「昔ながらの自然材料を使ったカトン」が蘇りました。
それが、ここ数年の「昔ながらのバナナカトン」や、花の形に焼き上げたパンにろうそくとお線香をブスブスと刺した「パンカトン」などの、自然に帰る材料で作ったカトンの復活になったのです。
ここで、カトンの話から逸れますが、このタイの「なんちゃってエコブーム」、私には「タイでエコなんて無理無理…。」としか思えないのです。
外国の世論に影響された一部の学識者層が盛んにエコを叫んでも、タイのほとんどを占める庶民層には、はっきり言って全く届いていません。
買い物をして、手で持てば済むくらいの物でも、わざわざ買い物袋を要求する人々。
タイで当たり前の、道端や市場で売っている練り物や肉団子、焼き豚などの軽食類の買い食いや、袋や紙コップ入りのジュースなどを飲食しながら、食べた後は何の躊躇も無く、道路上でもどこでもポイ捨てする人々。
暑いからと、エンジンを掛けたままで何時間でも駐車している人々。
こういう生活が当たり前に馴染んだタイで、エコに対する努力が出来ない一番の原因は、「自分が良ければ良い。」と言う、タイ人の性格にあると思うのです。
スポーツも個人競技は良くても、団体競技は苦手と言うのがそれを物語っているでしょう。
例えば、よくCMで流れている、みんなで力を合わせてエンストした車を押したり…と言う「一瞬の仲間意識」はあっても、長い間自分を抑えて協力し合うと言う、協調性の持久力が無いのです。
基本的に個人主義な人々なので、エコのようなすぐに結果の出ない、地道な活動には向いていないのでしょう。
と、今朝夫が切って来たバナナの幹や葉を見ながら、こんな事を思った訳です。
それに、せっかくエコの為に…と自然材料のカトンに戻ったのはいいものの、毎年この「ローイクラトン」の為に伐採されるバナナの樹は、タイ全体では一体どれくらいになるのだろう?と言う疑問が湧きました。
それこそ、半端な数ではないだろうし、それだったら発砲スチロールのカトンを流して、後始末で河川や沼のゴミ浚いをしっかりした方が、よほど地球環境の為になるのでは?などと考えてしまいます。

そんなことを考えながら、今日はしみじみと道端のバナナの樹を眺めていました。
昨日の夕方、末っ子のミックが何やら紙切れにメモを書き始めました。
「ねえメー(私の事)、クルワイ(バナナ)ってコーカイ(鶏のコー)の次に何て書くんだっけ?」
と聞いて来たので、何事かと思ったら、今日のローイクラトンの為に学校で手作りのカトンを作るための材料を、書いていたのです。
それを、昨夜義母の所に行った帰りに、そのままチャイヤプム市内へと繰り出して、友人と遊んで朝帰りだったため、午後から居間の真ん中ですっかり眠りこけている父親に貼付けておきました。
さて朝が来て、これでもかと眠り続けた末にようやく起きた父親が、昨日の所業を反省してか、いそいそとバナナの幹と葉を用意してくれました。


それをビニール袋に入れて学校へ持って行き、ほぼ丸一日授業そっちのけで製作した作品がこれです。

本人は、何時間も掛けてやっと出来たのに、流してしまうのはもったいない…と最後まで惜しそうにしていました。

それでも、最後には流す事に…。

だいぶ、岸から離れて行きました。
さて、このバナナの幹と葉を使って作るカトンは、私が学生時代にパタニーに留学していた時も授業で作った事もあるくらいで、昔ながらの自然の材料を用いたカトンです。
しかし、私が覚えている限りでは、長男や長女が小学生だった頃は、この手の自然材料を使ったカトン作りよりも先生が率先して、発砲スチロールの土台に色とりどりの花紙を使った、軽くて値段も手頃なカトン作りが主流でした。
このカトンの良いところは、
1、材料を探す手間がいらない(文房具店で売っている、もしくは先生が一括購入して来て、学校で販売する。)。
2、発泡スチロールの土台に、紙を貼付けるだけで、簡単に製作出来る。
3、軽いので絶対に浮く、沈む心配がない。
などで、かなり長い間、このカトンが学校で製作するカトンの主流だった時期がありました。
しかしここ数年、外国からの影響で、タイにも名ばかりのエコブームが到来し、カトン作りにも「昔ながらの自然材料を使ったカトン」が蘇りました。
それが、ここ数年の「昔ながらのバナナカトン」や、花の形に焼き上げたパンにろうそくとお線香をブスブスと刺した「パンカトン」などの、自然に帰る材料で作ったカトンの復活になったのです。
ここで、カトンの話から逸れますが、このタイの「なんちゃってエコブーム」、私には「タイでエコなんて無理無理…。」としか思えないのです。
外国の世論に影響された一部の学識者層が盛んにエコを叫んでも、タイのほとんどを占める庶民層には、はっきり言って全く届いていません。
買い物をして、手で持てば済むくらいの物でも、わざわざ買い物袋を要求する人々。
タイで当たり前の、道端や市場で売っている練り物や肉団子、焼き豚などの軽食類の買い食いや、袋や紙コップ入りのジュースなどを飲食しながら、食べた後は何の躊躇も無く、道路上でもどこでもポイ捨てする人々。
暑いからと、エンジンを掛けたままで何時間でも駐車している人々。
こういう生活が当たり前に馴染んだタイで、エコに対する努力が出来ない一番の原因は、「自分が良ければ良い。」と言う、タイ人の性格にあると思うのです。
スポーツも個人競技は良くても、団体競技は苦手と言うのがそれを物語っているでしょう。
例えば、よくCMで流れている、みんなで力を合わせてエンストした車を押したり…と言う「一瞬の仲間意識」はあっても、長い間自分を抑えて協力し合うと言う、協調性の持久力が無いのです。
基本的に個人主義な人々なので、エコのようなすぐに結果の出ない、地道な活動には向いていないのでしょう。
と、今朝夫が切って来たバナナの幹や葉を見ながら、こんな事を思った訳です。
それに、せっかくエコの為に…と自然材料のカトンに戻ったのはいいものの、毎年この「ローイクラトン」の為に伐採されるバナナの樹は、タイ全体では一体どれくらいになるのだろう?と言う疑問が湧きました。
それこそ、半端な数ではないだろうし、それだったら発砲スチロールのカトンを流して、後始末で河川や沼のゴミ浚いをしっかりした方が、よほど地球環境の為になるのでは?などと考えてしまいます。

そんなことを考えながら、今日はしみじみと道端のバナナの樹を眺めていました。
2014年11月04日
新学期が始まりました。
今日は11月3日、日本では『文化の日』で祝日でしたね。(と、書きながら慌てて「文化の日」で間違っていないか調べる私。私がタイに来てから、十数年の間に、祝日や休日が変更されたりして、実は私の記憶で合っているのかよく分からなくなってしまったのです。)
私は、普段通り仕事をしながら伝票などを書いていて、「あ、今日は11月3日、確か『文化の日』だったな…。」などと思いながら、日付を確認していました。
さて、日本の『文化の日』は私の思い出の中だけで処理して置いて、我が家の今日11月3日は、長男と末っ子の新学期開始日でした。
まあ、地元の小学校に通っている末っ子については、また今日から朝夕の送り迎えが始まる…程度の事ですが、コラートのスラナリー技術工科大学(以前、イサーンに埋没中時代には『スラナリー工科大学』と訳していたと思うのですが、最近見つけたサイトで「技術工科大学』と訳されていたので、それが正式なのだろうと書き換えました。)に通う長男は、今日からの授業開始に向けて、昨日オートバイを乗せたピックアップで、コラートの外れにある大学構内の寮まで送って来ました。
他の大学はそうではないと言う事ですが、長男の通う大学は3学期制になっていて、今回の休みは2週間程度でした。
以前、入学前はこの大学の機械工学部に入って、「飛行機の整備士か、鉄道のレールを整備したい」と言っていた長男ですが、その後長男の成績を見た父親や親戚の勧めで、「機械工学より電気工学に進んだ方が、地元の電気局には知り合いも多いから、就職に有利だ。」と言う事になり、2年次から電気工学部に変更しました。
私は「え?そんなに簡単に夢を諦めるの?」と拍子抜けしたのですが、本人にとっては、『将来の夢』と言うより「職業の選択肢の一つ」くらいのものだったようで、長男の「堅実に就職して安定した収入を得る」と言う本来の目標から見れば、どちらも変わらなかったようです。
こちらでは、すぐに周囲の大人が「あれになれ、これがいい。」とその場の思いつきで子供の将来の選択に余計な口を出して来るので、私は「少し黙っていてよ。」といつも言いたくなりますが、これがタイなのでしょう。
年功序列、有能無能に関係なく大人が子供を操ろうとする…これがタイの社会です。
まあ、またタイの社会の批判をし出すと止まらないので止めて置きます。
ところで、先ほど長男の大学の正式訳名を見つけたサイトと言うのが、長男が2年次から受けている『日本語』の授業を教えておられる水崎泰蔵教授のページでした。
水崎教授のお名前は、毎週末帰省する長男からその授業の様子や内容と共に聞いていたのです。
しかし、以前はちょうどそのサイトに辿り着かず、長男の言う「厳しそうな感じと覚悟を持った感じが、昔のサムライみたいに格好いい人」と言う感想を聞いて、勝手に想像していたのですが、そのサイトでお顔を拝見することが出来ました。
いつも書いているように、私は普段、年に一人二人の日本人に会うかどうかの生活なので、そういう「立派な古き良き日本人」のような方が、長男の通う大学に居られると思うと、まだお会いしてもいないのに何だかとても心強く思えて、いつかお会い出来る日を…と一人楽しみにするようになりました。
とは言え、長男は今日本語を習っているところですが、日本語は基礎の基礎の幼稚園レベル。(幼稚園までを日本で過ごした為。)
本来なら、母親が日本人なのだから、普通に日本語を話し読み書きも出来る子もいるでしょう。
我が家には我が家の事情があったとは言え、日本人の子供でこのレベルでは…と、自分で日本語を教えて来なかった事が恥ずかしくもあります。
長男の話では、厳しいけれど優しい方だそうなので、こんな母親では怒られてしまうのでは…などと思ったりもします。
でも、長男も今はその水崎教授の授業の成果もあり、以前から本人の趣味だった日本の漫画、アニメの影響もあり、最近ではだいぶ難しい単語や文章が会話中に出て来て嬉しい限りです。
最近の日本の若者言葉などは、私より長男の方が知っているかも知れません。
今学期から、さらに日本語の授業に精を出して、もっと日本語の会話が増える事になれば…と今から楽しみにしています。
私は、普段通り仕事をしながら伝票などを書いていて、「あ、今日は11月3日、確か『文化の日』だったな…。」などと思いながら、日付を確認していました。
さて、日本の『文化の日』は私の思い出の中だけで処理して置いて、我が家の今日11月3日は、長男と末っ子の新学期開始日でした。
まあ、地元の小学校に通っている末っ子については、また今日から朝夕の送り迎えが始まる…程度の事ですが、コラートのスラナリー技術工科大学(以前、イサーンに埋没中時代には『スラナリー工科大学』と訳していたと思うのですが、最近見つけたサイトで「技術工科大学』と訳されていたので、それが正式なのだろうと書き換えました。)に通う長男は、今日からの授業開始に向けて、昨日オートバイを乗せたピックアップで、コラートの外れにある大学構内の寮まで送って来ました。
他の大学はそうではないと言う事ですが、長男の通う大学は3学期制になっていて、今回の休みは2週間程度でした。
以前、入学前はこの大学の機械工学部に入って、「飛行機の整備士か、鉄道のレールを整備したい」と言っていた長男ですが、その後長男の成績を見た父親や親戚の勧めで、「機械工学より電気工学に進んだ方が、地元の電気局には知り合いも多いから、就職に有利だ。」と言う事になり、2年次から電気工学部に変更しました。
私は「え?そんなに簡単に夢を諦めるの?」と拍子抜けしたのですが、本人にとっては、『将来の夢』と言うより「職業の選択肢の一つ」くらいのものだったようで、長男の「堅実に就職して安定した収入を得る」と言う本来の目標から見れば、どちらも変わらなかったようです。
こちらでは、すぐに周囲の大人が「あれになれ、これがいい。」とその場の思いつきで子供の将来の選択に余計な口を出して来るので、私は「少し黙っていてよ。」といつも言いたくなりますが、これがタイなのでしょう。
年功序列、有能無能に関係なく大人が子供を操ろうとする…これがタイの社会です。
まあ、またタイの社会の批判をし出すと止まらないので止めて置きます。
ところで、先ほど長男の大学の正式訳名を見つけたサイトと言うのが、長男が2年次から受けている『日本語』の授業を教えておられる水崎泰蔵教授のページでした。
水崎教授のお名前は、毎週末帰省する長男からその授業の様子や内容と共に聞いていたのです。
しかし、以前はちょうどそのサイトに辿り着かず、長男の言う「厳しそうな感じと覚悟を持った感じが、昔のサムライみたいに格好いい人」と言う感想を聞いて、勝手に想像していたのですが、そのサイトでお顔を拝見することが出来ました。
いつも書いているように、私は普段、年に一人二人の日本人に会うかどうかの生活なので、そういう「立派な古き良き日本人」のような方が、長男の通う大学に居られると思うと、まだお会いしてもいないのに何だかとても心強く思えて、いつかお会い出来る日を…と一人楽しみにするようになりました。
とは言え、長男は今日本語を習っているところですが、日本語は基礎の基礎の幼稚園レベル。(幼稚園までを日本で過ごした為。)
本来なら、母親が日本人なのだから、普通に日本語を話し読み書きも出来る子もいるでしょう。
我が家には我が家の事情があったとは言え、日本人の子供でこのレベルでは…と、自分で日本語を教えて来なかった事が恥ずかしくもあります。
長男の話では、厳しいけれど優しい方だそうなので、こんな母親では怒られてしまうのでは…などと思ったりもします。
でも、長男も今はその水崎教授の授業の成果もあり、以前から本人の趣味だった日本の漫画、アニメの影響もあり、最近ではだいぶ難しい単語や文章が会話中に出て来て嬉しい限りです。
最近の日本の若者言葉などは、私より長男の方が知っているかも知れません。
今学期から、さらに日本語の授業に精を出して、もっと日本語の会話が増える事になれば…と今から楽しみにしています。